たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!?   作:織葉 黎旺

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春眠「寝させろ」

 日本で一番読まれたエッセイこと枕草子でも語られているように、春は夜明けの時間が一番尊いらしい。

 だんだんと白んでくる、紫だちたる雲と空の下。トレセン学園からそう遠くない2LDKのマンション、その自室で、トレーナーは目を覚ました。

 

 

「んぅ……?」

 

 瞼を擦りながら、未だぼんやりする意識の中で、妙に寝起きがいいことに首を傾げた。見れば、時計は未だ六時前。休日にも関わらず、こんな時間に気持ちよく目覚めるなど早々ないことである。

 

 

「はー、寝直すか」

 

 たまの休日にも気合を入れて早起きするなんて馬鹿らしい。故にトレーナーは二度寝しようと布団を被り直したのだが、その際妙に布団の中が狭いことに気がついた。

 狭いというか、圧迫感──というか。

 

 

「──おい」

 

 井戸の底から響いてくるような、底冷えするような声が布団の中から響いてきた。思わず上げかけた悲鳴を押さえて出どころを確かめてみれば、ご立腹な女帝が顔を覗かせていた。

 

「起きたならさっさとどけ、たわけが」

 

 布団の中に潜っていたせいか、紅潮した頬のまま、エアグルーヴは鋭くこちらを睨んでいた。

 

「え、なんでいるの?」

 

「貴様が言うか、貴様が!!」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ──エアグルーヴの説明によるとこうだ。

 昨日、練習後。トレーナーに呼び出され、彼の部屋までやってきた。まあ突然呼ばれるのはいつものことなので、どうせ掃除してくれだとか、ご飯作ってくれだとか、そんなことだろうと当たりをつけて合鍵で入ると、案の定、「久々に掃除したくね? いや、したいに決まってるよな!」と、掃除用具一式を手渡しながら彼が出迎えた。

 

「たわけ、人のことをなんだと思ってるんだ!」

 

「そりゃまあ、愛バですが」

 

「貴様のはどうにも、上っ面だけというか言葉が軽いというか……」

 

 そう小言を言いつつ、小さく尻尾が靡いた。

 リビングの隅々までホコリやチリを拭き取って、トレーナーの自室を触って私物をまとめているうちに、キッチンの方からは昆布だしのいい香りが漂ってきた。

 

「マジで助かる~」

 

「少しは自分でも片付けろ」

 

「とかいって、掃除しすぎると文句言うくせに」

 

「だらしがないのが問題だと言っているんだ」

 

「いやあ、それはもう三つ子の魂ってやつよ」

 

 無事掃除も終わったので、未だ室内を占拠する炬燵の上にコンロを置いて、野菜や肉がこれでもかと敷き詰められた鍋をセットした。

 

「まったく、四月だというのに炬燵はあるわ鍋は出すわ、貴様には季節感というものはないのか」

 

「なら今すぐその炬燵剥がして、押し入れにしまっていいんだぜ?」

 

 ニヤニヤとした笑みが、暗に「それなら今日しまえばよかったんじゃねえか?」と語っていた。自分でも意識していなかったそれを指摘された彼女は「──まあ、今日くらいは許してやる」と強がって、より深くに潜った。

 

「ある程度もう火は通してるから適当に取れよ」

 

「ああ、いただこう」

 

「あ、取るなら俺の分も欲しいな~」

 

「甘えるな!」

 

 と言いつつも、しっかりと取り分けて器を渡す。さんきゅーとはにかみながら、トレーナーはビール缶を開けた。

 

「あー、やっぱオフの前日は飲むに限るな!」

 

「朝練の日以外は毎日飲んでいるだろうが」

 

「特にうめぇんだよ、休み前は」

 

 休日の二度寝と同じだよ、と言われたがよくわからなかった。女帝として模範的な規則正しい生活を送り、寝付きや寝起きもいいエアグルーヴにそんな経験はないからである。

 

 ほとんど四六時中一緒にいるため、今更話すこともなく、稀に一言二言交わす程度でまた黙々と鍋をつつき、飲み物を飲み、そして再び口を開く。

 

「……炬燵、しまわなくてよかったな」

 

 エアグルーヴが家にやってきてすぐは、まだギリギリ日が出ていたこともあって多少涼しい程度だったが、日が落ちてからはすっかり冷え込んで、春先とは思えない冷気が部屋に入り込んでいた。

 

「そうだな」

 

 ウマ娘故代謝が高く、寒さにはある程度強い彼女であっても冷えを感じるのだから、ヒトたる彼からすれば冬初旬くらいには寒いのではなかろうか。

 

「寒さに耐えるために人間が編み出した叡智を知っているか」

 

「炎か?」

 

 未だグツグツと煮立っている鍋の周りだけは、熱源のおかげでたしかに温かい。しかしトレーナーは「それもあるが、違う」とグラスを持った。

 

「身体の芯から温まる、魔法の薬だよ」

 

 無駄に詩的に呟いて、彼は液体を一気に煽った。唖然とするエアグルーヴを尻目にトレーナーは「んぁぁああ、めーっちゃポカポカする」と上気した顔で呟いた。

 

「なっ……くだらん上に危ないことをするな、たわけ! また禁酒させるぞ!」

 

「へん、それなら今日飲み貯めするから別にいいもん」

 

 ヒトの身体にそんなシステムはない。

 さてはもうだいぶ出来上がってきたな、と察したエアグルーヴは、これ以上面倒くさいことになる前に退散しようと立ち上がる。

 

「そろそろ帰るぞ」

 

「まて」

 

 立ち上がった彼女の細い腕を、トレーナーの手が引いた。その瞳は据わっていて、真剣な眼差しがこちらを捉えている。改めて見ると、彫りの深い顔はなかなかに整っていて、昼行灯のような、浮き草のようなその性格ですべてを台無しにしていることを思わせた。

 

「なんだ」

 

「──エアグルーヴ、お前に頼みがある」

 

 トレーナーは肩を指差して呟いた。

 

「揉んでくんね?」

 

「は?」

 

 

 

 *

 

 

 翌日のトレーナー曰く、『この辺りから記憶が怪しい』。

 肩を揉め、という一般成人男性からの突然の要求に、少し困惑するエアグルーヴだったが、彼から「普段のデスクワークで身体がバッキバキでさあ、一人でできるケアにも限界があるし、まあこうなってる一因としてお前へのマッサージだとかも入ってるワケだから? そこは責任をとって、揉んでもらうべきだと思うんだよな」と詭弁を弄した。

 

「……それは構わないが」

 

 そう言われると頷く他ないし、前々からトレーナーの不摂生な身体状態に不安を覚えていたエアグルーヴは、渋々と言った様子で彼の腰辺りに跨ったが。

 

「私のような素人ではなく、専門知識のあるプロに頼んだ方がいいのではないか」

 

「それはイヤだ」

 

 トレーナーはきっぱりと断言した。

 

「俺は、お前に揉んでもらいたいんだ。お前だから俺は頼みたいんだ」

 

「……それならまあ、仕方がないな」

 

 ぺちっ、とトレーナーのふくらはぎに何かが当たった。マッサージなのかとも思ったが、明らかに彼女の尻尾の感触だった。それを受けて少しだけ冷静になった彼は、二の句として継ごうとしていた『女帝に身体揉ませてるって、めっちゃ優越感あって気持ちよくね?』を、飲み込んでおくことに決めた。英断だった。

 

「効果にはあまり期待するなよ」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 エアグルーヴはまず、トレーナーの肩の辺りに手を置いた。誰かをマッサージすることなど、恐らく小学生の時以来なので、おっかなびっくりとまではいかずとも、それなりに慎重に指を入れた。

 入れたかったが、入らなかった。明らかに硬かった。骨を押してしまったのかとも思ったが違った。まだ対して力を入れていないというのに、早くもトレーナーは「ぐおっ」とくぐもった声を漏らした。

 

「……やれるだけのことはやるが、後日必ず整体に行け」

 

「い、いえすまむ」

 

 遠い記憶の中の父母の肩よりも遥かに固い。エアグルーヴはひとまず、凝り固まった筋肉をほぐすように、ツボらしき場所を指で押したり、揉みほぐしていった。トレーナーの苦悶の声を目印に、力加減だとか位置だとかを調整するうちに、女帝はマッサージの才も見せ始めていた。

 

「ここか」

 

「んっ、そこめっちゃいい……」

 

「こうか」

 

「ぐおおおおおお!?!?」

 

 ウマ娘の膂力を存分に活かしたマッサージ故、エアグルーヴの方にはあまり疲れが見られない。むしろ、叫び散らかしたり転げ回ったりしていたトレーナーの方が、息も上がって遥かに疲れていた。

 

「はあ、はあ……」

 

「こんなものか。あまり揉みすぎるのもよくないと聞くしな」

 

「ああ。すげえ楽になった。ありがとうグルーヴ」

 

 んー、と大きく伸びをする。ほぐされた身体が喜んでいるように、ゴキゴキと小気味よい音を立てた。

 

「ふあぁ、今日は気持ちよく寝れそうだ」

 

「それはよかった。……さて、私はそろそろ帰るぞ」

 

 欠伸をして、眠そうに目を擦ったトレーナーを微笑ましげに見守って、エアグルーヴは立ち上がろうとした。が。

 

「こら、まて」

 

 

 *

 

 

 翌日のトレーナー曰く、『この辺りは記憶にない』。

 体重を崩され、布団の上に寝転され、端から見たら押し倒される形になった。突然のことに思考が停止したエアグルーヴは「な、にを──」と震える唇から漏らした。

 

「寝るぞ」

 

 そう言うと、エアグルーヴに布団を被せて、自身もその隣にモゾモゾと潜り込んだ。

 

「──は?」

 

 困惑するエアグルーヴをよそに、トレーナーは彼女を抱き寄せた。

 

「や、誰かさんが毛布かたしちゃったせいで寒いから……ぬくもりがほしくて…………」

 

「貴様は私のことを湯たんぽか何かだと思っているのか!?」

 

 実際、ヒトからすればウマ娘はちょうどそのくらいの、優しい熱を持っている。

 完全に都合のいいナニカとして見られていそうなことに激怒したエアグルーヴは、彼を押しのけて布団から抜け出そうとしたが、酔っていてタガが外れているせいか、思いの外その拘束が強い。力づくで抜け出してもいいのだが、下手に力を込めると腕の一本や二本折りかねないことに気づいて、我に返ってしまった。

 

 

「……すぅ……」

 

 一度深呼吸してしまえば、意外と落ち着いてしまい、トレーナーの呼吸が耳元にすんなりと入ってきた。

 彼は細身の割に意外と筋肉質で、エアグルーヴの身体を包むようにぎゅっと抱きついてきている。呼び出す前にシャワーを浴びたのだろう、馴染みのある柑橘系のボディーソープの香りがして、妙に安心する。

 

「……こんなこと、誰かに知れたらクビどころではないぞ。たわけ」

 

 行いだけ見れば、ほとんど犯罪者のそれである。この男は自分のキャリアも人生もどうでもいいのだろうか? 

 

「どうでもいいのだろうな、貴様は」

 

 奴は刹那を愉しむことしか考えていない。今日も今も、その一環だろう。

 ──あるいは、エアグルーヴを信頼する故か。

 

「……ぁあ」

 

 毒気のない横顔に影響されたのか、女帝の口から小さく欠伸が漏れた。慣れないことをしたせいか、彼女自身も少し限界に近かった。

 

「…………ぉゃすみ……」

 

 耳元で、優しい寝言が聞こえた。すぐにそれは安らかな寝息に変わり、落ち着いた心音はメトロノームのように、エアグルーヴのウマ耳を揺さぶる。

 

「……まったく」

 

 思わず口元が緩んだ。エアグルーヴの余力は、それでもう限界だった。緩やかに意識は闇へと溶けていき────そして、現在に繋がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「外でお泊りなんて、ずいぶん立派な非行少女になったもんだなあ。トレぴ、悲しい」

 

「誰のせいだと思っている、誰の!!」

 

 布団の中で暴れ、起き上がろうとするエアグルーヴを宥め、トレーナーはどうどうと押さえつけた。

 

「ごめんごめん、昨日は迷惑かけたな。本当にありがとう、グルーヴ」

 

「……感謝も謝罪も、今後の態度で示せ」

 

「わかってる」

 

 トレーナーは微笑むと、布団を深く被せ直した。

 

「とりあえず、二度寝の楽しみを教えるところから──」

 

 腹部に強烈な衝撃。溶けていく視界の中、永眠するかも、とトレーナーは思った。

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