狩人が攻撃の機会を窺うようにこちらを見ている。
下手に飛び込んでも、カウンターを合わせられて終わりだろう。
いくら僕が身体能力で優っていようと、あの男は歴戦の猛者だ。
狩人は戦いに、そして何より殺し合いに慣れている。
だがそれは一般人と比較しての話だ。
人間を遥かに凌駕するポテンシャルを持つ吸血鬼相手に、狩人は何十年も生き延びてきた。
ぺーぺーの僕なんて隙を見せれば最後、呆気なく殺されてしまうだろう。
僕は、頭を使え!と自分自身に言い聞かせた。
力で勝てないのなら、作戦を立てるしか無い。
クソみたいに弱っちいヒトという生物種が、化け物みたいに凶暴な猛獣が蔓延る自然を生き抜き、そして食物連鎖の頂点に立てたのは、知恵があったからだ。
人間には、クマの獰猛な爪も、虎の肉を引き裂くような牙も、大空を駆ける鷲のような翼もない。
だがそのかわりに、人間には『知恵』という武器があった。
火を手に入れ、道具を作り、集団を形成し、屈強な男たちが石槍を手に狩りに出た。
まあ、この場合狩られてるのは僕だけど。
「ーーおっと」
狩人のナイフが妖しく光った。
斬撃を予知した僕は、そのままジャングルジムから横っ飛びした。
トランプで作ったタワーが崩れるみたいに、呆気なくジャングルジムは木っ端微塵の鉄屑に成り果てた。
滞空しながら、あれは掠っただけでおしまいだと身震いする。
細切れの肉片になった僕の死体が、脳裏に散らついた。
着地の衝撃を前転で逃がしながら、僕は立ち上がる。
狩人との距離はおよそ三メートル。
人の歩幅は大体七十センチだから、狩人が僕に攻撃を加えるためには最低三歩は必要だ。
だが、今の僕はこんな距離くらいひとっ飛びで詰められる。
けれど宙に浮いてる時間は踏ん張りが効かない。
僕が跳んでる隙にナイフで攻撃されれば回避は不可能。
不用意に相手の懐に飛び込むのは自殺行為でしか無い。
だから僕はゆっくりと、着実に、狩人との間合いを詰めていく。
「魔法、使わないのか?」
あと一歩、撃つか撃たれるかの瀬戸際の距離に来たところで、狩人が首を傾げた。
嫌味か、僕は少し前まで魔力の存在すら知らなかったんだぞ。
「使い方がわからないもので」
僕は困ったなという風に肩を竦めた。
魔法を使えないのに膨大な魔力を持っているなんて、猫に小判どころの話じゃない。
諭吉さんを握ったミーアキャットに笑われる。
「じゃあ教えてやるよ」
狩人が、それがさも当たり前のことであるかのような調子で言った。
僕は思わず「えっ」と声を上げる。
敵に塩を送るとはまさにこのことだ。
なんならウユニ塩湖にテレポートさせられた気分ですらある。
「随分と親切だね。何か企んでる?」
「俺だけ魔法を使って、そんなの卑怯だろ。弱い者虐めは吐き気がするほど嫌いなんだよ。吸血鬼とやってること同じじゃねえか」
ひゅおうっと、また冷たい風が吹いた。
何処からともなく、花の良い香りが漂ってくる。
僕はただ黙っていた。
黙っていたというよりかは、狩人に隙を見せないように、静かに身構えていた。
「魔力、いわば『マナ』という概念がある。お前、メラネシアって知ってるか」
「パプアニューギニアとか、フィジーとかだったっけ」
地理の授業はあまり真面目に受けていなかったから、良く分からない。
狩人が淡々と言葉を続ける。
「正確には赤道以南、東経百八十度以西にある島々のことだな。そしてそのメラネシアのとある島に、ロバート・ヘンリー・コドリントンという人類学者がキリスト教の宣教師として訪れ、こう書き残した」
「ーーメラネシア人はマナという万物に宿る神聖な力を信じている。彼らの信じるマナとは、人間の通常の力を超越し、自然の普遍的法則の外側にあって、あらゆる事象に効果を及ぼす、極めて神秘的な『生命の輝き』である。そして持つ者によって善にも悪にもその姿を変えると。ちなみに、あの有名なイースター島のモアイ像は一説によると、マナを崇拝するものだっとも言われている」
メラネシアの人々が信じた神秘の力、それこそが魔力の正体であり、そしてそれによって引き起こされるこの世の物理法則を無視した奇跡が、魔法ということらしい。
僕はそういうことだったのかと、納得した。
成田先輩の顔がなんとなくモアイ像を思わせるのは、神秘的な生命力に満ち溢れていたからなのか!
一通り語り終えた後で狩人は、静かに、自らのナイフを掲げた。
「このナイフは『アケダーのナイフ』だ。旧約聖書で、アブラハムが自らの息子イサクを神への生贄として捧げた際、その心臓を抉り出すのに使われたとされている。息子を殺した父親の遺物、俺にぴったりだと思わないか?」
僕は、何も言えなかった。
あんたが殺した訳じゃないと言いたかったが、そんなの気休めの言葉はこの男には必要ないだろう。
それに、互いに殺し合う関係。
敵に与える慈悲など、残念ながら僕は持ち合わせていない。
「このナイフに宿る魔力は『闇』の魔力だ。エイブラハムの神への憎悪が、そして憤怒が渦巻いている。だからかは知らないが、驚くほどにコイツは俺の手に馴染む」
射程という概念を無視したような斬撃の正体。
それはナイフに宿る魔力が引き起こしていたものだった。
凶暴なまでのその破壊力は、子を失った父親としての後悔から生まれているのだろうか。
親の執念とは物凄い。
子熊を連れた熊は平常の数倍は凶暴で、山菜取りにきたじいさんにすら「子どもに手をだすな!」とばかりに襲い掛かるのだから手に負えない。
真のモンスター・ペアレントとは、僕はクマのことだとずっと思っている。
「魔法はこの世の概念すら覆す。それはもう、奇跡と呼んでも良い」
狩人がナイフを構えながら言った。
「さて、説明は終わりだ。果たしてお前は、奇跡を起こせるかな」
ーー奇跡だって同じだろ?起きる起きるって思い込めば、そのうち起きんだよ。
成田先輩の言葉が、頭の中で繰り返される。
僕は瞳を閉じた。
プラシーボ効果だ。
思い込むんだ、奇跡は起きる、いや起こして見せろ。
それくらい出来なくてどうする。
また大切な人を失っても良いのか。
鼓膜を震わす風に揺れる木々の騒めき、鼻腔を擽る花の匂い。
踏み締める地面は地球そのものだ。
百七十万種の生物の生命を抱える惑星の力。
僕は地球に引っ張られている。
そして、地球から押し上げられている。
深く息を吸い込み、吐いた。
血液中に新鮮な酸素が運び込まれるのが分かる。
同時に、確かな『熱』を宿した血液が全身へと流れている感覚が脳に伝達される。
この『熱』が魔力だ。
間違いない。
奇跡は起こる。
絶対に起こる。
瞼を開け、僕は徐に空を見上げた。
「まさか、お前っ……」
狩人が唖然とした様子で、言った。
隆々とした筋肉を思わせる黒々とした積乱雲が太陽を遮り、それまで明るかった筈の地上を徐々に薄暗く染めていく。
遠くの方からゴロゴロと、雷鳴が近付いてきた。
ぽつり、ぽつりと、僕の頬に水滴が落ちて来る。
ーー雨だ。
一秒、二秒と数えるごとに雨の強さは増していく。
傘なんて持っている筈もなく、やがてバケツの水をちゃぶ台返しの勢いでひっくり返した様な、土砂降りの雨が降り注ぎ始めた。
矢のように降り注いで来る雨粒が身体にぶつかって、痛い。
まるで滝に打たれているかのようだ。
僕はずぶ濡れになりながら、大声で笑った。
ドッドッドッというまるで爆撃を受けているような激しい雨音のせいで、笑い声が酷く小さく聞こえる。
ピカっと、突如として世界が白く染まった。
閃光が弾けたのと同時に、爆音が僕のすぐ後ろで炸裂する。
鼓膜がイカれたかもしれない。
耳鳴りがギンギンと響く。
僕はパチパチという音と共に、焦げ臭い匂いが辺りに漂ってる事に気がついた。
木が、燃えていた。
薄暗い公園が、赤々と燃え盛るオレンジ色の炎に照らされている。
木が自然に発火する訳がない。
間違いなく、僕のすぐ後ろに落ちたのだーー雷が。
じゃあどうして、僕は感電死していない?
これほどの近距離で雷の直撃を受けて僕が御体満足生きていられる筈がない。
もしかして、もしかすると。
僕の魔力が……この雷を落としたのか。
続けざまに、もう一撃稲妻が天を駆けた。
落雷特有のタイムラグを完全無視した轟音が大気を引き裂き、目の前が真っ白になる程の衝撃が走る。
白く塗り潰された視界が復活する。
横を見れば、滑り台からもくもくと白煙が上がっていた。
僕は確信した。
この雷は僕の魔法なのだと。
僕の魔力によって引き起こされている落雷だから、起源である僕の元へと雷は還ろうとするのだ。
二発の雷は、どちらも僕の半径十メートル以内に落ちている。
状況証拠が揃いすぎていた。
「い、言っただろ」
とてつもない衝撃に晒された僕の声は、僅かに震える。
だって、たった数メートル後ろで雷が落ちるなんて信じられるか。
それでも、僕は狩人に向かって言い放った。
「こういう天気の日は絶対に雨が降る。
ーーそして、友達の家に逃げるんだ」
▼
「無意識で、それも詠唱無しで『雷』の魔法を使えるのか。驚いたな」
「狩人のつむじに落とせ雷様ぁ!」
腕時計のストップウォッチが残り三十秒を切った。
僕は雷と雨粒が降り注ぐ住宅街を疾走する。
服はびしょびしょで体に張り付き、絶対乳首やらなんやらが透けている。
誰得だ男の濡れシャツなんて!と一人で突っ込みながら、僕はただひたすらに走る。
道路の側溝はえげつない音を立てて、濁流のように押し寄せる雨水の流れを吸い込んでいるが、だんだんと道路は冠水し始めていた。
市街を流れる川は茶色に濁り、水位も急速に上昇している。
氾濫の時は近いだろう。
防災無線から、無機質な女の声が響き渡る。
嫌に言葉と言葉の間を伸ばす独特な喋り方は、自然と人間の危機感を煽る。
どうやら避難勧告が出ているらしい。
僕は内心で詫びた。
すまない、全部は僕の魔法のせいだ。
「ーーもういっちょ落とせッ!」
声の限り叫ぶと、稲妻が大気を引き裂くような咆哮と共に呼応した。
そして僕のすぐ後ろを走る狩人目掛けて、容赦なく雷撃が降り注ぐ。
「生贄は、俺じゃない」
だが、狩人はアケダーのナイフを横薙ぎに一閃。
彼に雷が直撃することはなく、雷はビリビリとした衝撃波と共に霧散した。
衝撃をもろに食らった電柱が折れる。
烏たちが勢いよく吹き飛ばされ、同時に少なくない家屋の電気が一斉に消えた。
これ以上魔法で雷を落とせば、僕は街一つブラックアウトさせた犯罪者としてワイドショーを席巻するだろう。
日本国を敵に回してしまったら、もう僕に味方はいなくなる。
十億ボルトの落雷を掻き消すなんて、異端審問官は正気じゃない。
無我夢中で走るうちに、二百メートルほど前方に桜木の家が見えた。
いったい成田先輩の秘策とはなんなのだろうか。
彼のことだから、狩人をぎゃふんと言わせるような作戦を準備しているのは間違いない。
「いいぞ。今のは少し……効いた」
「雷喰らって生きてんのがさっ!もう、おかしいんだって!」
「俺の魔力の属性は『土』だからな。硬さには定評がある」
声がしたので後ろを振り返れば、狩人の頬に煤が付いていた。
服は焼け焦げ、皮膚はささくれ立って血が滲んでいる。
決して軽くは無い傷を負っているが、それは狩人だけじゃない。
間髪入れずに繰り出されるアケダーの斬撃に、僕だって血塗れだった。
右腕に貰った一撃のせいで、ピンク色の肉が裂傷の隙間から覗いている。
魔法による電流を流して筋肉を収縮させ、辛うじて止血は出来ているものの、地面を踏む度に気が遠くなる程の激痛が、断続的に僕を襲っていた。
もはや、感覚だけで僕はなんとか致命傷を免れていた。
負傷していない部分を探す方が難しい。
狩人は一切の妥協なく僕を殺しに来ている。
それは、アケダーの斬撃が集中的に僕の首、すなわち頸動脈を狙っていることから明らかだ。
狩人は一撃で、僕を絶命に至らせようとしていた。
「本当によく走れる。大腿の筋肉が俺に斬られてズタボロだ。それに、脹脛の肉が見えてる……なるほど、魔力によって増幅させた生体電流を応急処置に利用しているのか。考えたな」
「あんたが足ばっかり狙ってくるからだよ!卑怯なことは嫌いじゃなかったのか!」
「魔力を従えたお前は誰もが認める強者だ。出し惜しみする方が、無礼だろう」
「じゃあ僕も、スパートかけるよ」
眷属としての身体能力を完全に解放させ、滝のような雨の中を駆け抜ける。
桜木の家まで、残り五十メートル。
眷属としての全力で走れば残り四秒ほど。
だがそれを阻むかの様に、対向車線から水しぶきを上げながら乗用車が迫る。
僕は反射的に濡れた地面を蹴った。
跳躍の瞬間、怯え切った運転手の姉さんと目があった。
僕はすかさずウインクをプレゼントし、車の上を転がって衝突の衝撃を分散。
傷口に走る激痛に歯を食い縛って耐え、そのまま地面に着地した。
僕はすかさず走り出す。
桜木の家はもう目の前だ。
割れた窓ガラスの向こうに、成田先輩の姿が見えた。
おーいと笑いながら、成田先輩は無邪気な子どもの様に手を振っている。
なんでそんな楽しそうなんだ。
僕は血塗れの死闘を潜り抜けてきたんだぞ。
最後の力を振り絞り、僕はリビングに滑り込んだ。
「ハァ……ハァ……クソ……四分きっかりですよ、先輩」
「最高の後輩だぜ。あとは俺に任せろ」
成田先輩がぐっと親指を立てた。
桜木は……よかった。
息をしている。
僕は安堵と蓄積した疲労で思わず床に倒れ込んだ。
だが狩人は、ズンズンと僕の元へと迫って来る。
「おい伊波、このゲリラ豪雨引き起こしたのお前だろ?」
「どうやら、魔法を使えたみたいで」
「よし、じゃあこの家に一撃雷を落としてくれ」
「は?ここ桜木の家ですよ!?」
「そんなの気にすんな。俺が新しい家を買ってやる」
流石は成田先輩。
大学生とは思えないほど太っ腹だ。
世界太っ腹な男ランキングでビル・ゲイツに猛追しているだけのことはある。
「もう、どうなっても知りませんよ」
「大丈夫だ。俺が合図したら、桜木を連れて奥に逃げろ。そして落とせ」
成田先輩はそう言うと、何故か台所から勝手にパチって来たかと思われる小麦粉を、部屋中にばら撒き始めた。
煙となった小麦粉が空気中を漂う。
僕は思わず粉を勢いよく吸い込んでむせた。
「うわ、ちょっと部屋中真っ白じゃないですか。ごほっ、煙舞いすぎだって……何してんの先輩!」
「俺、実は昔炭鉱でバイトしてたんだぜ」
「それ、いつの時代の人ですか」
「大事なのはな。酸素と、濃度と、着火源だ」
成田先輩が力強く言い切った時だった。
狩人が、リビングへと入って来た。
そして、自らが真っ二つにしたテレビを一瞥してから、僕の方を見た。
「決着を付けに来た」
「残念ながら、有終の美を飾るのは俺なんだーーやれ、伊波」
僕は桜木をお姫様抱っこの要領で抱えると、台所の影へと身を投げた。
身体から魔力を一斉に放出する。
窓の外で閃光が弾けた。
一筋の雷撃が、耳をつん裂く轟音と共に着弾した。
その瞬間だった。
目の前が真っ白になり、強烈な爆風に僕は吹き飛ばされた。
桜木を守る様に抱き締めたのを最後に、僕の意識はそこでぷっつりと途絶えた。
▼
「ーーおい、起きろ伊波」
どこか遠くの方で、成田先輩の声が聞こえた。
全身を舐める鈍い痛みがそれを阻んでいる。
このまま眠りにつくことができたらどれだけ楽だろうか。
僕は薄ぼんやりとする意識の中、いっそのこと眠ってしまおうかと思った。
しかし、何やらゆっくりとした心音が規則正しく聴こえて来て、僕は現在の状況を思い出した。
成田先輩の言う通り、雷撃を落とした。
狩人は、桜木は、どうなった?
「ーー起きろ」
深海から浮上する様に、意識が覚醒していく。
クソっ、成田先輩はなんて人間だ。
どうして家の中でいきなり大爆発が起こるんだ。
そんなことを思っていると、僕は極めて自然に目を覚ました。
「狩人は、どうなりました」
「死んだよ。桜木ちゃんも、俺が説得して奴の血を吸わせたから無事だ。今はまだ眠っているけど」
成田先輩が、煤まみれの頬を拭いながら力強く笑った。
ゆっくりと床から身体を起こす。
霞む視界をゴシゴシと擦ると、変わり果てた家の様相が目に飛び込んで来た。
至る所に割れた皿や、壊れた家具。
ぽっきりと折れたテーブルと椅子が散乱している。
まるで大地震の後だなと思った。
壁にはとことどころ亀裂が入り、そこから雨水が漏れ出している。
幸運にも雨足は弱まったみたいだが。
無事だったソファには、穏やかな呼吸を繰り返す桜木の姿が。
ひとまず僕は胸を撫で下ろす。
「ーーって、待ってください!なんですかあの爆発!こっちが死ぬかと思いましたよ!」
「じゃあネタバラシの時間だな」
成田先輩がメガネの汚れを拭きながらケラケラと笑った。
「粉塵爆発、聞いたことあるか?」
僕は首を横に振った。
「小麦粉は不燃だが、条件さえ揃えれば爆発する。炭塵による粉塵爆発は多くの犠牲者を出す。炭鉱夫にとってはいつだって恐怖の的だ。俺はこの部屋の広さから、四分間で爆発に最適な粉塵の濃度を計算し、小麦粉をばら撒いた。着火源は、これだよこれ」
成田先輩が、黒焦げになったテレビを指差した。
狩人の斬撃で真っ二つになっだけでは済まされず、まさか焼き尽くされることになろうとは、テレビくんもとんだ災難だ。
「あいつがテレビをぶった斬って、電子部品が剥き出しになっている時には、既に俺の頭で作戦は決定していた。着火源だけは最後まで悩んでいたんだが、不自然に沢山の雷が落ち出してから確信したさ。あの雷は伊波の魔法だってな。そうくりゃ、もうこっちの勝ちだ」
成田先輩は、テレビのコードが挿さっていたコンセントに視線を向けながら、言う。
「直撃雷によって発生した異常電圧はコンセントやアンテナ線を通じて、このテレビへと伝わった。普通なら内部故障が起きるくらいで済むが、あの男のおかげでテレビの中身は剥き出しだ。大電流が内部基盤を流れることで生じた火花が、爆破寸前の粉塵を決壊させた訳だ」
「死体すら、残らなかったんですか?」
僕の疑問に、成田先輩は首を振った。
「いや。致命傷ではあったが奴はまだ生きていた。最後は自決だ。奥歯に埋め込んだカプセルを噛み砕いて、死んだ。おそらくは教皇庁が開発した毒薬だろう。遺体すら残さずに奴の肉体は溶けて無くなり、そして逝ったよ」
僕はボロボロになった一枚の写真が、窓の外に落ちているのを見つけた。
血が垂れる足を叱咤し、外に出る。
雨は既に止んでいた。
空を支配していた黒雲はいつの間にか何処かへと消え去り、代わりに太陽が顔を出している。
成田先輩が僕の隣で背伸びをした。
そして僕が拾い上げた写真を、覗き見てくる。
「奴の家族か?」
「ええ」
「あっちで、また会えるといいな」
「……そうですね」
数秒沈黙が続いたあと、成田先輩が「あ、虹だ」と呟いた。
僕もつられて空を見る。
あっと、その壮麗さに思わず声を上げた。
鬱屈とした天気を薙ぎ払うように、七色の虹が天に掛かっている。
「虹ってのはな、心理学的には希望の象徴らしいぞ」
成田先輩がそう言って笑う。
本当ですか?
僕は苦笑した。
これから『聖女』や『異端審問官』に命を狙われる僕に待っているのは、絶望だらけの夏休みだ。
「なに、お前辛気臭い顔してんだ」
「いや、これから大変だなぁと」
べしっと、僕は成田先輩に頭を叩かれた。
地味にスナップを利かせるものだから、痛い。
ほら、また腕から血が出始めた。
成田先輩はポケットからイチゴ味のチュッパチャップスを取り出し、口に加えた。
うめえ……と染み染みと呟きながら、虹を眺めている。
先輩は大酒飲みの癖に、煙草だけは吸わない。
代わりに、棒付きキャンディーをいつも持ち歩いている。
「夏休みの宿題は全部俺がやってやるさ」
成田先輩が、自信に満ちた顔で言った。
それなら、いいかもしれない。
手持ち無沙汰に、写真を眺める。
男が、仏頂面でこちらを睨んでいた。
「あんたは、すごい父親だ」
まずは、病院に行こう。
そして治療を受けたら、今日は桜木も家に招いて、ご飯を作ってあげよう。
写真をぴんと、指で弾いた。
吹き飛ばされたそれは、ゆるゆると空に浮かんでいき、やがて虹の光線の中に消えていく。
ーー大雨特別警報は、解除されました
防災無線が鳴っていた。
まあ、なにはともあれ。
雨は止んだのだ。
今はそれでよしとしよう。
第一章完結。
未熟な文章をここまで読んで下さり、本当にありがとうございました。