青の誘惑の効果は絶大であった。
白玉楼を去った後も青は守矢神社に太陽の畑等様々な場所を回り、同様の方法で彼女達を誘惑し、焚き付けた。その結果現在彼の目の前には幾つかのチョコレートの箱が塔の様に積み重なって存在している。
普通の人間ならこの量を食べれば糖尿病まっしぐらだろうが、妖怪のかかる糖尿病など存在しない。青はその鋭い嗅覚でチョコレートの匂いを堪能しながら、誰の物から食べようかと思考を巡らせる。
青が動いた事による幻想郷への被害は以外にもあまり多くはなかった。ただ青を自分のものにすべく動き出した幽々子達によってチョコレートが全て買い占められ、ただでさえ幻想郷では貴重なチョコレートが大暴騰した程度だ。彼女達にとっても中々の量の出費であったが、値段を付けることの出来ない青を手に入れるチャンスなのだ。金なんぞ幾らでもドブに捨てる。
一応言っておくがここにあるチョコレートの全てが優勝賞品への権利を持っている訳では無い。例えば箱の積み重なった塔の下から三番目にある他の物よりもシンプルな包装のチョコレート。
これは紅魔館に住むフランドール・スカーレットから、以前遊んでくれたお礼と称されて貰ったものだ。流石にこれを対象にするわけにはいかない。『フランさんに私を食べて貰いに来ました』なんて言って紅魔館を訪れでもしたら、即座にレミリアの手によって映姫の下に連れて行かれるだろう。地獄行き確定である。
本来ならば橙と藍、そして姉もチョコレートを作ってくれる筈だったらしいのだが、姉の許可なしに外に出たので全て無かったことにされた。一体自分のしたことの何がいけなかったのだろうと、青は純粋にその様な疑問を抱いた。
そしてフラン以外にも想定外として、風見幽香が存在する。まさかチョコレートに関してどうこうを説明するよりも前に美味しく頂かれるとは思いもしなかった。流石に優勝賞品を勝手に食べた彼女はルール違反ということで、このイベントに参加する事は叶わなかった。本人は青を味わえただけで十分に満足していたが。青としても襲われたことよりも、チョコレートを彼女が結局用意してくれなかったことの方にショックを受けていた。
「最初はどれに…これにしましょうか」
そう言って青が手に取ったのは、マミゾウから貰ったチョコレートであった。
因みに青はどのチョコレートが誰の物なのかは理解している。と言っても目が見えないのでただ渡されただけでは判別はつかない。青は彼女達からチョコレートを貰う際に、包装ほ端に少し切り込みを入れて貰ったのだ。それぞれが形の違う切り込みを入れる事で、青が誰のチョコレートか触るだけで判断に出来るというものである。
手で模索しながらもなんとか包装を開け、その中にあるチョコレートを一つとって口に入れる。
「・・・意外ですね。ちゃんと甘くて普通のチョコレートです」
食べてみると意外や意外。極めて普通のチョコレートであった。口溶けも滑らかで喉の奥へと甘みがスー…と入って来る。恐らくこれはミルクチョコレートの類だろう。
『お前にはお子様用のミルクチョコレートがお似合いじゃよ』と言われている様で腹が立つ。被害妄想かもしれないが、それ程までに彼女が何の仕掛けも無しに純粋に普通のチョコレートを渡したことに驚いているのだ。
全部食べてしまいたいが、万が一全種類食べ切る前に腹が膨れてしまっては誰が優勝を手にするかを決められない。後で橙にも上げようと思いつつ、青は次の箱に手を伸ばす。
「さてさて、一番最初に伺った幽々子のチョコレートですが、一体どんな仕上がりになっているのやら――うん、これも中々の味。箱の大きさ的に量も多い様ですし…沢山あって美味しいという私の理想を体現してくれていますね」
幽々子のチョコレートはマミゾウの物よりも苦みが強い、所謂ビターチョコレートという物であった。チョコレートの甘さにチョコレートの苦みでつり合いを取るのは如何なものかと思うが、彼女もまたマミゾウに負けず劣らず美味しい。それなりに長い間友人として彼女を見て来たが料理をしている様子など一度も見たことが無い。恐らく妖夢に手伝って貰ったのだろう。
彼女達のどちらが上かと聞かれたら非常に悩ましいが、取り敢えず次のチョコレートを食べよう。自分がこの味に飽きてしまう前に。
「これは…ルーミアの物ですかね。何か変なにおいがしますけど」
既に本来チョコレートからしない様な香りが漂っている。考えてみれば彼女が料理をしている事などただの一度も見たことが無かった。ひょっとして彼女は料理が下手で、この中に入っているのは謎の物質なのではないだろうか。
しかし目が見えない上に匂いで判断がつかない以上、実際に食べるしか方法は無くなる。今まで長い間生きてきたが妖怪を絶った一口で殺す食べ物なんてお目にかかったことが無いから多分大丈夫だろう。
青は暫くの間口の前でチョコレートを持つ手を止めていたが、やがて意を決してそれを口の中に入れる。
「・・・ちょっと個性を出し過ぎでは無いでしょうか」
結論から言うのならば、別に食べられなくはない。たった一つ隠すことの出来ない隠し味が使われている以外は、至って普通のチョコレートだ。因みにその隠し味とは彼女がよく食べる人肉である。
青も妖怪である為に人肉は食えなくはないが、妖怪としてそれなりに力をつけてからは殆ど食べなくなった。殆どの大妖怪がそうなる中で、一人だけずっと人間を食べ続ける彼女が異常なのだ。出来れば偏食家の基準で贈り物を作らないで欲しい。
ともかくこれは今のうちに食べておこう。今はチョコレートの甘い香りがあるお陰でそこまで気にならないが、その匂いが消えた際に血生臭い香りが部屋から漂ってくるのは勘弁だ。
微妙に肉としての柔らかい食感が残るチョコレートを完食した後、青は次なる箱へと手を伸ばす。
実を言うと、今日青が貰ったチョコレートの数はあまり多くはない。幻想郷では友チョコという物の存在が知られていない為に、青にチョコレートを渡すのは彼のことが本気で好きである者だけだ。フランドールという自ら友チョコと似た様な発想を思いつく人物もいたが、彼女は唯一の例外と言って良い。そして彼の事を本気で愛している者の中で、青を襲いたくないなんて人物は存在しない。
今彼の前に残っている未開封の箱は、フランのを含めて三つ。天子やぬえ等会うことの出来なくて声をかける事が出来ずチョコレートを貰えなかった人物も存在するが、それでもチョコレートは六つ貰う事が出来た。そもそも材料が外の世界に比べて圧倒的に少ないことを考えれば、そこそこの量を貰うことは出来ただろう。
自分が査定すべきチョコレートは残り二つ。そのうちの一つを無造作に取り、包装を剥がす。
「これは諏訪子の物ですか。では一つ、いただきましょう――ッ!」
油断していた。一つ口に入れてからそう時間も経たないうちに、青の体を異様な感覚が駆け巡る。それは普段は感じない、しかし今まで何度かは味わった事のある感覚で、つい最近だと宴会の際に体感した体の火照り――媚薬を飲んだ際に現れる症状であった。
「やってくれましたね諏訪子…このチョコレートに媚薬を入れても、貴女に得は無いでしょうに…!」
ルーミアといい諏訪子といい、貰ったチョコレートに個性がありすぎてはいないだろうか。彼女達は食べ物を粗末にしてはいけないと教わったことが無かったらしい。どうしようもなく体が火照るがこれはルーミアのチョコ同様橙にあげることは出来ない。青は暫くの間悩んだが、結局そのチョコレートを食べる事にした。ゴミ箱に捨てたとして万が一蟻にたかられたら困るし、一度口にしてしまった以上どれだけ食べても発情していることに変わりは無いだろう。
体の火照りを冷ます為に彼女の下へ向かうとでも思ったのだろうか。当然彼女は失格だ。例え理性が無くなる程に気持ちが昂ったとしても、絶対に彼女の下には行かない。
「あぁ、ムラムラする…取り敢えず、次のチョコレート…萃香のを食べましょう」
そう言って青は残っている箱の包装を少々乱雑に剥がし、中のチョコを一つ手に取る。彼女も例に漏れず手作りの様だが、他のチョコとは違い触れてわかる程形が歪なのが如何にも大雑把な鬼らしい。青としては形なんて見えなければ意味が無いので、味さえよければ何でもいいのだが。
そしてそれを口の入れようとした時、彼は気づいてしまった。チョコレートから嗅いだことのある匂いがする。それは媚薬と同じく、宴会の際に嗅いだ未だに記憶に新しい匂いであった。
「よりによって諏訪子の後にこれですか。萃香のに限って言えば何となく嫌な予感がしていたんですけど…」
萃香のチョコレートは彼女らしく、中から酒の匂いがした。これは諏訪子とは違い一切の悪意は存在しないのだろう。青も姉から外の世界には酒を使ったチョコレートがあることを聞いているので、彼女の作ったチョコレートが悪いと言うつもりは微塵も無い。
しかし今は状況が最悪だ。鬼の飲む酒で造られたという事は、このチョコに使われている酒も度数はかなり高いだろう。宴会の際の醜態が頭をよぎる。流石に自分の家で能力のタガが外れるのは不味い。橙を発情なんてさせてしまったら、藍に間違いなく怒られるだろう。
だからといって萃香の作ったチョコを食べないのもそれはそれで後で彼女に何をされるかわかったものではない。青は悩みに悩んだ挙句、萃香のチョコレートを食べる事にした。今日は自分の家で寝るのはやめよう。明日の朝にここにいなければ姉に心配されるかもしれないが、それは全責任を媚薬を入れた諏訪子に押し付ければ解決する筈だ。万が一自分が理性を失ってもすぐさま転移出来るように能力を発動しながらも、青は萃香の作ったチョコレートを口に入れる。
「美味しい…」
その言葉は、彼が意図して言ったものでは無かった。マミゾウや幽々子の作った物も十分に美味しかったが、萃香のチョコレートはそれを遥かに凌ぐ出来だった。これが店の商品だと言われても信じてしまうかもしれない。この形の歪さが無ければ、彼女が作った物だと信じなかっただろう。
「美味しい…美味しいですけどぉ…!」
宴会の時に感じた感覚が彼を襲う。能力が自分の体の中で暴走を開始しようと暴れ回っているのがよくわかる。青はそれを力づくで抑える様に胸を片手で押さえながらも震える指を何とか鳴らし転移に成功する。
「うぉっ!青か!?いきなり私の前に転移す――わわっ!」
突然自分の目の前に現れた青に驚いた伊吹萃香は状況を確認する暇も与えられずに青に押し倒される。今まで青を押し倒す事はあれど押し倒される事は無かった彼女にとって今の彼に馬乗りにされているこの状況は更なる混乱を与えることとなったが、青は彼女の気持ちなどお構いなしに話を進めていく。
「すみませんね萃香…文句があるなら媚薬を飲ませた諏訪子に言ってください。約束通り、貴女に私というお返しを渡しに来ましたよ。能力という厄介なおまけつきですが…!」
そこでとうとう限界が来たのか、青の持つ『誑かす程度の能力』が制御を失う。突然の事で全く精神面の警戒をしていなかった萃香はその影響で僅かに頬が赤くなり、しかし漸くその言葉と状況を理解したのか爛々と目を輝かせた。
「いいんだな…いいんだよな青。お前のことを食っちまって!」
「えぇ、どうぞ好きなように使ってください。どうにも体が火照って仕方ないんですっ…!」
姉曰くバレンタインにはホワイトデーというお返しをする日が決められているらしいが、そんなことは知ったこっちゃない。自分は今すぐに、萃香に食べて欲しいのだ。
結果的に二人は眠ることは無く、太陽が昇るまでお互いを貪りあった。いくら無尽蔵の体力を持つ彼女と言えど青の能力による魅了効果と彼のテクニック、そして朝までの長丁場というトリプルパンチは相当キツかったらしく、バレンタインの翌日には酒を飲む余力すら残っていない鬼という非常に珍しい光景が見られたとか。