神薙の軌跡・改   作:くどりん

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紅のお茶会

4月4日(日) 近郊都市トリスタ

 

 レイル達がトールズ士官学院に入学して最初の日曜日が今日である。

 入学式から数日しか経っていないが、授業は既に本格的に執り行われていた。しかし、日曜日は休息を目的とし、授業は午前中で終了となる。午後からの時間の使い方は人それぞれで、クラブ活動や自習に励む者もいれば、アルバイトで労働に勤しむ者もいる。

 だがそんな中、レイルは1人、町の外れにまで足を伸ばしていた。

 トリスタの東部。細い路地を進んだ先に小ぢんまりとした建物が見えてくる。

 質屋・ミヒュト。

 学生の身であれば、質屋という存在には縁遠いはずであるが、レイルは軽い足取りで歩を進めていく。その目的は金銭の類ではなく、そこの店名と同じ名の店主に用があったのだ。

「こんちわー」

「ん? お前さんか」

 入り口から中を覗くと、カウンターで新聞に目を落としていたミヒュトが気だるそうな感じで、レイルを一瞥する。

 店を営む者としてその態度は如何なものかと思わないでもないが、昔からこの調子なのでレイルには今更そのことに物申す気は起きなかった。

「お前に頼まれていた件だが、既に調べはついている」

「さっすがミヒュトさん、仕事が早いな」

 差し出された封筒を、レイルは礼を述べてから受け取った。そしてすぐに中身を確認する。

 中に入っていたのは、数枚の調査報告書と古い新聞記事の複写だった。

「……………………そう言うことか」

 素早く内容に目を通したレイルは、神妙な面持ちで言葉を溢した。

 報告書はとある貴族にまつわる出来事について纏められた物で、新聞記事の方は当時のその出来事について報じられた物だった。

 それを読んだ今、あのとき彼に感じた違和感の正体がはっきりと分かった。

「しかし、学友の素性を調べろたぁ、あまり良い趣味とは言えねぇんじゃねぇか」

 ミヒュトがぶっきらぼうな口調でこちらを窘めてくる。そうは言ってもしっかりと依頼をこなしてくれるのが、彼らしいとも言えるが。

 彼の忠告にレイルは分かってるよ、と肩を竦めた。

「けど、俺達の立場上、知っておくに越したことはないしさ」

「ならサラにでも訊けば良かったんじゃねぇのか?」

「教官が生徒の個人情報を漏らす方が問題だって。最近は特にそういうのが厳しくなってるみたいだし」

 そういうもんかよ、とミヒュトは面倒臭そうに鼻を鳴らした。そして何かを思い出したかのようにカウンターの引き出しを漁り始めた。そして取り出したのは、先程レイルが受け取ったのと同じ見た目の封筒だった。

「これは?」

「お前宛に今朝届いた物だ」

 どういうことかレイルは一瞬分からなかった。自分宛に届けられるなら第三学生寮のポストに入れられて然るべきだ。それが何故ミヒュトの元に届いたのか。

 だが、ミヒュトが告げる名を聞いた瞬間、その疑問は霧散した。

「スウェードからだ」

「――ッ!?」

 レイルは目を見開き、慌てて封筒を受け取る。

 告げられたのはレイルの同胞にして、大陸中を旅する旧友の名であった。なるほど。彼からの手紙とあれば、おいそれと学生寮のポストに入れられたら誰かに見られるという危険が生じる。故に信頼の置けるミヒュトの元へ届けられたのであろう。逸る気持ちをどうにか抑えながら、封筒内に収められた便箋を取り出す。

「……………………」

「何て書いてあるんだ?」

 内容を読んで押し黙るレイルに、ミヒュトは眉を顰めながら尋ねてくる。

 レイルは一瞬話すのを躊躇ったが、彼もまたこちら側に詳しい人間である。ならば、話しても差し支えはないだろうと判断し、レイルは口を開いた。

「各地で教団の残党らしき者の動きあり、注意されたし」

「!? ついこないだもお前さん達が取り締まったってのに……なかなか根絶って訳にはいかねぇみたいだな」

「ドクターからの情報提供で残党の検挙が進んでるのは確かだけどな。後は……教団関係かははっきりしてないみたいだけど、クロスベルの方で失踪者が増えてるみたいだ」

「失踪者、ね……教団と結びつけて考えると嫌な予感しかしねぇが、まぁ、あっちにはお前さんの従兄やアリオスがいるから、大丈夫だろ」

 ミヒュトの言う通り、クロスベルにはレイルの従兄ラカムを始め、風の剣聖アリオス・マクレインなどの実力者が揃っている。彼らの前には、並みの相手では歯が立たないだろう。

 それでも奴らを相手に油断は禁物であったし、何よりも気掛かりなのは、

 ――ここ数年、奴らの動きが活発化している?

 何かの前触れでなければ良いがと思うが、嫌な予感というのは中々頭から離れてくれなかった。

「そう言う意味だと、今の立場はある意味足枷でもあるよな」

 クロスベルに立ち込める暗雲に対し、遠い場所から見守るしか出来ない歯痒さを覚える。

 しかし、そういったことを承知の上でトールズに入学したのである。愚痴を溢していても仕方のないことだ。

 ――それに、ここにアレがあるのは間違いないしな。

 動乱の足音が迫る帝国。それに乗じてよからぬ者達が動きを見せる筈である。そのときのためにも今はこの地で己の力を研ぎ澄ませ、情報を掻き集めるだけだ。

「ミヒュトさん……これから定期的にスウェードや他のメンバーから手紙が届くはずだ」

「ああ。必ずお前さんかエミナに渡すようにするさ」

「ありがとう。それじゃあこれで――?」

 暇を告げようとした矢先、懐に仕舞っていたARCUSから音と共に振動が伝わってくる。ARCUSを取り出して確認してみると、エミナからの通信が入っているようだった。

 レイルはミヒュトに断りを入れ、通信を開いた。

『レイル、今どこにいるの?』

「ん? ミヒュトさんの所だが」

『あ、ちょっと待ってね』

 ミヒュトの名前を出した途端、エミナの声が小さくなった。物音が微かに聞こえてくるが、もしかしたら周囲に人がいない場所へと移動しているのかもしれなかった。暫く待っていると、ようやくエミナの声が聞こえてきた。

『……お待たせ。ミヒュトさんの所ってことは、例の件が分かったんだ?』

「ああ。それと悪い報せだが」

 レイルは手紙から得た情報を簡潔に説明した。すると、エミナの声が重苦しいものへと変わった。

『……そう。あいつらが』

「分かっているとは思うが、俺達は」

『ええ。ここで来るべきときに備える、でしょ?』

 ちゃんと分かっているわよ、とエミナが苦笑を溢していた。

「なら良いが……それで? 何か用があったんじゃないのか?」

『あぁ、うん。こんな話の後にするのもアレなんだけど……これからⅦ組の女子で親睦会を開こうって話になってね』

「へぇ、良いじゃないか。クロスベル方面はラカム兄さん達に任せるしかないんだし、気分転換も兼ねて楽しんでこいよ」

『ありがと。……で、お願いがあるんだけど~』

 先程の沈鬱な声はなりを潜め、エミナの口から甘えたような声が発せられる。

『お菓子作って!』

「……店で買ってくる、じゃいけないのか?」

『フレッドさんには悪いけど、レイルが作ってくれた方が美味しいし!』

 本当に悪い。本人を前にして言うなよ。

「……デザートならエミナの方が得意だろ」

『それだと私が話に混ざれないじゃない!』

 ちなみに場所は第三学生寮の3階、女子フロアの談話スペースとのことである。

 それならダイニングに場所を移せば、調理しているエミナも話に加われるだろうと思ったが、それはそれで他の女子が気を遣うのか、と思い至る。

『皆もレイルが作ったのが食べたいって言ってるしさ~』

 尚も続けられる説得に、レイルは仕方なく折れることにした。

「分かった分かった。作ってやるよ」

『ホント!? ありがとう、レイル! 愛してる!』

「ああ。俺も愛してるぞ、エミナ」

『――ッ!』

 導力波の向こう側で、エミナが頬を赤らめて悶えているのがありありと分かった。言い返されて照れる彼女の様子を愛おしく感じ、ミヒュトの前であったがレイルは表情を綻ばせていた。

 その後、ミヒュトに茶化されながら店を出たレイルは、食材の買い出しとしてブランドン商店へと足を向けた。

「さて、作るからには最高の物を出してやらないとな」

 

 

 14時前。

 第三学生寮の3階、女子フロアの談話スペースにはⅦ組の女子勢が揃っていた。

 テーブルにはティーカップが準備されており、そこに芳しい香りを漂わせる紅茶が注がれている。その他には各部屋から持ち寄ったおやつ類が用意されていたが、その場にいた誰もが手を伸ばそうとしなかった。

 1階から立ち上ってくる甘く上品な香り。キッチンにてレイルが焼き上げているパイの香りだ。熱を加えられて甘みを増した果実から発せられる芳醇な香りが、彼女達の期待を高めている。そのため、目の前に用意されたおやつを食そうとするものはいなかった。

 期待に胸を膨らませていたが、完成は15時頃になるとのことだったので、今は待ちわびながらも、話に花を咲かせていた。

 

 

「レグラムと言えば、エベル湖やその畔に建つローエングリン城が有名ですよね。獅子戦役で活躍した聖女リアンヌ・サンドロッドが鉄騎隊と共に拠点としていたとされる」

「流石はエマ。よく知っているな」

「そ、そんな……帝国に住んでたら一般常識の類ですよ」

 ラウラから感心されたエマは身体を縮め、謙遜するように両手を振った。

 その様子を見ながら、ラウラは己が故郷のことについて語られたことで、つい表情を綻ばせてしまう。

 エマが語る通り、ラウラの故郷レグラムでは、獅子戦役にてドライケルス大帝と共に戦場を駆け抜けた槍の聖女リアンヌ・サンドロッドが英雄として称えられ、毎年初秋には彼女と鉄騎隊の慰霊祭が行われるほどである。そしてこれは帝国に住む多くの者が知る程に有名だと自信を持って言える。

 しかし、エマが語る内容に興味を示す者がいたことにラウラは引っかかりを覚えた。

 リューネである。

 自分より年下である彼女からすれば、槍の聖女や鉄騎隊はまだまだ興味のそそられる話なのだろうと考えたが、どうもそれだけではないように感じられた。

 ――まるで、初めて聞くような感じが……

 その考えが過ぎったとき、ラウラの中である仮定が浮かび上がった。が、彼女が養子だと知る身としては、その仮定を口にすることは憚られた。きっと何かの事情か己の勘違いとして済ませておくことにした。

 その代わりとして、ラウラは別の者へと話を振ることにした。

「そういえば、エミナの出身を聞いていなかったな」

「言われてみれば、教えてなかったわね」

 それまで話の聞き手に回り、紅茶を口にしていたエミナがティーカップをそっとソーサーに戻すと、居住まいを正して、その口を静かに開いた。

「隠すつもりはなかったんだけどね。私の出身は……カルバート共和国の西端、帝国との国境に程近い小さな山村よ」

「!?」

 エミナの告げる国名にラウラは身を硬くしていた。アリサとエマも同様で、エミナの表情を凝視していた。

 カルバート共和国。エレボニア帝国の東部に位置する民主国家であり、クロスベルを始めとする領有権の問題等で対立する国である。

 2年前、リベールの女王主導により結ばれた不戦条約により対立状態は大幅に軽減されたが、それでも帝国民からしてみればカルバートは敵国と呼ぶに足る存在である。

 エミナがそこの出身だと聞かされ、ラウラはつい身構えてしまう。

 それを察したのか、エミナは手をひらひらと振って何ともないかのように続けた。

「と言っても、12のときにはバリアハートに移ってきてたし、その後も大陸中を転々としてきたから国籍なんてあってないようなものよ」

 あくまで自分は自分であると語るエミナに毒気を抜かれ、ラウラは全身から力を抜いた。

 ――出身がどうであれ、彼女は彼女でしかない、か。

 それなのにカルバートの出身と聞かされて動揺してしまうなど、まだまだ未熟だとラウラは自らを律した。

「って、今バリアハートって言ったわよね?」

「言ったけど……それがどうかしたの?」

 アリサの疑問にエミナが首を捻って聞き返していた。すると、エマが代わりに尋ねていた。

「エミナさんとユーシスさんって、そのときからのお知り合い、だったのですか?」

「ふむ。そういえば、随分と親しげだったな」

「そういえばその頃の話聞いたことなかった」

「私もお姉ちゃん達がバリアハートにいたときの話って詳しく聞いたことがなかったなぁ」

 ラウラに続き、フィーとリューネもエミナへと視線を向ける。

「質問の答えは、イエス。バリアハートに移ってきて1月ぐらいした頃に、ユーシスと出会ってね」

 そう語るエミナは懐かしむ様子とは別で、どこか寂しげな表情を浮かべていた。

 

 

「?」

 学院の図書館から戻ってきたユーシスは、寮に入った瞬間にこちらを迎えた香りに首を傾げた。

 それは懐かしく、自分にとっては慣れ親しんだものだった。

 ――何故それがここで?

 疑問に思いながらも、香りの発生源であろうキッチンへと足を向ける。ダイニングの扉を開け、その奥に設えられたキッチン内の様子を窺う。

 予想していた通り、キッチンで何かを調理している者がいた。

「お! おかえり、ユーシス」

「レイル、貴方か」

 キッチンで調理していたレイルがこちらに気付き、満面の笑みを浮かべてくる。

 彼が調理しているというのであれば、この香りにも合点がいく。

 香りの正体。それは様々な果実をふんだんに使った特製のフルーツパイである。

 ――母がよく作ってくれたものだ。

 それはかつてユーシスだけでなく、レイルやエミナにも振舞われた懐かしのものである。

「貴方が作っているのか」

「ああ。おばさんにレシピを聞いといて良かった。ユーシスも食べるだろ?」

「……良いのか?」

「本当は3階でお茶会中の女子に作ってるんだけどな。少し多めに作ったから遠慮しなくて良いぞ」

 味はおばさんのに劣るだろうけどな、と笑ってみせるレイルにつられ、ユーシスも笑みを浮かべた。

「そうだな。……久し振りに頂くとしよう」

「…………」

 瞬間、レイルの表情が固まったのが分かった。

 そして己の失言に気付くが、時既に遅く、レイルが意を決した表情でこちらに向き直ってくる。

「なぁ、ユーシス。訊いても良いか?」

「……母のことか」

 レイルが目を伏せ、そっと頷いた。

「この前、ユーシスが話すまで待つって言ったけど、どうしても気掛かりでな」

「……すまない」

「謝らないでくれ。それに、ある程度推測は出来ている」

「……聡明な貴方のことだ。恐らく、その推測であっている」

 そう言うと、レイルは眉尻を下げ、切なさとでも表すべき色を帯びた。

「そう、か……なら、――の場所を教えてくれないか。時間を作って挨拶に行かせて貰いたいんだが」

「ああ。きっと、母も喜ぶはずだ」

 

 

「って、ユーシスの許可なしに昔の話をするわけにはいかないわよね」

「あら残念。結構興味があるのだけど」

 話の流れ的にエミナやユーシスの昔話を聞く感じだったのだが、当の本人の了承を得ていないということから、その話はまた別の機会に、ということになった。

 興味津々といった感じで身を乗り出していたアリサにとっては肩透かしもいいところであった。他のメンバーも同じような感じであったが、そういうことならと先程までの期待の眼差しを収めていた。

「それより、私はアリサの話が訊きたいんだけどなぁ」

「わ、私の!?」

 エミナがいやらしい笑みを浮かべながら、こちらへと話題を振ってくる。それにつられて周囲の視線が一斉に集まってくる。

 エミナの昔話がお流れになったせいで、飢えた興味という名の野獣達がアリサを獲物と認識したようである。

 ――私の話って、もしかして家のことじゃ――!?

 とある事情から隠している実家のこと。貴族と平民が集うトールズ士官学院では己の家名はどちらにとっても特別な意味をなす。それを理解しているからこそ隠しているというのに、今ここで明かすわけにはいかない、とアリサは身構えてしまう。

「で、どうなの? 仲直りしたみたいだけど、リィンとはどんな感じなの?」

「って、そっちかーーい!?」

 しかしエミナから発せられた疑問は、自分の予想とは全く異なっていた。予想外の質問に加え、身構えていたせいでつい大声を出してしまう。

「ふむ。あのときはどうなることかと思っていたが、無事解決したようでなによりだ」

「そうですよね。その日の内に仲直りが出来たようで良かったですね」

「お兄ちゃんと頑張ったかいがありました」

「う……それは、その。ご心配、お掛けしました」

 ラウラとエマ、リューネが安心したといった風に言ってくる。特にリューネはあの地下迷宮でレイルと共にリィンとアリサの後押しをしてくれているので、彼女には一際頭が下がる思いだった。

「で、ぶっちゃけどうなの?」

「うっ」

 フィーが前のめりになって、アリサに問うてくる。彼女のまっすぐな視線を受け、アリサは思わず呻いてしまった。

 ――ま、まさかフィーまで……

 正直、彼女はこの手の話題には興味がないように感じていたのだが、それはアリサの勝手な思い込みだったようで、彼女も立派な“女子”だったのだ。

「ど、どうもこうもないわよ! それに仲直りしたって言うけど、リィンとは別にケンカしてたわけじゃないし! そ、そう! あれは事故! 不幸な事故なのよ!」

「ふ~ん」

 アリサが捲くし立てると、エミナがにたにたとした笑みを浮かべて、生暖かい目をしているのが見て取れた。

「な、なによ」

「べっつに~、随分必死だなぁ、って」

「――ッ!?」

 彼女の言う通り、自分とリィンとの間に特別な何かがないのであれば、適当に受け流していれば済んだ話だったはずだ。

 だが、あのときの恥ずかしさを思い出したことで冷静さを欠いていたアリサには、そこまで思考が至ることが出来ず、ついムキになって反応してしまったのである。

 そのことに気付いた瞬間、アリサは自分の顔が熱くなるのを自覚した。それを見た皆が微笑ましいものを見るかのような表情になっている。

 それが更にアリサの感情を加速させ、ついに彼女は立ち上がり、全員を睨み付けた。

「ほ、本当にリィンとはなにも――」

「俺がどうかしたのか?」

「!?」

 突如として聞こえてきた、聞こえる筈のないと思っていた声。

 声がした方向に慌てて振り向くと、そこには今正に話題に上がっていたリィンがいた。

「――――ッ!!?」

 彼の姿を認識した瞬間、アリサの喉からは声にならない叫びが発せられ、それと共に手近にあったクッションがリィンの顔面目掛けて投射された。

 

 

「邪魔してすまなかった……」

 申し訳なさそうに謝ったリィンは、とぼとぼと階段を下りていった。

 彼曰く、レイルからお菓子の仕上げに使うシナモンを苦手としている人はいないか訊いてきてくれと頼まれたとのことらしかった。

 だが3階に上がってきたタイミングがまずかった。

 丁度アリサが彼の話題で感情を爆発させようとしていた直後の登場である。彼に非がないとしてもあまりにも間が悪かった。

 ――彼、持ってるなぁ。

 と、エミナは苦笑を浮かべながら去っていくリィンの背中を見送った。

 特別オリエンテーリングのときといい、今回のことといい、彼はトラブルに巻き込まれやすい性質のようだった。

「で、落ち着いた?」

「――!」

 エマとリューネによって宥められたアリサへと視線を向ける。すると、アリサからは鋭い無言の睨みが返ってきた。

 ――ちょっと弄り過ぎちゃったか。

 思っていた以上に初々しい乙女だったようである。なんて考えていると、アリサが更に視線を鋭くして、エミナに問い掛けた。

「私のことより、エミナはどうなのよ?」

「どうって?」

 アリサが言っていることが分からず、聞き返してしまう。すると、アリサは先程自分が浮かべていた筈の“悪い笑み”へと表情を変えた。

「レイルと付き合ってるんでしょ」

「――ッ!?」

 今度はこちらが絶句する番だった。

 公言していないはずなのにどうして彼女が、と驚いたが、見れば他のメンバーは驚いた様子ではなかった。つまり既に知られていたらしい。

 エミナはその情報源と成り得る存在へと振り返った。すると、フィーはすかさず首を横に振った。

 ――となると……

 もう1人の容疑者へと視線を送る。

「?」

 リューネは一瞬何のことか分からないといった様子で首を捻っていたが、こちらの意図を察したのか慌てた様子で言ってくる。

「え、えっと、言ったら駄目だった?」

 どうやら彼女が情報源だったようだ。

 それ以外のことで口を硬く噤むと決めてはいたが、そういったことに関しては全く決めてはいなかった。

 ――別に隠すつもりもなかったけど……

 それでも若干の照れを感じるので、大っぴらに公言するつもりもなかったのである。

 だが、口止めしていなかったのも確かなのでリューネを非難するのはお門違いである。エミナはリューネへと至極優しく微笑みかけ、

「別に構わないわよ。いつかは分かることだし」

 そう言ってやると、リューネは胸を撫で下ろしていた。

 その傍ら、アリサは先程の意趣返しとしてにやにやと笑っていた。

「そう。だったら何を聞かせて貰おうかしらねぇ」

「ア、アリサさん……」

 エマがアリサを宥めようとしているが、エマの意識もしっかりとエミナへと向けられているのが分かった。ちらちらとこちらを窺う視線が、興味津々だと語っていた。

「そうね。じゃあ、2人が付き合う切っ掛けを訊かせて貰おうかしら」

「ふぅ、仕方ないわね」

 平静を装ってみたが、若干頬が熱く感じられる。

 だが、気にしても仕方がないので、エミナはそのまま語り始めた。

 

 

 そう……あれは、とあるお城で開かれたパーティーで、

 

 

「いやちょっと待って」

「何よ急に」

 語り始めた矢先にストップが掛かり、エミナは口を尖らせた。しかもそれがアリサによるものだったので、不満は一入であった。

「お城でのパーティーってどういうことよ!?」

「そなたはそういった類のことに縁があったのだろうか?」

 アリサの問いを補足するようにラウラも訊いてくる。

 その疑問も最もであった。

 元々カルバートの田舎生まれである自分がどうしてお城でのパーティーに招待されるようなことがあるのか、甚だ疑問なのだろう。

「まぁ、そこは色々事情があるの。で、そのパーティーが開かれた空中庭園の片隅で想いを告げあい、晴れて付き合うことになったわけなの」

 言っていて更に顔が紅潮してくるのが分かる。

 あのときの胸の高鳴り。結ばれた喜び。触れ合う肌の感触や溶け合っていく2人の熱を思い出してしまったのだ。

『……………………』

 しかし、それを聞いていた彼女達は、フィーやリューネを除いて猜疑心に満ちた目をしていた。

「そもそもお城でのパーティーってところからして怪しいんだけど」

「夢のある話ではある、とは思うが」

「流石にちょっと……」

 と、それぞれから手厳しい反応が返ってきた。

「ちょ!? 本当のことなんだってば! ね、フィーも知ってるでしょ?」

「……決定的瞬間は見逃した」

「その後すぐに報告したでしょ!?」

 エミナが幾ら説明しようとも彼女達からの疑いは晴れることがなかった。

「随分と楽しそうだな」

 するとそこに誇らしげな笑みを浮かべたレイルが3階へと上がってきた。

 その手にはトレイに載せられたスイーツがあった。

『おぉ……』

 それを見た全員が今までの会話を放り出して色めきだした。

 狐色に焼き上げられたパイ生地。煌びやかな宝石の如く輝いているような数々の果肉。鼻腔を擽る果実の芳醇な香りとシナモンの独特のそれが混ざり合い、彼女達の食欲を刺激する。

 今まで持ち寄ったお菓子類に手を付けずに待っていて良かったと、誰もがそう思った筈だ。

「流石ね、レイル」

「凄いよお兄ちゃん!」

「た、確かに凄いわね」

「本当にそなたが作った、のだな?」

「……こんなに美味しそうなフルーツタルト、初めて見ました」

「お店を開いても良いレベル」

 女性陣から賞賛や畏敬の眼差しを受け、レイルは鼻高々といった様子だった。

「さあ、冷めない内に召し上がれ」

 レイルに促され、エミナ達は期待を胸に出来たてのフルーツパイを食す。

 1切れ、口に含んだ瞬間。

 サクサクとした食感のパイ生地と共に、熱されて甘みが増した果実が爆発した。それは比喩表現ではなく、正に爆発だった。口全体に一瞬にして広がった甘さがその勢いを衰えさすことなく、全身へと広がっていく。

 嫌味のない、大自然を髣髴とさせる優しい甘さが全身を包み込んでいく。だが、それだけではなかった。優しい甘さの中にある甘辛い刺激。仕上げに使用されたシナモンパウダーだ。これにより、優しい甘さの中に少しだけ刺激的なアクセントが添えられたのである。

 優しさだけでなく、少し刺激的なフルーツパイ。

 エミナ達は抗う術もなく、その味に、魅せられていく。

 

 

「そうだ。この際だから、レイルにも訊いてみましょうか」

 レイル特製のフルーツパイを半分程食した頃、アリサは先程の会話を思い出し、そう提案した。

「ちょっと、アリサ!」

「ん?」

 エミナが慌てて止めようとするが、気にせず首を傾げているレイルに問い掛けた。

「さっきまでエミナと貴方が付き合う切っ掛けについて話を訊いていたんだけど、どうも信じられなくてね」

「それで俺にもそのときのことを訊きたいと?」

 そういうこととアリサが頷くと、レイルはエミナと異なり特に照れた様子もなく語り始めた。

 

 

 そうだな。あれは、とあるお城で開かれたパーティーで、

 

 

「いやいやいやいや」

「どうかしたのか?」

 レイルが語り出した途端、またもやアリサによりストップが掛かった。

「それ、エミナも言ってたんだけど、本当なの?」

「そうだけど」

 そう言ってレイルがエミナへと視線を向ける。それを受けてエミナが諦めの籠もった溜め息を溢した。

「何度もそう言ってるんだけど、全然信じてくれなくて」

「そうか……」

 するとレイルが目を瞑り、顎に手を添えた。何かを思案しているようだったが、暫くするとエミナを傍へと招いた。何だろうと疑問に思いながらも、エミナは素直にレイルへと近付く。

「どうしたの?」

「いや、あのときのことを説明しても信じて貰えないなら……あのときのことを再現したら少しは信じて貰えるんじゃないか?」

「……は?」

 レイルが何を言っているのか理解出来ず、エミナは思わず間抜けな声を出してしまった。

だが、頭の中で彼の言葉を反芻すると、その意味が理解出来た。

 直後。

 エミナの中に焦りや照れといった感情が暴れだした。

 ――ア、アレをここでやるの!?

 流石にアレは恥ずかし過ぎる。あの時はその場の雰囲気や感情の昂ぶりなど色々な条件が揃っていたから良いものの、改めてアレをやるのは正直キツイものがある。

 レイルを止めようと目で訴えかけるが、真剣な瞳で見つめ返してくるレイルを前に、エミナの意識は奪われてしまった。

「『……そこから先は、俺から言わせてくれないか?』」

 

 

『え……』

『――ガキの頃はさ、子供心にも俺がエミナを守らないと、って思ってたんだ』

『そ、そうなんだ』

『けど、逆に俺の方が助けられていたな。前向きな考えや行動力は勿論だけど、何よりエミナの笑顔が俺の支えだった』

『……うん』

『気が付いたら、いつもエミナのことを目で追っていた』

『それは、私も一緒。離れているときだって、レイルのこと考えてた』

『ははっ、俺もだ。……けど、いつも一緒だったから余計に怖かったんだ』

『…………』

『自分の気持ちを告げて、今の関係すらなくしてしまったら。そう考えると最後の一歩が踏み出せなかった』

『私も。――臆病者同士だね』

『だな。でも、今回の一件で強く思ったんだ』

『……何を?』

『例えどんなことがあってもエミナを手放したくない。ずっと傍にいたい、って』

『…………うん』

『だから、言わせて欲しい。俺と、生涯を共にして欲しい。相棒としてだけじゃなく、1人の女性として』

『…………喜んで!』

 そして2人の影は1つになっていく――

 

 

「ってそれ以上は禁止ぃ!!」

「――ッ!?」

 レイルの顔が至近に迫った瞬間、エミナは我に返り、レイルから身を放し、その勢いを利用した回し蹴りを放っていた。

 蹴りは見事レイルの顎を捉え、彼を一撃で昏倒させることに成功した。

「はぁ、はぁ……」

 雰囲気に呑まれレイルの話に乗ってしまっていたが、これ以上は恥ずかしさが勝ってしまい、続行不可能となったのだ。

 きっと凄い注目を浴びているのだろうが、皆の方を振り返ることが出来ない。

「――ッ」

 何かを言われる前にエミナは一目散に自分の部屋へと逃げ込んだ。

 

 

「な、何と言うか……」

「……凄かったですね」

「あ、ああ。見ているこちらが恥ずかしくなってしまったな」

「話は聞いていたんですけど、まさかここまでとは……」

「2人共、クサイね」

 それぞれが頬を赤く染めながら――フィーだけは淡々とした調子で――さっきまで繰り広げられていたエミナ達のやり取りについて感想を溢していた。

 流石にあれだけのことをやられると彼女達の言を信じざるを得なくなってきたのだが、当面の問題としてフィーが皆に尋ねる。

「これ……どうする?」

 フィーが指し示したのは、未だ残っているフルーツパイである。

 それを皆で見詰め、お互いに顔を見合わせた後、口を揃えてこう言った。

『もうお腹一杯』

「じゃあ頂くね」

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