たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!? 作:織葉 黎旺
五月晴れのターフ。エアグルーヴは運動着で、念入りに柔軟とウォーミングアップを行っていた。それを指示したトレーナーは「どうだ? 痛むところはあるか?」と問うた。
「いや、ない。快調そのものだ」
「それならよし。んじゃ怪我も治ったことだし、お前の体のこともまだよくわかってねえから、今日はとりあえず軽めに動くぞ」
「ああ」
手渡されたメニュー表に軽く目を通し「やはり実力はあるな」とエアグルーヴは思った。恐らくこれは、以前目にした最先端のリハビリメニューを元に組まれている。トレーナーなら当然ではあるが、情報収集を怠らないことがそこから伺える。
「んじゃまあ、軽く走ってちょーだいな」
「とりあえず流していくぞ」
そう言うや否や、その場で軽く体を跳ねさせたエアグルーヴは、疾風のごとくターフを駆け、あっという間に一周した。トレーナーはそれを見届けると「次」と短く告げる。
ペース走、筋力トレーニング、ビルドアップ走までやったところで「ひとまず今日はここまでだな」と、トレーナーは書き物をしながら言った。
「だいたいわかった。お前はパパっとダウン行ってストレッチしとけ、俺はちょっと作業してくる。なんなら先帰っててもいいぞ」
「わかった。では私は終わり次第後輩の──」
「後輩の指導は行くなよ!」
言葉を遮られたエアグルーヴはムッとした顔をした。が、すぐに表情を戻して「そうか、今日は貴様の担当日だったな」と矛を収めた。
件の賭けの結果、彼はエアグルーヴのトレーナー兼後輩たちへの指導担当となっており、そのため定期的にそちらの方にも顔を出すことになったのだが、そもそもそれはエアグルーヴが担当していた事柄である。しかし船頭多くして船山に登るというように、二人同時に現場で指導しては、指示が錯綜して後輩たちからしても迷惑だろう。そのため、二人で予め予定を組んでシフト制にすることにしたのだ。
「そゆこと。んじゃ、また明日な」
「ああ」
◇
「おいっす。んじゃこれ、メニューね」
翌日。ターフに着くや否や、トレーナーはエアグルーヴにメニュー表──の
「うんにゃ、これ今日の分ね」
「は?」
「大変だったんだぜ、一日でこの量作るの」
まあこれからは、ある程度似たようなメニューでローテ組めるから楽なんだけど──とトレーナーは笑った。
「確かに一つ一つの負荷は軽いようだが──しかし、ここまで細かく組む必要があるのか?」
束にざっくり目を通したエアグルーヴが言う。作る方も大変だろうが、やる方はもっと大変である。ウォーミングアップのメニュー、休憩のタイミング、ストレッチの内容やその分数まで、徹底的に記されている。ここまでやる必要があるのかと問うた。
「ある。まあその辺は、これをメイクデビュー戦まで続けてればわかるべ」
「まて、そもそもメイクデビューの日取りの話を聞いていないぞ」
「あれ? 言ってなかったっけ、まあいいや。はい、来週メイクデビューでーす! いぇーい!」
「たわけ! きちんと担当である私に報告・連絡・相談しろ!」
エアグルーヴか青筋を立てて怒る。
「はいはい、報連相報連相。んじゃえっと、来週末メイクデビューでいいよね?」
事後報告・無連絡・未相談。社会人としてあるまじき三連コンボをかましたトレーナーは、へらへらと笑って聞く。「まさか女帝ともあろうものが、今更メイクデビューの日取りが早い程度でグチグチ言わねーよな?」と煽る。
「無論だ。むしろ他のウマ娘に比べれば、遅いくらいの日取りである上、準備ならとっくにできていた。私が怒っているのは日程ではなく、貴様が何一つ私に話さなかったことだからな」
キッと鋭い眼光がトレーナーを射抜く。どこ吹く風の彼は口笛を吹いて、「以後気をつけまーす」となんでもないように答えた。
「では、早速報告してもらおうか」
「は? 何を?」
「このメニューの意味だ。考案の意図を具体的に教えろ、それを意識しているか否かは行う上で大きな差を生むからな」
うーんとトレーナーが唸った。どうやら教えるのが不服らしい。
「や、ほらさ。そーゆーのって、とりあえず続けてみた後にレースで変化を実感して、アレってすごい練習だったんだ!! みたいになる方が熱いじゃん?」
「意味がわからん」
正論である。
「この良さはお前にはまだ早かったか、仕方ない。大変遺憾だが説明してやろう」
トレーナーはどこからか手持ちのホワイトボードを持ち出し、そこにペンでなにやら書き込み始めた。左側中央に描かれた、丸にもじゃもじゃと黒いものが生えた何かを見て、エアグルーヴは首を傾げる。
「なんだ、それは」
「え? お前の似顔絵だけど」
「馬鹿にしているのか貴様は!」
「お前こそ俺のピカソといい勝負できるような画力を馬鹿にすんな!!」
ピカソに謝れ、というツッコミのできる者は不在だった。
閑話休題。トレーナーはエアグルーヴの似顔絵から、矢印を三つ右に伸ばした。それぞれ『後輩』『生徒会』『トレーニング』と書き入れる。
「今書いたのが、学外の時間にお前が日々興味を向けて動いてる奴らね」
「まあ、間違っていないな」
「で、これがお前の総エネルギー量ね」
矢印の中央に、トレーナーはでかでかと丸を書き込んだ。
「このエネルギーは、それぞれにリソースを割くごとに小さくなっていくわけだ」
エネルギーの上部と後輩が消える。中央と生徒会が消える。下部とトレーニングが消える。
「ならさ、最初から矢印の先を絞った方が早くね?」
エアグルーヴの似顔絵から大きな矢印が伸びる。その大きな矢印の先に、デカデカとしたトレーニングの文字が現れる。
「貴様、それは──!」
「ああまてまて、早とちりすんな! お前に生徒会やめろとか後輩に構うなとか言ってるわけじゃねえから!!」
トレーナーはもう二枚ホワイトボードを出した。そしてそれぞれ、先程と同じように矢印の先を書いていく。
「頑張ってリソースを割り振るくらいなら、そもそもを分割して割り振ればよくね?」
「……つまり、日毎にすることを分けて臨んだ方が効率的、というわけだな?」
「そゆこと」
「そういうわけにもいかないだろう」
トレーナーの言に従うと、三日ごとにそれぞれローテーションを組む形になるが、それでは週二回しかトレーニングしないことになってしまう。アスリートがオフの日を作ることは心身を休める意味で大切だが、そう何度も動かない日を作っては、むしろ鈍ってしまう。
「ああ。だから厳密に言えば生徒会業務と指導はある程度抱き合わせの形になるだろうが、それでもトレーニングの頻度は週三程度できるかどうかだ。しかし、
改めてメニューの束を開く。細かく指定されている練習内容や休憩時間は、エアグルーヴにかける負荷のギリギリを設定されている。本来であれば翌日の練習に支障を来すため、オフの前日などに組まれるようなものである。だからこそ、このメニューがいいのだ。
「練習する時の負荷を上げて、翌日を他に回して筋肉の超回復を促す。その方がたぶん、お前のしたいそれぞれのことに集中できて効率がいいし、俺も楽できるしでウィンウィンだ」
「……なるほどな」
思ったよりきちんと考えられていて、エアグルーヴは少しトレーナーのことを見直した。今までも、ある程度日毎にすることを分割し、効率を意識して動いてはいたが、脳裏にトレーニングのことが常にちらついていたのは否めない。結果的に寮の門限ギリギリまでトレーニングすることになった日も少なくない。しかしそれなら、今までよりも一層『女帝』としての責務を果たせるかもしれない。
「わかった。やってみよう」
「おう、さっさとやれやれ。思ったより話し込んじまったから、このままだと日が暮れちまうぜ?」
トレーナーがニヤリと笑う。翌週のメイクデビューは、5バ身差をつけてエアグルーヴの勝利で終わったという。