たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!? 作:織葉 黎旺
夜の静寂に、カコン、と鹿威しが鳴った。
次いで硬質な筆でキャンバスを撫で回すような音。それは徐々に、混ぜている物質を芳醇に香り立たせる。
「粗茶でございますが」
和服の男が茶碗をそっと差し出した。着物の女はそれを受け取って、薄くリップの塗られた口元へと運ぶ。小さく喉を鳴らして嚥下した後、彼女は微かに顔を歪めて「……結構なお手前で」と呟いた。
「おいまて、なんだ今の顔は」
「形式上ああいったが、貴様の淹れたお茶はあまり口に合わなかった」
「じゃあ思いっきり皮肉じゃねえか。ってかお茶淹れに美味いも不味いもねえだろ、茶葉の問題だ」
エアグルーヴから茶碗を奪い取って、残った抹茶をペットボトルのそれを飲むかのようにごくごくと勢いよく飲み干す。そして瞬時に渋い顔をして「まず! しぶ! これ流石に茶の方に問題があるだろ!」と抹茶の粉が入っていた箱を睨んだ。
「……あ、これ……賞味期限一年くらい切れてるわ」
「たわけ、そんなもの飲ますな! 確認してから淹れろ!」
「まさかそんなに経ってると思わなかったんだよ! だってこれめっちゃ高かったし!」
値段と期限には大した相関性はない、茶葉は茶葉である。まあ飲んでしまったものは仕方がないか、とエアグルーヴはお茶請けに手を伸ばし、
「……貴様、このお菓子は──」
「それはさっき買ってきたやつだから心配すんな!」
羊羹を一口噛む。小豆の風味と餡の甘みが口の中に広がっていく。エアグルーヴは思わず頬を緩めた。
「……うむ、大丈夫そうだ」
「そりゃそうだ。なんてったってわざわざ高級和菓子屋で色々買ってきたからな」
トレーナーの持つビニール袋には、先程の羊羹以外にも無数の和菓子が所狭しと詰め込まれていた。どれだけ上等で美味しいお菓子であろうと、レイアウト次第でこうも安っぽくなるのか。
「まあとりあえず、コイツだよな」
ビニール袋の底に入っていた、一際大きな箱を取り出す。蓋を開ければ、ピラミッド状に積まれた真白いお団子が姿を表した。トレーナーが満足そうに頷く。
「うんうん、やっぱりお月見といえばお団子だよな」
──今宵は中秋の名月。正月の例を見てわかるように、季節感を大切にするエアグルーヴのトレーナーとして、今回は一肌脱いだ。わざわざこの和室を借り、こうして物品を用意し、お月見を万全の体制で行えるよう整えたのだ。
「よーし、月もいい感じに見えてきたし食べようぜ!」
「………………」
「どーしたエアグルーヴ、そんな訝しげな顔して」
「いくら点数を稼ごうが、酒は飲ませんぞ」
「えー、いやいやそんなことまじで微塵もまったく考えていなかったぜ」
「ではその鞄の中に入っている瓶はなんだ!」
「やべ、隠れてろって言ったのに!」
瓶に言ったところで意味はない。言葉は反響して返ってくるばかりである。
何だかんだと禁煙に成功しつつあるトレーナーだが、その反動として飲酒量が増えた。そしてその結果、健康診断での肝臓の値が中々に悪かったので、エアグルーヴから禁酒を言い渡されている。
「やっぱり中秋の名月なら、月見酒と洒落こまなきゃ失礼だろうが」
「むしろせっかく休んでいた貴様の肝臓に失礼だ」
ちなみに、現在一週間の禁酒に成功中。エアグルーヴの涙ぐましい
「まったく……貴様は死にたいのか……!?」
「ああ! 酒が飲めないくらいなら死んだほうがマシだね!」
清々しいほどに酒クズだった。最早アル中に近い。
「それを聞かされては尚の事飲ませられんな。ようやく一週間続けられたのだから、このまましばらく抜いて依存を脱した方がいい」
「あっ……いやその、いまのは売り言葉に買い言葉っていうか全然本心じゃなくて反射的に適当なこと言っちゃっただけっていうか、本当は余裕で我慢できるんだけど、でもやっぱり大切なヤツと過ごす特別なひとときは気持ちよく酔いたいっていうか…………」
「………………」
眉を顰めたエアグルーヴは、おどおどとした様子でこちらを見つめるトレーナーと、月とを静かに見比べて、お団子を一つ口に運んで、そうして小さく嘆息した。
「一杯だけだ。必ずそれでやめろ」
「ありがとおおお!」
トレーナーが大袈裟なリアクションで喜ぶ。酒とはそんなによいものなのだろうか、とエアグルーヴは首を傾げた。
「それじゃあ早速──」
「まて。私がやる」
「いやいや、女帝サマに酌してもらうなんてそんな──」
馬鹿なことを言っている間に、エアグルーヴはカバンの中から銀色のコップを取り出す。次いで現れる細かいパーツ郡。蓋、マドラー、計量カップ。つまりはカクテルセット一式であった。
「おま、それ俺から没収した──」
「どうせ使っていなかっただろうが。三年以上押し入れの奥で埃を被せておいたくせに何を言う」
エアグルーヴは手際よく準備を進めていく。カバンの中から抹茶の粉末と焼酎、氷を取り出し、計量しつつシェイカーに入れていき、マドラーでかき混ぜてグラスに移す。
「口に合わなかったら捨てろ」
「いや、まずくても全然飲み切るけどな? もったいないし」
いただきます、とグラスを口に運ぶ。泡の感触。抹茶の香り。二口程飲んで、トレーナーは叫ぶ。
「美味い! いままで飲んだ緑茶ハイの中で一番かもしれん!」
普段はペットボトルの安い緑茶と業務用の焼酎で作っているが故に、そこそこいい抹茶の甘みと、結構いい焼酎の美味しさがよく分かる。
「それならよかった」
「やっぱ料理とか美味いだけあるな。お前が飲めるようになったら色んなの作ってもらおうかな」
「飲んでばかりいないで団子も食べて空を見ろ。せっかくの月見なのだから」
「違えねえ」
秋の始まりを告げるような涼風が吹く。白い団子と金色の満月を見比べて、エアグルーヴは尻尾を靡かせた。