たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!? 作:織葉 黎旺
「さて、じゃあ『オークス』の対策ミーティングだが……基本的なところから話そう。舞台は東京競馬場、芝2400m、外回り。坂が多いのが特徴だから、その対策として坂路トレ―ニングやスタミナトレーニングを中心に行っていく。次いで出走する対抗バだが、あー……話す意味あるか?」
「……続けろ」
「嫌だ、続ける意味がねえから」
トレーナーは淡々と言い放つ。
「お前なあ……体調悪いなら悪いって素直に言えや!!!」
「少し疲労が残ってしまっただけだ……」
エアグルーヴの顔色は悪い。それもそのはず、現在の体温は38度半。いくら人間より平熱が高いウマ娘とはいえ、流石に風邪の域に達している。保健室の先生曰く、「溜め込まれた疲労の影響だろう。少し休めばよくなる」との見立てなのだが。
「『こんなコンディションではトレーニングの効果が薄い』と自覚してるところまではよかったのに、なんでそこで座学に移行しちゃったんだよ。休め、帰って寝てろ」
「部屋に戻ろうが、一日分の遅れが気になって気持ちが休まらん」
「それはもうワーカホリックだよ。俺くらいサボれ」
足して二で割ればちょうどよさそうな二人組だった。あるいは、だからこそコンビとして上手くやれているのかもしれないが。
「無理してダラダラと体調不良が伸びる方がよっぽどマイナスだってわかってんだろ?」
「これが終わったあと、きちんと休めば大丈夫だ……」
「何の根拠で話してんだよ、既に頭回ってねえじゃねえか。もういい、寮に帰れとは言わんからここで休め。一応簡易ベッドもあるから。酔ってる時とか熱の時とか、頭が火照ってる時に頭脳労働しても何もいいことねえんだよ」
勝手に作業終わってて楽なこともあるけど、とは言わなかった。今回の場合、頭にきちんと入れるまでが作業なので。
「くうっ……!」
「ふらついてんじゃねえか。馬鹿が、デコ出せ」
「……ッ!」
ぺちんと情けない音が響く。エアグルーヴが微かに、声にならない悲鳴を上げた。それはどちらかといえば痛みというより、脳天に染み渡るような冷気への驚きが大きかった。
「これでも貼って寝てろ」
不器用なりの優しさだというのはわかった。だが彼女にも、譲れない意地があった。
「……こんなことで、足踏みはしていられない」
「ああ!? なーにがこんなことだ、その
「………………」
沈黙は肯定だった。しかしその瞳は未だ折れぬ意志の炎を宿していた。
「……なんでそんなに拘るんだよ」
「憧れたからだ」
熱に浮かされた顔で、しかし女帝は淡々と語る。
「当時の映像なら、実況を諳んじられるほど見た。ラスト200m、そこで5頭並ぶほどの接戦。しかしそこでハナ1つ抜け出した母の姿」
レース展開自体は特筆して珍しいものではない。先頭集団で脚を溜めて、ここ一番で前に出て、追い比べに勝つ。しかし、彼女はそれに
「一生に一度のオークスという舞台。だというのに、共に走っていたウマ娘たちも満足そうにパドックを去り、ウイニングライブに向かっていく」
レースには、勝者と敗者が不平等に存在する。掲示板に名が載る人数は限られているし、入着したからといって勝ち組とはいえない。一位とそれ以外には大きな隔たりがある。レースに出走する上でバックダンサーの振り付けなんて練習したくないし、そこから逃げ出したい者だってたくさんいる。──それでも。
「全力を尽くしたからこそだろう。全員が力の全てを出し切って、その上での清々しい決着。ウイニングライブも他のどれより輝いて見えた。それに至るには、私はまだ足らないのだ」
貴様だってわかるだろう。エアグルーヴはトレーナーを見る。父と母、どちらを見てなのかはわからないが、彼がレースに携わるようになった切欠の一部は、二人にあるはずなので。
「前も言ったろ、俺の場合は反面教師だよ。お前みたいにまっすぐ憧れたわけじゃない。だから尚のこと──寝ろ! いまのお前を母ちゃんが見たら秒で寝かしつけるだろうが!!」
ふらついたエアグルーヴの身体をすんでのところで支え、そのまま持ち上げる。「重っ」と失礼な呟きを漏らしながら、簡易ベッドへ雑に投げた。
「く…………」
「俺が少々本気を出せば、小娘一人分くらいの働きは余裕で賄えるんだよ。だから──今は休め。で、元気になったらこの分働いて俺に楽をさせろ」
「……すまない」
「気にすんな。黙って寝てろ」
閉じた視界が徐々に暗くなっていく。照明が消灯される音、カーテンの衣擦れの音。静かに響くマウスとタイピングの音。毛布からは柔軟剤の優しい香りがする。不思議な安心感に包まれながら、エアグルーヴの意識はふっと遠くなった。