時刻は15時。彼女達を帰らせた後、道場内を一人で掃除をしていた。
『すいませーん!!』
玄関先から誰かが呼ぶ声が聞こえた。
ウィックがズレていないか鏡で確認したのち、玄関ドアを開ける。そこには上原ひまりの姿があった。
中に入れるべきかどうか迷ったが、ひまりを中に入れる事にした。家の中に入ると私は仏壇の前に彼女を案内した。
ひまりは兄の仏壇にリンゴを添えると手を合わせていた。彼女がここに来たのは私が家に帰ってきて以来初めてになる。
「静かだね……私が知っている家じゃないみたい」
「そうだな。昔はいろんな人がいて賑やかだったが、今はカンゴドリが鳴く程静かだ。上原……実は……」
「みんなから聞いているよ。香矢。無理して彼の真似なんてしなくていいよ」
ウィックを外して、ひまりと向き合う。彼女は涙を必死に堪えていた。そんな彼女を見ていると今まで騙していたことに心が痛む。彼も同じ気持ちだろうか耳を澄ましても彼の声は聞こえない。
「それなら話が早いね。私はひまりになら何をされても文句は言わない。それだけの事をみんなにやってきた」
「……変わったね。香矢。昔は泣き虫だったのに……今では男の子みたいになって」
「何も変わっていないよ。今でもひまりとこうして話しているだけで、罪悪感で泣きそうだよ」
「それでも、私には違って見えるよ。ねぇ、香矢。もう一人の香矢に変わってくれるかな?」
「うん。少し待ってね」
私は目を瞑り心を空っぽにする。次に目を開いた時に見えたのは膝の上で握り拳が力強く握られていた。
「……」
彼と入れ替わったとは途端、彼は何も話さずに黙ったままだった。すると突如、体に大きな衝撃が走り、景色は天井に変わった。
「な、なにをしてんだ⁉」
「ごめんね。いまだけこうさせて……」
ひまりは私に抱き着いた。彼は数十秒間理解が出来ず硬直していた。そして、次第にひまりの腕に力が入ることが感じられた。
「私は彼の事が好きだったの。彼はいつも明るくて太陽のような温もりがあって……幼い時に一生懸命に星を探している彼や弓道にやっている姿。気が付くといつも彼の姿を目で追っていたの……」
ひまりは私の顔を見ると言葉を詰まらせた。彼女の目にはきっと一矢が写っていたのだろう。そんな彼女を見つめる彼は重い口を開いた。
「あいつは君が言う様に明るい存在じゃない。家の中では親と喧嘩したり、それがきっかけで何度も家出をしようとしていた。ただ、君たちの前ではいい人間……見本になれるように明るく演じていただけ」
彼の言う通り、兄は私達の事で母と言い争っていた。一回だけ本当に家を飛び出して千聖の家に泊まっていた。
「それでも! 私は忘れられなかった。あの温もりや持ち前の明るさにそんな姿。あの日、あなたの笑顔が消えてから、私は色々と頑張ってきた。もう一度だけでも、あの時の……大きく太陽なような笑顔を見たかったの。それなのに……あんなに小さくなっちゃって……うぅ……」
左肩にひとつふたつ雫が染み込む。ひまりの腕がさらに強くなった気がした。そして気が付くとひまりは泣き疲れたのかそのまま眠ってしまった。
「愛されていたんだな。あいつは。やっぱり、俺がなりきるのは難しいな」
ひまりを抱きかかえるとリビングにあるソファーに運び込むと、風邪をひかないように毛布を上に被せた。
「ふむ。寝てしまったか……どうしたらいいんだ?」
(取り合えず、あと二時間ぐらい様子を見て目が覚まさなかったら、家に連絡入れようか)
「そうだな。掃除の続きに戻るか」
エアコンのスイッチを入れると私達は掃除の続きをするために道場へ向かった。道場に戻った頃には日が陰り始めて周囲が暗くなり始めていた。
掃き掃除を終えて、リビングに戻ってみるとひまりはソファーに座っていた。
「起きたみたいだね」
「あ……ありがとう」
「外は暗くなり始めたけど、どうする? 今日は泊まっていく?」
「え⁉もうそんな時間! 急いで帰らないと!」
「待った! 送っていくよ。この時間帯に女の子一人じゃ何かと危ないし」
姉さんを轢いた犯人が捕っていない上に、夜に女の子が1人で歩き回るのは危ない。もし、ひまりに何かあったら兄さんに何を言われるか分からない。
「ありがとう。じゃあ、言葉に甘えちゃおうかな」
「じゃあ、行こうか」
私はコートにマフラーを身にまとい、ポケットにスタンガンを忍ばせながら、ひまりの手を握りながら外に出た。外に出るとひんやりとした空気が身を包む。
「それにしても、香矢。巴と同じぐらい大きくなってない?」
「そうかな? あまり意識したことはないけど……」
「大きいよ。最初は香矢だってわからなかったし」
「それなら彼の作戦は成功だね。ひまりを騙せたんだからね」
「なによそれ!」
軽い冗談を飛ばしながら、歩いているとひまりは足を止めた。彼女の顔を見てみると不安そうな顔をしていた。
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「明日、大きな舞台に出るって聞いたけど本当なの?」
公演から二週間前になれば町中の掲示板やいたるところに貼り紙が出されていた。しかし、その貼り紙には開催日時と場所のみ。誰が演じるのか書かれてはいない。私が出る事を知っているのは、恐らく姉から聞いたのだろう。
「本当だよ。私は明日大きなステージに立つ」
「その物語って曰く付きって聞いてるけど……」
「それでも私は……私達はやり遂げないといけない。きっと、兄さんが同じ立場でも同じ選択をした。それに曰く付きって言っても、大したことはないよ。寧ろ、こんなくそったれな運命を導いた神様に一矢報いてやらないと気が済まないしね」
本来、兄がやるはずだった舞台。私にとってはある意味、弔い合戦。神様を初め、重鎮共に目に物を見せてやらないと気が済まない。
そんな会話をしているとひまりの家に着いた。
「着いちゃったね。じゃあ、私は帰るよ」
「まって。これを……」
ひまりは私の手に何かを握らせた。それを見てみると私が昔に失くしたひまりがつくったぬいぐるみだった。
「これ……」
「理矢さんから預かっていたの。いろんなところがほつれていたから直しておいたよ。明日、見に行くから頑張ってね」
「うん。ありがとう。最高のお守りだよ」
ぬいぐるみをコートのポケットにしまいながら、その場を後にした。