腹上死フラグが立ちました♡   作:着こなし不備

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お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません。


眠れ

 「寝るか……」

 

 「はやく来てよ。淫魔との同衾なんて、世界が違えば最高の贅沢なんだから」

 

 電気が消えた部屋では、カーテンの隙間から差し込む朧げな月光だけが、唯一の灯りだった。

 見慣れたアパートの一室の癖に、夜になるとがらりと雰囲気が変わる。

 

 いや、雰囲気を変えているのは間違いなく、僕のベッドに勝手に潜り込み、「ほれほれ」と手招きしてくる淫魔、シェナ・ラブトレインなんだけど。

 

 お前のせいで健全な男子高校生の一人部屋がエロい雰囲気に変わっているんだ。

 小さく呟くが、とうの本人は大して気にする素振りも見せず、僕をじっと見つめている。

 僕はiPhoneのアラームを明日の朝七時に設定し、ベッドに身を投げた。

 どっと、今までの疲れが津波のように押し寄せて来る。

 

 最近色々とありすぎたのだ。

 サキュバスの眷属になったかと思えば、生徒会長(吸血鬼)に目を付けられ、おまけに今は命すら狙われている。

 まるで出来の悪いハリウッド映画の中にいるような気分だった。

 

 「つかまえたぁ。すんすん……やっぱり、君はいい匂いがするね。このまま寝るつもりだったけど、つまみ食いしたくなっちゃった」

 

 むぎゅうっと、正面からシェナに抱き締められた。

 女性らしい起伏に富んだ極めて扇情的な肢体が、僕に纏わり付いている。

 パジャマ越しに伝わる柔らかさと温もりでどうにかなってしまいそうだが、至って僕は冷静だ。

 

 なぜなら、既に僕の意識は半ば微睡に落ちているから。

 あとは坂道を転がるが如く僕は深い眠りへと落ちて行くだろう。

 エロい気持ちはこれっぽっちも湧いてこない。

 ただ、規則的に響くサキュバスの鼓動が、やけに心地良かった。

 

 「まったく驚かされるな。悪魔相手にここまで豪胆な態度を貫けるのは、君くらいだよ」

 

 「人間三日で、たいていのことは慣れる」

 

 三日坊主とはよく言うが、僕の経験上、どんなに苦しい練習だろうと早起きだろうと、『三日』という魔境さえ超えてしまえば、それは習慣となり、やがてなんら苦ではなくなる。

 夏休みのラジオ体操なんて最初は眠くて仕方なかったが、気がつけば僕は皆勤賞だった。

 

 懐かしい小学生時代の記憶をフラッシュバックさせていると、何やらシェナががぱりと布団から顔を出し、僕のことをじっと見つめて来た。

 そして二秒ほどしーんと沈黙したと思えば、いきなり、とんでもないことを言い出した。

 

 「ちゅー、しよっか」

 

 「ぱーどぅん?」

 

 思わず、僕は英検の二次面接における最強の呪文を呟いた。

 このサキュバスはどうやら僕と接吻……というか口づけ……というか、まあ世間一般的に言えば、その、キスをしたいということらしい。

 

 「はーみがこー」とか「スマブラしよー」とか。

 そんな感じの、特に意味はないけど一応言っておく独り言みたいな気楽さだった。

 女の子が簡単に放って良い言葉じゃない。

 人間と淫魔とのカルチャーショックを、僕は確かに味わった。

 

 「君とね。したいな……キス。」

 

 砂糖のように甘ったるい囁きが鼓膜を震わせたかと思えば、僕の身体は金縛りに遭ったみたいに、一ミリも動かなくなる。

 これは前にも一度経験済みだ。

 主人である淫魔は自らの眷属を、意のままに操ることが出来る。

 これ悪魔界の常識。

 

 「残念ながら君に拒否権はないよ。君は眷属だ。君はボクのペットであり、恋人であり、気心の知れた親友でもある。そんな大事な大事なボクの眷属の健康は、ボクが責任を持って守らなくてはならない。そうだよね?ボクには君を守る義務があるんだ。ボクは何か間違っているかい?」

 

 僕は瞼を閉じた。

 シェナが過保護モードに突入した時の対処法はただ一つ、黙従である。

 無理して抵抗なんてしたら最後、意識が吹っ飛ぶまでちゅっちゅと搾り取られる羽目になる。

 

 「シェナの言う通りだよ」

 

 僕がそういうと、シェナはパッと表情を明るくして、唇にむしゃぶり付いてくる。

 こうなってくるともう誰にも止められない。

 生暖い舌から淫魔特有の甘ったるい唾液が流し込まれる。

 

 粘膜接触による魔力の供給。

 それが、僕と淫魔シェナ・ラブトレインが交わした契約だ。

 

 ヒトの『魔力』の身体保有量が総じて少ないが、雀の涙ほどの微量の魔力なら精液中に含有されているらしい。

 サキュバスはその魔力を吸収することによって、生命活動のエネルギー源としている訳だ。

 

 手っ取り早くエネルギーを補給したいのなら、沢山の人間を搾り殺すしか無い。

 しかし、それをやれば天使に目を付けられ、魔を祓うべく派遣された『聖女』によって殺される。

 

 そこで、僕の出番が来る。

 どういう訳か、僕はほとんど無尽蔵に魔力が分泌される体質らしかった。

 そして僕の血液や汗、唾液中にも高濃度の魔力が含まれていた。

 シェナはそんないかにも「美味しそうな」魔力の匂いを感じ取り、僕のことを見つけ、眷属にしたのだ。

 

 「ーーぷはっ。ごちそうさまでした。ちょっと吸い過ぎちゃったかも。大丈夫?生きてるかい?」

 

 「この終わった後の倦怠感はどうにかならないんですかね」

 

 「むしろ、倦怠感だけで済んでいる自分を誇るべきだよ。普通の人間なら体液ぜーんぶ、ぴゅっぴゅ!って出して死んじゃうんだから」

 

 片目を瞑って見せるシェナに、僕は人間としての尊厳を失わずに済んだことにひとまず安堵した。

 

 魔力を吸われた後は大抵すぐに眠ってしまう。

 まるで生命力を根こそぎ奪いさられたみたいに、一瞬で。

 それほど、淫魔の吸精というのは危険なものだ。

 愚かな人間は目先の快楽にだけ目を奪われ、そして搾り尽くされて死ぬ。

 

 「じゃあ、おやすみ。君さえ良ければ夢の中でもいちゃいちゃしよっか?」

 

 「遠慮しとくよ。夢の中なんてサキュバスの独壇場じゃないか。魔力が二リットルあっても足りない」

 

 「それは残念だね。現実では到底出来ないような、ファンタジーなプレイだって楽しめるのに」

 

 「ちょっと待って。その話詳しく」

 

 「ふふふ……それでこそ男の子だ」

 

 思春期の男子高校生をあまり舐めないでいただきたい。

 なにせ、男は五十二秒に一度エロい妄想をするという研究結果すら公表されている。

 まったく、男はつらいよ。

 

 キラキラと輝きを放っているであろう僕の瞳を覗いて、シェナは心から嬉しそうに微笑んだ。

 淫魔の誘惑は麻薬だ。

 断ち切ろうとしても、その快感が忘れられない。

 黒い尻尾が歓喜と興奮を表すようにゆらゆらと揺れていた。

 

 「そうだなぁ。ボクを媚薬スライムでとろとろのアヘアヘに蕩けさせるもよし。ヒドラプラントの触手であられもない姿になったボクを拘束し、気絶するまで……なんてこともできるけど」

  

 「よし、その話乗った」

 

 ーー即決!

 

 僕は布団をマッハで被ると、羊を数えはじめた。

 

 一匹、二匹、三匹……四匹目が「ジンジンジンギスカン☆」と歌い出したと思ったら、もう僕は夢の中だった。

 

 僕、疲れてんのかなぁ。

 

 

  ▼

 

 

 ぱちぱちと、フライパンの上で油が跳ねる音がした。

 

 重い瞼を開けば、眩い朝日がカーテンの隙間から差し込んで来る。

 

 「朝か……」

 

 憂鬱だ。

 今日は桜木が僕に会いに来る。

 

 「はぁ……」

 

 今日のめざましテレビの星座占いは最下位で確定だろう。

 もし仮に「一位はみずがめ座のあなた!」なんてふざけたことを抜かして来た場合、僕は部屋に置いてあるめざまし君の腸(わたはわたでも綿のほう)を引きずり出さなければならない。

 

 ぼうっとする意識を背伸びと共に押しやり、僕はベッドから身体を起こした。

 

 パジャマを脱ぎ捨て、パンツ一丁で洗面所へと向かう。

 顔を洗う時は僕は絶対に服を着ない。

 なぜなら九割九部びしょびしょになる。

 僕は服を濡らさずに顔を洗えるような優秀極まりない人間を、生まれてこのかた見たことがない。

 

 鏡に移る身体は、バカみたいに続けている自重トレーニングの影響で、細マッチョと言われるくらいには仕上がっている。

 だが一つ気になるのは桜木に付けられた首筋のキスマークと、歯形だ。

 昨日は幸運にもシェナにバレなかったが、もしバレていたら僕は今頃眠りから覚めてないだろう。

 

 夏休みなので制服に着替える必要はない。

 僕は成田先輩から貰った『敵は本能寺にアリーヴェデルチ』という奇妙なロゴとおかっぱ頭の信長がプリントされた黒のTシャツとジーンズに着替え、リビングのドアを開けた。

 

 「いい朝だねイナミ。今日は『ふれんちとーすと』とやらを作ってみたんだ。お口に合うと良いけど……」

 

 「幸せだわ、僕」

 

 朝起きると、裸エプロン姿の美少女が朝ご飯を作って待っていてくれる。

 これ以上の幸福があって良いのだろうか。

 いいや、あってたまるか。

 

 シェナと一緒に席に着き、いただきますを言う。

 最初はこの文化を不思議がっていたシェナも、今はすっかり気にいって可愛らしく手を合わせてくれる。

 

 本来なら眷属である僕が食事を用意しなければならない様な気もするが、シェナは「眷属の幸せがボクの幸せなんだよ」なんて惚れてしまうような台詞ばかり言ってくるから、食事の準備は今のところ彼女に任せきりだ。

 

 まあ、細かいことは気にしない。これ人生のモットー。

 

 僕はふわふわとろとろのパンを、口の中に放り込んだ。

 じゅわっと溢れ出す卵の甘味とバターのほのかな塩味が舌の上で絡み合い、最高のハーモーを奏でている。

 もう百点満点中百二十点をつけてあげたい。

 けれど、作った本人はそんな僕の状況を知らない。

 

 「どう……かな?美味しい?」

 

 不安げな表情を浮かべ、尻尾をぴこぴこと落ち着かなそうに動かすシェナ。

 

 可愛い。

 存在が可愛い。

 可愛いさのために生まれて来たと言っても過言じゃない。

 アザラシの赤ちゃんとかともはや同等の次元に、彼女はいた。

 

 僕はパンをこくんと飲み込み、「うますぎる!」と叫ぶ。

 そんな、取り止めもない、朝の日常の一コマ。

 だが平和というものは、一瞬で消え去るものだ。

 

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