たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!? 作:織葉 黎旺
「帰りてえ~~~」
大きな溜息を吐きながら、トレーナーは廊下を歩く。本日は午後出勤なうえにまだ何の労働もしていないのだが、それでも家が恋しいらしい。
「五月病かもな……」
己のやる気のなさに理由を付けてみたものの、一年通して似たようなものなので、恐らく間違っている。職員室で資料を印刷してから、重い足取りでトレーナー室に向かっていたところ、挙動不審にキョロキョロと何かを探す、見慣れたウマ娘の姿があった。
「なにやってんだよ、グルーヴ」
「!」
ポンと肩を叩くと、彼女は驚いたようにこちらを見た。トレーナーはその姿に首を傾げる。
「え、メイク濃っ、イメチェンした? 俺はその方が色気あって好きだけど。ってか風邪でも引いたか?」
黒い布マスクを付けており、その分なのか何なのか、いつもよりアイシャドウが濃い。その上気になるのが、何故か制服ではなく私服で学校にいる点である。
「まあいいや。ほら、ミーティングするぞ。俺は宝塚の話を済ませて、一服しに行くんだから」
「…………」
こくり、と彼女は頷いた。マスクの上からでもわかる微笑を疑問に思いながらも、ツッコむことを億劫がったトレーナーは、ずんずんとトレーナー室に向かった。
*
「出走バから見て、宝塚記念は早めのレース展開になるだろう。だからここは、俺たちも先行策を取ることで臨機応変な対応を──」
話を遮るように、コンコンと律儀なノックが二つ聞こえた。聞きなれた音に思わず固まっていると、これまた聞きなれた「失礼する」という声が響く。
「客人がいる中で申し訳ない。本日のミーティングの話を──」
「は、エアグルーヴ!? なんで!?」
「なんでも何も、この時間に呼び出したのは貴様だろうが」
扉の前に立つ制服のエアグルーヴと、先程まで無言で話を聞いていた彼女を見比べる。先客の存在を確かめたエアグルーヴは、大きく目を見開いた。
「お、お母様──!?」
「はぁいエアグルーヴ、来ちゃった♪」
「ってことは…………!」
みるみる顔を青くしていくトレーナーに向かって、妙齢のウマ娘はマスクを外して微笑む。
「初めまして、エアグルーヴの母です。娘がいつもお世話になっております♪」
「し……失礼しましたァァァァァ!!!!」
*
「私とお母様を間違えていたというのか!? 貴様は本当に……っ!」
「ごめんって! だってマジでそっくりなんだもん!!」
「あんまり怒らないであげて、乗っかった私も悪いのよ」
こめかみを押さえるエアグルーヴを、母が宥めた。
並ぶ二人を見ると、本当に似ているのが分かる。ぱっと見だと姉妹と間違えかねないだろう。ただ、マスクを外すとやはり、濃いメイクでも隠せない年輪が──
「あら? 私の顔に何かついているかしら?」
「い、いえ! 娘さんと見間違えるくらい、若々しくて美しいな、と思いまして!」
「うふふ、褒めても何も出ないわよ♪」
頬に手を当てて、母は微笑んだ。容姿はそっくりだが、中身の方はだいぶ違うようである。
「この辺に用事があったものだから、ちょっと寄ってみたのよ~。どうせならサプライズで驚かせようと思ったのだけれど、びっくりさせすぎちゃったみたいね」
「いや、本当に腰抜かしましたよ。先程は本当に失礼致しました」
「いいのよ、そんなに畏まらなくて。さっきまでのあの気さくな感じの方がいいわ」
「え~、じゃあお言葉に甘えちゃおっかな~! 俺も、お母さんのノリいい感じめっちゃ好きです!」
「嬉しいわ、ありがとう♪」
にへらと情けない笑顔を浮かべるトレーナー。明らかにデレデレしている。人の母親にデレデレするな、と言ってやりたい気持ちを、エアグルーヴはすんでのところで堪えた。
「あ、そうだ。お茶淹れますよ。紅茶緑茶麦茶珈琲、どれがいいっすか?」
「そうね〜、じゃあ珈琲を頂こうかな」
「はいっ! 知り合いから貰った拘りの奴なんで、絶対気に入ってもらえると思いますよ」
ガサゴソと戸棚を漁るトレーナーだが、中から取り出した瓶を開けて青い顔をする。
「やべ、豆切らしてた……! すいませんちょっと取りに行ってきます!」
「あら、別に珈琲じゃなくても──」
言い終わる前に、トレーナーは駆けて行ってしまった。その後ろ姿を見送って、二人は肩を竦める。
「聞いていた通り、賑やかな人ね」
「やかましいだけです」
「でも、そういうところがいいんでしょう?」
「……まあ、人から好かれやすいところではあるでしょうね」
「まったく、素直じゃないんだから」
ぷいと目を逸らして答えたエアグルーヴに、母は苦笑した。
「それにしても──貴方にピッタリの、いいトレーナーを捕まえたと思うわ」
「そうでしょうか」
「そうよ。実力は申し分ないし、性格的にもピッタリじゃない?」
「水と油だとばかりに思っていました」
いまいち呑み込めていなさそうなエアグルーヴに、だからいいんじゃない、と母は続ける。
「似た者同士だったら混ざっちゃうけど、それなら隣を歩き続けられるでしょう? 交わらないなりに、真っ直ぐに」
「なるほど……」
そう言われると、そんな気がしてくる。似た者同士だと足し算だが、遠い物同士なら掛け算なのだ。
時には、+と-で掛け違うこともあるが。
「堅物過ぎるグルーヴちゃんを振り回してくれるような遊び心があるし、かといって子供なだけじゃない、生徒を守る大人らしい硬い部分もある」
母が思い浮かべているのはきっと、秋華賞後の会見の際の彼だろう。エアグルーヴがフラッシュで倒れた際、それを記者たちから庇い、守ったその姿。
「普段の遊びは貴方が咎めればいい訳だし、お似合いの二人じゃないかしら?」
「……そうですね」
エアグルーヴにとって、彼は『理想』のトレーナーではなかった。
それでも今となっては、己を支える杖が彼でよかったと──そう思える。
「ん、ちょっと失礼」
ウマホの着信を確認して、母は一度部屋を出る。戻ってくると同時に「ごめーん、呼ばれちゃった!」と手を合わせた。
「もう少しゆっくりできると思ったんだけどね。まあ、あんたの元気そうな顔が見られてよかった!」
「いえ、こちらこそ。お忙しい中、わざわざ来ていただいてありがとうございました」
「仲良くやれてるみたいでよかったわ♪ あ、そうそう」
思い出したように手を叩いて、母は娘に耳打ちする。
「彼、メイクが濃い方が好みらしいわよ?」
「なっ、お母様!? 別に私は奴のことなど──」
「それじゃ、頑張ってね〜♪」
否定する間もなく母は去っていき、その背中が見えなくなって少しして「あ、あれ? お母さんは?」と息を切らしたトレーナーが帰ってきた。
「急用ができたらしく、たった今帰ったところだ」
「えー!? マジかよ、もっと仲良くなりたかったのに……」
「貴様、人の母親にまで何を……」
「いや違う違う! たしかにめっちゃ綺麗だなと思ったけど、マジでそういうアレじゃないから。シンプルに仲良くなりたいだけだから」
「どうにも信用できん」
「信じろって。仲良くなって、お前の黒歴史をたくさん聞こうと思っただけなんだから」
「油断も隙もないな……」
「どうせお前みたいな奴は、ちびっ子の頃になんかかわいらしい失敗をしてるんだよ。それを気に病むあまり完璧主義に傾倒し、そうして今のお前ができたってワケ」
「いや、違うが」
エアグルーヴは記憶の底を探る。特にそのような出来事はない……はずだ。
「それにしても、おもしれー人だったな。お前が尊敬するのもわかるぜ」
「ふん、そうだろう」
「でも尊敬する割に、性格は全然違うんだな」
「模倣することが尊敬することではないだろう」
「ま、そりゃそうだ」
トレーナーは小さく頷いた。
違うからこそ憧れることもある。『理想』として。
「見た目は見間違えるくらい似てんのにな」
「たしかに、街を歩いていて姉妹と間違われることもあるな」
一拍置いたトレーナーは、ってことはさ、と続ける。
「グルーヴも将来はあんな感じになるんかな」
「……なったら、どうするんだ」
「いや、どうするもこうするもないけど……」
思わぬ問いかけに、トレーナーは困惑しつつ言葉を続ける。
「でも、ちょっと喜ぶかもな。それってきっと、お前が美しく歳を重ねられた証だから」
酸いも甘いも、良いも悪いも味わって、それでも真っ直ぐ生きられた証だろうから。
「だからまあ──これからも頑張ろうぜ」
エアグルーヴの鹿毛に手を置き、わしゃわしゃと掻き乱すように撫でる。「子供扱いするな」と頬を膨らませた彼女がそれを払ってから、一つ咳払いした。
「なら、まずは宝塚記念のミーティングからだ……詰めが甘い箇所は容赦なく指摘するからな」
「上等だぜ」
トレーナー室の扉が閉まる。少しして廊下には、話し声と珈琲の香りが漂ってきた。