ナリタブライアン -轟轟・阪神大賞典1996-   作:巻野ぐるぐる

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第0話_奇跡の復活

 大歓声が鳴り響く中山レース場。最終コーナーでバ群から白い影がひとり抜け出す。

 影の名はビワハヤヒデ。菊花賞を5バ身の大差で制し、この有馬記念でも一番人気に推されているウマ娘。その圧倒的な強さから、誰もがビワハヤヒデの勝利を確信していた。

 しかし最後の直線、先頭に出た白い影を青い星が猛追する。

 

「トウカイテイオーだ!トウカイテイオーが来た!!」

 

 信じられない。実況の声にもそんな色が滲んでいた。

 トウカイテイオー。度重なる怪我の影響で、このレースが一年ぶりの復帰戦となったウマ娘。全盛期は皐月賞と日本ダービーの二冠を制するなどの活躍を見せたが、昨年の有馬記念では11位に沈んでいた。そんなウマ娘が、最強と目されていたビワハヤヒデに追いつこうとしているのだ。

 青い星が白い影を交わす。ビワハヤヒデも粘るが、トウカイテイオーがわずかに先を行く。そのまま半バ身の差を残し、ふたりがゴール板を駆け抜けた。

 

「トウカイテイオー、奇跡の復活!!」

 

 ゴールの瞬間、観客の盛り上がりがピークに達し、この日一番の歓声が上がった。

まさに奇跡、そうとしか言えない走り。中山レース場に詰めかけた観客全員が、惜しみのない賛辞をトウカイテイオーに贈っている。

 しかし、そんな光景を、ナリタブライアンはただただ静かに眺めていた。

 

「奇跡の復活か……」

 

 暗い部屋の中、画面に向かってポツリと呟く。ブライアンはこの言葉があまり好きではなかった。

当時のテイオーは一年間ものリハビリに耐え、もう一度レースで勝つことに全身全霊を賭けていた。テイオーは生徒会室によく出入りしていたから、副会長を務めるブライアンはそのことをよく知っていた。

 奇跡という言葉は、その努力を無視して結果だけを見ているようでどうも腑に落ちないところがあったのだ。

 だが、今のブライアンはこの言葉の評価を改める必要があるのではないかと感じていた。

 実際、一年間のブランク明けにいきなりGⅠを勝つという芸当はそうそうできるものではない。ましてやテイオーが勝った舞台は数々のGⅠウマ娘が参戦している有馬記念。そして勝った相手はブライアンの実姉の最強ウマ娘、ビワハヤヒデだ。

 ハヤヒデの強さはブライアン自身がよく知っている。姉貴はまぐれで勝てる相手ではない。トウカイテイオーが勝てたのは、あの時テイオーが有馬の舞台で全盛期の走りを取り戻していたからだと断言できる。だからこそ、その復活劇が本当に奇跡的なものであることも理解しているのだ。だが———

 ———それを奇跡と呼ぶのなら、復活には奇跡が必要になってしまうではないか。

 

 コンコン

 

 扉がたたかれた音で我に返る。咄嗟にビデオを止め、扉の外に「入っていいぞ」と声をかける。

 

「ブライアン、そろそろ出番だ」

 

 そう言いながら、グレーのスーツを着た眼鏡の女性が控室に入って来た。彼女の名は東条ハナ。ブライアンが所属するチームリギルのトレーナーだ。

 部屋の電気を付けた後、ハナは一時停止中のビデオに目を向けた。

 

「トウカイテイオーの有馬記念を見ていたのか」

「ああ」

「何か参考になったか?」

「……さあな、わからん」

「そうか……。だがこのレース三位のナイスネイチャは今日のレースにも出走する。仕掛け時を考える上でのヒントにするといい」

 

 ハナは一瞬残念そうな表情をしたが、すぐに切り替えて今日のレースの話を始めた。余計な話をしなくていいのはとても助かる。ブライアンはハナのこういうところに信頼を置いていた。

 

「何度も言っているが、調整は以前と同じようにできている。お前の課題はレース勘を取り戻すことだ」

「ああ、わかっている」

 

 その課題を乗り越えるため、ここ一ヶ月ほどはチームメンバーとの併走を中心にやってきた。ハナの指示は的確で、今日の調整も絶好調の仕上がりだ。

 だから、あとは勝つだけ。勝つだけ、なのだが……

 

「勝負は最後の直線。お前の末脚ならそこから全員突き放せる」

「……そのつもりだ」

 

 喉が、乾く。言い知れぬ不安が胸の内から湧き上がってくる。こんなことは今までなかった。だがおよそ二ヶ月前、天皇賞秋で敗れて以来、時折どうしようもないほどの不安に襲われることがあるのだ。

 

「……じゃあ、そろそろ出る」

 

 この不安をハナに悟らせたくなかったので、早々にこの場から立ち去ることにした。

 ハナはそんなブライアンを見つめながら「勝ってこい」と見送った。その瞳にブライアンへの信頼が宿っているのが見て取れて、さらに居心地が悪くなり、足早に控室から退室した。

 

「ブライアン」

 

 そのままパドックへ向かおうとした背中に、ハナから声がかけられる。

 

「案ずるな、お前は強い。お前の走りをすればいい」

「……わかっている」

 

(……わかっているさ、本当に。私は、ただ私の走りを貫きたいだけなのだから)

 

 ナリタブライアンは、かつてクラシック三冠を含むGⅠ 5連勝を挙げ、年度代表ウマ娘に選ばれた実績を持つウマ娘だ。しかし今年の春に右股関節炎を発症し、一時戦線を離脱。怪我は完治し秋にはレースに復帰したが、それ以降、まだ一度も勝てていない。

 奇しくも、今日の舞台はトウカイテイオーが奇跡の復活を遂げた有馬記念。観客も、トレーナーも、ブライアン自身でさえも、心の内でナリタブライアンの復活を期待していた。

 

(有馬は昨年勝っている。天皇賞秋やジャパンカップとは違う。必ず、何か掴めるものがあるはずだ)

 

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。12月の冷たい空気が身体と意識を引き締める。

 できることはやった。調整もうまくいっている。あとは勝つだけ。

 首筋を伝う汗を無視しつつ、ブライアンは再び、有馬の舞台へと足を踏み入れた。

 

 

 

 ———この日、ナリタブライアンは4着に敗れ、自身初の3連敗を喫した。

 

 

 

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