青は、周囲を見る事が出来ない。
「はい、青、あ~ん」
「あー…ん」
己の姉、八雲紫が自分の口元に持ってきた料理を、青は口を少し開けてそれを受け入れる。
一体いつ頃だろうか、それとも生まれつきだったのか、青の目は何一つ情報を脳に送ってくれなくなってしまった。
彼が世界を認識するための情報源は、触感と音、そして匂いだけだ。だから彼は藍や紫がいなければ過ごしていくことが出来ない。
「うん、いつも通り美味しいです。藍の作る料理には外れがありませんね」
「お褒めに預かり光栄です」
「藍様藍様、おかわりください!」
「はいはい、今よそってやるから茶碗を貸してくれ」
和気あいあいと朝食を取る青達。紫はもう一度彼に料理を食べさせた後、彼に対して話しかける。
「昨日は一緒に眠れなくてごめんなさいね。急に仕事が入ってしまって」
「いえ、姉様は忙しい身ですから、理解はしています。けど、もうあまり昨日の様な事は起こってほしく無いです。心細いので」
「えぇ、今度からは全部藍に任せるわ」
「え!?私にですか!?」
「当然よ。仕事と青なら、私は迷いなく青を選ぶわ」
藍は紫の言葉にがっくりと項垂れる。青は彼女が可哀想に思えたが、それでもこればかりは譲れない。
「まぁ、急に仕事が入るなんて滅多に無い事だから、そこまで落ち込む必要は無いわよ」
「そうだといいのですが…」
「姉様、お茶を取って貰っても宜しいですか?」
「えぇ、はいどうぞ」
「ありがとうございます」
姉から湯呑みを受け取り、その中に入っている緑茶をコクコクと喉に通していく。
「・・・ふぅ、ご馳走様でした」
「橙もごちそうさまです!」
「あら、もういいの?」
「はい、私は自室に戻っています」
「なら、橙がお供します!」
「ありがとうございます、橙」
青はゆっくりと椅子から立ち上がり、橙に手を引かれて居間を後にする。
「藍、今日中にでもあの子に話す事にするわ」
「例の件ですね。わかりました。しかし、大丈夫なのでしょうか…」
「大丈夫よ。あの子はまだまだ甘えん坊だけど、大分しっかりして来たし」
甘えているのはむしろ紫様では…という言葉を、藍は直前でグッとこらえる。
「それに私が行けなくても貴女がいるから。万が一の時はお願いね?」
「はい、この命に代えてでも」
藍の言葉に紫は満足そうに頷いた後、己の式神と二人きりの朝食を再開することにした。
「青様、膝の上に寝転んでもいいですか?」
「えぇ、構いませんよ」
場所は変わって青の自室、居間を後にした青と橙は、ここでのんびりと過ごしていた。
橙は青の了承を得た後、正座をしている彼の膝の上に寝転がり丸くなる。
「はふぅ…やっぱり青様のお膝は最高ですぅ~」
「ふふっ、気に入ってくれている様で何よりです」
そう言って青は橙の頭を撫でる。絶妙な手加減で頭を撫でられ、橙の表情はさらに蕩けていく。
「橙は、最近は何か良いことがありましたか?」
「はい!この前尻尾と耳を完全に隠す事が出来て、藍様に褒められたんです!」
「それは凄いですね…よく頑張りました。偉い偉い」
「えへへ…」
青に褒められて、橙は恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
「橙も藍も、随分立派になりましたね…昔は二人共私の後ろをついて来たというのに、今では私がついて行く側になってしまった…」
「青様…」
「この目も随分と不便な物です。私は未だに、貴女達の姿がわからない…私の記憶にあるのは、うっすらと憶えている千年以上前の姉様の姿だけ…」
哀しそうな笑みを浮かべながら話す青。そんな彼の姿を見た橙は少しの間黙った後、おもむろに立ち上がる。
「橙は…橙は茶色の髪の毛と耳を持っていて、二本の尻尾があるんですよ!」
突拍子も無くそんな事を話す橙に、青はきょとんと不思議そうな表情をする。しかし橙はそんな青を気にせず、さらに言葉を続ける。
「藍様は金色の尻尾が九本あって、とってもふかふかで気持ちいいんですよ!」
「橙…?」
「紫様は…えっと…えっと――わふっ!?」
必死に言葉を絞り出そうとする橙の頭を、青は手探りで器用に撫でる。彼女は自分の為に言ってくれているのだ。自分達の姿を、青がイメージ出来るように。
「ありがとうございます、橙。でも大丈夫ですよ。例え姿は見えていなくても、貴女の声を聞いたり、こうして貴女に触れることで、感じることが出来ますから」
気遣ってくれた彼女に感謝の意を表す様に、青はゆっくりと彼女の頭を撫でる。
「橙も大変だとは思いますが、頑張ってくださいね。貴女達の成長を感じられるのが、私は嬉しいのです。いつか貴女が八雲の姓を名乗る日を、私は楽しみにしていますよ」
「青様…はい!頑張ります!」
青の言葉に、橙は元気よく頷く。いつか自信を持って八雲を名乗れるように頑張ろう。それで紫も藍も、そして青も喜んでくれるのなら、これ以上の喜びは無い。
しかし今はのんびりしていたいと、再び青の膝に寝転がる。青もそんな彼女に笑みを零しつつも、再び彼女の頭を撫で、穏やかな時間を再開することにした。