たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!? 作:織葉 黎旺
「…………ん」
エアグルーヴが意識を取り戻した時真っ先に見たのは、知らない天井だった。瞬時に直前の記憶が脳裏を過って、自分が倒れたことと、ここが病室だろうことはどうにか察した。
「お、起きたか」
傍らで声が聞こえた。見れば、小さなパイプ椅子に座ったトレーナーが、スマホを片手に足を組んでいた。
「ああ…………私は、倒れたのか」
「だからまだ無理しない方がいいぜ。視界チカチカしたりしないか?」
「まだ少し気分が悪いが……その程度だ」
「そうか、ならよかった」
一応先生呼んでくるわ、と告げて、トレーナーは部屋を出ていった。それとほぼ入れ違いでノックの音が響く。
「失礼するよ」
「会長」
鹿毛のウマ娘──シンボリルドルフは、扉から顔を覗かせた。
「いまちょうどトレーナーくんとすれ違って、目が覚めたと聞いたものだから」
「ご心配をおかけして、申し訳ございません」
「気にすることはないよ。アレは……記者団に責任がある」
シンボリルドルフは苦虫を噛み潰したような顔でそう言い、そして誤魔化すように笑って、後ろ手に隠していた花束を渡した。
「まずは三冠達成、おめでとう」
「ありがとうございます」
「祝い品のつもりが、見舞い品になってしまったが……」
言いつつ、ルドルフはベッドの脇の花瓶に花を活ける。一瞬空いているパイプ椅子に座りかけたが、すんでのところで止まって新しい椅子を出した。
「昔から少し、フラッシュは苦手だったのですが……まさかあそこで倒れてしまうとは」
「仕方ないさ。得意なウマ娘の方が少ないだろう。今回の場合は、レースの歴史に名を残すような、驚天動地の出来事だったこともある」
私の時も、何百という量のフラッシュに焼かれたからな──と、三冠バは遠き日を見つめながら言った。
「今回の事件を契機に、フラッシュは禁止になるだろう。それもエアグルーヴと、君のトレーナーのおかげだ」
「トレーナーの……?」
その言葉にエアグルーヴが小さく首を傾げると、ルドルフは「ああ」と切り出す。
*
糸の切れた人形のようにバタリと倒れたエアグルーヴに、観客席から悲鳴が上がった。動揺が会場中に広がる。大多数が動きを止める中で、それでも動いている人間が──指を動かしている人間がいた。
カメラマンたちである。
「すいませんどいてください! 通してください!」
群がる野次馬を押しのけ、トレーナーはエアグルーヴの前まで駆け寄る。倒れた彼女の身体を抱き上げ、「誰か担架を! 早く!」と指示を出す。同時に光と、パシャリとシャッターを切る音が聞こえた。
「……おい」
浴びせられる閃光の中、トレーナーは細めた目で記者団を順繰りに睨む。
「あんたらもそれが仕事なのはわかるけど、ちょっと節操なさすぎだろ。撮れ高になれば何でもいいのか? コイツがさっきのフラッシュで体調崩したのなんて一目瞭然だろうが」
到着した救急隊の担架にエアグルーヴを預け、トレーナーは記者たちの前に立つ。
「ウマ娘の五感が人間より鋭いことは、トレーナー学校で学ぶまでもない常識だと思うが、そんなアイツらに対してあの量のフラッシュを焚くのはもう攻撃みたいなもんだろ。そりゃ綺麗に映してもらえんのは嬉しいけどさ」
もうちょっとどうにかしてくれ、と言葉を残して、トレーナーはエアグルーヴの後を追った。その背中を、ライブ中継のカメラだけがじっと見つめていた。
*
「そんなことが……」
「カメラの回っていたところで大胆不敵な発言をしたことには賛否両論あるだろうが、個人的には彼のしたことに感謝の意を表したい」
一人のウマ娘を庇ってくれたことを含めて──と、エアグルーヴに視線をやった。
「さて、私はそろそろお暇しよう。そうそう、明日はゆっくり休んでほしい。ブライアンが張り切っていたから生徒会のことは気にしなくて大丈夫」
「それはむしろ不安ですが……いえ、お言葉に甘えます。会長、ありがとうございました」
「お礼なら、彼の方に言ってやってくれ」
そういって、シンボリルドルフは部屋を出ていった。その背中を見送って、天井を見上げていれば、白衣を連れてトレーナーが帰ってきた。
「待たせたな。先生、診断お願いします」
「これはもう健康体ね」
「流石先生、一目見ただけでグルーヴが完治したことがわかるなんて……!」
「当然でしょう? ワォ、あんし~ん☆」
「あんし〜ん!」
何故か不安しかない反応だったが、まあ動けるならそれに越したことはない。靴の踵を整えて、バスケットを抱えて、エアグルーヴはトレーナーの袖を掴んだ。
「帰るぞ」
「おう。打ち上げ、どこがいい?」
「貴様に任せる」
「うし、酒美味い店選んじゃお!」
「程々にしろ。たわけ」
青のレクサスの助手席に乗り込んで、シートベルトを締める。トレーナーの運転は、性格に反して静かで上手い。ゆったりとした走行音と、彼が好む邦バンドの曲だけが響く車内の沈黙を、エアグルーヴが破った。
「……トレーナー」
「どうした?」
「さっきは……ありがとう」
「ルドルフから聞いたのか?」
「ああ」
「別に、大したことはしてねえよ」
左手でハンドルを握りながら、トレーナーは右手で髪を掻いた。
「当たり前のことっていうか思ったこと言っただけっていうか……まあ、お前に何事もなくてほんとによかったよ」
「お陰様でな。──というか、気づいていたのか。私がフラッシュを苦手としていることに」
「気づくも何も丸わかりだろ、ずっと無理してるのが見え見えだったぜ」
被写体をより鮮明に映すためのフラッシュなので、そこに苦言を呈するのもよくないだろうか──とずっと堪えていたのだが、誤魔化しきれていなかったようだ。あるいは、トレーナーが鋭いだけか。
「にしてもアレ、思いっきり生放送されてたらしいし、怒られるのが怖いぜ」
「少なくとも会長は感謝していたし、理事長だって庇ってくれるだろう」
「だろうな。いまも詳しい事情聴取のために呼び出されてるし」
「──は?」
「まあめんどくさかったから、いまここにいるんだけどな」
「……貴様は、まったく」
こめかみを押さえるエアグルーヴ。どこ吹く風といった様子で運転を続けるトレーナーを見て、眉を顰めた──が、ふっと破顔した。
「本当にどうしようもないな」
「おい! ハンドルを握っているのが誰か、ゆめゆめ忘れるなよ」
「地獄までは付き合ってやれないぞ」
「金積めば天国行きにならんかな」
「積むべきなのは徳のほうだろう」
軽口を叩きながら、車は進む。──いや、進みすぎではないか? ホテルならとっくに着いているはずでは?
「貴様、どこへ向かっている」
「どこって、そりゃもう海よ。古来から傷心の時は海を見に行くって相場が決まってるからな」
ワンチャンクビになるか、そうでなくても一生ネットの晒し者だからな──と、この男にしては珍しく、少しだけ震えた声で言った。エアグルーヴがウマホを見れば、学園からの連絡が何件か入っていた。用件はほとんど確実にトレーナーの件だろう。
「怖すぎて俺、いま電源切ってんだよね。何件溜まってるか賭けねえか?」
「いまからでも戻れ」
──と、言いたいところだが。
「今日だけは──貴様に付き合ってやる。どうせ海に行くなら、とびきりの夕日を見せてもらおうか」
「へっ、任せとけ。飛ばすぜ、しっかり捕まってろよ」
「法定速度は破るなよ」
少しだけペースを上げた車に揺られて、エアグルーヴは微かに眠気を感じて、うつらうつらと舟を漕ぎ始める。開いた窓から差し込む風に、撫でられているような感覚があった。