たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!? 作:織葉 黎旺
「おい、終わったぞ」
「やややややっと終わったか」
年も明け、刺すような寒さにも大分慣れつつある冬の日。トレーニングを終え、頭頂部から蒸気を発するエアグルーヴとは対照的に、トレーナーは顔を白くしてブルブル震えていた。
「寒がりすぎだ。それならもう少し厚着をするか、貴様も動け」
「トトトトレーナーとしてトレーニングを眺めない訳にもいかねえかららら」
歯をガチガチと噛み合わせて身を抱くように震え上がる成人男性の姿は、控えめに言ってみっともなかった。
エアグルーヴはそれを指摘するか迷いつつ、しかし寒空の下、トレーナー室に戻らず己を見守ってくれていたのも事実ではあるので、言わぬが花と口を噤んだ。
「そそそそうだグルーヴ、ちょちょっと後ろ向いてろ」
「? ……こうか?」
「おう」
刹那、首元に冷気の塊が滑り込んできた。
「えい」
「ひゃん!?」
女帝にあるまじき、年相応の可愛らしい悲鳴が響く。元凶は楽しそうにくくくと喉を鳴らして笑った。
「あー、あったけえ」
「たわけが……!」
エアグルーヴは顔を赤くしてトレーナーを睨む。が、すぐに何かに気づいたように毅然とした笑みを浮かべ、言う。
「ふん、むしろトレーニング後の疲れた体には、アイシングとして丁度いいな」
──長年の経験により、エアグルーヴはこのクセモノトレーナーのあしらい方を学んでいた。
下手に動揺し怒るのは、愚策。イタズラが成功したときの小学生男子のように、無邪気に喜ばせるだけである。むしろ毅然とした大人の対応を取るほうが効果的なのだ。
対するトレーナーは、エアグルーヴの反応にはどこ吹く風で、神妙な面持ちになった。顎に手をやり、じっとエアグルーヴを見つめる。一歩、距離が近くなる。
「いや、それにしても熱すぎるな。熱ではないよな?」
「っ!」
トレーナーの角張った手が、エアグルーヴの額にあたる。瞬時に感じた冷たさは、しかし先程よりも幾分かマシであり、お互いの体温が混ざり合い、ぬるくなっていくのを感じられる。だがそれとは対照的に、エアグルーヴの頬は先程よりも赤く、熱くなっていた。
「俺の手が冷たいせいで正確な検温が出来ねえな、ちょっと失礼」
もう一歩、トレーナーとの距離が縮まる。間近に彼の顔が迫る。その額が、エアグルーヴのそれと触れる寸前になり──
「──たわけ!!」
「がっ!?」
──頭突いた。腰を入れて。
石と石が激突したような、およそ人体から発してはいけない衝撃音をターフに響かせた後、エアグルーヴは深く呼吸をして、荒くなった心身を落ち着かせ、トレーナーは悲鳴を上げて芝の上でのたうち回った。
「うおおおおおおお痛ああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
「人を弄んだ報いだ……!」
言いつつ、エアグルーヴもよろけるようにターフに座り込んだ。やはり相応の衝撃はあったらしい。
少しして、ようやく落ち着いた様子のトレーナーが口を開いた。
「おまえ、いまの俺じゃなかったら死んでるからな。感謝しろよ」
「そもそも、貴様が変なことをしなければこんなことにはなっていないわ!」
「あんなん軽い悪ふざけだろ! 罰が重いわ! お前の体重と同じくらいにはな!!」
「ほう、もっと重い方がよかったか……!?」
売り言葉に買い言葉、煽りあいに罵りあい。その果てに、トレーナーは声を荒らげて言う。
「元を正せばお前のせいなんだからな!」
「何の話だ!?」
「お前が俺の憩いの時間を禁ずるから……! あのために冬場の練習頑張ってたのに……!」
本当に何の話だ、と首を傾げかけて、エアグルーヴは思い出した。
──先週の話である。
トレーニングの最中、身を震わせながらどこかへ歩いていったトレーナーが、ホクホクした様子で帰ってきた。
『遅いぞ、たわけ。貴様一体どこに──』
言いかけたエアグルーヴは、甘い香水の匂いに混じった、鼻をツンとつく嫌に香ばしい刺激臭に気づく。
『──喫煙所だな』
『げ、バレた』
『ウマ娘の鼻を舐めるな! 煙草は禁止と言っておいただろう、何故吸った!?』
『や、寒かったからあったまりたくて……』
最悪のマッチ売りの少女みたいなことを言って、トレーナーは小さく笑った。エアグルーヴは嘆息して、トレーナーの胸ポケットに手を突っ込む。
『これは没収する』
『ア────! お慈悲──────!』
救いはないのですか? とトレーナーは天を仰ぐ。そんなものはない。ゴミを見るような目をした女帝が、ピースの箱を勢いよく踏み潰した。
「──そのせいで暖を取れなくなったから、今日はお前であったまらせてもらったってワケよ」
「貴様が私のことを湯たんぽか何かだと思っていることはよくわかった」
代謝の問題か、基本的にウマ娘の体温は人より高い。故に人からすれば低温の湯たんぽと言えなくもないが、そう言われて喜ぶ女帝であるはずもなく。
「素直にカイロか何かでも貼ればいいだろう!」
「俺自然派だから、そういうのはちょっと……」
ならそのまま震えて凍死しろ。
「──まあ今日のトレーニングは終わったのだから、もういいだろう。こんな不毛な争いをしている間に、私の体も冷えてきてしまう」
「それもそうだな」
「さっさと戻るぞ。温かいスープくらいはまあ、作ってやる」
「エアグルーヴ……!」
ふん、と照れ臭そうに目を逸らす女帝に、トレーナーはにっこりと笑いかけた。
「じゃあついでにさ、もう一品作ってほしい!」
「……なんだ」
「この前貰ったいい酒をさ、熱燗にしてほしいんだけど──」
「貴様が冷製スープとキンキンに凍った酒を舐めたいことはよくわかった」
「ちょ、待てって! 酒ならほら、百薬の長だから! この寒い冬を生き抜くための必須アイテムだから!!」
足取りが早くなったエアグルーヴを、トレーナーは小走りで追う。陽は落ちて夜に差し掛かっているというのに、寒さはもう、すっかり和らいでいた。