まず初めに感じたのは嗅覚を刺激する鈍色の臭いだった。
全身を包み込むようなむせ返るそれは――血の臭いだ。
――ここは?
混濁する意識をなんとか動かし、周囲の状況を確認する。
薄暗い空間は端が見通せない程広く、その中央辺りにレイルは立っていた。
幅広い通路の両側には淀んだ湖があり、その所々に赤黒い染みが広がっていた。
人だ。
人が、倒れていた。
四肢を引き裂かれ、惨たらしく打ち捨てられた骸達。
――あ、れは?
物言わぬ屍達を見据え、レイルは未だ茫洋としたままの思考を働かせる。
何故彼等は殺されたのか、何故自分はこんな所にいるのか? そもそもここはどこなのか……
情報が少なく、事態が判然としない。
けど、分かることがあった。
倒れ伏す彼等が身に纏う衣服――千々に裂かれ、血で染め上げられたそれを、レイルは知っていた。
――そん、な……
馬鹿な、と思考するよりも先に、レイルは前方に聳える存在に気が付いた。
床に落としていた視線をゆっくりと上げていく。
その先に佇んでいたのは――赤黒い巨躯の、禍々しい存在だった。
――なんなんだ……
この手の存在には慣れていたレイルにとっても、その存在は異様なものであった。
「――!」
そして、その背後。祭壇と覚しき建造物の最上部にあるものを見つけ、レイルは息を呑み込んだ。
巨大な天球儀を思わせる装置の中心部。透明な球体の中で揺蕩う少女の姿が飛び込んできた。
まだあどけない姿。義妹に似た淡い翠耀石を彷彿とさせる髪。彼女が球体の中で瞼を開けていく。
そして、声ならぬ声でレイルへと懇願してくる。
――――ミンナヲタスケテ――――
魔都からの呼び声
<4月26日 近郊都市トリスタ>
「――ッ!」
声にならない叫びと共にレイルは飛び起きた。
呼吸が荒い。それに、酷く汗を流してしまっている。
――夢、なのか?
恐らくそうなのだろうが、先程まで見ていた光景があまりにも鮮烈で、五感の何もかもが現実だと誤認している。
「ただの悪い夢、なら良いんだが……」
先日届いたスウェードからの手紙が思い返される。
――各地で教団の残党らしき者の動きあり――
その一文と、先程見た夢の内容が全くの無関係であるとは、今のレイルには到底思えなった。
――ミヒュトさんの所から向こうに通信してみるか……あぁでも、国境越えでの通信だし、傍受対策に暗号文でのやりとりか……
「四の五の言ってる場合じゃないよな」
ここであれこれ気を揉んでいても仕方ないと思い、レイルは素早く身支度を調えていく。
窓から差し込む光はいつもの起床時より高く、時計が指し示す時刻がいつも以上に寝入っていたのだとレイルに告げていた。
――リィンとラウラは……
支度を進めながら同じクラスの2人について、考える。
昨日一昨日に行われたⅦ組の特別実習。
その中で彼等は色々なものに触れ――そしてあの2人は、剣士としての思いをぶつけ合った。
高みを目指す者として研鑽を誓い合った彼等は、今日も朝早くからの鍛錬に勤しんでいるのだろう。
――鍛錬に付き合うって約束だったけど、さすがに……
申し訳なさもあったが、今はそれどころではないという予感があり、手早く準備を済ませてしまう。
エリオットやアリサ、リューネ辺りはまだ眠りの中だろうから、極力音を立てずに部屋を後にする。
階段を降りきるところで、玄関戸が外から開かれるのが見えた。
「いつもならもう起きているはずなんですが……確認してきます」
「悪いな。だが、急を要する。眠りこけてるならたたき起こしてくれ」
リィンであった。
既に朝の鍛錬で汗を流した後らしく、タオルを肩に掛けた状態で寮に入ってくる。
その背後にいるのは、聞こえてくる声からミヒュトだと判断する。
嫌な予感が、形を帯びてレイルに絡みついてくる。
だが、頭を振り、邪念を振り払う。
「起きていたのか、レイル。外に質屋のミヒュトさんが来ているんだが……」
「みたいだな。悪いけど、今朝の鍛錬には付き合えそうにない」
「それは別に構わないが……」
冷静を装い、レイルはリィンの脇を通り抜ける。
玄関先にはいつも以上に鋭い剣幕のミヒュトが待ち構えていた。
その表情を見た瞬間、レイルの中にあった言いようのない不安が膨れ上がった。
「緊急の要件だ。俺の店まで来い」
◆
「これは……!」
質屋《ミヒュト》。その裏口から住居スペースに入り、ミヒュトより渡された書状の束に表情を硬くした。
書状の一つは彼の仲間であるスウェードからのものである。
そして、残りは――
「遊撃士協会クロスベル支部……それに、帝国軍情報局だと!?」
「あぁ、複雑なルートを使って、俺の所まで届けてきやがった。しかも、遊撃士協会からの連絡もあるだろうから、併せてお前に渡せと」
つまり、遊撃士協会と情報局が同時にレイルへと連絡を取ってきたということである。
――しかも、情報局は協会の動きを把握した上、ってことか……
そこにスウェードからの連絡も重なるとなると、
「きな臭くなってきたな」
ミヒュトが溢した言葉にレイルが頷く。
「あぁ……とにかく中身を確認してみるよ」
嫌な予感を抱えながらも、レイルは書状を一つ一つ確認していく。
◆
「……………………ふぅ」
「大丈夫か?」
逸る気持ちを抑え、全ての書状に目を通したレイルが重い息を吐き出した。
様子を伺っていたミヒュトの問いにレイルが答える。
「かなり、まずい状態だな」
まず、スウェードからの手紙の内容は、
「クロスベル各地で異形の存在――天使のようでいて禍々しい存在の目撃情報について書いてあったよ」
「そいつは――」
「あぁ。半年前に潰したはずの――リューネがいたロッジで研究されていた存在で間違いないかと」
レイルの脳裏に、かつて関わった事件の情景が浮かび上がる。
人里離れた山奥の洞窟内部。人の目から逃れるために設けられた研究施設内に立ち並ぶ培養槽――
「確か、<依代>に霊的な存在を憑依させて――ってやつだよな」
ミヒュトの確認にレイルは頷いた。
2人の表情が苦々しく歪む。
「つまり、奴らの残党がいることが確定したってわけだな」
「そう、だな……それと」
レイルが2つ目の紙束を示す。
遊撃士協会クロスベル支部からの連絡だ。
「クロスベルにて蒼い錠剤が出回っている、とさ」
「嫌なことは重なると言うが……あまりにもな状況だな」
蒼い錠剤。
かつて国際的犯罪組織として各国の軍や遊撃士協会、七耀教会などの共同作戦により制圧された狂信的な宗教団体が、大陸各地の拠点にて行っていた実験に使用していた違法薬物。
「<
その宗教団体の一斉検挙が行われたのが6年前――レイルやエミナが遊撃士になる前の話であったが、3年前のとある事件により、レイル達にも深い関わりがあった。
その事件にもこの蒼い錠剤がとある猟兵団に流されており、様々な協力もあり、無事解決したはずだが――
「天使のような怪物や蒼い錠剤――教団の関与は揺るぎないな」
「となると、お前達の出番ってわけか」
「そうなるよなぁ」
ミヒュトの言う通りだ。
これまでの経験上、天使のような怪物への有効打となるのは、神薙としての力――即ち霊力を用いた力である。
――導力魔法も多少なりと効果はあるが……
高位のアーツでなければ、焼け石に水、というのが正直なところである。
クロスベルにも同じく神薙の一族である従兄がいるのだが、戦力は多いに越したことはない。
それに件の違法薬物に関わったことがあるのだから、尚更だろう。
「けど、どうする? 今のお前さん達は、要らぬ波風を立てねぇように資格凍結中だ。この件のために凍結解除して、首を突っ込むとなると……まず間違いなく、横槍が入るだろ」
「それについては、ミシェルさんと……こっちの方で動きがあったみたいだ」
レイルが残る書状をミヒュトに示した。
「遊撃士協会としても俺達の資格をそう簡単に切り替えるのは信用に関わる、と渋っているみたいだ」
「だったら――」
どうする? という言葉を言われる前に、レイルが続ける。
「過去にも“裏”で出回った違法薬物――その事件に携わった人間として、俺達を重要参考人として召喚するってことで押し通すつもりらしいな」
「なるほどな……自発的に首を突っ込む訳じゃなく、事情を知っている一般人として呼び出されるってことか」
「そう言うこと。それに――現地に行けさえすれば、事態への関与はどうとでもなるしな」
つまり、たまたま事情を訊きたいと呼び出された先で、事態に巻き込まれでもしたら――正当防衛として動かざるを得ない、ということだ。
「随分と狡いことを考えやがるな」
「それだけ切迫した状況、ってことだよ」
「そっちの方は良いとして……帝国側の横槍についてはどうするんだ?」
「それについては、現地にいる情報局の人間と密約を交わしたみたいで」
最後の書状――帝国軍情報局からの通達文の要約はこうである。
違法薬物の流布は周辺諸国にも多大な影響を与えるため、即刻の事態解決が求められる――ただし、異形の存在がこの件に関与していると見られる以上、まずは専門家による対処を優先し、推移を見守る。
「つまり……ある程度は見逃してやるから、さっさと解決してこいってことか」
「それもあるけど、無闇に正規軍に被害を出したくないから、ってのもありそうだな」
本来であれば、クロスベル内で起きた事件に帝国側が介入するとなれば、利権争いで敵対している共和国側からの反発は必然だろうが、クロスベル自身に問題解決能力がないとして、併合への一手としそうなものだが、
――異形の存在が相手となると、流石の帝国軍でも手を焼くってことだ……
だから、容認するということだ。
「まぁ、だからといって向こうも野放しにする気はないみたいだけど」
「……監視がつく、ってことか」
ミヒュトの言葉に頷いてみせる。
「名目としては事件関係者に対する護衛って感じだな」
帝国の思惑を額面通り受け取って良いものか不安はあるが、何にしてもレイル達の介入する手筈が整っているということだ。
「鉄道憲兵隊の方で移動手段を用意してくれているみたいだし……一先ずヴァンダイク学院長に連絡しないと――」
「ならば、手間は省けたようであるな」
レイルが行動を起こそうとした直後、扉の向こうから声が掛けられた。
視線を向けると、そこには声にも感じられた風格と威厳を身に纏ったかのような長身の初老――ヴァンダイク学院長と、その巨躯の脇から顔を覗かせているリューネがいた。
◆
「ヴァンダイク学院長? それにリューネも……どうしてここに」
「まずい状態だと思って、学院長殿は俺が呼んでおいたんだ」
そう告げるミヒュトの傍らを抜け、ヴァンダイクがレイルへと歩み寄る。
「聞き耳を立てるつもりはなかったが……おおよその話は聞かせてもらった。それと、彼女についてだが、丁度近くで鉢合わせてな」
2アージュ近い長身に促されるも、リューネは物怖じすることなく、リューネがレイルを見据える。
レイルもその視線をしっかりと受け止めた。
――奴らの残党となると、リューネが狙われる可能性は捨てきれない……
だが、神薙の一族でないものの、彼女の力は異形の存在に対して有用である。
彼女の身の安全を考えれば、彼女が言わんとしている内容は拒むべきだ。
「お兄ちゃん。私も行くよ」
静かに、だけど強い意志が込められた宣言にレイルの耳朶を震わせる。
――そう、だよな……
自身と同じ境遇の存在が今尚悪意ある存在に利用されているなど、心優しい彼女が見過ごせる訳がない。
例え救うことが叶わなくても、自分達なら止められると、リューネは理解しているのだ。
だから、彼女は躊躇うことなく、そう告げたのだ。
「…………分かった。けど、無理はしてくれるなよ」
「ありがとう……お兄ちゃんもね」
そう言って安堵の表情を浮かべるリューネを尻目に、レイルはヴァンダイクへと向き直る。
「……そう言うことなんで、俺とエミナ、リューネ――それにフィーの4人を、クロスベルへ行かせて下さい」
「…………」
レイルの言葉を聞いたヴァンダイクが瞳を閉じて黙考する。
重い沈黙が部屋を包み込むが、程なくして、
「君やエミナ・ローレッジの立場や使命を考えれば、致し方ないのだろう……彼女にも事情があるのは分かった。だが」
重々しく言葉を投げかけるヴァンダイク。
レイルは静かに、彼の言葉を受け止めた。
「フィー・クラウゼルを同行させる意図は何かね?」
話題にも上らなかった彼女を同行させる理由は何か。
それは、
「蒼い錠剤についてはフィーも関係者の一人です。それにあの違法薬物が絡んでいる以上、行方知れずとなったフィーの古巣――西風の旅団が動きを見せるはずです」
かつての事件が解決した折に交わされた約束。
それを取り交わした者はもういないし、その団員も今では散り散りとなって行方を眩ませている。
けれど、彼の意志を継ぐ者達が健在であるならば、彼等はきっと行動を起こすはずだ。
「それだけでは、同行を許可する理由としては弱い」
「ッ!」
「だが――」
食い下がろうとするレイルを抑えるように、ヴァンダイクが笑みを浮かべる。
「彼女が動くには十分な理由なのだろう」
下手に抑え込んで暴走される方が危険だろう。
だから、
「君達がよく見ていてあげなさい」
「! ありがとうございます!」
「ただし、3日だ。それ以上は君達の身を預かる立場としては許可出来ぬ」
本来であれば生徒の身を案じ、止めるべき立場にある彼からの最大限の譲歩である。
そのことを深く受け止め、レイルが改めて頭を下げる。
それを見て、ヴァンダイクが鷹揚に頷く。
「だが、これだけは忘れてはならん」
君達は今、トールズの学生であることを。
だから無事に、ここへ帰ってこなければならないと――
◆
かくして、ヴァンダイク学院長からの許可を得たレイル達であったが、すぐにクロスベルへと向かうわけにはいかなかった。
B班として特別実習に出ているエミナとフィーが戻ってくるのは昼前の予定であるし、情報局からの通達では、途中――ガレリア要塞までの移動手段として鉄道憲兵隊の高速車両を帝都ヘイムダルにて待機させているとのことだ。
ミヒュトへパルムにいるサラ宛てに連絡を頼み、帝都にて合流――その後、クロスベルへと出立となる。
それまでに2人の分を含めた準備を整えていく。
慌ただしく用意を済ませていくレイルとリューネを見て、リィン達が様子を伺っていたが、詳しい説明をしている暇はなかった。
最低限、3日程出掛ける旨と、そのことは学院にも連絡して許可を得ていることだけを伝えて、2人は足早に駅舎へと向かっていった。
そして――
◆
「お待ちしておりました」
ヘイムダル駅に降り立ったレイルとリューネを出迎えたのは、
「やっぱり、クレアさんでしたか」
レイルの視線の先にいたのは――灰色を基調とした鉄道憲兵隊の制服ではなく、本革仕立てのジャケットに膝丈より少し短いスカート姿のクレアであった。
情報局が手配した鉄道憲兵隊による移動手段、という情報から薄々と感じてはいたが、予想通りの人選に内心頭を抱えた。
――レクターの野郎……
今回の情報局の動き――まず間違いなくレクター・アランドールが絡んでいるだろうと予測していた。
そして、こちらに付ける護衛兼監視の人選も彼からの推挙があったに違いない。
奴のことだ。問い詰めたところで『知ってる顔の方がやりやすいと思ったからよ~』などと嘯くだろうが、どうせクレアとの関係性を抑えた上での面白半分の所業だろう。
――次に会ったらシメる!
と、怒りを燃やしていたが、クレアの声で意識を引き戻される。
「まさかこんなことになるとは思っていませんでしたが……どうか、よろしくお願いしますね」
「え、えぇ。こちらこそ」
差し出された手を握り返す。
挙動が怪しくなっていなかっただろうかと思ったが、特に不思議に思われずに済んだようである。
――あくまで普通に接してくれる、ってことか……
それはそれでありがたいような、いたたまれないような、と複雑な心境である。
それに、
「……………………」
リューネの視線が痛かった。
クレアとの関係性を疑われて間もなしの再会である。昨日のうちに一応は納得してくれたようであるが、それでも疑いの目は晴れきっていないようだった。
「大丈夫ですよ、リューネさん」
すると、クレアがリューネへと優しげに語り掛ける。
「レイルさんとエミナさんのことは存じ上げていますから、お二人の邪魔はしませんからご安心ください」
「あ……」
自身が抱いている疑念――あるいは不安の要因を言い当てられた上で、そのことを心配しなくて良いと諭される。
レイルへの疑念やクレアへの警戒心があからさま過ぎたことへの羞恥心や、クレアの言葉を信じて良い物かという懊悩が、彼女に複雑そうな表情を浮かばせるが、
「分かり、ました……」
そう言って、クレアに頷いてみせる。
それを受けたクレアも安堵の表情を浮かべ、2人に着いてくるよう促してくる。
「じきにエミナさん達も到着されます……どうぞこちらへ」
案内されたのは駅舎の奥まった位置に設けられた鉄道憲兵隊の指揮所だった。
「こちらでお待ちください。私はエミナさん達を迎えに行ってきます」
指揮所の一角――会議室の一つへと案内された2人が中に入ろうとしたところ、クレアがレイルへと耳打ちしてくる。
「ごめんなさい。昨日のことはあまり気にしないで頂ければと」
「それは……」
「本来であれば伝えるつもりはありませんでしたが……気持ちを切り替えられない女の戯言と思ってください」
それでは、と言い残してクレアが離れていく。
「………………」
彼女に対するぎこちなさを見透かされ、気を遣わせてしまった。
彼女から向けられる感情を嬉しく思ってしまう反面、それに自分が応えることはない。
であるならば、彼女を突き放すべきなのだろうが、
――そうしたくない、ってのは俺の我が儘だ……
考えれば考える程、自己嫌悪に陥りそうになる。
「どうにかしないとな……」
小さく溢した言葉が、いやに耳にこびりついた。
だが、エミナのことを思えば、これはレイルが向き合わなくてはならない問題だった。
◆
「クレアさん!」
セントアーク方面から到着した飛び出してきたエミナが、待ち構えていたクレアを見つけると一目散に駆け寄ってきた。
「お久しぶりです、エミナさ――きゃ!」
そしてその勢いを緩めることなく飛びつき、力の限り抱き締めてくる。
「良かった……元気そうで。それに心配してたんだよ?」
「エミナさん……」
「ギルドの排斥が進む中、なるべく穏便にことが進むように働きかけてくれてたんでしょ? そのせいで立場を悪くしたんじゃないかとか……それに、クレアさんのことだから、自分を責めてるんじゃないか、って」
「それ、は……」
「ごめんなさい。もっと早く会いに来られれば良かったんだけど」
「……怒ってはいないんですか?」
と、不安げに訊ねるクレアに対し、エミナが即座にデコピンを放った。
「ていっ」
「!? なにを――」
「怒るわけないよ……立場は違っても、今でもクレアさんのことは仲間だって思ってるよ」
誰かさんはまだうだうだ悩んでるみたいだけど、と続けたエミナが停車している車両へと鋭い支線を向ける。
その先には車窓越しにこちらの様子を伺っている深紅の制服を纏った学生達とサラの姿があった。
クレアがつられるように目を向けると、すぐさまサラが顔を逸らせる。
それを見たエミナが吐息を溢し、
「まったく……列車の中で少し話したんだけど、サラ姐はサラ姐で色々悩んでるみたいだから、もう少しだけ待っていて欲しいかな」
「完全に嫌われて……憎まれているものだと思っていました」
だけど、エミナの言葉でそうではないと知れた。
ならば、今はそれで十分だ。
時間は掛かるかも知れないが、関係を修復する余地が残されているのだ。
それに――
――私には勿体ないくらいです。
道を違えたと言っても過言ではない自分に対し、今尚信頼を寄せてくれるエミナがどれだけありがたい存在なのかを噛み締める。
そんな彼女だからこそ、一度は身を引こうと決意したのだが、
――ままなりませんね……
昨日、レイルに告げてしまった想いを振り返り、自身の軽率さに頭を悩ませるが、彼女のことを思えば、この気持ちには蓋をしてしかるべきだ。
「ごめんなさい……それと、ありがとうございます」
改めて決心し――そこでようやく、クレアはエミナを抱き締め返した。
「2人ともイチャイチャしすぎ」
と、今まで様子を伺っていたフィーから指摘され、クレアは身を引き剥がした。
周囲には好奇の視線が集まってきていた。
「し、失礼しました……フィーちゃんもお久し振りですね」
「ん。益々美人になったね、クレア」
フィーの率直な讃辞を面映ゆく感じるが、平静を装ってクレアは話を本筋へと移す。
「ありがとうございます――レイルさん達は既に到着されているので、すぐにでも出立しましょう」
◆
クレアに引き連れられた先で待ち構えていたのは、鉄道憲兵隊が所有する高速列車だった。
鉄道網が通った地域で問題が生じた際に直ちに駆け付けられるよう、専用車線を設けられた特殊車両である。
「この列車であれば、ガレリア要塞まで2時間と掛かりません。そこから一般の列車に乗り換えて、クロスベル市内までの移動となると――到着は15時頃の予定です」
「えぇ。――行こう、クロスベルへ!」
レイルの号令の後、皆が車両に乗り込む。
程なくして動き出した列車が、すぐさま速度を高めていく。
目指すは陰謀渦巻く魔の都、クロスベル――