ヒットマン
「おい、おっかねえな。住宅街で発砲事件だってよ」
消毒液の匂いが漂う総合病院の待合室。
えんじ色のソファーの、通路側に座る『サメ』が太々しく足を組みながら言った。
二十五歳の癖に髪が真っ白なのは別に染めている訳ではなく、生まれ付きのものらしい。
奥二重の瞼はいつも眠そうで、おおよそ覇気と言ったものが感じられなかった。
待合室の薄型テレビの中で、『埼玉県警』と白色で印字された捜査服に身を包んだ警官が、一戸建ての住宅の前で走り回っている。
どうやら、閑静な住宅街で拳銃の発砲事件が起こったらしい。
坊主頭に虫取り網を握った少年が、インタビューを受けていた。
ゲリラ豪雨に発砲事件。
全く今日はお天道様の機嫌がすこぶる悪いようだと、『カラス』は紙コップから湯気を立てるコーヒーを飲み干した。
苦い。
砂糖を入れれば良かったと後悔する。
休日の午前中の病院は、びっくりするほど高齢者で溢れていた。
おかげさまでマダムによる井戸端会議が、待合室で同時多発的に発生している。
受付の看護師さんに習いたてのフラダンスを披露する猛者すら、現れる始末だ。
埼玉県人がやたらと池袋に出てくるのと同じように、お年寄りは病院に集まる。カラスは憂鬱になった。
「おまえが病院に来るなんて、どうりで雨が降った訳だ」
「久しぶりに刺されたからな」
カラスはズキズキと痛む右胸に顔を顰めた。
つい二十分ほど前に殺したある男の顔を思い出してしまい、舌打ちする。
生意気な顔をした男だった。
高架下のホームレスばかりを狙って暴行を加え、鬱憤を晴らすような最悪な男だ。
ギャンブル依存で闇金融から数百万の借金をしていたが、もう五年も滞納していたことで、とうとうカラスに依頼が来た。
駅前のパチンコ店から、大負けしたのかガクリと項垂れて出てきた男を、カラスは路地裏に連れ込んだ。
連絡によれば『掃除業者』が来る筈だったから、欠伸の出るような簡単な仕事だ。
烏は消音器を取り付けた拳銃で男を額を撃ち抜き、殺した。
おそらく、男の臓器は世界中の助けを求める人々に届けられるか、もしくは太平洋の魚の餌になるかのどちらかだ。
カラスは口笛を吹いた。生まれてはじめての社会貢献じゃないか。
だが、ここで一つの誤算。
生意気なことに、この男は自分の命が狙われていることを知っていたのだ。
拳銃を鞄にしまい帰ろうとしたその時、ひゅんっという音がした。
咄嗟に身体が反応し、内臓をやられることは防いだが、カラスの鎖骨の下にはナイフがずぶりと刺さっていた。
はいはい、そういうことかと判断した時にはカラスは行動を開始していた。
ナイフを無理やり引き抜けば、出血する。
『黒ひげ危機一髪』はする分には楽しいが、やられてる側からしてみればたまったものではない。
一撃で殺せるとでも思っていたのか、平然と立ち上がるカラスに、男が雇ったであろう痩せぎすの殺し屋は、一瞬立ち止まり、そこを撃たれた。
心臓に一発、こめかみに一発。
もちろん銃弾を喰らったその殺し屋は、くるくるとぶっ倒れて、死んだ。
おかげさまで、カラスは大嫌いな病院にいる。
「俺は相変わらずアレルギー性鼻炎が酷くってよ」
「そういえば、そうだったな」
「え、忘れたのか!?トリ頭かよお前。カラスの癖に」
「違う。興味がないだけだ」
カラスがぶっきらぼうに言った。
サメはしょっちゅうこの病院の耳鼻咽喉科を受診している。
腕は良いが、仕事の最中もガキみたいに鼻水を垂らすので、コンビを組むカラスはいつも苦労している。
コンビ二で大量に鼻セレブを買う奴がいたら、そいつはきっとサメだ。
ぴーんぽーんと、呼び出し音がなる。
受付のスクリーンには121番とあった。
サメは123番で、カラスは126番だ。
診察室5から出てきたのは、手足を包帯でグルグル巻きにされた少年だった。
白い布には僅かに血が滲んでいる。
殺しのために人体を熟知するカラスには、分かった。
負傷部位を庇うような歩き方、痛みに耐える呼吸。
おそらく少年は、殺し合いをして来た。
先程のニュースが、頭に浮かぶ。
カラスが数分前に体験したように、同業者同士の殺し合いはなにも珍しいことでは。
ただ、カラスの記憶にここまで若い殺し屋は存在しない。
ということは、この歳でフルタイムか。
カラスは今すぐにこの少年の肩を叩き、美味い焼き肉を奢ってやりたい衝動に駆られた。
殺し屋は大まかに二つのタイプの分類される。
フリーランサーと、特定の組織、もっとはっきり言えばヤクザやマフィア、ギャングといった組織的犯罪組織にフルタイムで雇われる場合だ。
カラスとサメはフリーランスの殺し屋だ。
請け負う殺しは全て契約から始まり、報酬は必ず前金で振り込まれる。
費用は一人に付き、およそ五百万。
相手の決まった行動を知らされる時もあれば、殺し屋が自ら相手を研究して決まった行動を自分で見つけることもある。
そして一番楽なのが、あらかじめ決められた場所に関係者が相手を連れてくる場合。
殺し屋としてベストパフォーマンスを発揮できる状況は紛れも無く最後の一つだが、そんな好条件の依頼なんてそうそう入り込んで来ない。
故にフリーランサーの殺し屋は廃業の可能性が高い、つまりは死にやすいということだ。
フリーランサーからしてみれば、バックに協力者がついてくれるフルタイムの殺し屋はいつだって羨望の的だ。
コネがない殺し屋は一生フリーランサーのまま、なんて話もよく聞く。
カラスはいてもたってもいられなくなり、椅子から跳ね上がると、「すまない」と少年に声を掛けていた。
少年が、ぴくっと肩を揺らしながら振り向いた。
その様子を見てカラスは内心で舌を巻いた。
この歳にして殺気を完全に制御しているとは、驚きだ。
他者の生命を奪うことで生計を立てるいわば『プロ』の身体からは、大抵血のように染み付いた殺気が漂っている。
それによって同業者は愚か一般人にすら、「この人は危なさそうだ」と思わせてしまう殺し屋は決して少なくない。
だが、殺しの執行前に標的に感づかれれば、先に警察官を処理しなければならない。
そうなると、仕事の難易度は跳ね上がる。
派手なナイフ捌きも、正確無比な射撃も、実は殺しには殆ど必要ない。
無害を装い、殺気を抑え込み、いつの間にか背後にいて、死神の一振りを加える。
それこそがあるべき殺し屋の姿だと、カラスは考えていた。
その少年は微塵の殺気も、強いて言えば人ならば誰しもが持つ害意や、敵意や、悪意と言った感情すら微塵も感じさせない。
まさにいま、目の前に殺し屋の完成形が、死神がいるのだ。
カラスは興奮を隠しきれず、手をあたふたとさせた。
「いや、急に声をかけてすまない。その傷、大丈夫か?」
「ちょっと、友達と喧嘩をしまして」
少年は頬を掻きながら、参ったなぁと苦笑する。
カラスは危なく吹き出しそうになった。
そいつはどんな友達だ。
大きな血管を狙って斬撃を浴びせる友達なんかとは、今すぐに縁を切った方がいいぞ。
「そいつは大変だ。最近、物騒な連中も多いからな。気を付けた方がいい」
そう言って、カラスは拳銃事件のニュースが流れるテレビの方に目をやる。
すると少年は困ったようなその表情を、僅かに険しくした。
カラスは確信する。
ビンゴだ、やはりこの少年は同業者で間違いない。
「は、はい。怖いですよね。誰かに命を狙われるなんて」
「ああ。でも君なら、平気そうだ」
「えっ……?」
「
カラスは内ポケットから黒塗りのコインを取り出すと、少年の手に握らせた。
漆黒のコインには、羽ばたく烏の姿が金色で刻印されている。
殺し屋のライセンスとも言える『パニッシャー・コイン』。
裏社会御用達の高級レストランのウェイターや、ホテルのドアマン、娼館のお気に入りの娘などに渡される、殺し屋専用のチップだ。
パニッシャーコインは、信頼に値する人間にしか渡されない。
殺し屋が殺し屋にコインを送ることは、『私は貴方の実力を認め、生涯敵対することはない』というのを意味する。
「なにかあったら、そのコインを出せ。俺は案外業界の中で知名度は高いから、きっと役に立つはずだ」
「ありがとうございます……じゃ、あの……僕はこれで」
殺し屋に長ったらしい言葉は不要だ。
少年は会計を済ませると、足早に病院を出て行った。
また、会える日が来るといい。
カラスは、いつか一緒に仕事を出来ることを楽しみに、再び椅子に腰を下ろした。
「おいカラス、やっぱり病院ってのは、子どもの気持ちを考えるんだな」
長すぎる待ち時間に退屈したのか、サメが子どもコーナーの本棚に手を伸ばし、一冊の絵本を持って来る。
カラスは本の表紙を見て、思わずため息を吐いた。
「おまえも読むか?『アンパンマンとてんどんまん』」
「読む訳ねえだろ」
サメは熱烈なアンパンマンファンだ。
暇さえ有れば、YouTubeでアンパンマンの動画を見るか、絵本を読む。
サメが持ち歩くリュックサックには拳銃とナイフと止血剤、そして大量のアンパンマンのぬいぐるみが入っている。
かと言ってカラスが好きなパンは?と聞くと、「日本人はパンなんて食うなよ」と全国のパン職人と戦争をおっぱじめそうな顔で言うのだから、不思議だ。
「おまえはよ、アンパンマンの魅力がまるで分かってねえ。『そうだ♪わすれないでいーきるよろーこび♪たとーえー胸の傷がいーたんでもー』ってな。今のおまえにぴったりだろ?アンパンマンを見れば胸の傷なんて、ちっとも痛くなくなるぜ」
「そんな訳あるか。その胸の傷っていうのは、比喩表現なんだよ。俺みたいに物理的にな?ぐっさりナイフでやられた傷じゃなくて、心の傷ってことだ。誰かに悪口を言われたとか、虐められたとか、そういうのだ」
カラスはそっぽを向いた。
だが、サメはなおもアンパンマンの布教活動をやめない。
おまえはもう宗教法人を作るべきだと、カラスは思っている。
「じゃあ、そんなカラスに俺が大好きな言葉をプレゼントしよう」
「プレゼントはいらないから、精神年齢をあと五歳ほど上げてくれ」
「ーー僕の顔をお食べ」
「やめとけって。人肉趣味の殺し屋は腐るほどいるんだぞ」
カラスがヒトの筋肉を直火焼きにして、丁寧に食レポをしていた同業者を思い出していると、不意に後ろから「少しお話を伺いたいのですが」と声をかけられた。
サメが絵本から顔を上げ、「うわ、美女だよすんげえ」と喜色を滲ませている。
確かに、カラスの目前に現れた女性は、途轍もなく美しかった。
清流を思わせる金髪に、3Dアニメから飛び出して来たような、完璧なまでに整った愛らしい顔立ち。
黒と白を基調とした修道服を纏っている。
キリスト教のシスターだろうか。
だとしたら、こんな二人組と話さない方がいい
地獄への特急列車があったら、俺たち二人はもちろん特等席だ。
「すみません。伊波迅という男性を探しておりまして」
シスターは、一枚の写真をカラスとサメに突きつける。
「ーー先程まで、貴方たちと話していたと看護師の方から聞いたのですが」