素朴な和室……宿泊していた部屋より静かで落ち着く
「若様、よろしいですか?」
襖越しに夏子さんの声が聞こえてきた
「どうぞ」
「失礼します」
夏子さんが救急箱を片手に部屋に入ってきた
「氷川さんの怪我は?」
「軽い擦り傷と打ち身のように見えたので応急手当をしました」
「そうですか。いまは──」
「いまはお風呂に入っています。さて、次は若様の番ですよ」
「お、お手柔らかにお願いします」
夏子さんの治療の間これまでの出来事を話した
「それは大変でしたね。もうすぐ夏休みでしたのに」
「えぇ、暫くは大人しくしたほうが良いですね……あ、先生達に連絡しておかないと」
「それならあの人が連絡をとっていたので問題ないですよ」
「ありがとうございます。イテッ!」
ふと、窓の外見てみると雨粒が途切れることなく窓を伝っていた
「病院は明日になりそうですね」
「はい。この雨だと車を出すのも危険でしょう。処置終わりました」
「ありがとうございます」
「指は折れているので固定しておきました。足も念のため無理に動かさないでください」
「分かっています。流石、元看護師ですね。少し横になります」
「では、夕食時には起こしますね」
~10分後~
そろそろ氷川さんも風呂からあがっただろう。俺も早々に済ませるとしよう
「イテッ! これは足も折れているかも……」
片足を引きずりながら風呂場を目指す
1階の客間の襖を開けると氷川さんがすやすやと眠っていた
そっとタオルケットを掛け、客間を後にした
「屈むだけでも痛いとはもしかして足折れているかも」
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雨の音で目を覚ます
「ここは……」
そうか……私は夏子さんに応急処置を受け、お風呂に入った後眠っていたんだった
体を起こし、居間を出ると頭に包帯を巻いている伊丹さんが足を引きずりながらやって来た
「伊丹さん……」
「あ、起きましたか。もうすぐ食事の時間なので起こそうと思っていました」
笑顔を見せるが裾から見える包帯が痛々しく見えた
「……すみません。私のせいで……」
「どうして謝るのですか?」
「その怪我は──」
「怪我のことですか? 別に構いませんよ。この程度なんともないですよ。イッテッ!!」
彼はその場で飛び跳ねた後、左足を押さえていた
「ですが……」
「それよりおなか減っていませんか? もう朝食から12時間も経っていますし」
言われてみれば確かに空腹感がある。私は静かに頷いた
「では、こちらに行きましょう」
伊丹さんは再び足を引きずりながら歩きだす。私は彼に肩を貸す
「え? ちょっと⁉氷川さん?」
「これくらいさせてください。足痛むのでしょう?」
「……では、お言葉に甘えて……」
ー食卓ー
「は~い! お鍋できましたよ。じゃんじゃん食べてくださいね」
夏子さんが持ってきた鍋にはぶつ切りにされたサケの身とたくさんの野菜が入っている
「石狩鍋ですか?」
「若様から身体が温まるものってリクエストがありましたからね。紗夜ちゃんよそってあげるから器ちょうだい」
「ありがとうございます」
「しかし、災難でしたな。若」
「本当ですよ。でも、影が来てくれて助かりましたよ」
「いや~急に走り出したかと思ったら次に姿を見せた瞬間に若達を乗せて帰ってきたからビックリしましたよ」
「あの子は若様しか乗せませんからね。はい紗夜ちゃんどうぞ」
「ありがとうございます。私はあまり馬には詳しくないのですが……あそこまで賢いのですか?」
「個体差はありますね。特にあいつは賢い方です、俺や氷川さんの様子を見て状況を理解したんでしょう」
「そうだったのですね」
確かにあの馬は私が乗っても暴れることがなかったし、まるで伊丹さんの言葉がわかるような振る舞いをしていた
「三田さん。そろそろ影の蹄鉄を変えてあげて下さい」
「もうそんな時期ですか。変えておきます」
二人の話を聞きながら石狩鍋に口をつける
「どうかな? 本場より少し劣っているかもしれないけど……」
「いえ、サケの身も柔らくて味噌の味もとても美味しいです」
サケと野菜の旨味と味噌スープと相性が良くてお箸が進む
「そういえば三田さん。学校に連絡したって夏子さんに聞きましたが……」
伊丹さんがそう聞くと三田さんは箸を置きコップに入っているお茶を飲み干す
「学校側から親御さんに連絡を入れていてくれたそうです。あとこの雨で翌日の川下りと乗馬体験はあきらめることを伝えました」
「仕方ないと思います。川の水量がまして危険ですから」
「それに地面がぬかるんでいるから馬も怪我をする可能性もありますからね。裕太たちはさぞやがっかりするだろうな」
「若からは明日は8時半ぐらいに出て病院に向かおうと考えているようですが……それでも構いませんか? 氷川さん」
「構いません」
ー翌日ー
朝の6時、夜中まで降っていた雨は止み雲の切れ間から光が差していた
身だしなみを整えていると馬のいななきが聞こえてきた
『よしよし……ここが痒いのか?』
声が聞こえるほうに歩み進める。そこには、葦毛の馬に毛並みを整えている伊丹さんがいた
「お前はいつまであいつを待つんだ? もう帰ってこないってわかるだろう」
あいつ……誰のことを言っているのでしょうか
「いつかお前にもいい主人に出会えるはずだ」
桶を持ち、こちらに向かって来るが馬に裾を噛み引き留められていた
「ごめんな。もうそろそろ行かないと行けないんだ」
伊丹さんは足を引きずりながら厩舎から出ていった
彼が立ち去るのを見届けた後、私は葦毛の馬に近付いた
「おはようさん」
振り返ると夏子さんがいた
「おはようございます」
「その子が気になるかい?」
「えっと……」
「その子の名前は皐月。昨日、紗夜ちゃんが乗った影の弟よ」
「そうでしたか……あの、先ほど伊丹さんはいい主人に会えると言っていましたが……」
「あぁ、紗夜ちゃんがこの子の主人になる?」
「え……」
「冗談よ。この子の主人は3年前にいなくなった。いまは若様と夫が代わりに面倒見ているけどね」
夏子さんが手を伸ばすと皐月はそっぽを向いた
「若様とあの子以外にはこうなんだから」
「あの子?」
「若様には一人だけ妹がいたのよ。この子は彼女の馬なのよ」
「そうだったのですね。伊丹さんにも妹さんが……」
「えぇ、ホント可愛い子でしたよ……ささ、朝御飯にしましょう」
夏子さんは足早に戻っていった
「あなたも独りなのね」
皐月を見ているとふと……昔の自分を見ている気がした
皐月は低く嘶いた
「氷川さんここにいましたか。朝ごはんもう出来ていますよ」
声がしたほうを振り向くと伊丹さんが足を押えながら立っていた
「わかりました。今行きます」
この1時間後、朝食を食べた私たちは三田牧場を後にした
その間際、皐月は私たちをジッと見つめていた