この苦しみ溢れる世界にて、「人外に生まれ変わってよかった」   作:庫磨鳥

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2章はじまります。環境の変化や、その他もろもろの事情で遅れてしまいました。ごめんなさい。三話連日投稿となりますので、よろしくおねがいします。

先んじて2章の予定を言いますと、前半(学園準備編)、後半(夏の大規模侵攻編)でやっていきたいと思います。どれぐらいの長さになるかわかりませんが、楽しんでいただけたら幸いです。

それと紅葉崎もみじ(@momijizaki_)さんがまたファンアートを書いてくれました!

[ソシャゲのスタート画面風『喜渡愛奈』]

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こちらは『土峰真嘉』

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すごい( ̄▽ ̄)←語彙力
本当にありがとうございます!


今回のメインは『上代兎歌』です。




2章 前半
第二十一話


「──以上の理由によって今日の出来事、愛奈先輩および月世先輩がまだ“卒業”していないこと、そして人型プレデターに関係することを中等部ペガサスたちには絶対に口外しないでください!」

 

 病室で、全員が雑魚寝をした翌日、野花に生徒会室へと呼ばれた兎歌は二人っきりで対談していた。最初こそ何をされるのかと脅えていた兎歌だったが、その内容はまとめてしまえば、今日あった出来事全て秘密にするようにというお願いである。

 

「わ、わかりました……あ、あの」

 

 野花は、愛奈の時のように『ペガサス』の活性化率を下げられる唯一の存在である人型プレデター、アスクヒドラが大人たちに見つかってしまったさいのリスクを説明した。それによって兎歌は隠すことに納得はしたが、どうしてもお願いしたいことがあった。

 

「無理なのは承知だと分かっていますが、『勉強会』の……わたしの仲間にだけでもこの事を……」

 

 兎歌の言う『勉強会』とは、愛奈を先生とした『プレデター』に関することを学ぶ中等部ペガサスたちの会合であり、気がつけば兎歌を含めた九人のグループ化した集団のことである。彼女たちもまた愛奈を慕っており、兎歌はせめて、愛奈先輩が生きていることだけでもみんなに伝えたいと野花にお願いする。

 

「──すいません。愛奈先輩が生きているという情報は連鎖的に活性化率および人型プレデターのことに繋がる可能性があります。勘ぐられる可能性は低いとボクも思ってはいますが、なにせ昨日から今日まで、その全てが極めて異例の連続です! ──念には念を入れて行動をしなければならないんです」

「…………はい、でも」

「──だから、ほんの少しだけ我慢してください!」

「え?」

 

 自分の味わった辛さを、みんなに与えたくないと兎歌は食い下がろうとするが、野花はそれが分かっていたという風に“わざとらしい”明るい声で宣言する。

 

「愛奈先輩からも、みなさんの事は気に掛けてほしいとお願いされていまして──時が来たら『勉強会』のみなさんに──愛奈先輩が生きていることを含めた全てを話そうと思います!」

 

「ほんとうですか!?」

本当(マジ)です!」

「あ、ありがとうございます!!」

 

 憂鬱な気分から一転、兎歌は立ち上がるほど喜び、頭を下げて感謝する。

 

「──ただ、今は分からないことだらけでして、ボクたちには調べる時間、そして準備する時間が必要です。なので全てを打ち明けるのにも、それ相応の時間が必要となります!」

「い、いつになりますか?」

「──夏の大規模侵攻。それが終われば必ず──だから兎歌さん。お友達も含めて、大規模侵攻を絶対に生き残ってください──ボクの──心の底からのお願いです!」

「……っはい!」

 

 今は無理でも、夏の大規模侵攻が終われば、愛奈先輩が生きていることを教えられる。それに活性化について悩まなくてもいいようになる。仲間を想う兎歌は、野花の言うとおり大規模侵攻をみんなで生き残ろうと意気込む。

 

「────ごめんなさい」

 

 ──希望に満ちあふれて生徒会室を出る己の背中に向かって放たれた謝罪、その意味を知るのには、そう時間は掛からなかった。

 

 

 +++

 

 

 ──兎歌の朝は早い。コックである父親の朝食作りの手伝いをするためいつしか早朝五時起きが習慣となった。

 

 兎歌は料理が好きだった。父親の職業柄、この時代では貴重な天然食材や加工前食材などに家で触れる機会に恵まれたのも関係している。

 

 食材を切ったり、煮込んだり、焼いたりして、美味しいものが出来上がるのが好きだった。自分で食べるのもいいけど、家族に美味しいと喜んでもらえるのが何よりも嬉しかった。

 

 それは『ペガサス』になっても変わらず。東京に比べれば安い、されど学園内では高いほうの嗜好品となる天然食材を、今日もまた料理に変えていく。

 

 ──トントントントン。

 

「……おはようなの。兎歌」

「あ、おはよう酉子(とりこ)ちゃん。今日も早起きだね」

 

 食材を包丁で切っていると、同じ寮部屋で過ごし、『勉強会』のメンバーである『ペガサス』──『玄純(くろずみ) 酉子(とりこ)』が起きてきた。

 

 栄養が行き届いてないような青白い肌に細身の肉体。グレーの長髪によって片方の瞳が隠れており、少しふらついている様はどこか幽鬼的であり、兎歌を見つめる目が、どこか粘着的なのを度々指摘されている。なお、向けられている張本人は、その事に気付いていない。

 

「兎歌の美味しい朝ごはんに躾けられたの。もう昔には戻れないの」

「言い方がひどいよ!? もう……」

「卵使うの? だったら玉子焼きが食べたいの」

「また? 玉子焼き本当に好きだよね」

「だって美味しいから、兎歌の玉子焼きは世界一なの」

 

 率直に自分の作った料理を美味しいと言ってくれる酉子に嬉しくなりながら兎歌は作業に戻る。

 

「今日の味噌汁の具はじゃがいもなの?」

「うん。冷蔵庫にちょっとだけ余っていたから」

「楽しみ。玉ねぎも好きだけどジャガイモの味噌汁も好きなの……」

「美味しいよね」

 

 酉子が覗き込むなかで兎歌は慣れた手つきで、ジャガイモをイチョウの形に切っていく。

 

 ──トントン……。

 

 ふいに心地のいい包丁の音が止まる。

 

「……兎歌?」

「あ、ごめん。なんでもないよ!」

「──兎歌……」

「酉子ちゃん……」

「いつでも泣いていいの。私が傍にいるから……」

 

 ──憧れの先輩が“卒業”してしまった事をまだ引きずっている。そう感じ取った酉子は、兎歌のことを後ろから抱きしめる。

 

「……ありがとう」

 

 震えた感謝の言葉に、酉子は“卒業”してもういない──『喜渡(きわたり) 愛奈(えな)』が、まだ彼女の心の中の大部分を占めていることを確認し、理不尽な嫉妬の感情を燃やす。

 

「……その。酉子ちゃん。いま調理中で包丁を持っているから、このままだと危ないなーって……」

「あ、ごめんなの」

「ううん……。朝ご飯、もうちょっとだけまってね」

 

 酉子が離れると、兎歌は調理を再開する。

 

「兎歌……」

 

 ──いつも楽しそうだった背中は、どこか空虚に感じて、誰かを幸せにしたいと言う趣味は気を紛らわせるための作業になっているように見えた。

 

 +++

 

 最後まで人間らしく生きて欲しい。そんな願いのもと設立されたアルテミス女学園では、彼女たちの自由意思を尊重するという意味で『ペガサス』たちの自主性を重んじており、一日のスケジュールは個々が自由に決めることができる。

 

 割り振られた教室にてAIによる授業を受けて勉学に励んでもよし、体育館や施設でスポーツをしてもよし、訓練場やVR室で訓練に明け暮れてもよし。日常の中に限るがなにもしなくても罰するものは居ない。

 

 兎歌が選んだ学園の生活は、東京に居た頃から大好きだった高等部三年生ペガサスである愛奈の下で、『ペガサス』に関わることを学ぶことだった。何時しかそれは同級生や二年生たちも集まるようになって、『勉強会』と呼称されるグループにまで至った。

 

 ──そして現在。兎歌は『勉強会』が開かれなくなったことで空いた時間を、自分を気遣いなにかと誘ってくれる『勉強会』の仲間たちとの日々を過ごしていた。

 

 中等部校舎内にある第一食堂。全体的に木造風の上品で落ち着いたデザインが採用されており、自然を感じながら落ち着いて食事をしたいペガサス向けの空間となっている。

 

「…………」

「──兎歌。俯いているだけじゃ紅茶が冷めちゃうわよ!」

 

 兎歌たちは、そんな食堂の雰囲気に合わせて、間隔広めに配置されているウォールナット製のテーブルと椅子(チェア)でお茶会をしていた。

 

 テーブルの上には、買えばそれなりにする天然ものの紅茶が人数分。それにクッキーなどの砂糖菓子と豪華なものが置かれている。それらを用意してくれたのは、兎歌をお茶会に誘った先輩ふたりであり、その片割れが、俯いた兎歌に声大きめに話しかける。

 

「あ、ごめんなさい、ハルナ先輩」

「せっかくお茶会に誘ったんだから、お茶とお菓子を楽しまなきゃ駄目じゃない! ……ふんっ!」

 

 143cmの兎歌と同程度の背丈、赤系のショートツインの中等部二年ペガサスである『戌成(いぬなり) ハルナ』は、兎歌の態度に強めの言葉を投げかけて、正しく“ふんっ”と口にした通り、そっぽを向く。

 

「──ハルナはね。ひとりで悩むぐらいなら相談してほしいって心配しているの」

「ちょっと! 翻訳(フォロー)しなくていいっていつも言ってるでしょ! 申姫(しんき)のあんぽんたん!」

「ツンデレなハルナが悪いよ」

 

 羞恥の感情が人一倍強く、心配という感情を攻撃的な態度でしか表現できないハルナに対して、もう片割れの先輩がいつものように平坦な口調でやりとりする。

 

 濃い赤色の腰まで届く長髪を高めで結んだポニーテール。『夏相(なつあい) 申姫(しんき)』は、冷静な性格が真逆で噛み合ったのか、ハルナと長い間コンビを組む間柄であり、このように素直になれないハルナの翻訳係を担っている。

 

 逆に表情が読み取りにくく、自分の意見をドストレートに言う申姫のフォローをハルナがする事から、気持ちのいいほど噛み合った二人(コンビ)だと、愛奈は評価したことがある。

 

 兎歌と先輩コンビの関係性は入学した日から続いている間柄である。先輩たちが自主的に開催している新入生歓迎パーティにて、暗黙のタブーとされている高等部ペガサスのことを、兎歌は大人数のペガサスが居る中で大々的に話題に出してしまい。そんな兎歌に声を掛けて学園の常識を教えてくれたのがハルナたちだった。

 

 彼女たちがいなければ、兎歌は入学早々、中等部から孤立していた可能性が高く、またハルナが高等部のことを教えてくれたからこそ兎歌は、ずっと会いたかった愛奈に会うことができた。そのため兎歌にとって二人は恩義がある先輩だった。

 

「……やっぱり、まだ愛奈先輩のことから立ち直れない?」

「ハルナ」

「分かってるわよ。でも、大規模侵攻も近いのよ。このまま戦場に出ても戦えないわ」

 

 『ペガサス』の身体能力なら、栄養補給と少しばかりの休息さえ怠らなければ数十日は戦い続けられる。しかし心は年相応のものであり、その時の精神状態が生存率に大きく関わることを、去年の大規模侵攻の経験から知っているハルナは、見て明らかに心の傷が癒えていない兎歌を心配する。

 

「……兎歌、愛奈先輩が“卒業”してしまったのは仕方のないことよ……仕方のないことなんだから……」

 

 ──そんな兎歌を励まそうとしたハルナだったが、“卒業”してしまった愛奈のことを強く想ったことで言葉が詰まってしまう。彼女もまた愛奈の事で深い傷を負ったひとりだった。彼女だけじゃない。ここには居ない『勉強会』のメンバーが各々、何かしらのショックを受けており、一部を除けば不安定な日々を送っている。

 

「……今でも信じられない、愛奈先輩があんなに呆気なく“卒業”しちゃうなんて……『プレデター』には負けてなかったのに……そんなことって」

 

 ハルナたちが最後に見た愛奈の姿は、自分たちを逃がすために奇襲をしかけてきた数十体の『プレデター』を相手に【ルピナス】で圧倒する姿だった。だからハルナたちは、愛奈先輩は無傷で帰ってくるものだと信じていた。翌日、愛奈の“卒業”が全員に知らされるまでは。

 

 『ペガサス』の体内には『プレデター』から摘出された『P細胞』が存在する。そんな『P細胞』の活性化率と呼称される数値が100%になると『ペガサス』は『ゴルゴン』と呼ばれる『プレデター』へと変貌するために、その前に毒を用いての“卒業”を行なうのが、アルテミス女学園ペガサスの課せられた義務である。

 

 最高学年であった愛奈は、元から活性化率が高く、ほんの少しの戦闘でも、抑制限界値と呼ばれる、至ってしまったらあとはもう上がり続けるしかない95%を超えてしまい、自ら毒を飲んで“卒業”した。それがハルナたちが聞いた、自分たちが尊敬する先輩の、あまりにも無情な最期。

 

 ──ハルナという少女は、そこまで強くはない。攻撃的な態度も、元を辿れば弱い自分を隠すためのものである。それでも彼女は愛奈の“卒業”の知らせを聞いて取り乱す、後輩たちを懸命に慰めてくれる優しい先輩であることを兎歌は知っている──このお茶会が自分のために開いてくれたものだと兎歌は知っている。

 

 そんな先輩が耐えきれず。ぽつりぽつりと涙を流している。

 

「──ごめんなさい」

「兎歌が謝ることじゃないよ……ハルナも辛いなら無理をしないで」

「べ、別に無理してないわ! その……あなたが食べてくれないと、私が借りっぱなしになるんだから、食べきらないと許さないんだからね!」

「……いつも美味しい料理を食べさせてくれるから、そのお礼も兼ねてるの。だから残った葉やお菓子は持って帰っていいってハルナは言っているわ」

「だから翻訳しないでって言ってるでしょ!」

 

 ハルナは涙を拭って、いつものように大きめの声で話す。それが単なる強がりだというのは誰が見ても明らかだったが、申姫はそれを指摘することなく、いつもの様にハルナのツンデレ言葉を翻訳する。

 

「……頂きます」

 

 ──兎歌は躊躇いがちに、少し冷めた紅茶を飲んだ。

 

「……美味しいです……。あの、今日は誘ってもらって、それに紅茶やお菓子まで買ってもらって、本当にありがとうございます」

「──ありがとなの」

 

 兎歌がお礼を言うと、今までひと言も喋らずに椅子の上で膝を曲げて座り、紅茶を啜るように飲んでいた酉子が、一応といった風に淡泊にお礼を口にする。

 

「ふん。別にいいわよ。というか酉子、お礼するなら態度でもちゃんと表現しなさい」

「…………」

 

 無視する酉子に、まったくとハルナは呆れる。兎歌だけの空間では、それなりに活発に行動する彼女であるが、それ以外の人が居る場所では途端に気配を消して何も話さなくなる。他人に心を開かないタイプと言えばそれまでだが、逆に言えば、そんな彼女に好意を向けられている兎歌のことをハルナは、また別の意味で心配する。

 

「そういえば兎歌、聞きたいことがあるの」

「は、はい、なんですか?」

「噂で貴女が今でも高等部区画へ通っているって聞いたんだけど本当?」

「……えっと、はい……」

 

 申姫の質問に、兎歌は間を置いて、悩んだあと正直に答えることを選んだ。

 

「噂ってなんなの?」

 

 言葉を詰まらせる兎歌の様子に見かねたのか、少し不機嫌気味に酉子が噂について尋ねる。

 

「──兎歌は生徒会長と懇意にしているんじゃないかって噂」

「ちょっと申姫っ!」

「でも、知らないままだと兎歌のためにならないのはハルナも分かってるでしょ」

「だからって、もうちょっと段階とかあるでしょ! 申姫はいつも簡潔すぎるのよ!」

「生徒会長と仲良くやっているのが、そんなに駄目なことなの?」

 

 申姫もそうだが、酉子も歯に衣を着せぬタイプであり、生徒会長という存在に過敏に反応する先輩たちの態度がわからないと質問を重ねる。いつもなら誤魔化す話題であるが、今回は自分たちが切り出したと、ハルナは観念したかのように生徒会長について話しはじめる。

 

「……別に私たちは現生徒会長に何か特別に恨みがあるわけじゃないわ。だけど元から戦わなくていい、毎月のお金が私たちの十倍貰えるとか、そんな待遇から生徒会長という存在自体面白くないって思うやつはどうしても居るのよ……それに、中等部三年の先輩を中心に現生徒会長は歴代の中でも残虐非道で『最低』な奴だって──」

「そ、そんなこと……っ!」

 

 あんまりな評価に兎歌は立ち上がって声を大きく否定しようとするも、寸前のところで、ここは食堂で自分たち以外にも『ペガサス』がいることを思い出して。ゆっくりと座り直す。

 

「……野花先輩は、そんな人じゃありません」

 

 ──しばらく黙っていた兎歌だったが耐えきれず口から零れてしまう。咄嗟に出てしまった、会話に繋がるか怪しいひと言であったが、ハルナたちが気になっていた現生徒会長との繋がりを示すものであった。

 

「兎歌……あなた……」

「兎歌の言うとおりかもね。でも中等部では彼女の評価は『最低』よ」

「『最低』の一年って結局なんなの?」

 

 ──『勉強会』のメンバー以外の同級生が、高等部一年の話題になると必ず聞く異名(フレーズ)であり、酉子はあまりにも耳にする機会が多いから、鬱陶しいと思いながらも気にはなっていた。

 

「……生徒会長もそうだけど、高等部一年はなにをしたの?」

「私たちはグループが違ったからちゃんとした事は知らないの……でも、去年“卒業”したペガサスが多いのは、高等部進学した三人が原因だってね……もっぱらの噂よ」

「噂を抜きにしても中等部三年ペガサスは、高等部一年先輩たちの事を酷く恨んでいる。特に生徒会長を。だから関係がある事を知られれば何をされるか分からない。暴力を振るわれる危険性だってあるわ」

「させないの。なにが有ろうとも兎歌を守るの」

 

 間髪入れずに酉子が宣言する。友情とはまた違った感情が垣間見れるがそれを指摘するものはいなかった。

 

「もちろん私たちもそう……だけど本当に気を付けて、中等部三年の先輩たちは自分たちが嫌いと思ったものをためらわず攻撃してくるから絶対にバレないようにしなさい」

「あの人たち過激だから」

「わ、わかりました」

 

 噂が本当であることを事実確認したハルナたちは、あくまで兎歌の交友関係には口出しせず、野花たちと交流があることを隠すように勧める。

 

「生徒会長のところで何をやってるの?」

「えっと……ちょっとお手伝いをしているぐらいです、部屋の掃除とか……愛奈先輩が“卒業”した日に、偶然あって……その、よくしてもらったんです……」

「そう、それならいいわ。ただもしも何かあったら溜め込まないで絶対に私たちに相談して……黙って居なくなるなんて……絶対に許さないんだから……」

「……はい、ハルナ先輩、申姫先輩。それに酉子ちゃんも……ありがとうございます」

 

 ──深々と頭を下げる兎歌。真白い長髪がカーテンとなり表情を隠す。

 

 +++

 

 ──お茶会が終わった十五時過ぎ。寮部屋に戻ってきた兎歌だったが、荷物を取りに来ただけであり、すぐに玄関の前へと立つ。お茶会でも話題に出ていたが、今日は週二日の日課となっている高等部区画へと赴く日だった。

 

「十八時には帰るけど、夕食は冷蔵庫に入れてあるからお腹が空いたら食べてね」

「分かった。遅くなってもいいからちゃんと帰ってきてなの」

 

 外に出る兎歌を見送る酉子。最初こそは自分も一緒に行くと言って聞かなかった酉子であるが、次の日になるとうって変わって大人しく見送るようになった。兎歌は理由を尋ねれば、自分も聞かれたものを答えなければ行けなくなると考えると怖くて聞けていない。

 

「うん……行ってきます」

「行ってらっしゃいなの」

 

 酉子に見送られながら部屋を出て、兎歌は歩きだす。最初はゆったりとしたペースだったが、少し進んだ先で突然小走りになる。

 

「…………」

 

 もっとも近くにあったトイレへと駆け込み個室へと入り、ギリギリ残った理性で鍵を閉めると便器に顔を近づけた。

 

「────~~~~~!!」

 

 ──湧き上がってきた胃酸が喉を焼くが、喉元を過ぎれば『P細胞』が瞬時に傷ついた箇所を治し、二度、三度咳き込んで口内や喉に残ったものも出してしまえば、痛みも気持ち悪さもどこかへ消えてしまう。

 

「────────」

 

 ごめんなさい、ごめんなさいと何度も何度も心のなかで復唱する。前は部屋のトイレを使って声に出してしまっていたが酉子に見つかりかけてから、こうして寮の共同トイレにて、無音の懺悔を吐いている。

 

 ──せっかく、先輩が買ってくれた紅茶なのに、お菓子なのに、台無しにしてしまった。ごめんなさいごめんなさい。優しさも、悲しさ、厚意も絶望も全てを無碍にしてしまうことがあまりにも申し訳ない。どうか、察してくれるなら、こんな嘘塗れで都合のいい自分に優しくしないでほしいと願う。

 

「────うっ」

 

 これ以上は嫌だと我慢しようとしたが耐えきれず、兎歌は既に消化済みの無色透明無臭の胃液を再度吐き出す。──正常であり続ける肉体。気持ち悪さはすぐに消えてしまうが、吐き出した後の虚無感がしばらくの間だけ思考を惑わしてくれることが救いだった。

 

「──行こう」

 

 単純になった思考で、兎歌はちゃんとした足取りでトイレを出た。決して出掛けていい精神状態ではないが、むしろだからこそ高等部に行かなければならない。

 

 ──なにせ、兎歌にとって高等部区画は、この苦しさから脱却できる場所なのだから。

 

 

 +++

 

 

「あ、兎歌~」

 

 高等部校舎内へと赴いた兎歌は、そのまま“高等部寮”へと向かう道中で『ペガサス』の二人組と出会う。

 

 ──公式発表では既に“卒業”している筈のふたり。高等部三年ペガサス。『喜渡(きわたり) 愛奈(えな)』と『久佐薙(くさなぎ) 月世(つくよ)』は、見るからにして健康的で元気な様子で兎歌へと近づいてきて、兎歌は辛抱できずに、愛奈に向かって勢いよく抱きつく。

 

「──愛奈先輩!」

「わっ、もう、相変わらずだね」

 

 ──高等部ペガサスは、活性化率を下げられる人型プレデター、アスクヒドラとの偶発的な出会いによって、様々な変化が起きた。愛奈や月世が生きているのもそれが理由であり、この事実を知る中等部ペガサスは、現状兎歌だけである。

 

「そろそろ来る時間かと思って迎えに来たんだけど、ちょうど良かったみたいだね」

「えへへ、会えてうれしいです!」

 

 そう言う兎歌は言葉どおりに破顔し、心のそこから喜んでいた。

 

「御機嫌よう、兎歌」

「あ、月世先輩、ご、御機嫌よう」

「あら? どうやら愛奈に夢中すぎて、わたくしの事は眼中になかったみたいですね……悲しいです」

「ご、ごめんなさい!」

「ふふっ、冗談ですよ」

「もー。そうやってすぐに後輩を虐めないのー」

 

 あははっと苦笑する兎歌はどこまでも自然体で、中等部では常に纏っていた暗い雰囲気は消え去っていた。

 

 ──高等部区画に居るあいだの時間だけ、兎歌は昔の調子で過ごすことができている。それは愛奈がいるからか、嘘を吐かなくていいからか、それとも中等部じゃないからか、その全てかもしれないが、とにかく兎歌は高等部に来ること自体が、一種のメンタルケアとなっていた。

 

「──そう、ハルナたちがね」

「はい。他のみんなも優しくしてくれて、ただ何人かとは最近会えてなくて……酉子ちゃんはいつもの調子だけど、みんな、まだ愛奈先輩のことで落ち込んでいます」

「……兎歌は大丈夫? みんなに内緒にし続けているの辛いよね?」

「……正直、とても辛いです。わたしを気に掛けてくれるみんなに内緒ばかりで、嘘も吐いちゃって……で、でも、野花先輩も言っていましたが大規模侵攻が終わるまでの我慢ですから、それまでは頑張ります!」

 

 精神性は普通の少女でしかない兎歌は、好きなものと触れている間は幸福によって辛いこと、嫌なこと、そして罪の意識などが麻痺する。そのため愛奈との会話で『勉強会』のみんなについて話題が上がり、ハルナたちの悲しい顔が浮かんで落ち込みこそすれ、いつもの調子で会話が出来てしまっていた。

 

「兎歌──本当に無理していない?」

 

 兎歌のむんっと意気込む姿に、愛奈は危うさを感じて念入りに問う。

 

 他人を見る能力が長けている愛奈から見れば兎歌は、疲労を積み重ねており、無理しているようだった。事実、今は幸せによって精神が麻痺しているというだけであって、その心は今でも罪悪感という針に刺され続けている状況であるのは変わりなかった。

 

「私たちの秘密は絶対……でもだからって私も野花も、これが原因で兎歌に苦しい目にはあってほしくないよ……。兎歌、今からでもなんとかできないか野花に相談しに行かない?」

 

 兎歌もそうだが、話を聞く限り『勉強会』の後輩たちが落ち込んでいる状況をなんとかしたい。兎歌たちが自分の“卒業”にショックを受けて、それで苦しんでいるというならどうにかしたいという気持ちで愛奈は提案する。

 

「アスクや“血清”に関しては、まだ言えないと思う。でもせめて私が生きていることだけは伝えられるようにお願いしてみるよ」

「……愛奈先輩」

 

 それは兎歌にとっても願ってもないことだった。愛奈が生きているというだけでも、みんな救われるだろう。自分だって嘘と誤魔化しだらけの日々から少しだけでも解放される。

 

「だ、大丈夫です! 大規模侵攻までもう時間もないですし……終われば、みんなに真実を伝えてくれるんですよね!?」

 

 ──だけど、大規模侵攻が間近に迫っている大事な時期に、先輩たちの負担を増やしたくないと、野花の約束も相まって兎歌は断わった。

 

「うん、それは私が約束するよ」

「利を考えても、人手が足らない現状、事情を知って従順に協力してくれそうな『勉強会』のペガサスたちを無下に扱うことはしないでしょう」

「だったら……もう少しだけ我慢します」

「……わかったよ。でも、本当に無理だったら絶対に言ってね」

「はい!」

 

 ──自分たちが抱えている情報を知る『ペガサス』が増えることによる危険を理解している愛奈は、兎歌が大丈夫だと言う以上、追求することが出来なかった。恨まれても仕方が無い、だけど謝る機会があればいいなと願う。

 

「あ、あの! これなんですけど──」

 

 空気がどんよりしてきたのを感じ取った兎歌は、話題を変える意味も込めてトートバックからタッパーを取り出した。

 

「愛奈先輩に食べてもらおうと作ってきたんです!」

 

 タッパーの中身は様々な具材が挟み込まれている兎歌お手製のサンドウィッチだった。

 

 ──特別な理由は無く、ただそういえば愛奈先輩に手料理を振る舞ったことがない事を思い出した兎歌は、これを機会に食べて貰おうと作ったものだ。

 

「今日でなくても冷蔵庫で保存すれば明日まで持つと思うので、よかったら朝にでも食べてください!」

「……うん、ありがと──」

 

 ──ひょいぱく。

 

「え?」

 

 横から伸びてきた手が、サンドウィッチを掴んで引っ込んだ。その手を目で追えば、月世がもぐもぐと口を動かしていた。

 

「──とっても美味しいですね」

「あ、はい」

 

 勝手に食べられた事よりも、抱いていたイメージとかけ離れた行動に、思考が停止した兎歌は渇いた返事をしてしまう。

 

「あら? もしかしてわたくしの分はありませんでした?」

「い、いえいえ! こ、これはお二人にご用意していたので全然問題無いです! ほ、ほんとうです!」

「そう、それなら良かった」

 

 ──愛奈先輩だけにと思って用意したものではないが、料理を作っている最中、頭の中に浮かんでいたのは愛奈先輩だけだったため、間違ってはいない指摘を突かれた兎歌は必死に弁明する。なおサンドウィッチは六切れほどあるが、外皮(パンのみみ)を取り除き、小さく正方形にカットされたひと口サイズであり、二人で食べるにしては量は明らかに少ない。

 

 ──ひょいぱく。

 

「んっ、それにしても本当に美味しいですね。このペースト状にしたゆで卵のなんて甘くてふんわりしていて。先ほど食べたツナサンドも胡椒やマヨネーズが絶妙なバランスで容れられていて、とても美味しかったです」

「そ、そうですか」

 

 ともあれ、美味しいと食べてくれることに兎歌は嬉しくなる。

 

 ──ひょいぱく。

 

「トマトレタスもシャキシャキとしながらも、余分な水気をしっかりと抜いていますね。愛奈から料理が趣味だとは聞いていましたが、天然食材を扱えるほどの腕とは驚きました」

「はい、レストランのコックとして働いているお父さんに習ったんです」

「なるほど、お父様が一流の料理師でしたか」

 

 ──ひょいぱく。

 

「ふむ、これはきゅうりの漬物ですか?」

「はい、ピクルスって言います……あの、月世先輩?」

「こちらは照り焼きチキンですね、食べるのは久しぶりです」

 

 ──ひょいぱく

 

「あ、あの、月世先輩!? もしかして一人で食べようとしてません!?」

「ふふっ、とっても美味しいです。おや、これは唐揚げですか? 揚げもできるなんて、すごいですね」

「ちょ、ちょっと愛奈先輩にもってあー! それもう最後のひと切れですって、あ、あの今度また作ってきますので、せめてそれは愛奈先輩に──あ」

 

 ──パク。

 

「──ごくん。ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

「うう……そう言ってもらえるなら幸いです」

 

 美味しいと完食してくれたのは嬉しい。でも、愛奈先輩に食べて欲しいと用意したサンドウィッチがーと、兎歌はがっくしと肩を落とす。そんな兎歌の耳元に月世が唇を近づける。

 

「美味しい物を食べさせてくれたお礼に、少しだけ愛奈のことを教えてあげます」

「つ、月世先輩?」

「──愛奈はね。普通の食事が食べられないんです」

「…………え?」

 

 月世が耳元で囁いたのは、愛奈のトラウマについて。

 

「普通の食事を楽しめないが正確ですね。わたくしたちには、アイニという同級生が居たんです。彼女は活性化率が抑制限界値近くになった事で、愛奈たちは毒入りの手作りクッキーを食べさせたんです」

「────うそ」

 

 ──愛奈先輩が同級生に毒入りの料理を食べさせた? 兎歌は信じられないと愛奈に目を向けると、彼女は事実だと痛ましい表情で頷き肯定する。

 

「愛奈たちの行ないは、アイニ本人が望んだことです。現にアイニは愛奈たちに感謝を告げ、笑って“卒業”しました……ですが、愛奈に深い傷を残しました」

 

 ──ほんの一瞬、月世は過去を思い出して忌々しそうにしたが、兎歌は気付かなかった。

 

「それ以降、愛奈は普通の食事をすると、アイニの事を思い出して辛く苦しむようになったんです……もっとも、最近では缶詰やペットボトルなら楽しむことが出来るようですが」

「……わ、私……し、知らなくて……」

 

 自分の行ないが敬愛する先輩にとってトラウマを呼び起こすものであることを知り、兎歌は顔を真っ青にする。

 

「ええ、知らなかった。伝えられていなかった貴女はなにも悪くありませんよ。これから気を付ければいいんです」

「月世先輩……」

「愛奈は優しすぎるので、こういった事を伝えるのは苦手です。だから気になることがあるのなら遠慮無く、わたくしに尋ねなさい──わたくしにとっても、あなたは恩人とも呼ぶべき大切な後輩ですからね」

 

 事実、月世や彼女を知る者からすれば兎歌への対応は極めて異例とも言えた。いつもの彼女であれば、兎歌と愛奈の“優しさ”溢れたやりとりを黙って見て笑っているのが月世であり、指摘するとしても、もう少し過激なやりかたをしただろう。

 

 ──流石に恩がある愛奈の後輩を虐めすぎるのは楽しくないのでと、月世は後に語った。

 

「愛奈の親友として言っておきますが、過ぎた優しさの先にあるのは不幸ですよ。だから、気を付けてくださいね」

 

 +++

 

「……はぁ~」

 

 自分がもっとも得意とする能力が尊敬する先輩にとって苦しませてしまう行為となる事実に、兎歌はひどく落ち込む。

 

「……深いため息を吐いて、なにか悩み事?」

 

 現在、兎歌は『硯研究室』に来ており、高等部一年『(すずり) 夜稀(よき)』が飲んでそこら辺に放置していた飲料容器をゴミ袋に入れていた。

 

 来て早々、部屋をちゃんと片付けてくださいと叱るはずの兎歌が、暗い顔で部屋に入ってきたと思えば、溜息を吐きながら掃除を始めた。そんな様子に夜稀は、最初こそ毎度言っても片付けられない自分に呆れかえって諦められたゆえの態度かと思ったが、それは違い、なにか有ったようだと心配する。

 

「あ、その……愛奈先輩にサンドウィッチを作ってきたんですが……」

「ああ~」

 

 自分も触れられたくない部分がある夜稀は、先輩たちの事情を、きちんと聞いたことはない。だが、毎日のように缶詰しか食べないところを見るに何か食事関連のトラウマがあるということは察していたため、何があったのかを理解する。

 

「……愛奈先輩なら気にしない……むしろ、兎歌を落ち込ませてしまったことを気にすると思うから……あんまり気にしないほうがきっといい……たぶん」

「それは……はい」

 

 夜稀の不器用なフォローは、兎歌も重々承知だ。だからこそ愛奈に似た感性の兎歌は、料理で嫌な思いをさせたことに重ねて、愛奈先輩に気を遣わせてしまったことに申し訳なさを感じてしまっている。

 

「はぁ~」

「……兎歌、落ち込んでいるところ本当にごめん、そこらへんに置いてある書類は、まだ未処理だからファイリングしないでほしいなって……あ、もう終わってる……」

 

 気分は沈んだままであるが、体に染みついた家事能力は曇ることなく、ゴミを全部袋に詰めたあと、床に落ちていた書類をテキパキと整理しおえる。ちゃんと冒頭五十音順にファイルに入れられているのだが、大半が走り書きで内容は整理されておらず、題名も付けていないものだから、夜稀はいつも探すのに苦労している。

 

「まって、これまだ着てるやつ……これはまだ着てるやつっ!」

「──あ、ご、ごめんなさい」

 

 いつものように衣服を洗濯しようとしたのだが、周りが見えていなかった兎歌は、夜稀が着ていた白衣を剥がそうとしてしまう。

 

「──落ち着こう」

「はい……」

 

 二人は一旦作業を中止して畳の上で正座して向き合う。

 

「……気持ちが沈んだとき、何かに没頭してしまう現象をよく知っている。あたしもたくさん経験したから、そうやって感情の処理を終えて、気持ちはマシになるかもしれないけど、胃が第二の脳と呼ばれているように……うん? 脳が第二の胃だっけ? ……ともかく、どちらも処理(消化)能力には限界があるんだからさ……だから、そういう時は……あー……相談してほしい」

 

 慣れないことをして、しどろもどろになりながらも夜稀は言い切った。言ってしまえば悪いものを溜め込まず、自分に相談して欲しいと伝えた。

 

 ──夜稀は、自分が他人の相談に乗れるような社交的な性格ではないことを理解している。状況を悪化させる可能性が高い。だけど、彼女の現在の境遇と、そうなってしまった理由を考えると、このまま何もしないで他人任せにするということは、それが最適な行動だったとしても夜稀には出来なかった。

 

 根本的な悩みを解決することを“してはならない”のなら、夜稀は、自分たちの選んだ選択が原因で苦悩する後輩の心を少しでも軽くしたかった。

 

「その……話を聞くぐらいはできるから」

「夜稀先輩……質問があります」

「……ん。全ては答えられないけど、なんでも聞いて」

「夜稀先輩たちは去年……なにをしたんですか? 『最低』って呼ばれているのはどうしてですか?」

 

 ──夜稀が、そう言ってくれるならと兎歌は結果的に単刀直入に悩みのひとつである、中等部ペガサスたちが抱く、現高等部一年ペガサスの『最低』という評価について尋ねる。

 

「──それを聞くのかよ」

「ご、ごめんなさい! やっぱり大丈夫です!」

 

 やっぱり聞いてはだめだったかと、兎歌は必死に話題を終わらせようとする。しかし、夜稀は深く考え込んでしまい、幾ばくかの時間を置いて語り始めた。

 

「──ゲホ。今の中等部で、あたしたちがどう呼ばれているかは正確には分からない。でも、彼女たちが言う『最低』という呼び名は……正しい……んだと思う……ゴホ」

 

 慎重に言葉を選びながら、夜稀は話を進めていき、兎歌は黙って耳を傾ける。

 

「野花と茉日瑠のことについては、あたしからは何も言えない……でも、二人とも……あたしも……ケホ…ゲホッ! ……ただ、必死に生きようとしただけなんだ……と思う……ゲホ……ゲホゲホ!」

「先輩!? も、もういいですから水を飲んでください!」

 

 中等部の頃を思い出して、強い喉の渇きに襲われた夜稀は近くにあった飲み物をがぶ飲みしはじめる。

 

「──ごめん。こんなんだから、あたしは中等部の話をまともにできない……」

「ううん。謝らないといけないのはわたしです……夜稀先輩の病気のこと知っていたはずなのに……本当にごめんなさい」

「いや……うん……ごめん」

 

 ──愛奈に関して解決していないのに、話題は別へと転がり込み、あまつさえ余計に穴を深くしてしまった。完全に失敗だと、夜稀は己の軽率な行動に嫌気を差す。

 

「……わたしは、どうしても野花先輩や、夜稀先輩が『最低』なんて言葉で呼ばれることに納得できません。だって……先輩は、こんなにもみんなのために働いているのに……わたしには、こんなに優しくしてくれるのに……」

 

 ただ、それが決して兎歌にとって良くなかったかと言えばそうではなく、質問を切っ掛けに兎歌が抱いていた不満がはっきりと言葉として外に出される。その内容は至ってシンプルで、自分が好いている先輩たちが悪く言われているのが面白くないと言ったものだった。

 

「……ん、そう言ってくれるのは嬉しい……でも、あたしたちはそれ相応の事をやってきたんだ。これは……絶対に忘れていいものじゃないから……ケホ」

「で、でも! ……このままじゃ絶対に……よくないです」

 

 ──『最低』の一年である自分に好意を持って接してくれる兎歌、活性化率が下がったり、先輩たちから優しくされるのとは違う、中等部の彼女がそう言ってくれるからこそ得られた救いに、夜稀は心にこびり付いていたものがほんの少しだけ溶けて消えた気がした。

 

「……兎歌、あたしたちの事を思ってくれるなら、ひとつだけお願いを聞いてほしい」

 

 心の負荷が変動したことにより、夜稀はある種の自分だけが救われることによる抵抗感から自然と口を動かしていた。

 

「──どんなことがあっても、野花の気持ちを考えてあげてほしい」

「野花先輩の気持ち?」

「うん。嫌ってもいい、そうなったらきっと野花が悪いから……でも、それだけは本当にお願い」

 

 要領は掴めず、もっと深く聞きたかったが、夜稀のあまりの真剣さに兎歌は黙って頷くことしかできなかった。

 

 

 +++

 

 

 ──夏の太陽が沈んだ頃、兎歌は少し予定よりかは遅くなったが中等部の寮へと帰路についた。

 

「これなら酉子ちゃんと一緒に食べられるかな……」

 

 失敗ばかりで落ち込むことが多かったけど、それでも兎歌にとってはいつも通り得難い幸福の中に居た時間だった。大好きな先輩と一緒に居た、好きな先輩が居た。彼女たちが生きて、前を向いて進んでいる姿は、兎歌にとって未来に差し込む希望そのもので、高等部校舎に居るだけで生きる活力が湧き上がる。

 

「………………」

 

 ──中等部に近づくにつれて、麻痺していた部分が戻ってくる。思い出すのはハルナ先輩たち『勉強会』の仲間。愛奈先輩が“卒業”したと知らされた時、涙を流して泣き崩れるもの、恐怖に脅えるもの震えるもの。反応は様々であったが、その全員が悲しみに暮れていた。

 

 兎歌にとって『勉強会』の仲間は、本当に大切な存在だ。愛奈の下に集って、自分が作ったご飯を一緒に食べて、戦って、遊びに行って、笑い合って、気がつけば兎歌にとって彼女たちも特別な存在となったのだ。

 

 ──そんな彼女たちの悲嘆を見ながら、自分だけ真実を知り、なおかつ愛奈先輩との幸せな時間を過ごしている。

 

「────うっ」

 

 兎歌は吐き出すのを耐えきりながら寮へと戻っていき、トイレへと駈け込んだ。

 

「……大規模侵攻が終わるまで……」

 

 ──大規模侵攻。『ペガサス』だれもが早く終わって欲しいと願うものであるのは間違いないが、兎歌に至っては、他の『ペガサス』とは明らかに違う理由が含まれていた。

 

 結局、兎歌が部屋に戻れたのは酉子がご飯を食べ終えた後だった。

 

 




愛奈に料理を振る舞う機会が無かったのは、偶然そうならなかっただけです。幸運ですね。

それではまた明日。

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