労働。
漢字にしてわずか二文字ながら、その言葉は人の──主に社会人の胸を酷く揺さぶる。
ある者は辟易とし、ある者は嫌悪し、ある者は憎悪すらするだろう。
いや憎しみまで持っちゃうのかよ。親でも殺された? 殺されてそう……。
巷では良く戦艦の擬人化だったり、馬の擬人化だったりが流行っている訳だが、労働という二文字が擬人化したらそれはそれは恐ろしいサイコパスが出来上がるに違いない。
多分人の生首とか掴んでるし夜道で会ったら全力で追いかけてくる。
やだ、普通に怖い……。
嫌だなぁ、と思うがしかし、この労働というやつは易々と切り離せるものではなかった。
何せ人の世というやつは、数多の労働に支えられることで成り立っているからである。
100万ドルの夜景とかいうアレも所詮は労働者たちの明かりなのだ。
光あるところに必ず陰ありき。
楽する者がいれば必ず苦労する者がいる。
そして大体の人間が苦労する側に回るのだ。
楽をできるのは本当に一部の人間だけで、他はそうはいかない。
誰かのために! なんて大義名分掲げて毎日頑張っていかないといけないのが、およそあらゆる人間に課せられた使命なのだろう。
無論、それは俺にだって適用される。
まあなんだ、つまるところ──
「労働はクソ、何故俺が知らん奴らの為に汗水流さなきゃならんのだ……」
「別に働かなくても良いけど、そうなったらきっとびゃくらんに殺されちゃうねー」
「せめてもうちょっと穏便に退職できないのん……?」
物理的に首を飛ばそうとしてくるのは流石にブラック通り越してダークネスなんだよ。
いや、まあ、マフィアなんてところに入ったのが運の尽き、と言われればそこまでではあるのだが……。
「無理だと思うなあ……ていうか
「ちょっと、ブルーベルちゃん? 言葉の切れ味が鋭すぎるでしょう?」
妖刀も顔負けの鋭さで滅多切りにしてきたのは、巨大な水槽に沈む一人の少女だった。
名を、ブルーベル。
本人曰く、十代後半であるらしい彼女は俺の上司だった。
真六弔花というやつだ。
そして俺は彼女の側近であった。
まあ体の良い召使いである。今も本来であれば彼女がやるはずであった仕事をバリバリと俺がこなしていた。
「うわっ、『ちゃん』付けやめてって、この前も言ったよね? もう忘れちゃったの?」
「いやほら、その辺はスキンシップの一環みたいなものじゃん……」
「年下扱いされてるみたいで嫌だってあれほど言ったのにー!」
「実際年下だろーぐぅぉぉぁあ!?」
物凄い勢いで跳んできた水流が身体を直撃し、俺は宙を舞った。
クルクルと数回回転してから辛うじて受け身を取る。
「次言ったらパンチするからね!」
「パンチの方がまだマシなんだわ」
やれやれ、とため息を吐きながらノートパソコンを確認。うん、良し、こっちは被害なしだ。
問題は俺の上半身がずぶ濡れという点であるのだが……。
そこはもう手慣れた俺である。
リングに炎を勢いよく灯すことで水気を払った。
「わーお。相変わらず純度の高い死ぬ気の炎だね……ま、ブルーベルには敵わないけど!」
「そりゃ敵ってたら今頃俺が真六弔花だろうからな。まだまだだよ」
「まーね! なんたってブルーベルは最強だから!」
「へいへい」
スイスイスイ~っとブルーベルが巨大な水槽内を自慢げに泳ぐ。
水の中は、彼女の
だから息苦しさなど感じようもないし、むしろ水の中こそが彼女のいる世界だと言っても良い。
足元まで伸ばされた美しい、青の髪を揺蕩わせながら緩やかに泳ぐブルーベルは、人魚のようにすら見えるだろう。
ま、実際のところはただのちんちくりんなのであるが。
どのくらいちんちくりんかと言われれば、今の今までずっと裸体を見せつけられているが一ミリも欲情しないレベル。
いや、欲情したら逮捕案件なんですけどね……。
俺はロリコンではない。
「あっ、今ちょっと馬鹿にされた気がする!」
「その異常な勘の良さは一体何なんだよ……」
「ふふん、天雨の心くらい、ブルーベルにはお見通しなんだ……ぜっ☆」
「俺の心のプライバシーが守られていない……」
パキュン、と可愛らしく鉄砲を撃つ仕草をする幼女を横目に、カタカタカッターンとキーボードを叩く。
マフィアと言えども切った張っただけではない。
こういった事務仕事も盛りだくさんなのである。ミルフィオーレファミリーほどの規模にもなれば、それもなおさらというものだ。
俺もどちらかと言えばこういった事務仕事の方が性に合っているのだが、時折滅茶苦茶虚しくなる。
ゲロ甘にした牛乳とか飲んで気分を切り替えるのが乗り越えるコツだ。
そう、例えこれがパキュンパキュン! と遊んでいるクソガキ……上司の仕事であってもだ。
逆らったら割とマジで命が無いからね。いのちだいじに!
「んっふっふ~」
「急に怪しげな笑い声を出すな、不安になるだろ……」
「んっふっふっふっふ~!」
「なになに? 怖すぎる。何か企んでるならさっさと言ってくれない?」
せめて心の準備をさせてほしい、と切実に思った。
前回は超高層ビルの屋上から紐無しバンジーをやる羽目になったからな……。
正直死んだと思ったよね。
今でもよく生き残れたものだ、と思い出しては自画自賛している。
やだ、俺、優秀すぎ……?
「いや~? 特に何にもないよーっだ」
「絶対何かある口振りじゃん……」
もしかしたら俺、今日死ぬのかもしれない……。
そう思わせられるだけの日々を送ってきていた。
スリルがあると毎日生きてることに感謝を捧げられるようになる。これ豆な。
水槽のガラスにブルーベルが顔を張り付け、ニッコリと笑う。
こいつ、黙って笑ってれば可愛くはあるんだよな。口を開いた瞬間電波を伴った悪質な上司になるのだが。
「ただ、何か良いなあって思っただけだもん」
「……何が?」
「にゅにゅっ……そう言われるとちょっと困るかも。強いて言うなら、天雨が苦しんでる姿が見てて楽しいから……?」
「想像を遥かに超えて悪趣味!」
こ、このクソガキ……。
マジで一発ぶん殴るぞ。
思わず拳を握れば、フラフラ円を描くようにブルーベルは水中を舞う。
「んにゅぅ……何かね、天雨は特別なの」
「特別?」
そりゃそうだろ、とノータイムで思った。
ここまで献身的な部下、中々いないからね?
時折「何で俺、ここまで尽くしてるのかな……」と自問自答してるくらいだから。
自分の社畜適性が憎いぜ。
「びゃくらんとか、桔梗と違って、一緒にいるだけで何かこう~~……落ち着くの! そこにいるのが当たり前、みたいな?」
「まあ、実際お前の部屋で仕事する時間が俺の一日の大半を占めてるからな……」
八時間労働とか何それ美味しいの? というレベルで働いている俺を嘗めないで欲しい。
何度この部屋で徹夜かましたと思っている。
ぐーすかぴーと爆睡をかまされる横でせこせこ業務をこなすのも、もう慣れたというものであった。
ちなみに今は午後八時。
この部屋に俺が来たのは午前八時である。ピッタリ十二時間労働している計算になるね!
実際にはブルーベルにぶっ飛ばされたり、ブルーベルの話し相手になったり、ブルーベルの暇潰し道具になったりとアレコレしていたので、実働時間はもう少し短いのだが。
「にゅぅ~、そういうことじゃないってば!」
「じゃあどういうことなんだよ……運命の相手なの! とでも言うつもりか?」
「え? 何それキモい。やめてくれる?」
「ガチなトーンで言うのやめない? 傷ついちゃうから」
俺のガラスのハートはもう粉々だから。これ以上いじめるのはやめてほしい。
一日一回は俺を凹ませないといけないノルマでも課せられているのか? だとしたら白蘭さん、許せねぇよ……!
がるるるるー、とこの場にいないミルフィオーレのボスを威嚇していたらブルーベルが滅茶苦茶可哀想な子を見る目で見てきたので、速やかにやめた。
というか俺では逆立ちしても白蘭さんには敵わないんだけどね。
多分戦うとなったら二秒くらいで首を飛ばされる。
あの超巨大マフィア、ボンゴレを半壊まで追い詰め、今や世界を掌握したと言っても過言ではない白蘭さんはその辺も含めて超人だ。
「とにかく! そこにいてくれるだけでほんわかってするの!」
「より分かりづらくなったんだけど……言葉によるコミュニケーション、もうちょっと大切にしない?」
「うっさいバーカ!」
パパパキュン! ズガガッ! ドッ! ドドサァッ!
それなりの広さを持つ一室に音が鳴り響いた。
パパパキュン! はブルーベルが水弾を放つと同時に言った擬音。
ズガガッ! は一発避けたものの二発が俺の腹に直撃した音。
ドッ! は俺の身体がぶっ飛び壁に張り付いた音。
ドドサァッ! は俺が無様に落下してきた音である。
この幼女、ガチでっょぃ……勝てなぃ……。
ある程度予測していた上での回避行動だったのに、それを見越して撃ってきやがった……。
流石真六弔花って感じだ。
出来れば違う形でその実力を示してほしかった。
「さーて、と。ブルーベルもそろそろお仕事しよっかなー」
ザバァ、と水音を立ててブルーベルが水槽から上がる
……ん? 今こいつ、何て言った?
仕事を……する……?
幻聴かなぁ。幻聴だな。間違いない。
「まあ何をするにしても、取り敢えず身体拭いたりとかしない? やばい水滴ってるから。床びしょ濡れだから」
「ん-? でも明日には綺麗になってるし、別に良くない?」
「それは俺が毎日掃除してるからなんだよ……!」
一週間も放置すればこの部屋、ゴミ屋敷と化すからね?
主に家事とかその辺のスキルを軒並みに落としてきている幼女だった。
「それにほら! 水も滴る良い女って言うじゃない? ブルーベル超大人だし、妖艶? じゃん!」
「ははっ」
「…………」
「あっ、おい馬鹿コラ! 蹴るな蹴るな! 痛いから普通に!」
ガスガスと幼女に蹴られ、許しを請う成人男性がいた。というか俺だった。
薄っすらと死ぬ気の炎を放出しているらしく、ガードしていてなお超痛い。
こんなところで本気を出すな、馬鹿が。
「んもー。天雨、そういうとこだとブルーベル思うな!」
「どういうとこだよ……ぐぉぁ! 寄り掛かってくんな! マジでびしょ濡れなんだよ!」
「にゅふふふふ~、いーやーだー。離れませーんっ」
「このアホ女……」
後ろから抱きしめてくるように寄り掛かって来るブルーベル。
全身は濡れてるし、超長い髪の毛がたっぷり水を含んだまま俺の全身を包むしで滅茶苦茶不快だった。
謎の猫なで声を発しながら頭を擦りつけてくるので俺の顔面まで濡れるし、ビチャビチャと水が飛びまくっていた。
このままもう一度死ぬ気の炎で乾かしても良いのだが、これほどまで接近されているとダメージまで与えかねない。
真六弔花は全員「やられたらやり返す……(万)倍返しだ!」みたいな精神性をしているので迂闊に傷をつけられないのである。
まあ、元より人を傷つけるなという話であるのだが……。
そこはほら、マフィアだし多少はね?
「それでー、天雨は今何やってたの?」
「えぇ……。本当にこの状態で続けるのかよ……今やってるのは部隊編成な。ほら、この前大幅に減ったろ?」
「あー、何だっけ。……クッキーファミリー? との抗争あったもんね」
「ギーグファミリーな。ギーグ」
あとトラッド
ロシアの墓掘り人と名高い超少数精鋭のギーグファミリーと、北米を手中に収めた新進気鋭の巨大マフィア、トラッド6の同盟にはミルフィオーレファミリーと言えど手を焼いたものである。
雲の六弔花が担当していたがあっさり殺されてしまい、ウチの部隊と真六弔花雲の守護者……桔梗さんの部隊が行くことになり、半ば相打ち気味で終わった。
直接ブルーベルや桔梗さんが向かった訳ではないのだが、そのせいかあちらの守護者を数名殺すだけに留まり、ボスまでは仕留められなかった。
部下たちが殺し、殺されまくったという訳だ──なんて、他人事のように語っているが実は俺も参戦していた。
いやもうヤバかったね。
全然知らない匣兵器とかもりもり出てくるし、守護者はどいつもこいつも強すぎだし。
何度死んだと思ったか分かったものでは無い──まあ、ギーグファミリーの守護者を殺したのは俺なのだが。
お陰でリストラは免れている……今のところ。
「だからこうやって良さげな人材をリストアップしたり、必要であれば他の部隊から人員を借りたりだな……」
「あっ、その人ザクロの
「好き嫌いはしちゃダメって言ってるでしょう。我慢しなさい」
「やだ~!」
ヒュッと滑らかな動きでマウスを取られ、ササッと該当の人物の名前が消されてしまった。
こいつ……!
どんだけザクロさんと気が合わないんだよ。
や、確かにマグマ風呂に入ってるのは正直どうかと思うが……それ以外は結構良い人じゃん。
この前も俺、昼飯奢ってもらっちゃったからね。
「むぅ~……」
「急に不機嫌になるじゃん……何?」
「それでこの前、ブルーベルと一緒に食べてくれなかったんだ。ふぅ~ん」
「そりゃお前、奢ってくれる上司と集って来る上司だったら、奢ってくれる上司の方が良いに決まってるだろ……」
ちなみに桔梗さんも奢ってくれるタイプの上司だ。デイジーさんとトリカブトさんはまともに話したことない。
流石にド正論過ぎたのか、むむむっ、ブルーベルは口ごもった。
一応フォローしておくと毎食集られている訳ではない。もしそうだったらとっくに飢え死にしてる。
「じゃあ明日はブルーベルが奢ってあげるよ!」
「いやそれはちょっと……」
「なんでー!?」
幼女に奢られる成人男性の図は流石にいたたまれなさすぎだった。
「ま、普通に明日一緒に食うとかで良いだろ」
「! うん、約束ね!」
「はいはい」
それはそれとして。
俺は背中にブルーベルを張り付けたまま立ち上がった。
「いい加減風呂入ってこい。そしてちゃんと身体拭いて、髪乾かして出てこい」
「んにゅ~、まだ良くない?」
「いやもうかなり手遅れだから、出来ればさっさと入ってきて欲しいんだわ」
こうやって会話している間もブルーベルからは水が滴り落ちまくっているのであった。
高級そうな絨毯が見るも哀れな姿にって感じだ。
「んも~、仕方ないなぁ。それじゃ、ブルーベルはお風呂に入ってくるけど──覗いちゃダメだからね☆」
「うるせぇ早く入ってこいチンチクリン」
「チンチクリンじゃないですぅー!」
やんややんやと言い合いながらブルーベルが消えていく。
はー……と深々と溜息を吐いた後にキーボードを幾らか叩き、少しの休憩。
「取り敢えず……これ、どうにかするか」
あちこち濡れまくった部屋を見て、「良し」と気合を入れるのであった。
ザブン、と勢いよく浴槽へとブルーベルはダイブする。
そのまま顔だけ出して、心地の良い温さへと身を委ねた。
「にゅふふ~♪」
漏れ出るのは年相応の、可愛らしい笑い声。
楽しそうに、嬉しそうに、ブルーベルは一人の青年のことを思う。
天雨──
ブルーベルが真六弔花になるのと同時に、側近へと選ばれた日本人。
本人が思っている以上に優秀な彼を──端的に言ってブルーベルは気に入っていた。
それが、親愛なのが、友愛なのか、はたまたもっと別の何かなのか。
それはまだ、ブルーベル本人さえ、分からない。
ただ、一つだけ分かるのは──
「明日もいーっぱい、天雨とお話しできたら良いなあ」
──と、そんなことを思っているということだけだ。
水無天雨:本作主人公。少女に振り回されるのはデフォルト。
ブルーベル:真六弔花雨の守護者。幼女だ少女だと言われているが実は十八歳。オリ主くんと大して歳が変わらない。
※原作ではブルーベルの年齢は明かされていませんが、虹の呪い編で出ているブルーベルはどう見積もっても十歳前後である為、舞台が未来編である本作では十八歳としています。