日菜さん達に引っ張られて、着いたのは羽沢珈琲店。いま一番行きたくない店。
「他のカフェにしませんか? ほら、駅前とか……」
「どうして? ここの方が学校から近いよ」
「顔色が悪いわよ。ほら、早く入りましょ」
鶴巻さんに背中を押されて羽沢珈琲店に入ることになった。
周囲を見渡すが客はそこそこ入っているが、羽沢さん以外。会いたくない連中の姿はない事に安堵したその矢先──
「あ、おねーちゃん!」
何故か氷川さん。紗夜さんと今井さんがテーブルに本を積上げた状態で向い合せに座っていた。
「日菜。鶴巻さんと伊丹さんまで……」
「え⁉一矢!」
紗夜さんの言葉に続くように厨房から姉貴の声が聞こえ、お盆を抱えながら姿を現した。
「どうして伊丹さんがいるのですか?」
「二人に連れてこられたのですよ。まぁ、日菜さんと適当な約束をした俺の責もありますが……」
「そんな事より早く会議を始めようよ! つぐちゃん。あっちのテーブルいい?」
「どうぞ。いま、お水持ってきますね」
「日菜ちゃん。ちょっと一矢を借りていいかな?」
「うーん……カズ君とも話し合いたかったけど……」
「ちょっとだけだから……あとで埋め合わせをするから」
日菜さんは不服そうに顔をしながら頷く。
「じゃあ、あっちに行こうか」
「……」
正直なところ姉貴と二人で話すのは嫌なのだが、下手に騒ぎを起こして、この店に迷惑をかける訳にはいかない。
「飲み物は?」
「アイスティー、ストレートで……」
「しばらくお待ちください」
姉貴が去っていた後、日菜さん達会話に聞き耳を立てると──
「あ、わたし、一個考えていることがあって……」
二人は内緒話をするように互いに耳打ちをしていた。しかし、あの二人だけで話し合いは大丈夫だろうか。何故だか嫌な予感がした。
そう思っているのは俺だけじゃなかった。日菜さんの姉。紗夜さんも同様に二人の方をチラチラと見て今井さんと何か話しているように見えた。
「はーい。ご注文のアイスティーストレートです。さて、どうしてわたしが呼び出したかわかるかしら?」
「さぁ、知らない……」
「はぁ……」
呆れたようにため息をつくと姉貴は俺の正面の席に座って方杖をついた。
「この前、蘭ちゃんを泣かしたみたいね」
「……説教か?」
「説教ね。わたしには説教ができる立場じゃなしね……やっぱりここで話す内容じゃないね。部屋に来なさい」
姉貴の後に付いていくと階段上がって奥の部屋に通される。ちょうどいい、ここならあいつも逃げられない。
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一矢を連れてわたしは奥の空き部屋に入る。ここならあの子達の心意を聞ける。わたしはそう確信した。
「ここなら邪魔は入らない。さっきの話だけど、いくら何でも親友を泣かせるのはやり過ぎじゃない? もっと他にいい方法があると思うのだけど……」
わたしが注意をするとあの子は俯きながら口を開いた。
「親友だから俺はあいつらを傷つけたくない。それに、みんなに俺たちの正体がバレたら……」
「その”みんな”って、
わたし達、家族の間には大きな秘密がある。
一つ。世間体では、亡くなった事になっている香矢が生きていること。
「いえ、こういった方がいいかな
二つ。香矢にはもう一人の人格が宿っている事。俗に言うと二重人格というもの。
有名どころで言うと"ジキルとハイド"彼等と同様に夜には別の人格が表に出る。目の前で人格が切り替わると有咲ちゃんが不審に思うのも当然の反応。
普通の二重人格は表に出ている人格だけがその記憶を保持するが、香矢は違う。彼女たちはお互いに記憶を共有できる。だから、この会話も香矢には聞こえているはず……
そして、最後のもう一つは──
──い! おい! 聞こえているのか?」
「あぁ、ごめん……ボーっとしてた。香矢はいまはどうしているの?」
「昼間は寝ている。だが偶に表に出てくるときがある。この前もカラオケの時に……」
彼は言葉を途中に区切り、わたしを睨みつける。
「そんな事より今日こそ話してもらうぞ。なぜ俺との試合を避け続けるのか」
「良いよ。その前にどうしてあなたはわたしを目の敵にしているの?」
いくら考えてこれだけは解らなかった。そしてこの子がわたしとの試合に拘る理由も……
「お前がいなくなってから俺は辛酸をなめてきた。上手くいこうがいくまいが関係なしにどいつもこいつも……”
「自分の正しさが証明できる。そういうことね」
目の前の人物は頷いた。
わたしを超えることで……正しさの証明をする。理由は分かった。でも、それは香矢が望んでいる事なのか?
「あなたも知っているよね。勘当された者は必ず誓約を設けられる事を。わたしは弓を捨てる代わりにあなた達をあの寺からの解放する誓約書を書いた。だからわたしはあなたと試合ができない」
「なんだと!?」
「変だと思わなかった? 急に寺から連れ出されて、何の不自由なこともなくあの屋敷で暮らせていることに……」
あの子が屋敷に戻ってくると同時にわたしは大学の寮に入って、二度とここに戻ってくることはないと当時はそう思っていた。
「……もう一つ教えて」
目の前の人物が暫く考え込んだあと口を開く。でも、その声は先程の荒々しい口調じゃなかった。わたしが聞き慣れた声。香矢の声。
「昔、男の人と店から出てきたけど……あの人との関係は?」
「あぁ、あれは資金集め……俗にいうパパ活ってやつ?」
「資金集め? この前言っていた。逃げるための?」
「それもあるけど、もしもの時の為にね。日も落ちかけているし、そろそろ帰りなさい。香矢」
「そうする。まだ、もう一人の私は聞きたいことはあるけど、今日はもう帰るよ」
そう言い残すと香矢は部屋から出ていった。
「”昼は昼の姿。夜は夜の姿”片方は妹を失った悲劇の青年。もう片方は表に出ることを許されない幽閉された少女。世知辛いわね」
心意は聞けた。でも、あの子を救えなかった。何かきっかけを作らないといけない。わたしはそう実感した。
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鏡に写る自分の姿。背中まで伸びた髪に膨らんだ胸……色白の肌。
毎朝、男装をするのに時間がかかるからどうにかしたいところだが、俺は彼女の身体を借りているのだから文句は言えない。
(そんなにジーっと見ないで……恥ずかしい)
脳内に声が響く。この身体の持ち主……香矢の声
「すまん。交替しよう」
暫く眼を瞑る。次に目を開くと月明りもない暗く静かな海辺に雨に打たれながら立っていた。
心象風景というべきか。ここは彼女の心の中を形を取った心の世界。誰もいない。何もない。海辺なのに本位聞こえてくるはずせせらぎや降っている雨の音は聞こえず、聞こえてくるのは外の音と砂浜のように足が取られるような感覚だけ。
目の前の虚空に声をかける。
(あのさ、アイツの話どう思う?)
「本当の事だと思う。実際、この3年間お父さん達は姉さんの話をしなくなったし」
(勘当されたか……もし、アイツと試合をやったと知ったらどうなる?)
「強要したのなら私達にも何かしら罰があるかもしれない」
(罰か……どんなものがありそうだ?)
「私達の正体をみんなに明かされるとか?」
(正体を明かされるか。そうなればここに留まることが出来ない)
「ねぇ、君は私から居なくならないよね?」
(あぁ、当たり前だ)
時間が過ぎていつかは俺の存在は必要なくなるだろう。彼女が幸せになるその日。この雨が止むその時までは──