鳥のさえずりが聞こえ、外はまだ薄暗いが朝が来たことを告げていた。雨に濡れた木々の独特な匂いが鼻を燻ぶる。体は気怠さが残っていた。
起き上がろうと布団に手を付いた瞬間、冷たい何かに触れた感覚があった。その方向に目をやると氷川さんが眠っていた。彼女を起こさないようにそっと部屋を出て洗面所へ向かう。
(おはよう。気分はどう?)
冷水で顔を洗っていると香矢の言葉が脳裏に響いく。
珍しい事に普段の香矢はこの時間はまだ寝ているのに、今日は起きている事を珍しく思った。
「おはよう……珍しいく早起きじゃないか」
(うん。私も少し変わってみようかなって)
なるほど。その第一歩として早起き。いつもと変わらないマイペースに飽々しつつ、鏡前で櫛で髪をとく。ふと、鏡に目をやると目元に大きなくまがある顔が写っていた。
「酷い顔をしているな」
(でも、昨日よりマシだと思うよ。ねぇ、山を下りる前に彼女をあそこを連れて行きたいのだけどいいかな?)
「おはようございます。伊丹さん」
振り替えると髪がボサボサの氷川さんの姿があった。
「おはようございます。氷川さん。髪をとかしましょうか?」
彼女は少し悩んだが了承した。私が座っていた椅子に彼女を座らせると櫛を使い彼女の髪をゆっくりととかす。
「痛くないですか?」
「はい。少し以外ですがこういう事に手慣れていますね」
「ウィックを付ける前に髪をとかさないと外した時がめんどくさいかったり、上手くつかないのです」
「そうなんですね。ところで気分はどうですか?」
「まだ複雑な感じです。家族以外に打ち明けたことがないので……」
「自信を持ってください。誰もあなたのことを否定しないのですから」
「そうですね……あの、氷川さん。下山する前に香矢が寄りたい場所があるといっていたのですがいいですか?」
朝食の後、私達は愛馬の皐月に跨ってある場所に向かった。久し振りに後ろに人を乗せる事に不安を覚えながら、慎重にぬかるんだ山道を慎重に進む。
「何処に向かっているのですか?」
「もうすぐ着くよ。あ、見えてきた」
木々が生い茂る中、例の切り株の近くで皐月から降りて切り株に近づいた。
「これは?」
「この場所は昨日、彼が話していた負傷した兄が寄りかかっていた場所です」
「ここがその場所……」
「えぇ、今でも目を閉じれば見えてくるのです。あの日の光景が……」
目を閉じると脳裏に焼き付いたあの光景が見えた。苦痛に満ちた表情に破れた服から覗かせるドス黒い血。傷口から流れた血が切り株やその地を赤く染める。
目を開くと紗夜も同じように目を閉じて黙祷を捧げていた。
しばらくすると彼女も目を開けて、切り株に括り付けられていた赤い布に目を向けていた。
「ありがとう。じゃあ、山を降りようか」
「もういいのですか?」
「うん。早く戻ってみんなを安心させないとね。よいしょっと……」
皐月に跨り、彼女に向かって手を伸ばして引き上げる。
私達は生かされた……託された身。責任に向き合わなけばならない。私はしばらくこの山に戻ることはない。すべてに決着をつけるその時まで……
「行くよ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!!ひゃ!!」
静かな山に葉が擦れる音と小さな悲鳴が響く中、私達は山を後にした。
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「今回は迷惑をかけました。でも、おかげで気持ちの整理が出来ました」
山小屋で焼身自殺を考えていた。この事は彼女の前では言う事は控えておくとしよう。
「それはよかったです。香矢さんはこれからはどうするのですか?」
「少し考えてみたけど、学校の方は彼に任せる。私は少しづつだけど、日常を取り戻そうと思っている。蘭たちに打ち明けるのは……まだ少し気まずいかな」
「……彼にも言いましたが、ゆっくりと時間をかけていけばいいと思います」
彼女の言葉には説得力があった。彼女達は時間をかければ、許してくれるのだろうか……
「演武会の方はどうするのですか?」
「明日はみんなを呼んで最後の練習をしようと考えている」
「わかりました。そういえば香矢さんの腕前はどれくらいなのでしょうか?」
「へっ⁉」
思ってもいない事を聞かれて、変な声が出た。肉体的には彼がやっている事で弓術が身についているが、私自身。感覚が掴めていない故、彼のようには上手ではない。
「三年ぶりなのでかなり腕は鈍っていると思いますが……そこそこできると思いますよ。もしかしたら紗夜さんよりも下かもしれないですけどね」
pipipi……
私の携帯に着信が入る。取り出して、画面を見ると知らない番号からだった。
「伊丹さんのご家族の方ですか?」
電話に出てみると野太い男性の声が聞こえてきた。
男性の言葉に「そうです」と返事をすると、男性は病院関係者で姉の担当医だと告げた。担当医と聞き、姉に何かがあったのか。よくない考えが頭の中を掠めた。
『理矢さんの意識を取り戻しました』
「え⁉それは本当ですか!」
『えぇ、とにかく病院に来てもらってもよろしいですか?』
「はい。今すぐ向かいます!」
電話を終えると、肩の力が抜けてその場にへたり込んだ。
「香矢さん。大丈夫ですか⁉何かあったのですか?」
「姉が目を覚ましたって担当医から電話がありました」
「……よかったです。それならば、早く彼女の元に向かって下さい。私は今日はこれで失礼します」
私は彼女の背中を見えなくなるまで見届けたのち、家に荷物を置いて病院に向かう準備を始めた。