ユーシスは頭を悩ましていた。
魔獣の群れに襲われていたとき、自分を助けてくれたエミナとフィー。3人連れ立って、地下迷宮の出口を目指していた。
ユーシスの悩みの種は、同行する相手である。
フィーはマイペースで黙々とユーシスの前を歩いている。彼女は特に問題ない。問題は彼の背後にいるエミナである。
ユーシスがそっと背後を確認すると、エミナは未だ膨れっ面でじとっとした目をユーシスに向けていた。
ユーシスの知るエミナであれば、理由もなくそんな態度をとることはない。
――悪いのは、俺だ。
それは、エミナから発せられた質問に対して、自分が答えをはぐらかしたことが原因だった。
どうしてアルバレアの姓を名乗っているのか。
その問いの答えは単純な話なのだが、ユーシスはそれを説明するのを躊躇ってしまった。
かつて、お互いにまだ子供の頃とはいえ、世話になった相手に対して不義で応じてしまっていることは理解している。それでも尚、自分の身に何があったのかを話すのに腹を決めかねていた。
「…………」
しかし、流石にこのままにしておく訳にもいかず、ユーシスは意を決して振り返った。
「…………何よ?」
ユーシスを正面に見据え、彼に問う。その声音は重く、低い。
彼女の発するオーラに気圧されるも、ユーシスは何とか口を開いた。
「その、貴女には申し訳ないが……今はまだ、待ってもらえないだろうか」
「……………………はぁ~」
暫しの沈黙の後、エミナが深い溜め息を吐いた。
「そんな済まなさそうな顔でそんなこと言われたら何も訊けないじゃない」
「……申し訳ない」
「別にいいわよ。それに、謝るのなら私の方よ。ユーシスの事情も知らないでずけずけと訊き出そうとしたんだし…………ごめんね」
「――ッ!」
ユーシスは彼女からの謝罪が、己の胸の奥に刺さるのを感じた。
悪いのは自分の方なのに、という自責の念が彼女の言葉を受けて胸の奥を抉っていく。
「けどね」
「?」
エミナの表情がふっと柔らかくなった。まるで慈愛に満ちた笑みのまま、彼女は人差し指を立て、それをユーシスの鼻先に突き付けた。
「私も……それにレイルだって、ユーシスの味方だからね。どんなことがあったとしても、それはあの時からずっと変わらない。だから、ユーシスが話しても良い――話したいって思えるときまで待つことにするわ」
それくらいなら良いでしょ? と微笑む彼女を見て、ユーシスは胸の痛みがほんの少しだけ和らいでいくのを感じた。
「……ありがとう、ございます」
「どういたしまして、で良いのかな? あ、そうだ。この際だから敬語はなしにしない?」
「そ、それは……」
「だって、これから2年間は同じ士官学院の仲間なんだし」
彼女の言は最もであった。同じ士官学院、それも同学年であるならば変に敬語で接するよりは良いのかもしれない。
しかし、かつては頭が上がらなかった彼女に対して、他と同様の接し方をするというのは、ユーシスにとって酷く抵抗のあることだった。だが、自身の過去についてはエミナが譲歩してくれている以上、ここは自分が折れる番だと感じ、少し躊躇ってからだが、ユーシスは口を開いた。
「…………了解した。これで構わないか?」
それに対しエミナは何度も満足げに頷いていた。
「話、終わった?」
ユーシスの背後からフィーが声を掛けてきた。
振り返ると、少し離れた場所で壁に寄り掛かり、こちらの様子を窺っていたらしい。
「待たせたな。先に進もう」
「ん」
フィーが頷き、再度先頭に立って進んでいく。
彼女の後を追うようにしてユーシスとエミナがそれに続いた。
「……そう言えば、レイルの名が出てきたが、もしかしなくとも先程一緒にいた銀髪の男子が?」
「そ。レイルもユーシスのこと気にしてたから、これが終わった後にでも声掛けてあげて」
「あぁ、了解した」
「ストップ。向こうから誰か来る」
少し前を進んでいたフィーから静止の声が掛かる。
誰か、と言うからには魔獣ということはないのだろうが、地下迷宮という場所のせいか、自ずと身構えてしまう。
程なくして通路の向こう側からこちらへやってくる人影が目に映った。
「お前達は……」
向こうからやってきたのは、一緒に地下に落とされたメンバーの内、女子のみで構成されたグループだった。
「ふむ。どうやら上手く合流出来たようだな」
向こうの先頭に立っていた青髪の女子がユーシスを一瞥した後、安心したかのように言ってくる。
「要らぬ心配を掛けたようだな」
「ユーシス」
エミナが突然ユーシスの脇腹を肘で小突いた。何事かと彼女を見れば、何か物言いたげな視線で見詰め返される。
――む。
彼女が言わんとしていることを何となくだが察し、ユーシスは1度咳払いした後、
「すまなかった」
と頭を下げた。
「あ、いや……無事ならそれで良いのだが」
青髪の女子が面食らった様子で言葉を紡いでいた。向こうの他の面々はお互いに顔を見合わせて、何かを不思議がっているように感じられた。
「……どうかしたのか?」
「い、いえ、何でもないの。気にしないで」
金髪の女子が慌てて取り繕うように言ってきた。
――俺が謝るのが、そんなにもおかしいのか?
いや、おかしいのだろうな。
貴族階級、ことエレボニア帝国においてその存在は、特権階級の権化である。その筆頭格である四大名門に名を連ねる人間が頭を下げるなど、帝国人としては信じがたいものなのだろう。
だから彼女達――延いては自分のために言っておくべきことがあった。
「これから先、同じ士官学院生としてやっていく以上、変に畏まられると窮屈で敵わん。身分に捉われず接してもらって結構だ」
ユーシスがそう告げると、青髪の女子以外は困惑した様子だったが、程なくして了解の意を返してきた。背後でエミナが満面の笑みを浮かべていたが、ユーシスがそれに触れることはなかった。
その後、女子グループからもう一方の班、男子グループと先程一緒に行動していたことを聞き、これで単独で動いている者がいないことが判明した。
つまり、自分に食って掛かり啖呵を切った男子――マキアスもまた、男子グループの一員として行動しているとのことである。
――フン。殊勝なことだ。
あれだけ大口叩いていたくせに、と思うが、それを口にすればエミナから再度小突かれると分かっていたので、ユーシスはその考えを胸の内に留めておいた。
情報交換を終わらせ、残るは出口を目指すだけとなったため、ここから先は共に行動することになった。その際、簡単に自己紹介をすることになった。
青髪の女子、ラウラはかのアルゼイド流の門下生にして、帝国で名高い光の剣匠の娘とのことだった。
眼鏡の女子、エマは辺境の出身とのことだが、今年の入学試験で主席合格した才媛らしい。
金髪の女子、アリサはファミリネームを頑として明かそうとはしなかったが、かのラインフォルトの本社があるルーレ市の出身とのことだ。あと、その表情がどこか影を帯びているように感じられたが、ユーシスはあえてそれに触れないでいた。
そして緑髪の女子、リューネはレイルの義理の妹とのことだった。その経歴は不明だが、クラウザー一家のことを考えれば、何らかの事情があるのだと察せられる。
「自己紹介も済んだことだし、そろそろ出口を探しましょう…………はっ!」
音頭を取り、これからのことを提案しようとしていたエミナが何かに気付いたように、表情を強張らせ、その眼を限界まで見開いていた。
「どうした?」
「今気付いたんだけど……」
ユーシスの問い掛けに、エミナが全身を小刻みに震わせる。そしてユーシスを見て、こう告げた。
「ユーシス……君、今凄いハーレムじゃん!」
「…………くだらん。早く出発するぞ」
エミナの戯言を即座に切り捨て、ユーシスは頭を痛めながらも出口を目指して歩を進めた。
◆
「ようやく戻ってきたな」
女子グループと別れた後、リィン達は一本道を進んでいたのだが、そのルートは行き止まりへと行き着いてしまった。仕方なく先の分岐地点まで戻って、女子達の後を追うことになった。
「流石に、もうゴールに着いてるかな?」
「どうだろう。だが、こちらの通路に来てからは徐々にだが、風の流れが強くなっているようだ」
「そんなことが分かるのか!?」
出口はこちらだろう、と語るガイウスにエリオットが羨望の眼差しを向けており、マキアスがその凄さに驚いていた。それを傍目に、リィンは横を歩くレイルに話を振った。
「言いそびれていたが、さっきはありがとう」
「ん? あぁ、あれか。リューネがどう言ったのかは知らんが、少しは気を持ち直したみたいで何よりだ」
「それもだが……あの後、アリサと何か話していたようだし、もしかしてフォローしてくれていたんじゃないのか」
分岐点での別れ際、アリサがリィンに対して何か言いたげに視線を送ってきていたのだ。結局話は聞けず仕舞いだったが、レイルが彼女の怒りを静めてくれたのではないかと考えられた。
――あのとき謝れたら良かったんだが。
アリサの視線に気付いて、こちらから声を掛けようとした瞬間、アリサが先に進んだラウラから呼ばれ、機を逸してしまったのだ。
「あれについては、リィンのフォローと言うより、アリサの背中を押したって感じだがな」
「? どういう――」
「また分岐点だね」
「やれやれ、これで何度目だ」
「……ふむ」
ことだ? と訊こうとしたところで、前を歩いていた3人が立ち止まっているのに気付いた。
道が直進方向と右に曲がる丁字路に差し掛かっていたようだ。
「……………………こちらから風の流れを感じる」
目を閉じ、集中していたらしいガイウスが右に曲がる通路を指し示した。
「なら、こっちに行こ――ッ!?」
言葉の途中で、リィンの耳朶を重く振るわせる轟音が届いてきた。
「い、今のって……」
「確かに聞こえたよな」
「この奥からだな」
「急ぐぞ!」
その音は全員の耳に届いていたようで、通路の奥にいる存在を想起させていた。レイルが真っ先に駆け出し、リィンも急いで後に続いた。
◆
アリサは目の前で起きている状況に己の目を疑った。
「くっ……何なのよ、あの化け物!?」
やっとの思いで辿り着いた出口へと繋がる階段部屋であったが、アリサ達はそこで強襲を受けていた。
それはただの魔獣ではなく、階段部屋の台座に鎮座していた石像である。
アリサ達の到着を感知してか、あるいは別の要因で動き出した石造りの魔獣が襲い掛かってきたのである。
数は2体。それぞれをエミナの指示の下、アリサ・リューネ・ラウラ・エマ、エミナ・フィー・ユーシスという元のグループに分かれて応戦している。
数という優位はこちらにあるものの、相手の身体は凄まじい硬度を誇っており、こちらではラウラの大剣とリューネの体術により少しずつだがダメージを与えているが、中々有効打とはならなかった。そのような相手にはアーツで対応するのが常道だが、発動準備に入った瞬間、石造りの魔獣は目聡くこちらへの妨害を行ってくる。
物理攻撃は相手の鉱石並みの皮膚に阻まれ、アーツは駆動中に妨害され発動すらままならない。
――もう少し戦力がいれば……!
先程別れた男子グループもいれば、と思うが、そう都合良く援軍として現れないだろう。
自分達でどうにかしなければならない。
手に嫌な汗を浮かべながら、それでもアリサは反抗の手を緩めない。自分の導力弓では相手の皮膚をほんの少し穿つ程度だが、陽動には使える。それに、隙があれば即座にアーツの発動準備に入り、可能であれば相手へとそれを叩き込む。抗う手段は幾らでもあった。
何とかなる。
その思いで自らを奮い立たせ、アリサは戦い続けた。
だが、時間が経つに連れて、こちらが押され始めてきた。
戦闘が続く以上、疲労の蓄積は否めなかった。それは魔獣も同じ筈だが、魔獣と人間という種族差が明暗を分けた。
このままではジリ貧である。
魔獣もこちらの劣勢が分かっているのか、その口角が上がっているように感じられた。
そして徐々に、しかし確実な足取りで魔獣がこちらを追い詰めてくる。
――このままじゃ――
アリサの脳内に嫌な予感が過ぎった。
瞬間。
『――ッ!!?』
「……え?」
声ならざる声。それが魔獣の上げた叫び声だと気付くのに、アリサには数瞬を要した。
悲痛な叫びを上げた魔獣はエミナ達が相手していた方のものであった。
何が起きたのか。思わずアリサはそちらの方に振り返っていた。
「あれは……」
石造りの魔獣の背中。その上には、いつの間にレイルが立っており、その手に握る片刃の剣を深々と突き刺していたのである。
――あの硬い皮膚を貫いた!?
信じ難い光景だったが、事実として魔獣は苦悶の叫びを上げ、刺し抉られた背面からは血が吹き出ていた。
「アリサさん、危ない!」
「!?」
リューネの言葉が届いた瞬間、アリサは自分の迂闊さを呪った。
自分が相手していた魔獣から目を逸らし、別の魔獣へと意識が行ってしまっていた。
慌てて振り返った視界に移ったのは、こちらへと獰猛な爪を振り下ろそうとしている魔獣の姿だった。
「――ッ」
迫り来る一撃にアリサは目を閉じてしまった。
一瞬の間もなく自分を襲うだろう痛みに恐怖を覚えたが、いつまで経ってもそれはやって来なかった。
恐る恐る目を開けると、自分の眼前はその殆どが深紅の色で覆われていた。
それが何なのか分からず、徐々に視線を上げていく。
「大丈夫か!?」
「あ……」
目の前に人がいると分かった瞬間、眼前の男子が振り返り、こちらの安否を確認してくる。
彼は手にした片刃の剣で魔獣の爪を防ぎ、こちらを守ってくれたのだ。
危険を顧みず、魔獣の凶爪を受け止めた彼の名をアリサは知っている。
彼の名は――リィン・シュバルツァー。
◆
「はっ!」
リィンは一瞬だけ腕の力を抜き、即座に力を込め直す。虚を突かれた石造りの魔獣が体勢を崩し、そこを全力で押し返した。
魔獣が後退した瞬間、リィンと魔獣の間に左右からラウラとリューネが割り込んできた。そしてすかさずそれぞれが魔獣へと一撃を加える。それを受け、魔獣が更に飛び退き、こちらとの距離を開けた。
今のダメージが堪えたのかすぐさま襲い掛かってくることはなく、こちらを警戒して間合いを推し量っているようだった。
「立てるか?」
その隙に、気が抜けたのか座り込んでしまっていたアリサへと手を差し出す。
「え、ええ。……その、ありがと」
ぎこちなくではあったが、アリサはリィンの手を掴み、それを支えに立ち上がった。最後の方は尻すぼみになっていたが、その言葉はリィンにしっかりと届いていた。
――良かった。
と安堵の念が溢れるが、安心するにはまだ早い。
魔獣は未だ健在で、こちらの様子を虎視眈々と窺っている。
気を張り詰め、魔獣を正面に見据え、太刀を構える。
「な、何あれ!?」
「石造りの、魔獣だと!?」
「……帝国にはこんな化け物がいるのか」
部屋の入り口からエリオット達の声が聞こえてきた。こちらが先行し過ぎていたようで、少しばかり遅れての到着だった。
「どうやらこいつらが出口の門番みたいだな。……かなりの硬度だが、生物である以上関節といった稼動部は構造上脆い。前衛は連携してそこを狙い、後衛はアーツ等で前衛のフォローを!」
レイルが声を張り上げる。その気合の篭った指示に、皆がそれぞれ力強く頷いた。
全員が武器を構え、魔獣へと立ち向かっていく。
その瞬間、リィンは不思議な感覚を得ていた。
――え?
それはまるで時間がゆっくりと流れているかのような感覚だった。しかもそれだけではない。共に戦う仲間達。彼らの挙動が手に取るように把握出来たのだ。こちらの魔獣を相手取るメンバーだけでなく、もう1体の魔獣と戦うメンバーも含めて、である。
誰がどのタイミングでどこを狙っているのか。特に示し合わせた訳でもないのに、脳裏に浮かぶイメージがこれから起こるであろう戦局の流れを告げてきていた。
幻覚か何かかと思ったが、しかし、戦局は浮かび上がってきたイメージ通りに動いた。
アリサの導力弓から放たれた矢が魔獣を牽制し、その間にエマが振るう魔導杖から無属性の導力衝撃波が生み出され、魔獣の視界を一瞬だが奪った。その隙にリューネが魔獣の懐に潜り込み、拳打の嵐を叩き込む。魔獣が苦悶の表情を浮かべ、肺から空気を吐き出していた。そこでリィンは持てる力を振るい、魔獣の腱を断ち切っていく。魔獣の体勢が一気に崩れた。
「今だ!」
「――任せるがよい!」
リィンの叫びに応じ、ラウラがその手に握る大剣を上段に構える。そして裂帛の気合を放ち、大上段からの振り下ろしが魔獣の首を見事に刈り取った。
「やった!」
アリサが歓喜の声を上げるのが聞こえてきた。
魔獣の頭が床に転がり落ちると、胴体を含めまるで生気を失ったかのように、元々がそうであったのか石像のように動かなくなった。
もう1体の方を確認すると、そちらも片がついたようで、それぞれが安堵の表情を浮かべていた。
「それにしても……さっきのあれ、何だったのかな?」
「そう言えば……何かに包まれたような」
「ああ、俺を含めた全員が淡い光に包まれていたぞ」
エリオットにアリサ、ユーシスが口々にそう言う。
「皆の動きが手に取るように“視えた”気がしたが……」
ラウラがそれに続き、自分が体験したことを語った。
そのことから、リィンは先程の怪現象を体験したのが自分だけではないと分かった。
――もしかしたら、さっきのような力が……?
リィンはポケットに収めているARCUSへと視線を向ける。
だが、今の自分に真相がどうなのか判断する手がなかった。恐らく、この後にサラから説明があるだろうと考え、思考を中断させた。
殆どの者が疲労を露わにしている様子であるため、リィンは早々にここから出ようと提案しようとした。
その矢先。
『――――ッ!!!』
「な――!?」
部屋中を震撼させる轟きが突如として襲い掛かってきた。
――まさか!?
嫌な予感が脳裏を過ぎった。先程の響き。間違いなく、先程まで戦っていた石造りの魔獣と同様の叫びだった。
「!? 上だ!」
気配を察知したガイウスが上空を指し示した。
「と、飛んでる!?」
「先程の魔獣とは様子が違うようです!」
エリオットとエマが告げる内容通り、石造りの魔獣はリィン達の上空で羽ばたいており、その体表も先程の固体とは色が異なっていた。
ようやく魔獣を倒したという安堵も束の間、追い討ちを掛けるようにもう3体目が現れ、こちらへと襲い掛かってくる。
「くっ」
急滑降から地面擦れ擦れに腕を振るってくる魔獣。
それをどうにか回避し、反撃に移ろうとするが、そのときには既に魔獣は上空へと舞い戻っていた。
「フン。小賢しい」
ユーシスが悪態をつくが、その様子はどこか苦しげであった。
他のメンバーも同様で、苦々しげに奥歯を噛み締めている者もいれば、得物を支えに今にもくずおれそうな者もいる。
――くそっ。こうなったら……
やるしかない、そう意を決しようとした。
そのとき、
「やれやれ、仕方ないわね」
「これ以上は厳しそう……だよね」
「ああ。ちょっと出しゃばらせてもらうか」
「しょうがないね」
エミナが、リューネが、レイルが、フィーが、余裕を感じさせる笑みを携え、皆より前に進み出た。
「ま、待ってくれ! まさか4人で奴と戦う気なのか!?」
「もちろん。……フィー、アレの視界を封じてくれ」
「
リィンの制止の声を気に留めず、レイル達だけで話が進められていく。
そして、フィーが周囲に忠告した直後、彼女は何かを上空へと放り投げた。
弧を描き、上空に達したそれは、突如として内に封じた力を解き放った。
「!?」
リィンは咄嗟に視界を腕で覆い隠した。直後、襲い掛かってきたのは眩い閃光だった。
――閃光弾!?
何故フィーがそのような物を所持していたのか疑問だったが、そんなものは目の前の光景を前に掻き消されてしまった。
閃光の猛威が消え去った後、リィンは魔獣の様子を確認した。魔獣は何が起きたのか分からない様子で、困惑の色を帯びた叫びを漏らしていた。
「あれは……!?」
その魔獣の背後、地上から5アージュ以上はある位置にリューネの姿があった。
身体を弓形にそった彼女の両手は力強く組まれており、その両手を闘気のような輝く何かが覆っていた。
彼女は全身のバネを利用し、組まれた両手を魔獣の背面へと叩きつける。
「――メテオハンマー!!」
視界を奪われた上での背後からの強襲。それをまともに受けた魔獣が、物凄い勢いで地面へと墜ちてくる。
「良くやった! ――神薙流剣術、地の型・秘技、臥竜爪!!」
レイルが太刀を地面へと突き刺す。すると、そこを中心に光り輝く幾何学模様が浮かび上がり、その陣から光の帯が生み出され、地を這い、魔獣の元へと伸びていく。
そして、光の帯が魔獣の下へと潜り込んだ瞬間、その体躯を鋭い何かが貫いた。
――あれは、爪?
違う。
地面から隆起したそれは、3本の爪のようであったが、そんな生易しいものではなかった。先端を鋭くしたそれは、岩石によって生み出された槍と言った方が正しいと、リィンには感じられた。
腹部に当たる位置を貫かれ、四肢を切断された魔獣が苦痛に悶える咆哮を放つ。致命傷ようにも思えたが、抵抗の意志は失われていないようであった。
「悪いけど、これでお仕舞いにしましょう」
エミナが淀みない動きで魔獣へと近付いていく。そして銃を構える。その狙いは、叫び続ける魔獣の口内。
「――バーストバレット!!」
部屋に反響する銃声。それが耳に届いた数瞬後、魔獣の頭部が内側からの爆発によって消滅した。
「……凄い」
彼らの戦いぶりを見て、リィンは思わず声を漏らしていた。あの魔獣をあっという間に倒してしまったその手並みに、感嘆の意を抱かざるを得なかった。
だが。
――なら、さっきはすぐにそうしなかった?
それが何を意味するのか、はっきりと分からなかった。疑問は残るが、今は全員が無事であったことを素直に喜ぼうと思い直す。
「良くやったわね、あなた達」
「あ……」
そう言って、拍手と共にサラが階段の踊り場からこちらを眺めていた。
「いや~、友情とチームワーク……若いって良いわね~。うんうん、お姉さん感動しちゃったわ」
満足げに微笑んで、サラがこちらまでやって来る。
「これにて入学式の特別オリエンテーリングは全て終了なんだけど……何よ君達、もっと喜んでも良いんじゃない?」
「よ、喜べる訳ないでしょう!」
「正直、疑問と不信感しか湧いてこないんですが……」
マキアスとアリサが皆の気持ちを代弁して、サラに不満をぶつけていた。その反応が予想外だったのか、サラは頬から汗を流していた。
「――単刀直入に問おう。特科クラスⅦ組……一体何を目的としているんだ?」
ユーシスが物怖じせず、一歩前に歩み出てサラに対して切り出した。恐らく、この場にいる誰もがその疑問を抱いているはずである。
だが、リィンの視界の片隅には、特に気にした様子もないレイルの姿が映っていた。彼だけでなく、エミナとリューネ、フィーにも疑問に思っているような素振りはなかった。
そのことが気になったのだが、リィンの疑問を遮るかのように、サラの口から問いの答えが告げられる。
特科クラスⅦ組。エプスタイン財団とラインフォルト社が共同開発した第五世代型戦術オーブメントARCUS、それに対する適正が高い者で構成される新設クラスで、それゆえに身分も出身も関係がない、とのことだ。それ以外にも理由があるとのことだが、1番の理由としてそれが大きいらしい。
また、ARCUSは今までの戦術オーブメントと異なり、通信機能を始めとする多彩な機能を有しているが、その真価は戦術リンクと呼ばれる現象にあった。
「戦術リンク……」
「さっき、皆がそれぞれ、繋がっていたような感覚……」
「ええ、例えば戦場においてそれがもたらす恩恵は絶大よ。どんな状況下でもお互いの行動を把握出来て最大限に連携出来る精鋭部隊……仮にそんな部隊が存在すればあらゆる作戦行動が可能になる」
それは正に戦場における“革命”と言っても過言ではなかった。
――つまり俺達は、ARCUSが実戦配備される前のテスター、と言うことか。
いきなり前線で試験運用させるより、士官学院での実施した方が手間やコストは抑えられるだろうし、何よりリスクという点では言わずもがなである。
「トールズ士官学院はこのARCUS適合者として君達12名を見出した訳だけど、やる気のない者や気の進まない者に参加させる程、予算的な余裕がある訳じゃないわ。それに、本来所属するクラスよりもハードなカリキュラムになるはずよ。それを覚悟してもらった上でⅦ組に参加するかどうか――改めて聞かせてもらいましょうか?」
サラの言葉を聞き、リィンは周囲の様子を窺った。皆が皆――レイル達4人を除いて、困惑の表情を浮かべていた。
「あ、ちなみに辞退したら本来所属するはずだったクラスに行ってもらうことになるわ。貴族出身ならⅠ組かⅡ組、それ以外ならⅢ~Ⅴ組になるわね。今だったらまだ初日だし、そのまま溶け込めると思うわよ~?」
と、サラが軽い口調で言ってくるが、リィンは意に介さず、名乗りを上げた。
「リィン・シュバルツァー。――参加させてもらいます」
「え……」
「リ、リィン……!?」
周りから驚きの声が聞こえてくるが、リィンは気にせず、真剣な眼差しをサラへと向ける。
「1番乗りは君か。何か事情があるみたいね?」
「いえ……我侭を言って行かせてもらった学院です。自分を高められるのであればどんなクラスでも構いません」
「ふむ、なるほど」
サラが神妙に頷くと、リィンに続くように、ラウラとガイウスが一歩前へと身を乗り出した。
「――そう言うことならば私も参加させてもらおう。元より修行中の身。此度のような試練は望む所だ」
「――オレも同じく。異郷の地から訪れた以上、やり甲斐がある道を選びたい」
「アルゼイド流の使い手にノッポの留学生君も参加と。さあ、他には?」
サラの表情が徐々に笑みを濃くしていく。そして彼女に促され、次に返答したのはエマとエリオットだった。
「私も参加させてください。奨学金を頂いている身分ですし、少しでも協力させて頂ければ」
「ぼ、僕も参加します……! これも縁だと思うし、皆とは上手くやって行けそうな気がするから」
「魔導杖のテスト要員も参加と。ARCUSと同じくまだテスト段階の技術だから運用レポート、期待してるわよ」
それに対してエマが微笑み返し、エリオットが早まったかなと肩を落としていた。
「――私も参加します」
「あら、意外ね。てっきり貴女は反発して辞退するかと思ったんだけど?」
次に参加を表明したのはアリサだ。サラから意外そうな顔をされるが、
「……確かに、テスト段階のARCUSが使われているのは個人的には気になりますけど……この程度で腹を立てていたらキリがありませんから」
という理由から参加を決意したらしい。
「フフ、それもそっか。これで6名だけど――君達はどうするつもりなのかしら?」
「……………………」
「……………………」
サラに話を振られても、マキアスとユーシスは押し黙ったままだった。
「まあ、色々あるんだろうけど、深く考えなくても良いんじゃない? 一緒に青春の汗でも流していけばすぐ仲良くなれると思うんだけどな~」
と、サラが軽口を言うと、マキアスが信じられないことを聞いたかのように悲痛な叫びを上げる。
「そ、そんな訳ないでしょう!? 帝国には強固な身分制度があり、明らかな搾取の構造がある! その問題を解決しない限り、帝国に未来はありません!」
息巻くマキアスに対し、サラはそんなことをあたしに言われてもねぇ、と苦笑するばかりだ。
「――ならば話は早い。ユーシス・アルバレア。Ⅶ組への参加を宣言する」
2人のやり取りを見ていたユーシスが唐突にⅦ組への参加を告げる。
それに対し、マキアスが目を見開いてユーシスを問い詰めた。
「な、何故だ……!? 君のような大貴族の子息が平民と同じクラスに入るなんて我慢出来ないはずだろう!?」
「勝手に決め付けるな。Ⅶ組に入れば勘違いした取り巻きにまとわり付かれる心配もないし、むしろ好都合というものだろう」
「…………」
「かといって無用に吠える犬を側に置いておく趣味もない……ならばここで袂を分かつのが互いのためだと思うが、どうだ?」
と、ユーシスがマキアスに問いかけるが、その淡々とした口調が癇に障ったようで、マキアスの語気が強まった。
「だ、誰が君のような傲岸不遜な輩の指図を聞くものか! ――マキアス・レーグニッツ! 特科クラスⅦ組に参加する! 古ぼけた特権にしがみつく、時代から取り残された貴族風情にどちらが上か思い知らせてやる!」
「……好きにしろ」
「これも青春ね~」
サラが生暖かい眼差しで2人を見遣る。そして残った4人へと向き直った。
「あとは、あんた達だけど……確認、いる?」
「いやいや、そこは確認してくれないとさ」
「……手抜き過ぎ」
「答えは決まってるけど、ね」
「はい!」
レイルとフィーが呆れたかのような視線をサラへと向け、エミナが苦笑し、リューネが力強く頷いた。
「レイル・クラウザー、特科クラスⅦ組に参加させて頂く!」
「エミナ・ローレッジ、同じく特科クラスⅦ組への参加を希望するわ!」
「フィー・クラウゼル、特科クラスⅦ組に参加する。よろしく」
「リューネ・クラウザーも同じくです。皆さん、よろしくお願いします!」
それぞれがⅦ組への参加を宣誓し終えると、サラが満面の笑みを浮かべた。
「これで12名――全員参加ってことね! ――それでは、この場をもって特科クラスⅦ組の発足を宣言する。この1年、ビシバシしごいてあげるから楽しみにしてなさい――!」
◆
「やれやれ、まさかここまで異色の顔ぶれが集まるとはのう。これは色々と大変かもしれんな」
階下の様子を物陰から見守っていたヴァンダイクは、これからのことを思い、その精悍な顔に苦笑を浮かべていた。
「フフ、確かに。――ですがこれも女神の巡り合わせというものでしょう」
それに応じるのは、彼の横に立つ金髪の青年だった。気品を感じさせる深紅のコートを身に纏う彼は、若者達を見据え、笑みを浮かべている。
「なるほど……しかし、女神の巡り合わせ、と呼ぶには些か――いや、かなり人の手が加わっておりますがな」
「それを言われると、返す言葉もありません」
ヴァンダイクの言葉に金髪の青年が肩を竦める。
「私が呼び込んだ彼らが、他の者達にどのような影響を与えるか……それは私にも分かりません」
ですが、と彼は続けた。
「彼らを含めたⅦ組こそが“光”となると信じています。動乱の足音が聞こえる帝国において対立を乗り越えられる唯一の光に――」
◆
トリスタの南東部、大陸横断鉄道の線路沿いに居を構えるトールズ士官学院第三学生寮。
特別オリエンテーリングの後、サラによってここへ案内されたレイル達はそれぞれの荷解きにあたっていた。
故郷を発つ前に運送会社に依頼していた品々は一度士官学院に届けられた後、用務員や学院関係者の手により、寮へと運ばれてきたらしい。
その量はそこまで多いとは言えなかったが、特別オリエンテーリングの疲れもあって、その進行は遅々として進んでいない様子であった。
結局、キルシェという喫茶で夕飯を兼ねた休憩を挟んでいたこともあり、21時を回ってもなお、作業を続けている物音が絶えなかった。
「よし、これで大丈夫だな」
そんな中、一足先に作業を終えたレイルは、休憩がてら階段横の談話スペースに腰を落ち着けていた。
――エミナ達は……もうしばらく掛かりそうか。
今後のことを話しておきたかったが、今部屋に押しかけるのは流石に迷惑だろう。
「親しき仲にも礼儀あり、ってな」
「確か、東方由来の言葉だったか」
なんとはなしに溢した言葉に女性の言葉が返ってきた。
声がした方へ視線を送ると、上の階から降りてくる姿を捉えた。
腰まで届く青髪に凜とした佇まいの少女――
「ラウラ、だったか……部屋の方はもう良いのか」
「それほど荷物を持ってきていなくてな……少し、良いだろうか?」
「ああ。どうしたんだ?」
そう言って、レイルは対面の席に座るよう勧める。
その内心、レイルも気掛かりになっていたことを思い出していた。
――あの時……
今日のオリエンテーリング、そのダンジョン区画に入る前、ラウラが送ってきた視線の意味が気になっていたのだ。
「あまり探り合いは得意ではないのでな。単刀直入に訊かせてもらう。――そなたは、あのレイル・クラウザーで間違いはないか」
「…………」
質問というよりは、確信を持っての確認という言葉に、レイルは思考を巡らせる。
――あの、っていう口振りから俺のことを知っているってことだよな……
そして、彼女のファミリーネーム――アルゼイドとは、レイルにとって多少なりと縁のある名前であった。
「…………」
レイルの返事をただじっと待つラウラ。
その瞳は揺るぎなく、レイルを見据えている。
――あ……
その真っ直ぐな視線が、レイルの記憶の片隅に引っ掛かった。
「もしかして……俺が光の剣匠に稽古をつけてもらってた時に」
「思い出してくれただろうか」
レイルの言葉を受けて、微笑を浮かべるラウラ。
「あぁ、思い出したよ。そういや見学してる門下生の中にいた剣匠の娘さんだったよな。いやぁ、背も伸びて綺麗になったな。見違えたよ」
「ふふ、世辞でも嬉しいものだな。でも良いのか? エミナだったか……彼女とは恋仲なのであろう」
「褒めるべきとこはしっかりと褒める。それが俺の信条だからな……って、初日でもう広まってるのかよ」
まぁ、隠す気はないんだがと付け加えるレイルに対して、ラウラが居住まいを正す。
「して、先程の続きなのだが……」
「あぁ、そうだったな。何をして『あの』なのかはともかく、俺はお前が知っているレイル・クラウザーで間違いない」
「そうか……」
ラウラがその言葉を反芻するかのように目を閉じる。
そして数瞬の後、意を決して自らの疑問を声に乗せた。
「そなた程の腕前の剣士が何故士官学院に? それに私の記憶が確かなら、そなたは――」
「ストップ」
「むぐ」
身を乗り出したレイルに口を塞がれ、ラウラは二の句を繋げられなくなる。
「ちょいと訳ありでな。時期が来たら全員に明かすつもりだから、それまでは伏せておいてくれないか?」
「――」
覆われた口元に掛かる手のひらに力は込められておらず、少し身を引けばそれだけでレイルの腕を引き剥がすことは可能だった。
しかし、レイルの力強い眼光に射貫かれたラウラは、にべもなく頷くしかなかった。
「悪いな。脅すようなことして」
「それにしては随分と優しく感じたがな……それに謝るならこちらの方だ。無粋な詮索をして申し訳ない」
そう言って立ち上がり、ラウラが頭を下げてくる。
――随分と真面目だな……
「じゃあ、お互い様ってことで」
そう告げると、ラウラが安堵の表情を浮かべる。
「さ、明日もあることだし早いこと休むんだぞ」
「ああ、そなたもな。――おやすみ」
「おやすみ。良い夢を」
軽い足取りで階上へ戻るラウラを見送り、レイルは壁に掛けられた時計を確認する。
――もうちょい、時間はありそうだな……
どう時間を使うかを考え、レイルは気になっていた相手の元へと向かうことにした。
◆
「ふぅ……ようやく片付いたな」
リィンが実家から送った荷解きを終えたのは22時を回ってからのことだった。
ベッドに腰掛け、部屋を見渡す。
今日からここで生活していくことを思い、期待と不安を織り交ぜた吐息を漏らす。
――これで良かったんだよな……
卓上に飾られた家族と自身の写真を眺め、ふとそんなことを考えてしまう。
「今更、だよな……」
既にそう決めて、家を出てきたのだ。
そう言い聞かせ、自分の中の憂いを抑え付ける。
――水でも飲みに行くか。
喉の渇きを覚えたリィンは1階のダイニングキッチンへと足を向ける。
「あ……」
すると、そこには先客がいた。それが誰なのか気付いた瞬間、リィンは、そして相手もまた表情を固くしていた。
「アリサ…………まだ、起きてたんだな」
「に、荷物を片付けていたから……貴方も?」
「ああ。随分と遅くなってしまったよ」
「そう……」
「そ、そう言えば、疲れは出ていないか? 初日から結構ハードだったが」
「そうね。流石にちょっと疲れたわ。……そ、そういう貴方こそ平気なの」
「いや、俺も少し疲れたよ……明日に響かないように、早く寝ないとな」
「え、ええ……」
「……………………」
「……………………」
ぎこちない会話。それすらも途切れてしまい何を話したら良いのか分からず、リィンは視線を泳がせてしまった。
――いや、そうじゃないだろ、リィン・シュバルツァー!
まずはあの件のことを謝らないと、そう思いすかさず頭を下げた。
「ごめん!」
「ごめんなさい!」
すると、アリサの方もリィン同様に頭を下げていた。
「ど、どうして謝るんだ?」
「ど、どうして謝るの?」
これもまた同じタイミングで重なってしまう。それが何とも可笑しくて2人はつい笑みを溢していた。
「ふふっ……変に気が合うわね」
そう笑った後、アリサが居住まいを正して、改めて頭を下げてきた。
「その……本当にごめんなさい。あれが事故だったっていうのはちゃんと分かっていたのに……ちょっと気が動転しちゃって頬まで叩いてしまって……しかも、あれって私を助けようとしてくれたのよね?」
「いや、それでも君に不快な思いをさせてしまったのは事実なんだし、謝るのは俺の方だよ」
「そんなことないわ。どう考えても私の方が一方的に理不尽だったわ」
リィンが謝ろうとしても、アリサは頑として己の考えを曲げなかった。
あくまで悪いのは自分なのだと。
それでもリィンは自分の非を伝えようとするが、アリサがそれを遮った。
「それと、助けようとしてくれて、ありがとう」
そう言われてしまうと、これ以上自分がごねるのは野暮のように感じられた。
「いや……うん。どういたしまして、だな」
リィンがアリサの言葉を受け入れると、彼女はふと笑みを溢した。
「あ……」
「? どうかしたの?」
「あ、いや……すまない。どうもこういうのは不調法で。妹にもたまにたしなめられているんだけど」
リィンは内心を悟られまいとし、慌てて話題を逸らした。
「あら、妹さんがいるんだ?」
「ああ、俺よりもしっかりした妹だよ。アリサは、ご兄弟は?」
「私は1人っ子よ。姉みたいな人はいるんだけど……って、それはともかく!」
アリサが突然に顔を紅潮させ、リィンに詰め寄ってくる。
「貴方に非がないのは分かっているけど、それとこれとは話は別だからね!?」
「へ――えっと、何の話だ?」
彼女が何を言っているか理解できず、リィンは思わず間抜けな声を出してしまった。
リィンの様子をもどかしく感じたのか、アリサは語気を荒げていく。
「だ、だから、その……ああもう、分かるでしょ!?」
「えっと、旧校舎の地下に落とされたことだよな?」
「ええ、私が貴方の顔に胸を押し付けちゃった――」
そこまで言うと、アリサの顔は更に赤みが増していた。
「と、とにかく! 思い出すのも厳禁だから! い・い・わ・ね!?」
「あ、ああ……了解だ」
アリサの剣幕に圧され、リィンはしどろもどろになりながら頷かざるを得なかった。それで納得したのか、アリサの様子が落ち着いていく。
「明日もあることだし、先に休ませてもらうわね」
「ああ。お休み」
そう言ってアリサが、ダイニングキッチンから出て行こうとするが、その直前で振り返り、リィンを呼ぶ。
「どうかしたのか?」
「繰り返しになっちゃうけど……本当にありがとう」
満面の笑みを向けた後、どこか恥ずかしそうにしたアリサが、足早に階段を上って行った。
「…………」
足音が遠ざかり、遂には聞こえなくなった段階でリィンは手のひらで口元を押さえていた。
きっと自分の顔は今頃真っ赤になっていることだろう。
まだ記憶に新しいあの感触のこともそうだが、
――笑うと、凄く可愛いんだな。
そうでなくても可愛いと思うが、などと考えてしまい、更に顔が熱くなってくるのを感じる。
先程まであった悩みは、今はすっかりと忘れ去っていた。
◆
夜も更け、町が徐々に眠りに包まれていくのを感じながら、サラは第三学生寮の屋上で夜風に当たっていた。
彼女の手にはビール瓶とその中身が注がれたジョッキが握られており、その頬は赤く染まっていた。
「あー、サラ姐ったらもう出来上がってるじゃない」
「全く……学生と一緒に暮らすなら、少しは控えたらどうなんだ?」
「んー?」
屋上の入り口から声が聞こえ、そちらに振り返る。そこには呆れ顔のエミナとレイルがいた。
「別に良いじゃない。これがないとやってられないのよ~」
サラが陽気に返すと、2人はあっさりと引き下がり、こちらの両脇に並んだ。
「…………どうだった、あの子達?」
頬は依然として赤いままだが、サラは真面目な表情で2人に問い掛けた。
「そうだな。さっきユーシスと話してきたんだけど、あいつを始め色々と問題を抱えているような感じだな」
「はっきりと分かってない子もいるけど……きっと、誰もが何かしら抱えている感じよね」
「あんた達込みで、でしょ?」
サラの問い掛けに2人はばつが悪いかのような表情浮かべる。
「フィーやリューネのこともそうだけど…………あれから貴方達に何があったのか、訊きたいことは山程あるけど、これからたっぷり時間はあるわけだし、追々ってことにしとくわ」
「……ありがと、サラ姐」
「良いわよお礼なんて。私はあんた達に出来る限りのことをしてあげたいの。教官としてだけじゃなく、仲間として」
サラは自分の嘘偽りない気持ちを2人に伝えた。
「ありがとう。けど、あいつらのこともちゃんと見てあげてくれよな」
「分かっているわよ。私は教官として、彼らを導く」
そして。
「俺達は側であいつらを支えていく」
「でしょ?」
「よろしく、頼むわよ」
そう言ってサラはジョッキに残った液体を煽る。自然と見上げる形となった夜空は、雲1つとしてない、満天の星の海だった。