たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!? 作:織葉 黎旺
「次の目標は阪神ジュベナイルフィリーズだ」
──メイクデビューから一週間後。練習前に開口一番、トレーナーがそう告げた。
「『女帝』に相応しい女王の冠だろ? ま、軽くくすねてこようぜ」
「舐めてかかるな。今年のジュニア級も粒揃いだ、油断していると足元を掬われるぞ」
「や、そうだけど。でも走んの俺じゃなくてお前だし、俺がいくら気張っても事態は変わらんからな〜」
後頭部で手を組み、トレーナーはどこ吹く風といった様子で口笛を吹く。それを見たエアグルーヴは当然のように顔を顰め、「たわけ! 確かに私がやらねば意味はないが、貴様がその調子では士気が下がるし示しがつかん!」と叱責した。
「ふーん、ちょっと意外だな」
「何がだ」
「だってほら、お前アレだろ? トレーナーは名前とメニューだけ出してろ──みたいな感じじゃなかったっけ?」
ニヤニヤと軽薄な様子のトレーナーに、エアグルーヴは「──ふん、私と志を共にする覚悟がないのなら、それでいいというだけだ」と睨みつけると、「貴様がどうかは知らんがな」ともはや一瞥もくれず吐き捨て、走り出した。
「……ちょっとからかいすぎたか?」
ポリポリと頭を掻いて、トレーナーも歩き出す。
「しゃあねえ、まあ俺もやることやるか」
◇
「──ふう、これで全部か」
メニューの束を捲り終え、エアグルーヴは一息吐いた。気づけば辺りはすっかり暗くなっていて、生徒もほとんど残っていない。
「お、終わったか」
足取り軽く、どこか上機嫌そうなトレーナーがやってきた。
「この程度であれば問題はない。もう少し負荷を上げても構わないくらいだ」
「いいねえ、その意気だ。ならもーちょいメニュー練るか〜」
エアグルーヴは彼の様子にどこか違和感を感じた。平時と何か違うような、何処か上機嫌なような──次いで、鼻腔を異臭がついた。
「……貴様、酒を飲んだな」
「……んぁ」
「なんだその間抜けな顔は。まさかバレないとでも思っていたのか? ウマ娘の鼻を舐めるな、たとえ飲んだのが貴様の隣の人間であろうが、酒の匂いは残るんだぞ」
もっとも今回は貴様本人も飲んだようだが──と、一歩近づいて言った。
「日本酒──それを二杯ほどか?」
「え、そこまで的確にわかんの!?」
「それどころか煙草の香りまでくっきり残っているぞ! 今までは消臭の配慮や前日の残り香であることが分かっていたから何も言わなかったが、貴様学び舎において、それも仮にも教え子を置いて退廃的な娯楽に耽るとはどういう了見だ!?」
怒髪天を衝く勢いであった。或いはそれは、裏切られたが故の信頼の裏返しとも取れた。
言葉を聞いたトレーナーは、ハッとしたような、殊勝な顔立ちで瞳を伏せて「……すまん」と短く告げた。
「私は貴様に謝罪の言葉を求めているのではなくて、教育者としての自覚と他のウマ娘へのエチケットを──」
──はらり、と何かが落ちる音をエアグルーヴは耳にした。
落ち葉のように舞ったのは、紙束だった。咄嗟にそれをトレーナーが隠すように拾うが、そのほとんどは風に乗ってエアグルーヴの元へと流れた。
「──これは」
書かれていたのは練習メニューだった。それも、丁度本日の物より少し負荷を強くしたような。
それだけではない。別の紙には見覚えのあるウマ娘たちの名前と、過去の出走データ、得意脚質や適正距離などがびっしり書かれていた。
「──それ調べてたんだよ。流石に俺一人がネットやら口コミやらで集められる情報には限界があるから、ちょっとしたツテを頼ってな。んで、ある程度まとまったって聞いたからその辺の居酒屋に集まって、いま回収してきたとこ」
「…………たわけ」
照れたように頭を搔くトレーナーを見て、エアグルーヴは小さく微笑んだ。
「よくやった。────が、それを聞いて私が許すとでも思っていたのか……?」
「え……!?」
女帝の後ろに鬼が見えた。鬼というか、般若というか、阿修羅というか、とにかく恐怖の大王みたいなオーラがあった。いい歳したトレーナーは一歩、後ずさるが、同時に距離を詰められたので意味はなかった。
「いやいやいや、今の完全に許す流れじゃないの!? 絆されたやつじゃねえの!?」
「居酒屋に行ったからといって、酒を飲まなければいけないわけではないのだから、情状酌量の余地は微塵もないだろう」
「そこはほら、お酌されちゃったから渋々仕方なく──」
「言い訳はいらん!」
ターフに雷が落ちた。こってり絞られること二時間、トレーナーはしばらく禁酒・禁煙することを余儀なくされたという。