夜に散歩がしたかったから、世界を救うことにした 作:ジャオーン
「――――え?」
着物の女性は今までで一番意味が分からないといった顔でこちらを見上げる。
その視線の先には俺が居る。
つまるところ槍を片手に今まで夜を支配していた鬼の心臓を突き刺し、そしてそれを灰に帰した姿だ。
先ほどまで遠くから眺めていただけの、彼女は――――なるほど、どうしようもなく綺麗だと思った。
年の頃は前世でいうところの高校生ぐらいだろうか。
まさに夜に溶け込むかのように黒く流れる長い髪に、やや吊り上がった黒い瞳。
薄い桃色の唇に、そして、全身から溢れ出る高貴な佇まい。
なるほど――と思った。
美しいという言葉は彼女のような女性にこそ相応しいのだと。
だからこそ――。俺はまたどうしようもなく気に入らなかった。
そんな彼女が先ほどの鬼の残滓による穢れにその身を侵されているという事実が何よりも気に入らなかった。
歴史に残る名画が薄汚ない泥を浴びせられているかのような不快感。
故に俺はそれがどうにも我慢がならなかった。
そもそも俺は何の為にあの鬼に向かって走りだしたというのか。
その理由を考えれば、これから先に俺がすべきことなど決まっている。
「じっとしていて」
俺は彼女に未だ突き刺さる杭に手をのばす。
あの鬼の残滓、未だ消えぬ穢れの根源。
「――な!? や、やめなさい! これは王鬼による穢れの結晶。既にこの身は完全に穢れに侵されました! 私は此処でこれをこれ以上世界に広める前に朽ち果てます! だから貴方は急いで此処から離れなさい!」
そう目の前の彼女は懸命に叫ぶ。
あぁ――。
その姿の何と気高く美しいことだろうか。
俺のような得体の知れない、矮小な子供に、懸命に言葉を紡ぐ。
未だ何が起きているのか全部は理解できないだろうに、けれども彼女は目の前の俺に被害が及ばぬように告げる。
既にその身に人間の尊厳を根底から汚すに等しい穢れを浴びて、なおもこれ以上に自身が世界を穢す存在にならぬようにと、誇りと優しさをもっとその身に宿る穢れをねじ伏せて、決意の言葉を紡ぐ。
――そのような姿をみて、どうしてこの身に宿る熱が冷えるだろうか。
鬼を消滅させるために上げたエンジンの回転数はなおも限界すら遥かに超えて唸りを上げる。
世界の反逆は始まったばかり。
あぁ――。夜の世界が穢れに満ち溢れ、それに触れる人間は例外なくその身を穢れに侵すというのならば、俺の世界に対する反逆は今もって始まったばかりなのだから。
全力を持ってその道を駆け抜けてみせよう。
既にスタートは切ってみせたのだから。
もはやブレーキという存在は初めから存在しないのだから。
「やめないよ。貴方は絶対に助けるとそう俺が決めたから」
故にその杭を全力を持って抜きにかかる。
そして――その瞬間にこの身に降り注ぐ穢れの波動。
その瞬間に理解する。
あぁ――穢れとはつまるところ悪意の塊なのだということを。
悪という感情は決して人間が理解できない理論外の感情。決して持つことを許されない、けれども持たずにいられない恨み、憤り、憎しみ、怨嗟。
そういった感情をフラスコの中で余分なモノをそぎ落とし、ただただ完全なる純度にまで高めた呪いの塊。
なるほど、これはまさに穢れ。
人が生み出し続けた罰の塊。こんなものに直接触れてしまったのならば、人は決して人の形を保ってはいられないだろう。
「や、やめなさいと言っているでしょう! 既に此処は桜結界が消滅しているのですよ!! そんなことをすれば貴方だって!!」
結界。あぁ――。結界。なるほど故に結界。直接、触れらないならば触れずに済むように膜で覆えば良い。
まさに人間が生み出した発想に相応しい対処法。
そして、そんな結界の上に溜まった穢れを払うのが穢れ祓いという術という話。
先ほど王鬼が語った話も含めて、全くもって理解する。
つまるところ話は始まりに戻る。
白い白いキャンバスに薄い黒い絵具が塗りたくられた状態を払う方法は存在しない。
つまり彼女は穢れに侵され、誇りも決意も侵され、惨めに悪意の底で死ぬしかないとうい不変の真理の中にある。
これは世界が定めた決定事項であるということをただただ確認した。
故に俺ができることは何もなく。
ただただ眺めるしかないというその現実を前にして――。
本当に――?
「――ハッ! そんなワケがないだろう!」
俺は笑い声と共に否定する。
昔誰かに言われたのだ。何かを成し遂げたいのならば、眉にシワを寄せ、悲壮のな決意をもって挑むのではなく、笑顔と共に挑みなさいと。
そうとも。未だ絶望には程遠い。
白いキャンバスの絵具を払えない?
ならば――!
払うのではなく、洗い流してしまえば良い!
そも世界から溢れ出る瘴気に人が作り出した術で挑むことの方が無謀というもの。
なるほど箒で絵具を綺麗にすることができないというのならば。
だったら!
キャンバス事、大海をもって洗い流してしまえばいい!
「――っ! ハアアっ! オオオオオオオオ!!」
気合一閃!!
俺は叫びながらに、杭を抜き去る!
祓うのではなく洗い流す。大海の水流をもってキャンバスを根底から突き上げる。
「――――――え?」
今宵何度目かの呆然した彼女の呟き。
決して動くはずがない山のような巨大な大岩が動いたかのような。
あるいは、夜に太陽が輝いたかのような。
そんな驚きの声。
だってそうだろう。決して抜くことができないはずの、その身に完全に浸食した世界の悪意でできた杭が抜けたのだ。
だけどまだだ。
まだこれで終わりではない。
未だ彼女が侵された穢れはその身に残る。
それすらもどうにかしなければ、本当の終わりにはならない。
だけど、それをするにはこの地に完全に根付く悪意の残滓ごと洗い流さなければない。
いくらキャンバスを綺麗にしようとも、地面に、空中に、世界に絵具が溢れ続けていてはキャンバスだけ綺麗にしても意味がない。
既に大元は消滅したとしても。世界には未だ溢れんばかりの穢れが残っている。
それをどうにかするには、もっともっと多くの洗い出す力がいる。
そう水だけではだめだ。どれほどの大海の水流をもってしても、完全に染み込んだ穢れは消し飛ばせない。
ならば――。
ならば――?
そう、あれだ。先ほどからずっと見てきたもの。
この日ノ本にある恐らく根底にあるはずの存在。
そう――。昔誰かに言われたではないか。
困った時には『桜』の姿を想い浮かべなさいと。
想い浮かべて――。
浮かべて――?
どうすれば良い?
どうもこうもないだろう。
つまるところはアレだ。
――世界がすっごく汚いです。気合だけれでは足りません。どうすれば良いですか?
――もっともっと気合を入れなさい。
なるほどこれこそまさに道理。
人が導きだした英知の結晶。
気合が足りないというのならば、気合を足せばいい。
そして昔誰かに言われたのだ。何かを成し遂げる時は、希望を声に出して紡ぐことが大事ですよと。
だったら俺はこの穢れに満ちた世界をどうにかする言葉を紡ぎだそう。
未だ穢れに侵され、あらゆる悪意に満ちた夜の世界。
きっとこれは、人が生み出したものなのだろう。故にこれは人の罰。
大罪の中から生まれ出た人の業。故に人が人である限りどうしようもない。
なれどもそんな現実を俺は我慢ができない人間だから。
故に希望を大きな声をもって世界に紡ごう。
「――――きれいになーれ!!!!」
――ガクっと昔よく聞いていた声の誰かが肩を落としたような気がする。
えぇえぇ。分かりやすいのは良いことでしょう。
ですが、物事には順序というものがあります。
だからそう――。
折角の始まりの大舞台なのです。
故に貴方風に言うならば――。
――もう少しかっこよく決めなさい。
そう誰かに言われた気がしたので。
かっこよく――?
つまり、願いを口にする。
あぁ――違う。願うのではなく、これはもっと強く。
ならば、俺は――世界に向けて命令を下す。
「私は命ずる。世界よ、月よ、花よ、人よ、鬼よ、常世全ての事象に命じる。清浄となれ。私が想い。私が命じる。憎悪も。呪いも。怨嗟も。この世全ての悪意はこの身をもって洗い流そう。私が誓う。世界は美しいと。始まりは未だ遠く。世界は未だ終わらずに。なれども今宵はこれをもって閉幕と致す。桜の道は此処に。『
あぁ――……!
あぁ――!!!
あああ――!!!
素晴らしい――!!
――素晴らしい祝詞でしょう。
ならばこれをもって、世界を清めましょう。
誰かの心からの感嘆と得意気な声が聞こえる。
さぁ――!!
子らよ照覧あれ。世界の美しさを子らにみせましょう。
世界に桜吹雪が舞い上がる。あらゆる憎悪を、悪意を呪いを、怨嗟を、この地に溢れたあらゆる穢れすらも、幾千万の花弁に飲み込まれる。
ならばこの地の浄化は既になされた。そこに僅かな穢れも残りはしない。
豊穣が約束された清浄な地に、今もってなっただろう。
ならばその地の中心にいた彼女の穢れも、その悉くが浄化するのは自明というもの。
「――――うそ……?」
もはや何度目かも分からないだろう呆然とした声。
自身の体をただ彼女は眺める。
そこには僅かたりとも穢れは存在せず。
そこにあるのは、ただただ月灯りの下に、どうしようもなく映える美しい女性が居るのみであった。
故に俺の目的は完全に達した。目標は達成されたのだ。
だったら後は最後の締めだろう。未だ地面に座りこ込む彼女に手を伸ばす。
「――お手を。今宵はこれほどまでに月が美しいのです。ならばどうかそのお美しいお顔をあの月灯りの下でお見せいただけないでしょうか」
俺の手におずおずと伸ばされた彼女の手を取り、立ち上がらせる。
そうして俺よりも背が高い彼女を、月の光を背に見上げるその姿は、あぁ――。
なるほど、それはどうしようもなく美しいと思った。
うん――。この姿を見る事ができた。その一点を持って、俺は俺の行動に意味があったのだと完全に理解したのだった。