見えない境界少年   作:迦羅

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三十話

「まさか儂が会いたいと思っていた時にお主の方から来るとは思わなんだ。よくもまぁぬけぬけと、ここにやって来られたものじゃ」

 

 青の目の前には大きな尻尾を携えた化け狸、二ツ岩マミゾウが立っていた。

 随分と久しぶりの再会になるが、どうやら彼女にとってはあまり嬉しいことでは無いらしい。僅かだがその声に棘がある事を、青は感じていた。

 

「不機嫌そうですが、私貴女に何かしましたっけ?」

 

 本当に自覚のない青に呆れたのか、マミゾウは大きな溜め息を吐いた後に再び口を開く。

 

「お主が先の同窓会で白蓮に爆弾発言を投下したお陰で、儂は偉い目にあったんじゃよ」

 

「あぁ、そういえばありましたね。そんなこと」

 

 自分が多大なる被害を被った大事件をそんなことで片付ける青に、マミゾウは目を細める。

 

「そういえば…?お主のせいで儂は聖に長いこと問い詰められたんじゃぞ?」

 

「先に手を出したのは貴女でしょうに…自業自得ですよ」

 

 当然と言わんばかりに眉間に少しばかり皺を寄せながら、マミゾウに言葉を投げ続ける。

 

「あの時の貴女は酷かったですよねぇ。まだ穢れも、力の使い方も知らなかった私を押し倒し、三晩…いえ、十晩も泣き続ける私を犯し続けたのですから。居間で、厠で、寝ている姉様の隣で。貴女の無茶振りに私は何度、涙を流したことか」

 

「そんなこともあったのう…しかしそれに耐え、墜ちることのなかったお主の精神力は実に見事じゃった。それに、どちらかと言えば被害を被ったのは儂じゃ。お主を抱いてから、儂は一切他の男に興味が無くなってしまった。お陰でここ数千年ご無沙汰じゃ。どうしてくれる?」

 

「当然です。私の力は蜘蛛の巣であり麻薬。貴女は所詮、私の力に踊らされている憐れな妖怪に過ぎなかったのですよ。私に溺れてしまったのがその何よりの証拠」

 

「ほう…あの時ただ鳴き続けることしか出来なかった童が言うではないか。何なら今ここで、あのときの続きをしても良いんじゃぞ?」

 

「望むところですよ…!」

 

 マミゾウの挑発を、青は真正面から受け止める。

 彼女はその返事に口元を歪め、ゆっくりと彼の上半身を覆っている唯一の布に手をかけた…その刹那。

 

「貴様…青様に何をしようとしている?」

 

 ミシリ…という何かにヒビが入った様な音が、青の耳に届く。戻って来たのだろう。近くに感じる藍の気配と彼女の怒りを含んだ声。先程の音は、藍が力任せに掴んだマミゾウの腕から鳴った音だろうと推測する。

 

「あぁ、藍。おかえりなさい。無事に許可を得る事は出来ましたか?」

 

「はい、青様。先程聖白蓮殿に話を通して参りました。それで、二ツ岩マミゾウ。貴様は今、何をしようとしていた?」

 

「ふん、お主に話す必要は無い。折角の時間を邪魔しおって…これだから化け狐は困る」

 

「あ?腕を折られたいのか?子狸風情が」

 

 目の前で今にも喧嘩を始めそうな二人に、青は小さく溜め息を吐く。藍は姉の都合で命蓮寺へと訪れた際に何度かマミゾウと会った事があるのだが、何かある度に言い争いを始めてしまう程仲が悪いらしい。お互いが昔から対立している狐と狸の頂点に存在するからだろうか。犬猿の仲ならぬ狐狸の仲だ。

 

(私もあの程度の挑発に乗ってしまうとは…ある意味、マミゾウと再び出会うことが出来て嬉しかったのでしょうね)

 

「藍、狸相手にむきになる必要はありません。白蓮を待たせる訳にも行きませんし、中に入るとしましょう」

 

「・・・承知しました」

 

「酷い言い草じゃのう。主従共々臆して逃げるか」

 

「貴様…!「マミゾウ」」

 

 マミゾウの言葉に耐えられず藍が激昂する寸前、青が藍に言葉を被せ、指をパチンッと鳴らす。

 

「貴女は今、誰と喋っているおつもりですか?」

 

 その言葉の直後、まるで陽炎の様にマミゾウの視界が歪む。急な視界の変化に彼女は思わず顔を顰め、一度瞬きをする。そして再び目を開けると、その場には誰もいなかった。

 

「幻…一体いつから…」

 

 青が先程までいた場所に手を伸ばしたが、ただ空を切るだけだった。

 

「流石九尾の飼い主、といった所かのう。狸を化かすとは…」

 

 伸ばした手を降ろし、マミゾウは小さく言葉を零す。

 彼との勝負はまた後日としよう。楽しみが増えたことに無邪気とはかけ離れた笑みを浮かべながら、彼女は本堂とは反対へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ざまぁみろですね。あのクソ狸」

 

 命蓮寺の廊下を歩いている最中、藍が唐突にそう吐き捨てる。

 

「藍、口が悪いですよ。まぁ、気持ちはわからなくも無いですが」

 

 確かに先程のマミゾウの言動は、少々煽り文句が多かった。もしや藍と会って喧嘩している時はいつもあんな感じなのだろうか。

 

「それにしても、青様のお力は凄いですね。私にもいつ幻と入れ替わったのか判断が出来ませんでした」

 

「なに、能力を応用しただけですよ。私はその気になれば、いつでも幻と現実を入れ替えることが出来る。便利な力です。その分、面倒な側面もありますがね」

 

(本当に…恐ろしいお方だ)

 

 能力だけで考えた場合、彼の能力は己の主とも同等以上に張り合う事が出来るだろう。彼の目さえ見えていれば、数百年前の月との戦争に勝利することが出来たかもしれないのに。

 

「藍、貴女が何を考えているのかはわかりかねますが、私は貴女の先導無しに進むことは出来ません。道案内、お願いしますよ。私は今日こそ、今日こそ雲山と話して見せます」

 

 青の言葉で藍は我に返る。今更昔の敗北が何だと言うのだ。過ぎたことを気にしても仕方がない。

 

「は、はい…!それと青様、白蓮殿によると、どうやら雲山は一輪と共に出払っているそうですよ」

 

「えぇ…」

 

 藍は少し落ち込んた彼の手を少し強く握り、止まりかけていた歩みを再開しようとする――が、

 

「待ちなさい…藍、どうやら向こうから迎えが来た様ですよ」

 

 彼の言葉を受け目線を前に向けると、廊下の奥からこちらへ歩いて来る、犬の様な耳を携えた少女の姿があった。

 彼女は少し早足で此方に向かってきて、丁度青達の目の前で足を止める。

 

「お久しぶりです、青さん!」

 

「この声…響子ですか。随分と久しぶりですね。今日、白蓮はこの寺にいらっしゃいますか?」

 

 出会った際のお決まりなのか、青は手のひらを立て、響子とハイタッチを交わす。彼女も久しぶりに昔の知り合いに出会えたのが嬉しいのか、尻尾が左右に揺れていた。

 

「はい、おりますよ。早速案内しますね!」

 

 そう言うと響子は視線を青から藍へと移し、先程響子が向かってきた方向、藍達の進行方向を指さす。ついて来いということだろう。

 彼女に頷き、藍は青の手を引きながら前を歩く響子を追いかける。

 彼女達の歩みが再び止まったのは、それから数十秒後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨日ぶりですね、青。まさか再会した次の日に寺を訪れるとは思ってもみませんでした。大した歓迎も出来ず、すみません」

 

「気にしていませんよ。貴女が昔から贅沢を嫌うことは知っています。それに、急に押し掛けたのは私達の方ですから」

 

 昔から、ここは賑やかでいい所だ。自分の手に伝わる温もりを感じながら、青は聖に返答する。

 手を軽く左右に動かしてやれば、ゴロゴロという心地よさそうな鳴き声が聞こえてくる。それは化け猫の橙を彷彿とさせるが、今彼の手の上に顎を乗せているのは猫では無く山彦だ。

 青の意志としては久しぶりの再会となる命蓮寺の妖怪達に挨拶をしたかったのだが、どうやら今日は白蓮と響子以外の者は出払っているらしい。事前に何も言っていなかったので、仕方の無いことではあるのだが。

 それにしても、何故ここまでなつかれているのだろう。隣にいる藍からの視線が痛い。

 彼女には天子とは違い、能力を使用して精神にゆさぶりをかけたことなどなかったはずだが。

 

「響子、あまりお客様に迷惑をかけないように。それと、マミゾウが何処へ行ったか知りませんか?」

 

「あぁ、マミゾウなら先程会いましたよ。しかし私達とは反対側へ歩いて行った様ですから、もうこの寺から出ているのでは?」

 

「逃がしましたか…折角青がいらしたのですから、謝罪をさせようと思いましたのに…」

 

「彼女は何があろうと頭を下げる事は無いと思いますよ。特に私達に対しては」

 

「本当にすみません。家の者が…」

 

「貴女が謝る必要は無いですよ。彼女が私の下を訪れたのは、貴女が生まれるよりも前の事ですし。それに、私は彼女にリベンジしたいという思いはあれど恨んでなどいませんから」

 

「そう言ってくれると助かります。しかしリベンジは絶対にしないでください。そうやって軽率に自分の体を預けるものではありません」

 

 青の発言に、白蓮は至極真っ当な意見を返す。二人のやり取りに事情を知らない藍と響子は訳が分からず首を傾げる。

 

「リベンジ…体を預ける…?青様、あの狸と何があったのですか?」

 

 藍の質問に、一瞬どう返答するべきかを考える。しかしもう姉にばらしてしまった以上、彼女の耳に入るのも時間の問題だろう。別にこのことを打ち明けたってマミゾウにしか被害は行かない。

 

「響子、台所から茶葉を持ってきてくれますか?」

 

「え…?はい、わかりました」

 

 どうやら白蓮は自分が何をしようとしているのかを察したらしい。すぐに響子をこの場から離脱させる。実に判断が早いことだ。

 響子の気配が遠ざかっていくのを確認した青は、藍にマミゾウとの出会い、そして成り行きを話し始める。尤も、先日の同窓会の時とは違い、自分が彼女に何をされたのかを出来るだけ簡潔に話しただけだが。

 

「あのクソ狸…次に会った時がお前の最後だ…!」

 

 凡そ五分の時間をかけて説明を終えた後の藍の反応はこの通りだ。青は今ここにマミゾウを連れてきたら面白いだろうなぁとか、別にそこまで気にすることでも無いのにと思いながらも彼女を宥める。

 

「まぁまぁ、藍、そこまでむきになる必要はありませんよ。もう過去のことですし」

 

「普通はこんな反応をするんですよ。全く貴方は…体を重ねるのに抵抗が無さ過ぎる。そんなことでは、いつか閻魔からお説教が飛んできますよ」

 

「安心してください。もう飛んで来ました」

 

 先程までと変わらない様子で笑みを浮かべながら言葉を返す青に、白蓮は思わずため息を吐く。幾ら聖人でも、開き直った彼を説得するのは難しいらしい。

 

「聖、持ってきましたよ~…何があったんです?」

 

 台所から戻って来た響子は、頭を抑える白蓮と固く拳を握りしめて毛を逆立てる藍に困惑しながら言葉を漏らす。

 

「何でもありませんよ。それよりもこうして久しぶりに会う事が出来ましたし、また昔の様に一緒に遊びましょう?」

 

「え、いいんですか?」

 

「構いませんよ。といっても以前から全く変わらないこの目ですから、外で遊ぶことは難しいかもしれませんが」

 

 藍を落ち着かせるのは白蓮に任せよう。嬉しそうな声を上げる響子に手を引かれながら、青はこの部屋を後にした。

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