見えない境界少年   作:迦羅

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十八話

「到着しましたよ!」

 

 風見幽香と別れてから数分程時間が経ってから、前を歩いていた橙から声がかかった。どうやらあの後は何事も無く寺子屋へと到着したらしい。

 

「橙、授業が始まるのは何時頃なんですか?」

 

「えぇっと、今は八時ごろでしょうから、三十分くらい後ですね」

 

「ふむ、では今のうちに教師の方に挨拶をしておきましょう。橙、先生はここにいらっしゃるのですか?」

 

「寺子屋の扉が開いているので、いると思います」

 

「目上の人には敬語を使いましょうね。それと案内、お願いしますよ」

 

「は、はい!」

 

 橙は青の手を取って、寺子屋の廊下を歩いて行く。二十秒程が経って、彼女は再びその足を止めた。

 

「寺子屋の先生…慧音先生はいつもここにいます。だから今日もここにいる筈です」

 

 橙はそう言って扉の下の方を三回ノックする。

 凡そ数秒後、スタスタという足音が大きくなっていき、やがて扉がガラリと開けられる。

 

「おや、随分と早いな、橙。そして、初めて見る顔だな。私に何か用でも?」

 

「あぁ、初めまして。私は彼女、橙の保護者の様な者です。八雲紫の弟、青と申します」

 

「これはご丁寧に。私は上白沢慧音、この寺子屋で教鞭を振るっている者だ。青殿、よろしく頼む」

 

 青の差し出していた手を慧音は握るが、その際に僅かに体が硬直した。何か気に障る様な事をしただろうか。

 すると慧音が橙には聞こえないくらいの小さな声で、耳打ちをしてくる。

 

「あー、その、初対面で言う事では無いと思うのだが…少々匂っている。交じりの…男と女の濃い匂いが」

 

 交じりの…?青は少しの間思考を巡らせたが、やがてあぁ、と納得した様な表情をする。

 

「匂いますか?藍にも姉様にも言われなかったのですが…」

 

「私はワーハクタク…ハクタクの血が半分混じっているんだが、ハクタクは他の妖怪よりも鼻がいいんだ」

 

「成程、私もそれなりに鼻はいいのですが…やはり自分の匂いだと気づきにくいのでしょうか」

 

 青は自分の服の袖の匂いを嗅ぐが、やはり普段と同じ、自分の匂いしかしなかった。

 

「確かに今日は幽々子――冥界の主に朝まで貪られましたが…まぁ、大丈夫でしょう」

 

 もしかしたら落としきれていなかったのかもしれませんね。あまり長風呂もしていないですし。数秒考えた末に彼が行き着いた答えは、まぁ大丈夫だろうとの判断であった。

 

「それは…大丈夫なのか…?」

 

「えぇ、子供は純粋ですからね。私が食われたと言っても、何を言っているかわからないでしょう。ねぇ、橙?」

 

「ふぇ?なんですか?」

 

 橙の反応に、青は満足げに笑みを浮かべる。慧音としては微妙なラインだったが、自分が気にしなければいい話かと思考を打ち切る。

 

「あー、青殿、もう一つ、初対面で言う事では無い…頼みをしてもいいかな?」

 

「頼み…ですか?今日の夜なら誰からも誘われていない故空いていますけど…」

 

「そ、そういうことを言っているんじゃない!全く…」

 

 声を荒げる慧音を、青は苦笑しつつも宥める。確かに今の発言は、初対面相手にすることでは無かった。外の世界ではセクハラ…?というものに分類されていただろう。流石に出会ってすぐの相手に変態とは思われたくない。

 

「すみませんね。周りにそういう友人しかいなかったもので…」

 

「・・・一度友人の選び方について、貴方と是非とも深く議論したいものだが――今はそれは置いておこう。それで頼みたい事というのは、教壇に立ってもらえないだろうか?」

 

「教壇に立つ?私に教師になれと?」

 

「えぇ!?青様、先生になるんですか!?」

 

 橙は驚きのあまり目を見開くが、それは青も同じ気持ちだった。確かに姉と共に藍と橙を育てはしたが、自分は彼女の様に学び舎で教えていた経験など全く無い為、教師としては力不足な気がするが。

 

「あぁ、この寺子屋に教師は私しかいなくてな。たまに臨時教師、私の友人が来てくれるのだが、常に人手不足なのだ。それにあの賢者、八雲紫の弟ならば、下手をすれば私以上の知識を持っているのだろう?」

 

「・・・まぁ、確かに年の功という言葉もありますから、ある程度の講義は出来ると思いますが…」

 

「あぁ、勿論極秘情報を話せとは微塵も言っていない。真面目にするも良し、子供受けを考えて面白い話をするも良しだ。それは貴方に任せよう」

 

「・・・下の方の話でも?」

 

「それをした場合、最悪貴方の記憶が全て無くなるくらいのことは覚悟して貰うことになる」

 

「ふふっ、冗談ですよ。話したところで子供達にはわからず、貴女が顔を赤くするだけでしょうから」

 

 完全に遊ばれている。自分の言葉にクスクスと笑う青を見ながら、慧音は心の中で溜め息を吐いた。

 

「まぁ、そういうことでしたら本日にでもお引き受けしますよ。保護者としてでは無く、教師として橙を見るとは思ってもみませんでしたが」

 

 思ったよりもすぐに、というか即答した青に、慧音は僅かに目を見開く。

 

「・・・自分で言っておいて何だが、かなり無茶を言っていると思うぞ?私も低い確率で引き受けてくれたとしても、数日程準備の期間を与えてから教壇に立たせようと思っていたのだが…」

 

「いえいえ、自分の知っていることを話すだけですから。それに、今までに子育ての経験もありますので。ただ、少し手伝いはしてもらいます」

 

「手伝い?」

 

「えぇ、私は目が不自由でしてね。例え生徒が背伸びをして手を挙げようと気づかないのですよ」

 

「成程。貴方の目になるくらいなら、お安い御用だ」

 

 交渉成立。青は再度慧音と握手を交わした後、若干放置気味だった橙の方に視線を向ける。

 

「――と、いう訳で橙。私は今日は貴女の先生になりますよ」

 

「青様の授業…とても楽しみです!」

 

 やはり橙は藍よりも反応が良い。青は期待の視線を向けて来る橙の頭を撫でつつも、残り少ない時間でどの様な授業を行うか思考を巡らすのであった。

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