たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!?   作:織葉 黎旺

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クラシック三月『知らなくていいのだろう』

「先生、アップから動的ストレッチまで終わりました!」

 

「おし、んじゃこれ、今日のメニューな。全員、無理せず、怪我しない程度にやれよ」

 

『はい!』

 

 ──三月中旬。冬を越え、運動日和と言わんばかりの過ごしやすい気温の中、これ幸いとばかりにウマ娘たちはターフを駆け回っている。

 無事生徒たちにメニューを渡し終えたトレーナーは、ひと仕事終えたとばかりに伸びをして、とぼとぼと担当の元に歩く。

 

「よし、んじゃ桜花賞に向けて調整すっぞ」

 

「ああ」

 

 体を(ほぐ)しながら、エアグルーヴが頷いた。気合十分といった表情でレーンへと一歩踏み出したものの、トモに感じた違和感で立ち止まった。

 

「……貴様、何をしている」

 

「触診」

 

 真剣な表情とは裏腹に、トレーナーの手はベタベタと不躾にエアグルーヴの太腿(ふともも)を撫で回している。反射的に蹴りかけて、しかし一度堪えた。特にいやらしさは感じなかったからである。

 

「…………どうだ?」

 

「かたい」

 

 蹴り飛ばすべきかと再び逡巡して、もう少しだけ様子を見ることにした。

 

「ちょっと押すぞ」

 

「ん、ああ……」

 

 先程よりも強く、腿の一部分が押される。言われてみると確かに、明らかに指の沈みが悪く、筋肉が凝り固まっているような気がする。

 トレーナーは徐々に指の位置をズラしていく。相変わらずいやらしさは感じないものの、それはそれとして妙なこそばゆさがある。

 

「…………どうだ?」

 

「やわらかい」

 

 トレーナーは相変わらず、馬鹿のような声と感想しか漏らさない。練習場の中であるため人目があり、長時間接触していることでそろそろ周りの生徒の視線が少し気になってきた。

 あくまで医療行為であり、傍目にも何も疚しいことは無いはずなのだけれど、『女帝』が身体を預けているのが物珍しいらしい。ひそひそと噂する黄色い声を聞いて、エアグルーヴは耳をピクリと動かした。

 

「おい、触診はそろそろ大丈夫だろう」

 

「んー……ああ」

 

「では練習を──」

 

 踏み出そうとした一歩を、トレーナーが止める。

 

「何故止める」

 

「おい、寝れる場所に行くぞ」

 

「は?」

 

 

 ◇

 

 

 トレーナーに先導されてやってきたのは、とあるマンションの一室だった。

 

「ま、上がれよ。汚いけど」

 

「失礼する」

 

 トレセン学園から徒歩五分ほど。商店街からも近く好立地なここは、トレーナーの自宅である。トレーナー寮があるにも関わらずそれを借りず、中途半端な場所に陣取るのは、彼らしかった。

 

 玄関を上がり、短い廊下を抜けてすぐのリビングは、机、椅子、調理器具など最低限の家具しかないせいか、汚いと言っていた割に、そこそこ整頓されていた。

 リビングに併設された襖を開くと和室があり、そこに布団が敷かれていた。

 

「あ、ここ客人用の部屋だし、新品の布団だから安心しろよ。ほれ、さっさと寝ろ」

 

「くっ……ああ」

 

「え、なんで今悔しそうな顔したの?」

 

 部屋の端に見えた埃やチリを掃き取りたい、エアグルーヴの掃除欲が頭をもたげかけていたが、流石に堪えた。

 

「まあいいや、とりあえずやってくぞ」

 

 腕まくりしたトレーナーが、マッサージオイルを手のひらで薄く伸ばしていく。部屋の中に柑橘系の香りが漂った。

 ブルマのすぐ下、腿中腹辺りにしっとりと、温もりを帯びた彼の手が触れた。凝り固まった筋肉を解そうと、細い指がエアグルーヴの内側へと沈んでいく。

 

「やっぱめっちゃ溜まってんな……! 無理矢理オフにして正解だったぜ!」

 

「私としては遺憾だが、なッ……!」

 

 エアグルーヴの身体が小さく跳ねる。どうやらツボに入ったらしい。

 

 

 トレーナーの触診の結果、『疲労を溜め込みすぎている』とドクターストップがかかり、そんなことはないという反論も虚しく、軽く指を入れられただけで声を上げてしまい、エアグルーヴはあえなく連行されることとなったのだ。

 

 

「ばーか言うんじゃねえ、あの程度で痛いなんて相当だぜ。今日は徹底的にヤるからな、覚悟しとけよ」

 

 それを皮切りに彼女は、全身のツボというツボを虐め抜かれる。初めは堪えていたものの、痛みに慣れ、オイルの保温効果とトレーナーの手の温もりで全身がポカポカしてきた後半は、うつらうつらと夢心地で船を漕いでいた。

 

 本格的に眠り出してからどのくらい経ったのか、パァンという甲高い音を聞いて、エアグルーヴは飛び起きた。

 

「……ッ、な、な、たわけぇ!!」

 

「ぐおっ!」

 

 跨っていたトレーナーを蹴り上げ、布団の端まで蹴り飛ばしてから、エアグルーヴは枕を抱きしめて赤面した。

 

「貴様、仮にも女子に何を──」

 

 キッとした冷ややかな視線と共に睨んだエアグルーヴは、しかし今のやり取りの中にどこか違和感があることに気づく。足も身体も、別物のように軽い。固まっていた場所が解れ、血液が悠々と巡っているのが分かる。

 

「いやあ、俺がこんなに頑張ったのにさ? すやすや気持ちよさそうに眠ってるのが少しムカついて」

 

 施術者としてはむしろ、患者の安らぎと快適なひとときを喜ぶべきところであるが、天邪鬼はそんな精神を持ち合わせていなかった。

 

 悪びれもなくケラケラと笑って、トレーナーは手の上で細い何かを回した。

 

「で、体調はどうだ? 鍼までやったから、まーだいぶ楽になったとは思うが」

 

「──正直、予想以上で驚いている」

 

 腕や肩を回しながら、エアグルーヴはその場で小さく跳ねた。施術前の状態がデフォルトだったために気づかなかったが、やはり、相当に溜まっていたらしい。

 

「まあそこまで違うのは施術後すぐってのがデカいだろうから、ほっとくと前の状態に逆戻りだぞ。こんなんあくまで対症療法なんだから、今後はもーちょい身体を労われよな」

 

「……善処する」

 

 生徒会副会長としての立場や仕事、アスリート故の練習など、慢性的な疲労が溜まっていくのは避けられない。それをわかっているが故に、トレーナーも「また溜まってそうだったらやってやるよ。トレーニングする以上はまあ、しょうがないことだからな」と苦笑した。

 

「明日はたぶん好転反応が来るだろうから、一日オフな。あ、反論は受け付けないから何も言うなよ? その分明後日からは一週間くらいみっちりやって、もう一回揉んで、そんで寝かせて、最終調整して桜花賞だ」

 

 トレーナーも杖として、女帝の扱いが分かってきたようで、彼女の異論がないように簡潔に言いくるめた。

 

「貴様の決定に異を唱える訳ではないが、少し慎重過ぎないか?」

 

 彼の言葉に納得しつつも、エアグルーヴは気になった点を指摘した。そもそも、突発的な整体・鍼治療がなかった場合であっても、本日のトレーニングは桜花賞の調整。つまりそこまでの負荷はない。いくら何でも、半月後の出走に備えて軽めの調整を行うというのは、いささか早すぎる。

 

「明日の負荷はまあまあ高い予定だったろ。筋疲労と超回復を繰り返してやる方が、試合当日にベストコンディションに持っていきやすいからな」

 

「その理屈はわかる。だが、それは身体が仕上がりきったアスリートが行う調整だ。まだ伸び代の大きいクラシック級(この)段階でするべきことか?」

 

 繰り返すが、エアグルーヴはトレーナーの決定に不満を申し立てている訳ではない。あくまで疑問を呈しているのである。それがわかるからこそ、トレーナーは小さく嘆息して答えた。

 

「エアグルーヴさ、もしレースに負けた時に何を一番後悔すると思う?」

 

「──戦術ではないか? 先行策を取るべきだった、差しに行くべきだった、仕掛けるタイミングを誤ったなど考え出せばキリはないだろう」

 

「……質問が悪かったな」

 

()()()()()()()()()()()()、とトレーナーは苦笑した。

 

「そりゃ、()()()()()()()って自負があればそうなる。だがそう思えない場合は? 策など通用せず、ジャイアントキリングすら考えられないほどの完敗なら?」

 

「……己の未熟さを悔いるだろう。ひいては、努力──練習量の不足を」

 

()()の二文字が出ない辺り、流石女帝だと言える台詞ではあったが、それを狙って言わせたトレーナーは平然と「そうだ」と首肯した。

 

「やりきったと言える練習量なら、戦術を見直す。或いは諦める。しかしどこかに──もう少し練習に打ち込んでいれば、という想いが過ぎるのであれば、それを何より後悔する」

 

 そしてウマ娘(おまえら)は、それをよくわかっている。

 

「走るために生まれてきた、なんて言われるくらいだ。不完全燃焼の走りがどこかにあったなら、それを気にする。気にすることがわかっているから、常に全力で走ろうとする。やりきろうとする。故に、ガラスの足が壊れる」

 

「……よく知っている」

 

「だからトレーナー(おれたち)がいるんだ」

 

 トレーナーを担うのが、ウマ娘ならぬ人なのは、そういった事情もある。分からないからこそ割れ物のように触れる。知らないからこそ必要以上に気にする。今日もその一つの例だろう。

 

後輩(あいつら)も、大事な時期だからこそ無茶をする。新学期を迎え、新人もベテランも等しく探す、試金石になろうと背伸びする」

 

「……選ばれなかった以上は、努力と邁進しかない。そう思っている生徒が多いからな」

 

()()()()()()()()()、とも言える。トレセン学園にいる時点で最低でも上の下以上、並でないことは保証されている。才能は見抜かれている。後は、頭打ちにならないように叩き伸ばすだけ。

 

「だから、無理してほしくねえんだよ」

 

 無理をして、壊れた時こそ真の地獄。もう少し強度を下げていれば、とか、上手いことやっていれば、だけではなくて、『努力ではどうにもならなかった』ことと、『これからもどうにもならない』ことを明確に分からされてしまうのだから。

 

「どんなに頑張ったって、レースは人生の一ページに過ぎない。絶対に、それ以降に悪影響を与えちゃいけない。理想を追いかけて現実に潰れるとしても、後腐れを残しちゃいけないんだ」

 

「──そうだな」

 

 綺麗にやりきるなんて、無様に潰れるよりも余程難しい。ましてやそれを他人に求めるなんて、無理難題かもしれない。しかし、だからこそ──

 

「そう導きたいものだな」

 

 かくあれかし、とそう思う。エアグルーヴは優しく頷く。

 

「もう一つ、聞いてもいいか」

 

「おう、何でも答えてやるよ」

 

「────いや、なんでもない」

 

「あー? なんだよ、遠慮しなくていいのに」

 

 トレーナーは屈託なく笑う。

 エアグルーヴは思う。これを聞いても、満たされるのは好奇心ばかりで、彼の心のどこかにある、生々しい傷口を抉るだけなのだろうから。

 

 

「──きっと、私は知らなくていいのだろう」

 

 

 

 

 

 

 

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