<同日 22:00>
「そうか……そのようなことが」
IBCの総裁室にて、ロイド達の――そして、彼等を追ってやってきたレイル達の説明を受け、ディーター・クロイスは、思わず眉間に皺を寄せてしまった。
「嘆かわしいことだ……その《教団》の残党とやらの罪深さはもちろんだが、そんな連中に付け込まれ、ここまでの事態を引き起こした愚か者達には心底呆れ果てたよ」
クロスベルを想う一市民として、教団に加担したハルトマン議長や警察上層部、ルバーチェに対する憤慨を露わにする。
クロスベルが抱える問題として、ルバーチェのような存在や議員や役員の腐敗はある程度仕方がないと諦めていたディーターだったが、政界に影響力のあるIBC総裁という立場ゆえに中立を保ってきた怠惰も今回の一因にもなったのだと、目の前の青年達に頭を下げる。
「いや、流石にそれは気にしすぎじゃないッスか?」
「実際、権限や責任があるわけでもないですし……」
と、ランディとティオが気遣って発言を差し挟むが、なおもディーターは己を恥じるように心中を吐露する。
「私にもクロスベルを愛する市民の1人という自負があったはずだが……忙しさにかまけて、その愛郷心も薄れていたらしい」
「……それは私達市民、1人1人がそうだったと思います」
寂しさを感じさせる表情でエリィが同意を示す。それを見たディーターが重くなってしまった空気を拭うように、声音を明るくして振る舞う。
「いずれにせよ、ここで愚痴っていても仕方ない。この事態を解決するために、我がIBCは総力をもってロイド君達に協力させてもらおう――君達もご協力願えるだろうか?」
そう言って、レイル達へと視線を送ると、
「教団が関わっているなら、俺達も無関係ではいられませんからね」
「クロスベルは思い入れがある街だし、ここまで事態に関わった以上協力は惜しみません」
レイルとエミナが代表するように意思表示を行い、それに続く形でクレアが、
「……皆さんからすれば、微妙な立場にありますが……国際的な犯罪組織を野放しには出来ませんので」
「そう言って頂けるならありがたい」
ディーターが謝意を述べると、横に控えていたマリアベルが、短く息を漏らして、
「と言っても、この状況は如何ともしがたいですわね」
先程から警察本部やタングラム門との通信が途絶しており、救援を呼び掛けることが叶わないでいた。
「ARCUS同士の通信は大丈夫みたいだから、各施設の通信設備が何らかの妨害を受けているみたいだな……導力ネットワークによる連絡も難しいのですか?」
すぐ近くにいるエミナ達への通信接続を試みた後、レイルが打開策を提示してみるも、マリアベルからは何者かによってジオフロント内の導力ケーブルが遮断されていると教えられる。
「何とか迂回ルートを確保すれば、通信網を回復出来ると思いますが……」
「ならば技術部のスタッフに最優先でやらせたまえ」
協力関係にある各所だけでなく、市内の各端末との連携がとれるように、とディーターが指示を飛ばす。
「そして……もう1つの心配は、キーア君か」
「はい。操られていた警備隊が俺達を執拗に追った目的はキーアの可能性が高いと思います」
ウルスラ病院で入手した教団に関する資料に挟まっていた写真や追撃時に受けた発砲が威嚇射撃に留まっていたことから状況証拠としては充分だった。
「殿の課長達には容赦なく撃ってきてたみてぇだしな」
「キーアを決して傷つけずに身柄を奪い取れ……そんな風に操られているのかも知れませんね」
「なら、俺達が遭遇した天依体のこともあるし――俺とエミナとラカムが持ち回りで護衛についた方が良さそうだな」
フェルディナンドの証言を信じるなら、空間転移による強奪は可能性としては極々低いのだろうが、敵からの情報を鵜呑みにする訳にもいかず、レイルが念の為としての提案を行う。
「すまないが、よろしく頼む」
ロイドの言葉に頷いて見せたレイルが、1番手として部屋を辞去する。それを見送ってから、
「ヨアヒムといったかしら? 随分、不気味な男みたいですわね」
と、マリアベルが今回の首謀者と目される人物へと言及した。
「正直、彼が何を考えているのか、はっきりとした事は判らないんです」
何のためにキーアを狙っているのか、資料に挟まれていた写真がどこで撮影されたものなのか――そもそもキーアが何故競売会の出品物であるトランクに入れられていたのか、
「……キーアちゃんの記憶が戻っていたら手掛かりになったんでしょうけど……」
事態はそう上手く行かず、謎ばかりが積み重なっていく。
「いずれにせよ、これだけの事態を引き起こしたと思われる人物だ。フェルディナンドという仲間を含め、恐ろしく危険な男であるのは間違いないと思った方が良いだろう……君達をこのビルに匿ったのは簡単には特定出来ないだろうが――」
万が一を想定して、覚悟だけはした方が良いと、ディーターはこの場にいる全員へと言い含めるのだった。
◆
「ところで――ラカム君はどうしたんだい? 随分と気落ちしているようだが……」
入室してから今まで一言も発せず、悲壮感を漂わしている姿が気になったのか、ディーターが心配そうにしている。
「買ったばかりの愛車がスクラップにされたからね」
IBC総裁相手であっても物怖じしないフィーが、簡潔に説明すると、ディーターがふむと何かを考える素振りを見せる。
「彼がこの調子では、キーアの護衛にも差し障るだろう……この事態が収まった暁には、事態収束のために生じた損失の補填として、新しく導力車を手配させよう」
新車は難しいかもしれないがね、と注釈を入れるディーターだったが、今のラカムにとっては効果覿面であった。
ラカムの目にみるみるうちに生気が戻っていき、誰の目にも留まらぬ速さで、気付いた時にはディーターの足下に傅いていた。
「一生付いて行きます!!」
「いや、そこまでは……」
あまりの迫力にディーターはたじろぐばかりだった。
◆
「……おにいさん、だれー?」
物音を立てないようにしたつもりだったが、レイルの入室で目を覚ましたらしい少女が、寝ぼけ眼をこすりながら誰何してくる。
腰まで伸びた少し癖のある若草色の毛髪を揺らす少女――キーアに近付き、レイルが上体を起こした彼女と目線を合わせるように屈んでみせる。
「ごめん、起こしちゃったか? 俺はレイル。ロイド達とは――友達なんだ」
「そうなんだー」
半分夢の中、といった様子でキーアが破顔する。
「ロイド達はまだお話中だから、代わりにキーアちゃんやシズクちゃんが安心して眠れるよう様子を見に来たんだ」
「そっかぁ……ありがとー、レイル」
人懐っこい笑みを浮かべるキーアに、レイルは思わず彼女の頭へと手を伸ばしていた。
「ん……へへっ」
最初はむずがゆそうに、けれどすぐに和らいだ表情を浮かべる彼女の髪を梳くように、レイルはそっと頭を撫でてやる。
「さあ、キーアちゃんも疲れただろ? 今はゆっくり眠ると良いよ」
「はーい」
横で眠っているシズクを起こさない範囲で明るく返事をするキーア。
彼女が再び布団に潜り込み、小さな寝息を立てるのを確認したレイルは、部屋の調度に合わせて設えられた豪華なソファに腰を下ろした。
何があっても即時対応が出来るよう、腰に佩いていた太刀はすぐ側に立て掛けておく。
――それにしても……
こんな幼気な少女を何らかの目的に利用しようとする教団の度し難さに、嫌気を覚える。
「必ず、守らないとな……」
そう呟いた直後――
――――ミンナヲタスケテ――――
「――っ!」
脳内に響く声に、思わず顔を顰める。
「今のは……」
思いの外疲れが溜まっていたのだろうか、と自身の様子を鑑みるが、まだまだ余力は残っている。
気のせいだろうか――そう思おうとしたが、その声が今し方聞いたばかりの少女の声にそっくりだったため、レイルは奇妙な感覚を覚えるのだった。
◆
「ランディ、ちょっと良いか?」
総裁室を出て、各々が装備の確認や補給に向かう中、ランディは背後からロイドに呼び止められた。
その表情があまりにも真剣なものだったので、普段の軽薄な感じが出ないよう、ランディは応じた。
「……そこの回廊で良いか?」
「ああ」
エレベーターホールの先にある、吹き抜けとなった回廊まで来るとランディは振り返り、ロイドに用件を問い質す。
「それで、話ってのは?」
「さっきの――俺達を逃がそうとしたときの事だけど……」
そこで1度言葉を切るロイドを見て、ランディは彼が何を言おうとしているのかを悟った。
思わぬ救援があったから良かったものの、あの場で誰かが足止めしなければ、全滅する可能性があり、キーアも敵の手に落ちていたかも知れないのだ。だから、自身の判断は間違ってはいない。ランディは、確信を持ってそう言える。
だが、
「あんな無茶は、もうしないでくれ」
「……さっきも言ったが、優先順位を間違えるんじゃねぇぞ。キー坊を守る事を第一に考えなくちゃいけねぇだろが」
甘い考えだと、僅かばかりの怒気を孕ませた声で、ロイドに詰め寄る。
「だからこそだ」
「お前は――」
ランディの視線を真っ向から受け止めてロイドが反論してくる。
「ランディの言う事も理解出来る――けど、俺達の誰かが犠牲になる事を、キーアが望んでいるとでも思うのか?」
「それは……」
「キーアを守るってことは、あの子の心も守ることだと思ってる……だから、誰1人欠けちゃ駄目なんだ」
誰1人欠けることなく……そんなものは戦場で生きてきた自身にとって、なんと甘く――唾棄すべき理想論だろうか。
だが、
「それがどれだけ難しいことか、判った上で言ってんのか?」
「難しいからこそ、皆で力を合わせるんだ」
これまでのように、とロイドが笑みを浮かべる。
その様子を見て、ランディは自分が知らず知らずのうちに、彼や支援課の皆を庇護すべき対象として下に見てしまっていたことを恥じた。
――いつの間にか一人前の顔するようになりやがって……
「そう、だな――頼りにしてるぜ、
「! ああ、こちらこそ」
そう言って、2人は拳を力強く突き合わせるのだった。
◆
エレベーターホールに戻るロイドを見送り、ランディが窓ガラス越しに街の様子を見下ろす。
夜が深まり、住宅地の方では明かりが消えている場所が散見している。
時折、市内の各所で不規則な明滅が起こるが、警官隊と警備隊による銃撃戦が今尚繰り広げられているのだろうか。そんな光景をぼんやりと見やりながら、ランディは先程の会話を思い返した。
「すまねぇな、ロイド……」
彼の手前、同意を示したものの、
――それでも、いざという時は……
「良くないこと考えてるね」
「……盗み聞きとは感心しねぇな」
特に気配を消しているようではなかったので、とっくに気付いていたのだが、あえて指摘することもせず、ランディは振り返って、フィーへと対峙する。
「ランディの気持ちも理解出来るから、敢えて何も言わないけど……信頼を裏切らないのは、何事でも基本だと思う」
「いや、言ってんじゃねぇか」
「これは、独り言」
いけしゃあしゃあと言ってのける少女が、月明かりを浴びるように、欄干へと身を預ける。
「ゼノとレオに会ったんだって?」
「……あぁ、お前さんの言った通り、違法薬物の噂を聞きつけて来たみたいだったぜ」
「そっか」
短く、そう呟いた表情はどこか嬉しそうに感じられた。
「探しに行かなくて良いのか?」
「無事って判ったから、今は大丈夫かな。今はあの子を守ることを優先しないと」
フィーが、キーア達が眠っている部屋の方へと視線を向ける。
その横顔を見て、
「お前さん、随分と変わったな」
「そう?」
不思議そうに小首を傾げるフィーだったが、戦場で初めて見たときのことを思えば、雲泥の差だった。
感情のない瞳を見たときには、猟兵というものの業の深さを感じたものだが、
「そういう意味だと、ランディも変わったと思う」
そうだろうか?
そうであって欲しい――そんな細やかな願望が、いつの間にか胸の奥で疼いていた。
◆
「ティオとリューネはここにいたのか」
エントランスで補給を行おうと降りてきたロイドが目にしたのは、待合用のソファで話し込んでいる2人だった。
「お疲れ様です」
「ロイドさんは、物資の補給に?」
「そんなところさ……2人はここで休憩を?」
ロイドがそう問い掛けると、2人は顔を見合わせた後、
「それと、教団についての情報交換をしていました」
「そう、だったのか……」
内容が内容だけに席を外した方が良さそうだと思ったロイドだったが、ティオだけでなく、リューネにも引き留められたので、同席させてもらうことになった。
「ギルドでもお話ししましたが、私がいたロッジは教団の中でも特殊な立ち位置だったみたいで――多くのロッジがカルバード共和国に集中していた中で、ノーザンブリアを拠点にしていたんです」
「ノーザンブリア――かつて大公国として栄えていた帝国の北に位置する国だったか」
「今は自治州で、その切っ掛けとなったのが――《塩の杭》事件ですね」
《塩の杭》事件。
ノーザンブリア大公国の公都ハリアスクの近郊に突如として全高数百アージュを超える白色の巨大物体が出現し、周囲一帯を侵食し、塩に変えていった大厄災である。
大公国の人口8分の1を死に至らしめた大厄災の最中、国家元首であるバルムント大公が国を見捨ててレミフェリア公国に亡命していたことで、国民の失望と怒りから暴動に発展し、クーデターの結果、大公家による統治が廃され、民主議会による自治州となったのである。
「その影響で領内は混迷を極め――教団が潜伏するにはもってこいだったのでは、と」
「それでも大部分が共和国に拠点を構えていたのは、移民問題で人口の管理が行き届かずに、子供達の拉致が容易だったから、か」
「ノーザンブリアの場合、猟兵団が幅を効かせていたので、子供であっても油断ならなかった、というのもあるかと思います」
リューネの補足を聞き、ロイドが顔を歪ませる。
聞けば聞くほど、D∴G教団の異様さが浮かび上がってくる。
「……そう言えば、ギルドで君は自身のことを……」
聞こうかどうか躊躇ったが、この際にと思い、ロイドはリューネに訊ねる。
「
「リューネさん……」
「すまない。軽々しく聞くようなことじゃなかったな……」
ロイドが謝罪するも、リューネは気にした素振りも見せず、静かに微笑んでみせる。
「大丈夫ですよ。生まれはどうであれ、私は私であることに変わりありませんから」
そうレイル達に教えられたのだと、彼女は悲壮などころか、少し誇らしくあるように言ってみせた。
「強いんですね、リューネさんは」
「そんなことないです……支えてくれる人達がいるから、今こうしていられる。その想いに応えたいから、前を向いていられる――ティオさんもそうじゃないんですか?」
投げ掛けられたティオが驚いた様子で目をしばたたかせた後に、ロイドを横目に見て、
「そうですね……誰かさんの影響で、前向きに頑張ろうって思うようになりましたし」
「えっと、それは……俺ってことで良いのか?」
よく分かっていないロイドを尻目にティオが吹き出し、それに釣られてリューネも笑い声を上げたのだった。
◆
「もうすぐ5月なのに、夜はまだ少し肌寒いかな」
IBCのビルは小高い位置に立てられており、すぐ近くに大きな川が流れている影響で夜間は陸地から川へと流れる川風により、思った以上の冷え込みが身体の熱を奪っていく。
ビルの屋上に出たエミナが、風にながれる髪を抑えながら、縁の方へと歩みを進める。
すると、ビルの縁を遮蔽物とするようにして、街の様子を伺っているクレアの姿を捉えた。
「クレアさん、良かったらこれ」
差し入れ、と言って振り返ったクレアに持ってきた物を手渡す。
「これは、缶コーヒー……良いんですか?」
躊躇うクレアに温かい缶コーヒーを押しつける。すると、両手で包み込むようにして、暖を取るクレアを見て、エミナは小脇に挟んでいた物を手に取り、広げてみせる。
「軍人だからって無理しないでよ? ブランケット借りてきたから使って」
「すみま――いえ、ありがとうございます」
「よろしい」
申し訳なさそうに謝ろうとするクレアにデコピンのジェスチャーをして、言葉を改めさせる。
――まだどこか引け目がある感じかなぁ……
中々に根が深そうだと頭を悩ませるエミナだったが、今すぐ劇的な変化が起こるというのは難しいと思い、思考を切り替えていく。
「街の様子はどんな感じ?」
クレアに倣い、身を隠しながら眼下の光景を観察する。
「操られている警備隊と、警官隊でしょうか――散発的に銃撃戦が行われているようですね」
「装備の制限はあっても、警備隊も立派な軍人だし……警察がどれだけ耐えられるか、って感じかぁ」
タングラム門からの応援が駆け付けてくれれば、事態は好転するかも知れないが、
「いつまた天依体が出てくるかも知れないし、油断は出来ないだろうけど……」
「ですね」
クレアが短く相槌を打つ。そのまま視線を街に向けたまま、
「エミナさんは、天依体と戦うことに対して、どうお考えですか?」
「……遊撃士としては、助けられないことに悔しさを感じるし、やるせない、かな」
少し考え、整理した考えを口にしていく。
「一個人としては、どうです?」
「……躊躇いはない。ただ、それだけ」
クレアが視線を寄越してくるが、エミナは眼下を見据えたまま続ける。
「お父さんを撃った後にね……これ以上誰かに自分と同じような思いをさせたくない、天依体にされてしまった人達が害を及ぼす前に止めたい――そう思うようになったから」
だから躊躇わないよ、とはっきりと告げる。
「クレアさんはどうなの?」
「軍人である以上、命のやりとりは覚悟の上です」
「一個人としては?」
受けた質問をそのまま返すと、意地悪ですね、とクレアが嘆息する。
「……自ら望んだわけではない相手というのは、やりにくいですね」
しかも依代にされたのが子供とあっては尚更だろう。
「ですがやはり、守るべきもののために、私は戦いますね」
その相手が元・守るべき相手であっても。
すぐ近くにいるはずなのに、そんな悲痛な覚悟を感じさせるクレアが何故か消えていなくなってしまいそうな錯覚を覚え、エミナは思わず、
「エミナさん?」
ブランケット越しにクレアを抱き締める。
その行動の意図は自分でもよく分からないけど、
「なんか、こうしないといけないような気がしたから」
「そう、ですか……?」
自分でもよく分かってないのに、クレアがこちらの心中を推し量れるわけもなく、ただされるがまま、エミナの抱擁を受け入れていた。
ブランケット越しに感じたクレアの体温は、少しずつ暖かみを帯びてきているように感じた。
◆
「ここにいたんだ」
地下の端末室へと向かったティオとキーア達の様子を見に行ったロイドを見送った後、リューネはエントランスのソファで手持ち無沙汰となっていた。
そこへ見計らったかのようにフィーがやってきたので、自身の隣を勧める。
「フィーちゃんは、ランディさんとお話し出来た?」
「ん。ゼノとレオ――団のメンバーのこと聞けた」
そう告げるフィーの横顔を見て、リューネは心配そうに眉根を寄せる。
「大丈夫? 無理してない?」
「――ランディには大丈夫って言ったけど、今すぐ会いに行きたい気持ちは否定出来ない、かな……」
けど、感情に任せて単独行動をするのは良くないと、そう判断したのだろう。
「きっと、どこかのタイミングで会えると思うよ」
「ん。サンクス」
それは単なる気休めにしかならなかったかも知れないが、フィーが謝意を口にすると、リューネの肩に寄りかかるように身体を預けてくる。
――普段はお姉さんぶるのになぁ……
それだけ心労が溜まったということなのだろうと思い、身を委ねてくる彼女をあやすように頭を撫でてみた。すると、
「ん……」
反発されると思っていたが、存外悪くないらしく、不思議な感覚を覚えながらも、リューネはフィーの頭を撫で続けた。
◆
「それにしても良かったな。車、手配してもらえそうなんだろ」
「この騒動が無事収まったら、だがな」
エミナに護衛を代わってもらった後、ディーターの計らいで用意してもらった休憩スペースで、レイルは1人寛いでいたラカムと話し込んでいた。
「気持ちは落ち着いている、で良いんだよな?」
「……まぁ、な。動揺はしたけど、今は大丈夫だ」
導力車ではなく、彼の許嫁――ゼオラのことである。
ラカムもそれが分かっているので、表情を引き締めて答える。
「フェルディナンドを捕まえて、知ってることを洗いざらい吐いてもらう――ゼオラを殺した犯人が別にいるって言うなら、そいつも捕まえて罪を償わせる」
それが遊撃士として彼女に出来る手向けだと、ラカムが片方の拳をもう片方の平手に打ち付ける。
「それが分かってるならいい」
間違っても復讐心で犯人を殺めようとするなら、全力で阻止するつもりだったが、その心配は無用だったらしい。
「ゼオラが死んですぐは腐ってた時期もあるし、寂しさを紛らわせようと軟派に走ったりもしたし――」
「え?」
聞き捨てならない台詞に思わず目を見開いてしまう。
驚愕の表情のままラカムを見ると、向こうは目を点にして呆気にとられている。
「昔からずっと、ラカムは軟派な奴だろ?」
「お前は俺を何だと思ってんの?」
「だから軟派な奴」
「…………」
「…………」
「お前とは1度本気でやり合わねぇといけねぇみたいだな!!」
◆
「どうか、されたのですか?」
レイルと交替するために屋上を去ったエミナを見送った後も、市街地の様子を伺っていたクレアだったが、自身の準備を済ませておこうと思い、階下に戻ってきた所、周遊回廊の一角で佇むエリィの姿を見つけ、その表情がどこか浮かないものだったので思わず声を掛けていた。
「えっと……クレア大尉、でしたか」
呼び掛けに応じてくれたが、その声音には緊張が滲んでおり、クレアは声を掛けてしまったことを軽率だったと感じてしまう。
――クロスベルの方にとって、帝国軍人など忌避すべき存在でしょうに……
「随分と思い詰めていたようでしたが……私がいては余計煩わせしまいますよね」
そう告げて、踵を返そうとしたが、
「あの……1つ訊いても良いですか?」
思い掛けず呼び止められてしまい、少しの間硬直してしまう。
ゆっくりと、こちらの動揺を悟られないよう振り返り――真っ直ぐにこちらを見据える瞳を受け止める。
「……何でしょうか?」
「貴女から見て、クロスベルはどのような場所ですか?」
その問いを、クロスベルの人間が帝国の人間に発する意味。
建前はどうであれ、支配される側とする側という関係性を内包する以上、その問いもそれに対する答えも政治的な意味合いが絡んでくる。
迂闊なことは言えない。
帝国軍の尉官とはいえ、立場ある人間として軽率な解答を示すものではない。
だが、
「個人の見解としてですが」
彼女の、縋るような、けれど真っ直ぐな視線を受けて、クレアは言葉を紡いでいく。
「かなり難しい立場にあると感じています」
「…………」
こちらの言葉にエリィは黙したまま、続きを待っている。
――そのことは重々承知の上、ということですね……
それゆえの不安や葛藤が、彼女の問いの根幹にあるのだろうと推測する。
「帝国と共和国に挟まれる形で、大陸最大の金融機関や豊潤な鉱山資源を有していることから、日々多くの人やミラが動いていますよね。それゆえに、発展の影の部分として、犯罪の温床としての側面を孕んでしまっている」
ルバーチェといったマフィアが良い例である。
「ですが……だからこそ、良くも悪くも多くの可能性を秘めていると、そう思います」
「……え?」
不意を突かれたようで、エリィが呆気にとられている。
これはだいぶ踏み込んだ発言だと自覚しながらも、真剣な問いに対して真摯に向き合う。
「今回のように良からぬことを企てる者もいれば……この街をより良くしようとする方々もいるはずです」
貴女方もそうでしょう? と投げ掛けると、エリィが力強く頷いてみせる。
「帝国の人間としてこのような発言はどうかと思うのですが――帝国が宗主国としてクロスベルに干渉するのは、なにも憎いからではないのです」
ただ、自国をより豊かにしたい、そのベクトルがこれまで積み重ねてきた歴史や慣習と重なり、今の形となっているだけなのだ。
「互いに手を取り合い支え合える関係というのは、理想論でしかありませんが」
「いえ……帝国の方にもそんな考えを持った方がいる――それが知れて良かったです」
表情を和らげたエリィが頭を下げてくるので、オフレコでお願いしますね、と釘を刺しておいた。
「見つかると良いですね……貴女方が歩むべき道が」
その道が、帝国との対立を生む可能性も否めなかったが、今はただ彼女達が紡ぐ未来がより良きものであれば良いと、1人の人間として願うばかりだった。
「エリィ……ここにいたのか」
そうこうしていると、背後から近付いてくる気配があったので振り返ると、彼女達のリーダー格であるロイド・バニングスがいた。
ロイドがこちらの姿を認めると、軽く会釈してくるので、こちらもそれに倣う。
「では、私はこれで」
エリィに挨拶を済ませ、ロイドの脇を通り過ぎる。
別れ際、彼女の顔が少し紅潮しているのが見て取れたので、お邪魔虫にならないよう足早に退散することにした。
◆
「クレア大尉と何を話してたんだい?」
「クロスベルのことで少しね……あの人の話を聞けて良かったと思うわ」
詳しい内容は伏せていたので、ロイドもあまり詮索しないようにし、話題を切り替える。
「……改めて言うのも何だけど、大変なことになったよな。市内にいる人達……無事でいると良いんだけど」
「そうね……」
こちらの言葉に、彼女の表情が陰りを見せた。
その理由を察し、安心させるように語り掛ける。
「エリィ。マクダエル市長なら大丈夫だ。警備隊を操る黒幕にも市長を害するメリットはないさ」
「ロイド……うん、ありがとう。そうよね、おじいさまは何度も紛争を経験されている……この程度の危機くらい、何とか切り抜けられるはずよね」
「ああ……あの人なら絶対に大丈夫さ!」
元気づけるように殊更に力強く頷いてみせると、エリィの口元に笑みが浮かぶ。そして、どこか悪戯っぽく言葉を紡いでいく。
「あーあ、何で貴方はそんな風に私のことが判っちゃうのかしら」
唐突に感じた台詞にロイドの思考が追いつかないでいると、エリィがまるで非難するような目を向けてくる。
「……考えてみれば不公平よね。私はもう……色々なものを貴方に曝け出してしまった。なのに貴方の方は……」
「え、えっと、エリィ……?」
妙な迫力を感じさせる彼女に、ついたじろいでしまうが、エリィがふと全身の力を抜き、静かに問い掛けてくる
「――ねぇ、ロイド。お兄さんの背中、少しは近付いてきた?」
それは、自分が常日頃意識してきていることだ。
そのことを見透かすように、
「多分貴方は……お兄さんの背中をずっと追い続けて来たのよね。貴方がよく言っている《壁》という言葉……あれはひょっとして、お兄さん自身のことを指してもいるんじゃないかしら?」
多分そうだと、エリィの言葉に頷いてみせる。
欄干に手をつき目を閉じると、今は亡き兄の姿が脳裏に蘇る。
「昔からさ、兄貴は俺のヒーローだったんだ」
どんな逆境にもめげずに、何でもやり遂げる凄いヤツ。だけど3年前……いきなりその背中が無くなって途方に暮れてしまって……そして、その事実を受け止めきれずに自分は逃げ出したのだ。
「……兄貴みたいになれる自信が無かったから。兄貴みたいに色んなものを守れる自信が無かったから――だから、知らない町へ逃げ出したんだ」
「……でも、貴方はクロスベルに戻ってきた。それは、どうして?」
続きを促すように、エリィの問いが投げ掛けられる。
答えは自分自身理解していたから、考えることもなく口から発せられる。
「はは、やっぱり……この街が好きだったからかな。兄貴や、セシル姉。一緒に過ごした友人達……他の町で暮らしていてもやっぱりそれは俺の一部で、忘れることは出来なかったから……だから俺は無理して警察学校のうちに捜査官資格を取ったんだと思う。少しでも兄貴に追いつけないと……兄貴の代わりになれないとクロスベルに戻ってくる資格はないと思ったから……」
「で、でもそれで本当に捜査官資格を取るんだもの。お兄さんに負けないくらい素質は合ったのでしょう?」
こちらをファローするような言葉が胸を温かくする。
その優しさに心を委ね、今まで誰にも聞かせてこなかった胸の内を吐き出していく。
「いや……白状するとそれもズルしたようなものさ。なにせ規格外ではあるけど、捜査官としては一流の人間をずっと見てきたから……兄貴だったらどうするだろう、兄貴だったら絶対に諦めない……そう自分に言い聞かせて、俺は何とかやって来れたと思う。でも……それは俺が、俺自身として強くなれたわけじゃない」
「…………」
「……最近になってやっと気付けた気がするんだ。兄貴の背中を追い続けるだけじゃ本当の意味で強くはなれないってね。はは、それに気付けるのにどれだけ掛かってるんだよって話なんだけど……」
自嘲するように笑ってみせると、不意に背中を包み込むような温もりを感じた。
「……ロイド」
「エ、エリィ……?」
彼女に背後から抱き締められているのだと、理解するのは容易かったが、その意図が判らずにいると、
「……ねえ、ロイド。私はガイさんを――貴方のお兄さんを知らない。でも、1つ言えることがあるわ。今まで私達を引っ張っていってくれたのは他ならぬ貴方自身だってこと」
静かに、こちらに言い聞かせるように紡がれる言葉が、耳に染み込んでいく。
「いつだって貴方は……私を――私達を導いてくれた。この灰色の街で迷うだけだった私や、ティオちゃんや、多分ランディも……優しくて、ひたむきで、肝心なところではニブいけど……でもやっぱり、大切な時には側にいてくれて、一緒に答えを探してくれる……そんな貴方がいてくれたから、私達はここまで辿り着けた」
他の誰でもない、ロイド・バニングスだからこそ出来たことだと、エリィが教えてくれる。
ひたむきにやったきたこれまでのことを、認めてもらえたようで嬉しさがこみ上げてくる。
「だから私は……この街で貴方に出会えた幸運を空の女神に感謝しているわ。ふふっ、幼い頃に日曜学校で出会っていればもっと良かった……そんな益体もないことを考えてしまうくらいに」
「エリィ……」
「自信を持って。ロイド・バニングス。お兄さんに憧れている所も自分自身であろうと足掻く所も全てが貴方だから……そんな貴方が私達は……ううん――私は好きだから。だから……貴方は貴方であるだけでいい」
彼女の言葉が、何の抵抗もなく胸の奥まで届いてくる。
気付いたときには振り返り、エリィの肩を掴んでいた。
「……エリィ…………」
「……ぁ…………」
示し合わせたようにお互いの瞳が閉じられていき――
「だから悪かったって!」
「本当にそう思ってんのか? 昔っから俺に対して辛辣過ぎじゃ――」
月明かりに照らされた2つの影が今正に重なろうとした瞬間。
騒々しく周遊回廊へやってきたレイルとラカムが、
『あ』
こちらの姿を見つけて、言葉を詰まらせていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
視線がぶつかり、気まずい沈黙が周囲を包み込む。
どれだけの時間が経ったのか、膠着状態を打ち破ったのは、レイルとラカムの2人だった。
「その……邪魔して悪かったな」
「ごゆっくりー」
取り残されたロイドとエリィだったが、顔を見合わせるとどちらからともなく吹き出してしまった。水を差されてしまい、