たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!? 作:織葉 黎旺
放課後のターフはいつも通りウマ娘たちで賑わっている。が、今日に限っては彼女達の視線は、コースの中を堂々たる走りぶりで駆ける、一人のウマ娘に向けられていた。ゴールラインを越えたことを確認して、トレーナーはストップウォッチを押す。
「2分12秒……うん、まずまずだな」
トレーナーの言葉に、エアグルーヴは「いいや……これではダメだ」と額の汗を拭い、厳しい表情で答えた。
「来週末にレースを控えているというのにこのペースでは、少しも安心できまい。貴様もわかっているだろう?」
「まあそりゃそうだが」
トレーナーであるが故、そんなことは言われるまでもなくわかっていた。が、そこで下手に注意をして焦りを促しても、事態が何も好転しないことも理解していたため、「とりあえず適当に答えとくか」とばかりのコメントだったのである。
「とはいえ最近は根を詰めすぎだ、これ以上はオーバーワークになる。明日はオフだし、さっさとダウンして帰って寝てろ」
「そうしよう……ところで貴様、明日は暇か」
「録り溜めてたアニメ観るのに忙しい」
「ふむ、やはり暇か」
「え、俺の話聞いてた?」
トレーナーの意見そっちのけで思考を進めるエアグルーヴは、「そうだな、なら丁度いい。明日は久しぶりに貴様の部屋の掃除をするぞ。アニメなら流しておけば観れるだろう」と名案を思いついたとばかりに頷いて言った。
「や、俺は一人でのんびり休日を過ごしたいの! せっかくの休日なのに女帝の家臣として過ごすのはちょっと──」
「──そんなに私と過ごすのは嫌か?」
少し耳を倒し、眉と声音も下がり、落胆した様子のエアグルーヴ。
「ご、ごめん。そういうわけじゃねえよ。ただ──」
「よし、なら決まりだな」
あっけらかんとそう言ってみせて、エアグルーヴは踵を返した。その後ろ姿を見てトレーナーは「卑怯な真似しやがって……! お前明日は覚えてろよ!」と叫んだ。エアグルーヴはひらひらと手のひらを振って、夕暮れのターフから去った。
*
「邪魔するぞ」
「あいよー」
合鍵で扉を開け、中に入る。トレセン学園のトレーナーには寮が宛てがわれているが、それでは窮屈だからとこの男は徒歩十分ほどのところのマンションに住んでいる。一人暮らしにしては広い4LDKには、エアグルーヴの私物も少しばかり置かれている。
「また貴様はこんなに散らかして……」
廊下を抜けた先のリビングには、衣服や段ボールなどが散乱していた。忙しい身の上のため、通販などに頼りきっている弊害である。呆れたようにため息をつくエアグルーヴだが、その尻尾は絶え間なく揺れている。流石掃除をストレス発散の手段として用いる女だなあ、とトレーナーは思った。
「早速始めるぞ」
「おう、任せた」
トレーナーは白いソファーに横になって、テレビのリモコンを押した。微塵も掃除する気に見えない体勢ではあるが、実際エアグルーヴは他人が己の
「久方ぶりだからな、中々の激闘になりそうだ……!」
「あーね」
エアグルーヴは腕まくりをしながら部屋の隅々まで八方睨みを決める。それを一瞥もせず、トレーナーは画面を呆けて眺めている。テキパキと手馴れた様子で片付けを始めるエアグルーヴを尻目に、時間とアニメは進んでいく。
『ダメ……っ! マコちゃん、その力は……!』
『ごめんマオ……でも、こうするしかないから……』
「おいたわけ、この玩具はどこにしまえば──」
「ちょっと黙れエアグルーヴ! 今めっちゃいいとこだから!」
むっとしたエアグルーヴは、女児向けのステッキのような玩具を抱えたまま、その『いいところ』が終わるのを待った。画面の中では栗毛のウマ娘の静止も虚しく、黒鹿毛のウマ娘が黒いステッキを使って禍々しい姿に変身を始めた。どうやら、最近流行っている魔法ウマ娘アニメらしい。女児向けの売り出し方をされている割に、ストーリーがえぐいとの評判である。学園でも少し噂になっていたな、とエアグルーヴは作業を止めた。『女帝』たるもの、流行にも敏感でなければならぬ。
『すべて……コワス!』
『やめて、マコちゃん! 元の優しい貴方に戻って……!』
敵怪人をその強大な力でいとも容易く屠ったものの、我を失った黒鹿毛のウマ娘が暴走し、守ったはずの街や人々にその力を向けようとしている。栗毛のウマ娘の言葉も届かなくなってしまったその姿を見て、彼女は力づくでも仲間を止める決意をする。
『街もみんなも、あなたも……すべて、私が守る! 変身!』
彼女が新たな姿に変わったところでエンディングテーマが流れ始めた。呼吸も忘れて画面を見つめていたトレーナーが、ふうと溜めた息を吐くと、隣に温もりがあった。
「おいたわけ、何をしている。早く続きを流せ」
「……エアグルーヴさん、何してるんすか?」
「休憩と学習だ」
こんなもん学んでも何にもならねえよ、という言葉を飲み込んで、トレーナーは次の話を流し始めた。
「何!? そこで助けがくるだと……!」
「そこだ! そこで必殺技を使え!」
「逃げろ、後ろから狙われているぞ!」
──が、アニメの内容よりも、それに一喜一憂するエアグルーヴの方が気になってしまって、全然集中できない。
「あのー、エアグルーヴさーん……?」
「む……すまん、少々騒ぎすぎた」
そういうとエアグルーヴは、ジャケットについた埃を払って座り直した。
「エアグルーヴってさ、昔こーゆーの観てたりした?」
「いや、あまり興味が持てなくて観なかったな」
「なるほどね、多分それで正解だよ」
もしそこでコレにハマってたなら、今のお前はいないだろうから──そんな思いを込めてトレーナーは彼女の肩を叩いたが、エアグルーヴは不快そうに眉を顰めるばかりだった。
*
「今日はありがとな」
帰り道。暗くなってきたんだから女一人で返す訳にはいかねえだろ、と心底嫌そうな顔をして着いてきたトレーナーが、エアグルーヴを送りながらそう言った。
「ふん、貴重な休日を邪魔して悪かったな」
「や、今のは嫌味とかじゃないからな!?」
「冗談だ」
小さく鼻を鳴らしたエアグルーヴは、勝ち誇ったように微笑んだ。トレーナーは嘆息して「昔はもっと素直だったのになあ、お前いつからそんなにひねくれちゃったんだ」と言った。
「誰に似たんだか」
「さあ、わからんな」
帰り道の静かな時間は、あっという間に過ぎていく。寮の灯りが見えてきて、二人の足は夜道に止まった。
「じゃあ、この辺で」
「ああ」
「結局、掃除終わらなかったな」
「近いうちに続きを行わせてもらう、それまで汚すなよ」
「善処はしよう。──そのときは、祝勝会も兼ねるか」
「反省会にならないようにしなければな」
程々にな、とトレーナーが笑う。手を振って、徐々に二つの影が遠くなっていく。また明日、という誰かの呟きは、秋の宵風に流れていった。