「伊丹理矢さんですね。少々お待ちください。担当医に確認します」
病院の待合室、受付カウンターから近くの席に腰を下ろしてテレビを眺めていた。テレビから流れるニュース番組の音声と通院している人との会話が院内に響いていた。
スーツを着た男性が病院内に入る。男性は一直線に受付カウンターに向かい受付の看護師と何か話をしていた。私が座っていた席から二人の会話が聞こえてきた。
「すみません。伊丹理矢の病室はどこですか?」
「また、来たのですか? 何度も言いますが彼女は重篤で話せる状況ではないのですよ」
「今日は仕事ではなく。個人的な用事で……」
男性も理矢さんに会いに来た様子。『仕事で来た』と聞く限り、彼は記者か警察関係者なのだろうか。そう考えていると一人の看護師が私に向かってきた。
「お待たせしました。先生の許可が下りましたので、案内します」
「あの人は?」
看護師が男性の姿を確認すると「あぁ……」と言葉を漏らした。
「仕事かどうか知らないけど……あの人は伊丹さんの病室をずっと聞いてくるのよ。怪しいから医院長が止めているんだけどね。さぁ、こっちよ」
言い争っている二人を尻目に私は看護師の付いていく。エレベーターで6階まで登ると一番奥の部屋に通された。
「この部屋よ。もしも彼女が起きたり、何かあったらナースコールを押してちょうだい」
看護師と別れて、理矢さんがいる病室をノックする。しかし、返事はなかった。
スライド式の扉を開けて中に入る。そこには人工呼吸器に繋がれ、包帯に包まれた痛ましい姿をした理矢さんがあった。声をかけるが反応もなく聞こえてくるのは、心電図の音だけ……
お見舞いの品を置き、窓の方に目をやると見覚えのある物が飾られていた。それはあの時、西山という女子生徒が買っていたフラワーアレンジメントだった。
当日、彼女は大切な人に贈ると言っていた。それが理矢さんなら彼女となにか関係があるのか……
いや、ただの偶然の可能性もある。伊丹さんが来た際に贈ったこともあり得る。
「おや、先客がいたみたいだね」
振り返ると、先ほど受付の看護師と言い合いをしていた男性の姿があった。
男性は理矢さんの近づき、二人分の椅子を取り出すと、片方は私に座るように目配せをしながら、腰を下ろした。
私が椅子に座ると男性は、理矢さんを一目見ると小さくため息をつきながら目元を押えた。
「君は……その……あれかな? ……彼女の友達かい?」
「はい……」
「そうか……それは非常にすまない事をした」
「どうしてあなたが謝るのですか?」
男性はばつが悪そうな顔をしながら、私の顔から眼を逸らした。
「言い難いけど、僕が間違った選択のせいで、この子はこんな目に遭ってしまった……」
「あなたの選択?」
「そう。実のところいうと僕はこの子の父親なんだ」
理矢さんの父親だという男性は枯れた笑い声をあげながら「そんな風には見えないだろう?」と自虐的な言葉を口にする。
「僕はね。昔、父親から『お前は伊丹家の将星だ』と言われ続けて、やりたくもない弓道をやってきていた。だから、娘達には自由に生きてほしいと思い……なにも口出しをしてこなかった。大学を辞めた時も、家の仕事を手伝うと言った時も反対はしなかった」
もし、退学を止めていれば……と男性はいまにも泣きそうな声でそういった。二人の父親と聞き、少し前に彼から聞いていた人物像とは違っていた。普段から家にいない為、伊丹さんは自分たちの事を何も考えていない薄情な人物と考えていた。
しかし、目の前の男性は誰よりも自分の子の事を考えている人物のように思えた。親の心子知らずとは、まさにこの事を言うのだろう。きっと、香矢さんが亡くなった時も男性も深く悲しんだと思える。
「しかし、この子と同じぐらい心配なのは弟の方。あの子は出来るだけ無理をして欲しくないのだが……」
「そんな彼がいま何をやっているのか。知らないのですか?」
「一矢を知っているのかい? あの子なら家業の補佐をしていると聞いていますが……」
この人は自分の家の現状や伊丹さんが家業に追われ、学校に行くことが出来ていない事を何も知らない。なぜ、責任を負う大人が逃げて、高校生の彼が重荷を背負わなければならないのか。目の前の男性はただ、責任から逃げている様に見えた。
「家業の補佐。あなたのような大人がなぜ、家業から逃げて息子の一矢さんが家業の手伝いをしないといけないのですか? 彼はまだ高校生。そんな彼に重荷を背負わせるのは間違っていると思います」
「ま、待ってくれ。僕の弟が主体で仕事をして……彼は弓道に打ち込んでいると聞いているが……違うのですか?」
男性に彼がどういう状況なのか説明をする。男性は静かに話を聞き終えると、今度は深いため息をついた。
「まさかそんなことになっていたとは……すまない。君の言う通り、僕は間違っている。親として……いや、大人として失格だ。この件は僕がどうにかするよ。今更、こんなことを聞くのはおかしいと思うが、その……最近の一矢は元気そうだったかい?」
男性の問いを聞くと、あの日の夜。悲哀感漂う彼の姿を思い出した。そして『まだだ……まだ足りない。彼には追いつかないと……』という独り言。あれはどういう意味が込められているのか。
「そうか……君の反応を見れば分かる。あまり好ましい感じではないみたいだね。あの子は3人の中で一番の頑張り屋。努力することでしか2人を超えられないと考えているだろう。えっと……君は……」
「氷川紗夜です」
「氷川さん。今度、あの子に遭ったら『無理はしないように』と伝えてもらいますか?」
「お言葉ですが、それはあなた自身が伝えるべきだと思います」
「そう……だね。君の言う通りだよ。それは僕が言うべき事だね……本当に情けない
男性は自分が座っていた椅子を片づけると、病室を出ようとしていた。そんな男性を私は呼び止めてた。あの物語について彼は何処まで知っているのか。
「あの物語ね……あれは僕も演じたことがあるが、数ある仕事の中であれほど最悪な物はなかったよ」
「もう一つ聞きますが、私達がその物語を演じる事は知っていますか?」
「なんだって!!」
男性は扉の取っ手から手を離すと目の色を変えて、私の顔を見つめた。
「君!それは本当かい⁉悪い事は言わない。それは辞めておいた方がいい。その物語はこの地と所縁の地。何が起こるか分らない……ましてや僕たちは──」
男性の携帯電話の着信を知らせる音が鳴った。男性は電話に出ると軽い相槌を打つと電話を切った。
「すまない。色々と話したかったが仕事に戻らないとダメみたい。ただ、これだけ言っておくよ。君は参加しない方がいい」
男性が言い残すと病室を去っていった。一体、彼らは何を隠しているのか。益々、伊丹家やこの物語に対する謎は深まる結果になった。