「ふぁあ…」
青の意識が、ゆっくりと覚醒する。
今が何時なのか詳しくはわからないが、襖の向こうから鳥のさえずりが聞こえてくるということは、朝だと考えていいだろう。
昨日は久しぶりに外に出ず、姉と家の中で一日を過ごした。外に出ることも楽しいが、やはり家でのんびり過ごすのもいいものだなと実感する。
ゴソゴソと手を伸ばし、姉の存在を確認しようとする。近くに温もりが無いと不安になってしまうのは、いつまで経っても治らない。
「姉様…」
いた。指先に触れた質感で、姉の寝間着であることがわかった。自分の寝相が悪かったのか、それとも姉が悪かったのか、少しだけ遠くにいる。
青は姉を起こさないよう静かに布団の上を移動し、姉の体にぴったり寄り添う。
今日はまだもう少し寝ていたい気分だ。藍はもう起きているだろうから、朝ご飯が出来上がれば呼びに来るだろう。それまでの間、もうひと眠りすることにしよう。
姉の手をしっかりと握りながら、青は再び意識を手放すのであった。
「青様、本日は今まで通り、私がご同行致します」
二度寝を決意してから凡そ三時間後、藍によって強制的に起こされ、朝食を終え緑茶を啜る青に、藍はそう告げて来た。
「おや、また藍に戻るのですか。橙の案内も、初々しくて面白かったのですがねぇ…」
「青様の案内兼護衛は、橙には流石に早すぎました。一昨日のことは本人は反省していますし、同じ事をやらかすとは思えませんが…それでも戦闘という面では、どうしようもありませんので」
「私だって戦えますよ?戦闘になれば、少なくとも貴女よりは強いと思いますが…」
「確かにその通りです。しかし相手が天狗の様な速度で奇襲を仕掛けて来た場合、青様は不利と言わざるを得ません。青様のお力は、真正面から相手と戦うものでは無いのですから」
「ふむ…確かに一理ありますね」
「以上の理由から、橙よりも私の方が適任と判断しました。本来なら案内でも戦闘でも、紫様が一番の適任なのですが…流石にあの方直々に出ては、最悪騒ぎになりかねませんので」
「あ~、姉様は色々やらかしかねませんからねぇ…」
貴方も人のこと言えませんよ。そう言いたくなる藍だったが、反撃が怖いので口を噤む。
「わかりました。それで、今日はどちらへ?」
「そうですね…私の知る限り青様のお知り合いがいらっしゃるのは、妖怪の山の頂上、守矢神社。命蓮寺、あとは地底くらいでしょうか…地底は条約によって行くことを禁じられていますので、自動的に選択肢は妖怪の山か命蓮寺になります。他の場所に行くという選択肢も勿論ありますが」
「なるほど…」
妖怪の山か命蓮寺か、他の場所か。青は少しの間、顎に手を当てて考える。
(流石に知り合いには早いうちに挨拶をしておきたい。しかし妖怪の山は…守矢神社には、彼女がいるんですよねぇ…)
粘着質の土着神を頭に浮かべながら、青は額に皺を寄せる。彼女に会いに行けば、最悪結界によって永久に監禁される可能性が無きにしも非ずだ。
(しかし行かないのも知られた後が怖いし…先に済ませておきましょうか)
「・・・守矢神社にしますっ」
「何故そんなに苦々し気なのですか…?」
青の苦し気な表情に若干困惑しつつも、藍は今日の目的地を決定し、そこへ至るのに最も安全なルートを考え始める。
「流石に守矢はもう一柱いますから、大丈夫ですよね…?」
青のその言葉に答えてくれる者は誰もいない。
出発するまで、何度も藍に目的地を変更しようと言いかける青であった。
「青様、ここで一度止まってください。妖怪の山に到着しましたよ」
青が苦悩の末に行き先を守矢神社に決定してから凡そ一時間後、青と藍の姿は、妖怪の山の目の前にあった。
「成程、ここが妖怪の山…その名の通り、確かにいくつもの妖怪の気配がしますね」
「ここから先は天狗の縄張り。人間が立ち入ることは禁じられている場所です。人間に限らず、妖怪も許可の無い立ち入りは問答無用で排除されかねませんが…青様が訪れることは、先程大天狗に伝えましたので、襲われることは無いでしょう」
「そうですか。それなら安心ですね。と言っても、流石に山を歩くつもりはありません。ここは手っ取り早く、空を飛んで守矢神社に行きましょう。はぁ…」
「青様、いい加減溜め息を吐くのはおやめください」
彼の溜め息を聞くのは、もう何度目だろうか。屋敷を出発してから口を開くごとに溜め息を吐く青に、藍は注意をする。
「そんなに行きたく無いのでしたら、守矢神社を目的地になさらなければよかったのに…」
「いえ、別に行きたくない訳では無いのですよ?なんだかんだ彼女達と最後に会ったのは、もう千年以上昔の事ですし。彼女達が幻想郷に来たと姉様に聞いた時は、一度会いに行きたいと思っていましたし」
そう言いながらふわりと空へ飛び立つ青。藍は彼の話を聞きつつも、置いて行かれることの無いよう飛び立ち、彼の少し前を行く。
「ならば何故、それ程までに溜め息を吐かれるのですか?私は守矢の二柱とは何度かお会いしたことはありますが、青様との関係についてはお聞きしたことがありませんので」
「・・・行けばわかりますよ」
青はそこで話を切り上げ、さらに飛行速度を加速させようとする。
「あやや?見慣れない顔ですね。侵入者ですか?」
しかし突風と共に目の前から声がしたことで、青は加速を止め、動きを停止する。
誰だろうかと首を傾げる青に対し、藍は目の前の人物に心底面倒くさそうに表情を歪める。
「お前は…文屋か。私達は大天狗から許可を得ている。そこを退いてもらおう」
「貴女は、紫様の式神…ということは態々貴女が行動を共にしているその方は、かなりの重要人物ということですか?これは記者の血が騒ぎますねぇ…」
そう言って彼女、射命丸文は藍が制止をかけるよりも早くに青の眼前にまで迫り、ポケットから手帳とペンを取り出す。
「初めまして。私は烏天狗の射命丸文と申します。文々。新聞の記者でもあります。是非、貴方のことを取材させてください!」
「これはこれは、私は八雲青。幻想郷の賢者、八雲紫の弟にあたる妖怪です」
「青様…!」
「えぇ、わかっていますよ。藍」
僅かに声を荒げる藍に青は手で制止を促す。対する文は青の自己紹介での言葉が予想外だったのか、驚きで目を見開いていた。
「紫様にご姉弟が…?そんな話ははたてからも聞いた事がありません!これはいいネタになります!」
「あー、射命丸さん、興奮している所申し訳ありませんが…私という存在に関する情報は、いわば幻想郷での最高機密事項。貴女にお教えすることは出来ません」
青は申し訳無さそうにしながらも、文の頼みをやんわりと断る。何故自分の情報が最高機密なのかは自分でもよくわかっていないのだが、それは全て姉である八雲紫が原因だ。文句があるならそっちに言ってくれ。
「そこをなんとかお願いできないでしょうか…少し、ほんの数分で構いませんから!」
「いえ、申し訳ありませんが、そこを通していただけないでしょうか」
青は再び文の願いを断るが、文は何度も何度もめげずに青に頼み込む。
「このマスゴミが…!いい加減に…!」
かれこれ五分近く同じやり取りを続けている状況にしびれを切らし、藍が文を力づくで追い払おうと動こうとした瞬間、青は自身の口元に人差し指と中指を立て、ふぅ…と軽く息を吐き出す。
「わわっ!一体何ですか!?」
すると次の瞬間、妖怪の山中の木々についている木の葉が、次々と彼女に襲い掛かる。突然のことに驚いた文だったが、即座に自身の持つ扇を使い、木の葉を吹き飛ばそうとする。
しかしどれだけ風を起こしても、木の葉の進行方向が変わることは無かった。漸く視界が晴れたかと思ったら、既に青達は文の目の前にいなかった。
『射命丸さん、申し訳ありません。しかし私達にも行くべきところがありました故、少々強引な手段を取らせていただきました』
青の謝罪が、周囲に響き渡る。文は少しの間ぽかんとしていたが、数秒の後、その意識を持ち直す。
「あやや、逃げられてしまいましたか。確かに今回はネタの欲しさに少々強引になってしまいました。・・・下手に追いかけるのも、得策ではありませんね」
また追いかければ、藍だけでなく、最悪あの青という全くの未知数の人物を怒らせかねない。そう判断した文は、青達が向かった山頂とは反対に、山の麓へと降りていくのであった。