たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!?   作:織葉 黎旺

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独自要素がございます。ご容赦ください。


一冠目『いいレースだった』

 

 

 

 

「いけるか?」

 

「ああ」

 

 蹄鉄に履き替えたエアグルーヴは、踵を整えて頷いた。本日の阪神レース場は良バ場、エアグルーヴのやる気は絶好調。気炎を感じさせる瞳は、地下バ道から強くターフを見据えている。

 

「最後になるかもしれねえから、伝えとく」

 

「……何だ」

 

「俺、今日はお前に『頑張れ』とか『負けるな』とか言わない」

 

 トレーナーとしては失格だろうが、そんなの今更だしな──と彼は続ける。

 

「神聖なレースを()()()くだらねえ賭け事の対象にした以上、俺に勝利を願う権利も敗北を乞う資格もない。やれることはやったから、あとは結果だけだ」

 

「………………」

 

「ただ……一つだけ、思うことがある」

 

 満員の観客。溢れんばかりの熱気。トレーナーはそれらに視線を遣る。

 

「見せてほしいんだよ、お前の力を」

 

 魅せてほしいんだよ、お前の可能性で。

 

「レースのことなんて何もわからなくても目を引いてしまうような、お前の走りで」

 

「──そんなもの、言われるまでもない」

 

 蹄鉄の音が遠くなっていく。女帝が逆光に飲まれていく。トレーナーはそれを眺めて、ふっと口角を弛めた。

 

 

 

 *

 

 

 

『春晴れの陽気となりました、阪神レース場です。ターフには十八名の優駿が集っています。三番人気は────』

 

 実況の声が響く。隣の少女が、エアグルーヴを見つめる。

 

『二番人気は《女帝》エアグルーヴ』

 

 桜花賞のトライアルとも言われる阪神JF(ジュベナイルフィリーズ)を勝っているエアグルーヴは、本来であれば本命バだ。だが彼女の前では二番手に落ち着くのもやむなし、とそちらを見る。

 

『一番人気はこの娘、サイレンススズカ』

 

「今日はよろしくね、エアグルーヴ」

 

「ああ。──お前に、先頭の景色だけを見せる気はないぞ」

 

「ふふ、私もそれ以外を見る気はないわ」

 

 閉ざされたゲートを見つめる。その先のゴールを見据える。《女帝》として啖呵を切った以上、半端な走りはできず、勝利以外許されない。だがそんな重圧も、緊張も──すべて、レースへの()()()()によって武者震いへと変換される。

 

 

 無限にも思える静寂が場を包む。

 

 

 

 

『いま、ゲートが開きました──!』

 

 同時に駆け出す。見ている限りではほとんど出遅れはなし。弾丸のように飛び出したサイレンススズカが、ぐんぐんと足を伸ばして先頭を独走していく。エアグルーヴは五、六番手の好位置につき、レース全体の行く末を窺う。

 

『第一コーナーを回りまして、先頭はサイレンススズカ!』

 

『後続とは約2バ身差。このリードをどれだけ保てるかが勝負の分かれ道でしょうか』

 

「はあっ──!」

 

 一般的に『逃げ』という戦法は、先行や差しに比べて選ばれにくい。一バ抜きん出て先頭を走るのは他のウマ娘の影響を受けづらく、自分のペースを作りやすい反面、最終的に()()()()()()からだ。

 ペースメーカーの不在からスタミナ配分を見誤る、終盤に抜かされてしまうとリカバリーが効きづらい、など難しい点が多い。

 

 しかし、サイレンススズカは違う。

 

 

『おーっとサイレンススズカ、まだ逃げる! このペースで大丈夫か!?』

 

『大逃げが炸裂していますね、あっという間に5バ身差です』

 

 大逃げと称される、圧倒的な初動。そのままほとんどペースを落とさないままのゴール。これぞ逃げ、と言わんばかりのレースから、ついた異名は《異次元の逃亡者》。

 

『第二コーナーを通過。先頭は依然サイレンススズカ、独走状態です!』

 

『後続との差は5バ身のまま。少しペースを上げないと厳しい展開になりそうです』

 

「フッ──」

 

 一息吐いて、バ群を俯瞰する。スズカの逃げによって、構成はだいぶ縦長。現在の位置取りは第二集団の三番手。まだスパートをかけるには早いが、このままもたついていてはスズカに追いつくことができない。だからエアグルーヴは、強く一歩を踏み出した。

 

「!」

 

 背後の女帝から受けたプレッシャーで、前方のウマ娘たちが少し掛かる。一人が受けた影響は波及し、一人また一人とペースが乱れ、レースそのもののテンポが上がり──逃亡者の背中が、徐々に近づいてくる。

 

『レースも大詰め、最終コーナーに差し掛かりました! まだ三バ身ほどリードがあります。サイレンススズカ、逃げ切れるか!?』

 

「──先頭の景色は、譲らない────!」

 

 サイレンススズカの瞳に炎が灯る。落ちつつあったペースが戻る。もうムリ、と脱落した誰かの声が聞こえる。心に根差したそれを振り千切るように、バ群全体が更にペースを上げる。

 

『さあ最後の直線! 逃げるサイレンススズカ、後ろの子たちは追いつけるのか!?』

 

 

 この最終盤にかかっても、エアグルーヴの心は凪いでいた。身体にも相当負荷がかかっているはずなのに、それすら何の苦にも感じられない。

 

 一つだけわかるのは──スズカの背中が、徐々に近づいているということだけだ。

 

「ハアッ──!」

 

『おおっと、後ろからエアグルーヴが追い上げてくる! サイレンススズカとの差は一バ身!』

 

『ゴールまでは三〇〇m、ここが勝負どころですね』

 

 己の背後までエアグルーヴが上がってきたことに気づき、スズカは小さく息を吐く。先頭の景色が陰り始めている。このまま逃げ切れるほど、『女帝』が甘くないことはよく知っている。でも──だからこそ。

 

「負けたくない……絶対に!」

 

「こちらのセリフだ……!」

 

 その声は斜め後ろから聞こえた。もうほとんど距離の差はない。だから後は、ゴールまで駆け抜けるだけ。

 

 

『エアグルーヴ並んだ! だがサイレンススズカも競っている! エアグルーヴか!? サイレンススズカか!?』

 

 身体が燃えるように熱い。隣の彼女(ライバル)に勝つこと、それだけを胸に、足と酸素を回す。

 

 

 勝敗が決したのは一瞬だった。

 

 

「…………!」

 

 一歩、エアグルーヴが前に出る。続けて二歩、三歩。手を伸ばせば届きそうな距離は、しかし確かな差だった。

 

 

『一着はエアグルーヴー!! 桜花賞を制したのは女帝だ! 二着はサイレンススズカ、三着は──』

 

「……負けちゃった」

 

 呟きとは裏腹に、スズカの表情はどこか晴れやかだった。風に靡いた栗毛を撫で、掲示板と満杯の客席を眺める。

 

「いいレースだった」

 

「ええ、とても楽しかったわ。悔しくはあるけどね」

 

 差し出された手を握り返す。客席が沸く。エアグルーヴは観客席と、そこにある報道用のカメラを見つめて、「……勝ったぞ」と、聞き取れないような声量で呟いた。

 

 

「…………!」

 

 地下バ道の入口。そこにトレーナーの姿を認める。

 

「エアグルーヴ、どうしたの?」

 

「いや……なんでもない」

 

 目が合った瞬間の、固く握り締められたサムズアップ。そして振り返った彼は、ひらひらと手を振って奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「ほら、一本シューチュー!」

 

「はい!」

 

「はあっ……!」

 

 今日もターフでは、ウマ娘たちが練習に励んでいる。デビューを待つ生徒たちに混じって、彼女もリハビリに勤しんでいた。念入りなストレッチと、ウォーミングアップ。負荷はかけすぎず、されど鈍らせず。

 その様子を眺めて、エアグルーヴはそっと目を細めた。

 

「お、やってんじゃん。いいザマだぜ」

 

「貴様は鏡でも見て言っているのか?」

 

「同じ敗北者(マイメン)への戯言だよ」

 

 いつの間にか隣にいたトレーナーは、ジャージ姿で準備体操に勤しんでいる。その様子はどこかぎこちなく、運動に不慣れである様子が窺える。

 

「はあ、んで今日のメニューはなんでしたっけ? トレーナーさまよ」

 

「手始めに2000mのペース走だな」

 

「いやもう、それ一本で終わりってレベルの負荷なんですけど」

 

 桜花賞に勝った結果、無事後輩もリハビリを始め、そしてトレーナーも辞職を取り止めた。だがそれでは足らんと一喝したエアグルーヴによって、何故かトレーナー自身への指導が始まった。普段からの不摂生と運動不足の解消の意味があるらしい。

 

 

「普段私に課しているメニューを思えば、この後に4000m×2本走るとしても大したことないだろう?」

 

「ウマ娘と人間を比べんなって、ましてや俺なんていい大人なんだから」

 

「つべこべ言わずに走れ!」

 

「ひいい、鬼教官」

 

 小さく舌を出して、トレーナーは逃げるように駆け出した。その様子を見届けて、エアグルーヴは業務に戻ろうと生徒会室に向かう。

 その途中トレーナー室に立ち寄った彼女は、広々としたガラスケースに収められた、まだ二つしかないトロフィーを見遣り、少しだけ口元を緩めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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