たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!?   作:織葉 黎旺

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クラシック四月『残酷すぎやしないか』

「おら、ラスト一周ー!」

 

「ハアアアアアッ!!」

 

 トレーナーの言葉とともに、エアグルーヴの速度は一段と上がった。その叫びと気迫に周りの生徒達も気圧され、思わずそちらに視線を送る。あっという間にエアグルーヴは周回を終え、青空を見上げてから一つ息を吐き、肩を落とした。

 

「うん、いいタイムなんじゃね? 射程圏内だぜ、冠」

 

「……そうか」

 

 トレーナーがタイムを伝えないのは、わざとである。

 あくまでもう『調整』の時期。故にエアグルーヴに負担がかからないように、ある程度自由に走らせる。トレーニングならぬ調整においては、己の感覚ほど正確な指標はない。毎日、六割から八割の走りをさせて、徐々に仕上げていく。トレーナーがストップウォッチを持っているのはあくまで、『速すぎる』あるいは『遅すぎる』場合に声をかけるための保険だ。実際、レースで走る際に、規定タイムに沿って走り、距離を踏んでゴールまで進んでいくことなど早々できることではないので、なかなかに実用的な練習だった。

 

「今日はさっさと上がるぞ。ちょっと目立ちすぎたみてーだからな」

 

 入学式を終えてすぐのこの時期は、トレーナーや新入生が少しでも優秀なウマ娘を探そうと、目を皿にしてターフを眺めている。前者は言わずもがなスカウトのため。後者はチームへの勧誘など。また双方に共通の目的として、『敵情視察』がある。普段なら怪しまれる恐れもあるが、今なら新入生に紛れて自然と行えるからだ。

 

 無論、皆それをわかっているので、ここでは見せ札しか切らない。

 

「丁度いい。少し生徒会の仕事も残っていたからな、早めに終わらせておこう」

 

「それがいいな────」

 

 ぷるるるるるる、と甲高い着信音が響いた。マナーモードにしておけ、とエアグルーヴが顔を顰めるのも束の間、「もしもし」とトレーナーが電話に出た。

 

「あ、先行ってていいぞ。おつかれ」

 

「失礼する」

 

 そういうのは電話に出る前に伝えろ、と小言を言いたかったものの、相手が誰かわからない手前注意はできず、エアグルーヴは踵を返した。

 

『あら、今のはもしかして──』

 

「あ? 担当に決まってんだろ」

 

 電話の相手は女性のようだった。聞き耳を立てるつもりはなかったのだが、こういう時ウマ娘の敏感な聴力には困る。なるべく聞かないように、足早にその場を去った。

 

 

 *

 

 

「ただいま戻りました」

 

「おかえり、エアグルーヴ。早かったね」

 

 エアグルーヴが生徒会室に入ると、書類の束から顔を上げたシンボリルドルフが微笑んだ。ナリタブライアンはエアグルーヴを一瞥すると、つまらなさそうに和菓子の袋を開けた。

 

「桜花賞も近いので、今日は早めに切り上げてこちらの仕事を詰めておこうと思いまして」

 

「それなら気にすることはないよ。今年はみんなの尽力のおかげで例年より進みが早いからね、一意専心、君はレースの方に集中してほしい」

 

 新学期故、様々な書類の処理に生徒会の面々は例年終われるのだが、今年は比較的早めに始末できたため、まだ余裕がある。昨年のクラシック三冠バとして、シンボリルドルフは後輩の調子を慮った。

 

「アンタに回せる仕事を探す時間の方が勿体ない、今日は帰って寝てろ」

 

「……! ああ、そうさせてもらおうか」

 

 不器用な言葉ではあったが、それはナリタブライアンなりの気遣いだった。浅くない付き合いでそれを察したエアグルーヴは、小さくお辞儀して生徒会室を後にした。

 廊下に出ると同時に、慌ただしい足音が聞こえてきた。

 

「エアグルーヴ先輩!」

 

 指導している後輩たちだった。「騒々しいぞ、廊下は走るな」と呆れ顔で振り向いたエアグルーヴは、彼女たちが酷く焦った様子であることに気づいて、思わず口を噤んだ。

 

「何かあったのか」

 

「練習中に一人、倒れて運ばれて……! トレーナーさんが付き添って今、病院に!」

 

 ターフに上がる悲鳴、糸が切れたように倒れる生徒の姿が脳裏に浮かぶ。

 エアグルーヴの血相が変わった。

 

「何だと……!? どこの病院かわかるか!」

 

「はい! 府中市の──」

 

 

 

 

 学園からそう遠くなかったので、病院には数十分ほどで着いた。消毒液など、病院特有の香りにどこか不安を煽られながら、受付で聞いた305号室に入る。大部屋の割に使われているのは窓際の一角だけで、世界から隔絶するように張られたカーテンを抜ければ、重苦しい空気と、右足に包帯を巻いたウマ娘が出迎えた。

 

「……エアグルーヴ先輩」

 

 昨年の、模擬レースの時に競った彼女だった。沈痛な面持ちに一瞬、エアグルーヴは言葉を失ったが、「見舞いに来た」と端的に告げて、花瓶にガーベラの花を活けた。

 

「……痛むか」

 

「こうしてる分には、全然。ただ、無理して動こうとすると酷くて──」

 

 彼女はギプスを優しく撫でる。言葉の割に、あまりにも穏やかな空気だった。──あるいは、嵐の前の静けさを感じさせた。

 

「倒れてすぐ、立ち上がろうとした時にわかったんです。ああ、終わったんだな、って」

 

 きっともう、走れないんだな──って。

 

「そんなことはない。負荷をかけたが故の疲労骨折、それに転倒の単純骨折が重なったのはたしかに不幸だったが、時間をかけてリハビリすれば、また元通り──」

 

「無理ですよ」

 

 少女の口から、乾いた笑みが洩れた。開かれていた窓から、一陣の風が室内に入りこみ、カーテンと二人の髪を強く靡かせる。遠くから、足音が一つ聞こえた。

 

「無理なんです。もう、折れてるんですよ。治らないんです」

 

 制服の胸元、リボンの辺りを、彼女はぎゅっと掴んだ。

 

「本当は、ずっとわかっていたんです。敵うはずないって。どれだけ練習しても、みんなの背中は遠くなっていくばかりで、ちっとも追いつけない。それどころか、後ろからどんどん他の子が上がってきて、負けじと必死に頑張っても何も変わらなくて──」

 

 窓の外は、気づけばすっかり曇っていて、ぽつりと降り出した雨は、段々とその音を強めていく。呼応するように、彼女の言葉は溢れ出す。

 

「ここでやれなきゃ終わりだ、ってわかってた。誰かに選ばれるくらいにならなきゃ、もうずっとこのままだって。だから、朝も昼も夜も、走って、走って、走って、走って────先に、身体の方が追いつけなくなったんです」

 

 心は、並み居るライバルたちとともにあった。追いつき追い越し、冠に手をかけるはずだった。

 伸ばした手は空を切った。それどころか、足場を失い奈落に落ちていく──

 

「──本当にそれでいいのか?」

 

 エアグルーヴが、小さく呟いた。

 

「貴様が頑張っているのは知っていた。誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰るのを、何度も見ていた。月並みで、偉そうな感想にはなるが──期待していた」

 

 そしてそれは今も変わらない──

 

「何より、あれだけ楽しそうに走っていた貴様が、一度の故障で本当に諦められるのか?」

 

「先輩には、わかりませんよ」

 

 声は震えていた。エアグルーヴを見つめる栗色の瞳には、どこか昏い光が宿って見えた。

 

「絶対にわかりません。あなたは、選ばれる側の人じゃないですか。才能にも、環境にも、運にも恵まれたあなたに──知ったようなことを、言ってほしくない」

 

 彼女は唇を噛んで、何かを堪えるように小さく震える。すっかり本降りになった窓の外を見つめてから、「……すいません、一人にしてください」と呟いた。

 

 

 

「よっ」

 

 廊下に出れば、トレーナーが小さく手を上げて出迎えた。エアグルーヴは一瞥だけして「やはり聞いていたのか」と不満そうな声音で言う。

 

「俺が入ってってもややこしくなるだけだと思ったからな。アイツが本音をぶつけられるのはお前しかいないと思った。……なんか飲むか?」

 

「なら、コーヒーを」

 

 閑散とした待合室に、コーヒーをドリップする機械的な音だけが響く。沈黙を破ったのは、トレーナーだった。

 

「損な役回りをさせたな」

 

「……別に気にしていない。こんな状況になれば、冷静でいられる方が珍しいだろう────それに」

 

 無意識のうちに、エアグルーヴは己の足を撫でていた。

 疲労骨折、であるならば、一歩間違えばあそこに寝転がっていたのは自分だったかもしれないのだから。

 

「俺の責任だ」

 

 いつかの言葉と重なる。トレーナーは、胸に溜まったものを吐き出すように呟いた。

 

「責任の所在などどこにもないし、関係ない。気にするなとは言えないが、貴様一人が抱え込む必要はない」

 

「いいや、あるね。俺、本当はわかってたんだ。あいつが無理をしていることも、あいつの身体が悲鳴を上げつつあることも。でも止められなかった」

 

 エアグルーヴにしたように、すればいいだけだった。でも彼は、敢えてそれをしなかった。

 

「止めたら追いつけなくなるから。あいつの前を行くライバル達にはもう、二度と辿り着けなくなる。それが見えていたから──残酷になれなかった」

 

 卑怯者だ。そう言って、ぬるくなったコーヒーを口に含んだ。

 

「──ああ、たしかに卑怯だ」

 

 エアグルーヴがトレーナーを睨む。

 

「わかっていただと? たわけ、()()()()()()()()()。追いつけなくなるなんて誰が決めた? 知ったような口を聞くな、彼女の限界を勝手に決めるな」

 

「……俺の知り合いのウマ娘の話なんだけどさ」

 

 トレーナーは唐突に、滔々と語り出した。

 

「そいつはまあ、クラスの中だと二三番目くらいに早くて、走ることは大好きだから当然のようにレースの道を行こうとしてトレセン学園に行こうとしたんだけど、中央じゃなくて地方にしか受かんなくて」

 

 ふう、と一息置いた。

 

「それでも走るのは好きだったから、必死に練習して、いつかはレースで優勝するんだって、地方トレセンなんだからそのくらいできなきゃって頑張って、それで足をぶっ壊しちまったんだよな」

 

「……何の話だ」

 

()()()を知ってたのに、そこから何も学んでなかったって話だよ」

 

 ライターを弄びながら、淡々と彼は言った。

 

「ウマ娘にかけていい負荷の限界を分かってなくて、何人もケガさせた最悪のトレーナーだって知ってる。模擬レースの時にこの仕事辞めようかと思ったのはさ、頭にそいつのこと過ぎったのもあるんだ」

 

 同じ失敗を繰り返すのは愚の骨頂だ。それが分かりきったものであるのならば、特に。

 

「次に活かそうったって、ウマ娘の青春は一度しかない。その一度しかない青春を、新人の経験のために棒に振らせようなんて──それは残酷すぎやしないか?」

 

「競技である以上、敗者と勝者は必ず生まれる。その際に明確に差を生むのは、たしかに選手の才覚と指導者の経験だろう。だが、誰しも一度はそれを経て今があるんじゃないか? どんなベテラントレーナーであれ、一度も後悔のない育成なんて、経験していないはずだ」

 

「まあ、それはそうなんだけど」

 

「それでも自分はやめた方がいいと、そう思うのか?」

 

「うん、そう」

 

「頭を冷やせ」

 

 立ち上がり、エアグルーヴは言った。

 

「少し時間を置いた方がいい。このままだと平行線だろう」

 

「……そうだな」

 

「明日は自主練しておく、貴様は何もするな。……二日後に答えを出せ。それでも、貴様の気持ちが変わらないというのなら──そのときは」

 

 きっぱりと、やめてしまえばいい。

 空いた紙コップをゴミ箱に捨て、エアグルーヴは待合室を後にした。一人になったトレーナーは、静寂を許さぬような、叩きつけるような雨音に耳を澄ます。ふと、傘を忘れたことを思い出した。

 

 

 

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