「うぅ…痛い…痛いです…」
守矢神社へと足を運んだ次の日、橙の遊びに付き合った青は慣れない運動をしたせいで無事に筋肉痛となり、布団の上で痛みに悶えていた。
「今日は命蓮寺に行く予定でしたのに…」
「慣れないことをするからこうなるのよ。猫達相手にむきになって…」
紫は呆れた様子で、しかし心配そうに膝の上にいる青を撫でる。運動を怠っていたとはいえ、青も妖怪の一人、普通の運動程度ならば筋肉痛になどならない筈だ。青が相当衰えたのか、マヨヒガにいる猫の運動能力が凄まじいのか、紫にはわからなかった。
「・・・今日は家でゆっくりしていなさい。今の状態のまま行動しても辛いだけでしょうし、白蓮も心配するわ」
「白蓮に…ですか。私は彼女に心配される程幼くは無いのですが…」
命蓮寺で妖怪と共に住んでいる友人、聖白蓮を思い出しながら、青は小さく息を吐く。年齢的には自分の方が年上の筈なのに、彼女の下に行った場合はなにかと世話を焼かれることが多かった。
「自分のかつての弟と貴方を重ねているんじゃないかしら。あくまで推測の話だけど」
彼女の考えなんて、私にはわからないわ。紫がそう言い終えた直後、青の部屋の襖がゆっくりと開けられる。
「青様…大丈夫ですか?」
襖を開けた橙は、心配そうに青の方を見る。昨日青がマヨヒガに足を運んでくれて、さらには一緒に遊んでくれることに興奮した橙は、ついついはしゃぎすぎてしまった。今青がこうなっている原因は自分なのだと、彼女は罪悪感を抱いていた。
「あぁ、橙。気にしないでください。普段運動をしていなかったツケが回って来ただけです。橙のせいではありませんよ」
彼女の悲しそうな声音で落ち込んでいることを察知して青は橙を励ます。橙は自らの失敗に対し、それを重く受け止め過ぎてしまう癖がある。失敗を反省するのは悪い事では無いが、いつまでも気にしすぎるのも心に悪い。自分も姉も、失敗なんて秒で忘れる。
「それで…それで、藍様と一緒に、お粥…作ってきました」
「お粥…ですか?」
鼻を利かせると、僅かに彼女の手元から料理の匂いを感じる。橙なりに考えて作って来てくれたのだろうが、自分は筋肉痛であって風邪では無い。普通に固形物を食べる事だって出来るのだが。
しかし起きてから何も食べていなかったので、丁度何かを口にしたかったところだ。ありがたくいただくことにしよう。
「ありがとうございます。丁度お腹が空いていたところです。そこの机に置いておいてください」
歩く速度が赤ん坊以下になっているので、ずっと持っていさせるのも気の毒だろう。そう思っての発言だったのだが、橙は机の方では無く、自分の方に向かって歩を進めて来る。
「いえ、青様がこうなってしまったのは橙のせいです。・・・だから、今日は橙が青様のお世話を致します!」
ふんすと橙の意気込んだ声が聞こえてくる。橙の世話と聞いて先日の永遠亭での失態を思い出し一抹の不安を抱いたが、藍から彼女も反省していると聞いていたので、流石にもうミスをすることは無いだろう。
そう思い彼女の言葉に肯定の意を示そうとしたのだが、
「いいえ、その必要は無いわ。私が青の世話をするから。橙は気にせず遊んでいらっしゃい?」
青を撫でていた紫はにこりと笑みを浮かべ、橙から素早く粥の入ったお茶碗と匙を奪い取る。その笑みは、いつもと違い少しだけ恐さを含んでいた。
意気込んでいた橙だが紫のその細くなった瞳に僅かに気圧され、渋々と言った様子で部屋を後にしていった。
「・・・姉様、何も橙を脅かす必要は無かったんじゃないですか?あれでは橙が可哀想です」
「だって、青を世話するのは姉である私の役目だもの。弟の世話は式神の、ましてや式の式の役目では無いわ」
紫は不満そうな声で青の頬を人差し指でつつく。橙の提案を受け入れようとした自分も悪い、とでも言いたいのだろうか。
「なら、橙や藍の様に何か作ってくださいよ」
「私は料理は苦手なのよ。それに、それは式神の役目だわ」
先程とは言っていることが真逆の姉に、思わず呆れて溜め息が漏れる。しかし世話をしてくれると言っているのだ。動くことすら辛い今、それに頼ることにしよう。
姉の膝の上に置いていた自身の頭を少しだけ起こし、匙が口元に運ばれるのを今か今かと待つ。
「はい、あーん」
「あー…ん」
もうこのやりとりをするのも何千、何万回目になるだろうか。幽々子達はこの行為は恋人同士がするものと言っていた。ということは、自分と姉は恋人ということになるのだろうか。
そんなくだらないことを考えながらも、青はまた口に入って来た水分をたっぷり含んだ米を咀嚼する。ほのかに塩味があって美味しい。
「これを食べ終えたら、一緒にもうひと眠りしましょう。妖怪は人間と違って傷の治りも早いけど、それでもその痛みはもう数時間は続くと思うわ。眠ればその分早く傷が癒えるだろうから、起きた時には治っている筈よ」
「一緒にって…姉様は眠り過ぎだと思いますよ」
「今日は事情があるんだから、映姫も多めに見てくれるわよ。それに、貴方は私がいないと眠れないでしょう?」
「・・・それはそうですけど」
姉に一切の悪気が無いのくらいわかっているが、やはりこの年で一人で眠る事の出来ないことを再確認させられると恥ずかしい。もしかしたら幽々子達の夜這いを拒絶しきれないのも、自分が無意識のうちに人肌を求めているからかもしれない。とんだ遊び人だなと、青は心の中で失笑を漏らす。
「ん…ご馳走様でした」
「はい、お粗末様」
「それは作った人が言うんです」
青の的確な指摘を紫は華麗にスルーし、青を抱き締めて強制的に布団の方へと持っていく。
「・・・食べてすぐ寝たら牛になると、誰かが言っていた様な気がします」
「大丈夫よ。私の能力ですぐに元に戻すし、牛にした奴を殺しに行くから」
「愛されてますねぇ…私は」
「当然よ。私の最愛の弟だもの」
そう言って紫は彼の頭を撫で、そっと口付けをする。姉の温もりという専用の最強の睡眠薬を得た青は、あっという間に眠りに落ちていくのであった。
「紫様…仕事をなさってください」
青が眠りに落ちて暫くして、襖の向こうからそんな声が聞こえてきたが、紫は無視を決め込んだ。