凍える程冷えた風が吹く。空の色はまるで彼の心を現しているかのように暗雲が空を埋め尽くしていた。
外出を控えるべき天候だが、彼に会って確かめるためにもう一度あの屋敷に足を運んだ。
しかし、屋敷には人気が感じられず、インターホンを押すが応答はなかった。郵便受けを見ると何日もいない事を示す様に郵便物が溢れかけていた。
「一体何処に……」
彼が行きそうなところと言えば、駅前のカフェぐらいしか思い浮かばない。でも、ここ数日間家にいない彼がそこにいる可能性は低い。
「おーい!」
聞き覚えのある声が聞こえ、振り向くとそこには豊中さんの姿があった。
「豊中さん。こんにちは」
「おう。氷川も散歩か??」
「いえ、彼に用事があったのですが留守みたいで……」
「あー。家にいないって事は牧場の方にいるかもな」
「牧場ですか」
「あぁ、三田牧場さ。何かあったらあいつはあそこにいる。お前にフラれた時もあそこにいたらしいし」
三田牧場──合宿の時に避難した場所。
確かにあの場所なら気分転換には適しており、疲弊している彼がいる可能性が高い。
しかし、そこには問題があった。三田牧場までは最寄りの駅もバス停もない。唯一、そこに行く方法は車しかない。
「あそこは車がないといけないからな。そうだ。俺の爺ちゃんに車を出してもらおうか?」
「いいのですか?」
「あぁ、早いところあいつには戻ってきてもらわないとこっちも困るし」
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薄暗い山道を進み、トンネルを抜けてると車は停止した。
「この先進んで、左に小道があるさい、そこの道をずーっと進めば牧場に着く」
「ありがとうございます」
豊中さん達と牧場の近くの山道で別れ、奥へと進む。
時計を確認すると正午を過ぎていた。この時期の山は直ぐに暗くなる。急いで辿り着かなければ遭難する可能性が高い。
「少し急いだほうがいいわね」
歩くペースを速めて15分。豊中さんのお爺さんの言う通りに左手に小道が見えた。その道は明らかに人工で作られた道ではなく、獣道だった。
野生動物に遭わない事を祈りながら獣道を進む。木々をかき分けた先には柵に囲まれた広場が見えた。入り口と思われる場所には三田牧場の文字が並んでいた。
そして、柵の向こうには黒馬に跨りながら俯いている彼の姿があった。彼はそのまま馬小屋にゆっくりと入っていった。
「あら? 紗夜ちゃん。久しぶりね」
呼び鈴を鳴らす前に夏子さんが玄関先から姿を現した。
「夏子さん。お久しぶりです」
「今日はどうしたの?」
簡単だが、私がここに来た理由を話す。すると夏子さんは小屋の方に目をやる。
「彼ならあそこの馬小屋にいるわ。入っていいよ」
視線の先にある小屋からは独特の匂いが漂っていた。
小屋の中には彼の姿があった。
中には干し草が一面に敷いており、一歩ずつ歩くたびに音が馬小屋内に鳴り響いく。その音が聞こえた彼は反射的に振り返り、目が合った。
しかし、彼は私から目を離し、馬の手入れをし始める。
「どうしてここが分かったのですか?」
声を掛ける前に彼はこちらに言葉をかけてきた。
「豊中さんが何かあればここにいると聞きました」
「余計な事を……悪い事は言わないから帰ってくれますか。俺は忙しいのです」
普段と変わらない口調と声、立ち振る舞い。しかし、何故か目の前の彼からは違和感を感じた。
「聞こえていないのですか? 帰って下さいと言いましたが」
「帰りません。真相を確かめるまでは」
「へぇー真相を知ってあなたはどうするのですか?」
「私はただ、白黒はっきり付けたいだけです」
「白黒はっきりか……あなたらしいですね」
彼は近くに置いていた木製の椅子を引っ張り出して私に座るように促した。私が椅子に座るのに対して彼は馬の手入れを続けていた。
「退屈しのぎだ。話だけでも聞きましょうか」
彼の心はまるで頑丈な鉄箱で覆われている。それを取り除かないと彼は真実を話さない。
「先ずは謝罪を。私は天体観測会以降……あなたの事を知っている人に聞き回りました」
「それで何かわかりましたか?」
「先ず、あなたの妹。香矢さんや昔のあなたについて巴さんに聞きました。香矢さんは臆病な性格でいつもあなたの後ろに隠れていた。そんな彼女の特徴は集中力があった。そう。集中力と言えば、あなたも移動教室に気が付かずに数学の勉強に夢中でしたね」
「テストが目前に迫っていれば誰だって夢中で取り組む。当たり前でしょう?」
確かにあの日はテストから1週間前だった。しかし、彼が勉強していたのはテスト範囲外。
彼女の特徴から揺さぶりをかけるが、そう簡単に彼が揺らぐはずはなかった。次は──
「伊丹さん。あなたはこれの存在は知っていますか?」
USBを差し出すと彼はチラッと横目で見る。
「さぁ、氷川さんの物ですか?」
「いえ、これは理矢さんのUSBです。ここには顔は写っていませんが、撮影者が座敷牢にいる人物と世間話をしながら勉強をしている映像が残っていました」
その人物は床机を牢越しの彼に見えるように置いていた。彼はカメラの事を尋ねていたがその人物は『記録だよ』と云っていた。恐らく、彼が勉強に困った時に見返すことが出来るようにカメラを回していたのでしょう。
「あなたが書類作業をしていた部屋。あの部屋の四隅に金具のようなものが見えました。あれはあそこに牢があった名残。違いますか?」
「よく見ている。確かにあの部屋は元々は座敷牢でした。しかし、それがどうかしましたか?」
「撮影者と牢中の人物が勉強をしている場面を見た時に違和感を感じました。それは撮影者が右手を震わせながら蛇が這ったような文字を書いていたからです。この人は左利き。それに対して牢中の人物は右利き。伊丹さん。あなたと同じです」
井波さんの部屋で飾っていた写真の中で唯一、左手に弓を持っている人物がいた。その人物は香矢さんと理矢さんの間、二人と親しげに肩を並べていた。
牢中の人物は理矢さんの可能性を考えたが、話し方からして彼女の可能性は低い。そして手が少しばかり大きかった。
「伊丹家の秘密。それは撮影者……あなたのお兄さんがいない事。違いますか? 伊丹さん。いえ、──香矢さん」
彼女のブラッシングをする手が止めると、小さくため息をついた。
「もう1つ。本来は臆病なあなたが牢中ではその見る影もありませんでした。これは私の予想ですが、過剰なストレスによる同一性障害を患っていませんか?」
写真の中の本物の彼も男性だと言われないと気が付かないほど、男性よりも女性に近い。中性的な顔をしていた。
そして、ウィックを外すと長い前髪で顔の右側が隠れていた。その顔は西山という人物の酷似していた。
「ようやくこちらを向きましたね。なるほど。山で事故に遭ったというのは顔が違うと言われても誤魔化せる。そして、“西山”という生徒をいくら探しても見当たらない訳です」
「西山は母の旧姓。あの日はお見舞いの花を買って帰る予定でした。しかし、運が悪い事に湖山高校の生徒に絡まれた。男二人なら目立たないように路地裏で処理しようとしたけど……」
「そこに私があの場所に駆け付けた」
「紗夜さんは察しが良いですね。あなたが言ったことは殆どが的を射ている。確かに、私にはもう一人の人格がある。でも、1つだけ違いますよ。それはこの山で事故があった事」
「香矢さん。すべて話してください。あなたが何に悩んで何に苦しんでいるのか」
香矢さんは馬房から出ると近くの椅子に腰を下ろす。
「いいよ。すべて話すよ。黙っていても紗夜さんは帰ってくれないでしょう。あれは私の不注意が起こしたただの事故。立て続けの不幸なんて重鎮たちが勝手に広めた嘘偽りの話です」