ダスカに片想いして結局告白すらできず卒業を迎えたクラスメイトのモブになりたい人生だった   作:石焼ビビンぱ

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2日目:月は邪を照らす

  

 懐かしい香りに包まれて、目が覚めた。

 目の前には、ちゃぶ台にに突っ伏して眠るスカーレット。

 じゃあ、この肩の重みは──。

 

 「…………最悪だ」

 

 稲毛色のトレンチコートが、背中を覆っていた。

 それはつまり、彼女の話を聞いている途中で僕が先に寝てしまったということであり、見かねた彼女が体調を崩させまいと、自分の上着をかけてくれたということである。

 

 ──『君の話には、ひとつ噓があるな』

 

 きのう舞い上がって無様を晒した瞬間がフラッシュバックする。こういう時に寒気がして温まる体質は、寒さピークの1月下旬にゃ得なのだろうが、いつまでたっても不快感に慣れないものだ。

 

 コートをハンガーにかけ、朝ご飯を食べて。多少物音を立てても、腕を枕に突っ伏すスカーレットが起きる気配はない。

 

 仕方ないので合鍵を封筒に入れ、さっと書置きを残す。家を出るにあたり、キッチンなどの設備は勝手に使ってくれて構わない、鍵は閉めた後、ポストに入れておいて欲しい。最低限書き残して、小走りで学校へ向かう。

 

 「行ってきます」

 

 当然のこと、返事はない。

 厚顔にも、寝顔が見られなかったことを残念に思う自分がいた。

 

 

 

 高校で授業を受けて、放課後。直線帰宅を決めるほど、もう家に愛着はない。むしろ独りであることを自覚するのが嫌で、最近は寄り道が常である。

 もっとも、今日は友人との約束のせいであるのだが。

 

 「なんでったって、こんなとこに呼び出した」

 「……仮にも自分の勤務先をこんなとこ呼ばわりってお前」

 

 酒に囲まれて一日を過ごす相手にとっては「こんなとこ」であるという意味だ。顔から下は至って普通の制服であるくせして、視線を揃えて真っ先に映るのは、シルクハットにガイゼル髭。マジックバーでの正装であるらしいが、漫才師と名乗った方がそれらしい。

 

 「だってお前にバーは無理だろ。キャラメルラテて。ガキじゃねえんだから」

 「ドリンクバーミックスしてるヤツに言われたかねえよ」

 「カクテルは混ぜ物だ。つまりこれは、大人の飲み物」

 

 舐め腐った理論武装で、鎮座するのは茶色に泡立つ謎の液体。グレープジュースとコーヒーと炭酸水とメロンソーダを混ぜたのだろうシンプルにまずそうなそれに口をつけ、ひとこと。

 

 「俺が聞きたいのは、ダイワスカーレットの行方だ」

 「……まず、口拭けよ。吹き出しそうになったじゃねえか」

 

 誤魔化せたか、正直怪しい。彼は鏡を取出し合点して、面倒くさそうに付け髭をとっぱらった。茶色く染まった髭なんて、どうだっていい。なんでったって、こいつがそんなことを。

 

 「アルバイト先の先輩が、トレセン学園生でな。なんでも後輩の行動範囲を知りたいってんで、同級生だった俺に聞いてきたんだ。あの人のことだから、誕生日パーティーでも開こうとかかね」

 「……その先輩って、フジキセキさんで合ってるか」

 「おー、正解。詳しいな。やっぱお前に聞いて正解だった」

 

 昨日聞いた話に出てきたウマ娘だ。ウオッカとスカーレットの仲違いを心配し、トレーナーにまで口を挟む、言ってしまえばお節介焼き。とはいえ寮母として寮生の心配をしていると考えれば、調停は職務の範疇と言えよう。

 

 顎に指を添え、考える。

 スカーレットの誕生日は5月だ。誕生日パーティーの準備には早すぎる。脱走が露見し、連れ戻そうとしていると考えるのが最も自然だ。

 そして、目的を目の前のコイツは知らされていない。

 世間に大っぴらにする前に捕らえて、内々で処理しようとしている──今のうちに自首すれば、希望はあるとみるべきか。

 

 「携帯に掛けても出ないからさ、俺にはもう探りようがない。そこでお前だ。行きつけの店とか、待ち合わせに使う場所とか、教えてくれ」

 

 ところで、『苛立つ』という言葉の語源は、植物の棘が手に刺さることから来ているらしい。棘を抜こうと躍起になるほど、痛みに意識が逸れて処置がぞんざいになり、結果抜けずに痛みが続く。怒りの悪循環を表す言葉として、見事な表現だと思う。

 

 彼の言葉は、棘だった。心臓に針が突き刺さった気がした。今朝反省したばかりであるというのに、痛いところを突かれた僕は、苛立ったまま顔を上げた。

 

 「……そこで僕に矛を向ける理由が、ちっともさっぱりこれっぽっちも理解できんよ」

 「だってお前らって付き──」

 

 その先が『合っている』なのか、『合っていた』なのかは些細なことだ。どっちも違うのだから。真偽を確かめてもいない噂に騙されおってからに、とオーバーに腰に手を当ててみせると、彼は首を傾ける。

 自分が、ひどく惨めだった。

 

 「期待させて申し訳ないけど、僕はその件で役に立たん。なんならお前の方が可能性があるよ──彼女の連絡先すら、僕は知らない」

 

 気まずい雰囲気のまま、その場はお開きになった。彼は終始、『意外だ』とか『なんで』とかなんとか言って首を傾げていて、勝手な物言いにますます苛立って、どんな反応をしたか、覚えていない。

 去り際、おそらくは贖罪のため押し付けられた彼女の電話番号に、帰路につきながら掛けてみる。一瞬応答しすぐさまプツリ。「もしもし」の「もし」くらいで機械音が返ってきた。

 ……当たり前か。泊っていたのがバレたら事だもんな。迂闊なことをした。

 

 前を向けば、夕日がちょうど地平線に沈むところだった。直視できないほどじゃない。昼間の輝きがほどよく陰って、視界全体を赤く彩る。

 

 今頃、彼女はトレセン学園で大目玉食らっているのだろう。エアグルーヴは厳しそうだ。フジキセキが上手いこと取りなしてくれるだろうか。

 

 祈ることしかできないが、どうか、軽い処分にとどめて欲しい。僕を言い訳に使ってくれても構わないから、スカーレットには立場を守って欲しい。

 恋心による自己犠牲なんかじゃ断じてなく、単なる比較の問題だ。

 僕と彼女じゃ、人生の重みが違うのだから。

 

 

 

 「あら、お帰りなさい。……なにその、鳩が豆鉄砲食ったみたいな」

 「食っては無いな。頭に当たった。見えてるか? 僕が頭抱えてるの」

 

 僕のセリフには、ちょっとした虚勢が混じっている。実際は豆鉄砲をガトリングで口の中にぶち込まれたような衝撃で、彼女とまともに視線を合わせるのにかなりの時間を要した。

 玄関開けたら、エプロン着けたスカーレットとこんにちはである。オマケに「お帰りなさい」と来た。何が嬉しいのかって、これ以上は説明させないで欲しい。虚しくなるから。叶わぬ希望であることを知って言っているのだから。

 

 僕の皮肉に気付いているのかいないのか、彼女は小首を傾げたあと、「そうそう」と続けて。

 「お風呂、先に入らせてもらったから、まだお湯は張りっぱなし。ついさっきだから、そこまで冷めてないはず。ご飯も先に食べちゃった。カレーを作ったの。食べてもいいけど、残しておくのよ。2日寝かせたカレーってのを教えてあげるんだから。光熱費は、机に置いてあるから──」

 「待て待て待て待て待て」

 

 一文ずつ読まれても卒倒しそうな内容を矢継ぎ早にぶち込まれて、頭がパンク寸前である。よく見たら下に着てるセーターもタンスから引っ張り出してるじゃねえかコイツ。ひとまず後回し。聞かなきゃいけないことがある。

 

 「優等生のスカーレットさんが、まさか約束を破るたあ驚いた。昨日の今日だ、忘れてるたあ言うまいね」

 ……情緒がイカれた結果の口調に関しては流してもらうとして、

 

 ──『1日くらいなら、匿ってやれるけど』

 

 期日は過ぎたのだ。家に帰ったら誰もいないつもりで僕は鍵を置いて行ったし、そのつもりで鍵を開けた。

 僕は今、幸せが延長された喜びの中で、一抹の不安と共にある。それはスカーレットの将来。一度負けたとてまだまだ前途有望な彼女が、こんなところで油を売っている場合じゃない。

 

 「それともなんだ、僕が締め出されるとでも思ったのか。戸締りを頼んでおいて、スペアの鍵があることを知らせなかったのは不親切だったかな」

 「……分かってるわよ、そんなこと」

 

 感情の矛盾を抱えているのは僕だけじゃないらしい。彼女は昨日見た、自分を責めるような表情を浮かべて、言った。「アンタが悪いのよ」

 「アンタが途中で寝落ちしちゃったから、学園での話、最後まで話せてないの。3年間の軌跡を話し切るまで、帰れないわ。そういう”約束”だもの」

 

 ……上手い返しだと思うが、それは現実逃避だ。宿題をやって行かなかったから教室に入らないとか、歯医者をすっぽかしてしまってもう2度と電話をかけられない、とか、そういう類いの。

 どうせ逃げられやしないのだから、さっさと頭を下げてしまえばいいのに──と、優等生には出来ないことを承知で、思う。

 

 拾ってしまった責任がある。

 もう夜が更けて、追い出すには忍びない。

 

 自分に言い訳を重ねて、僕は彼女を肯定する。

 精一杯の笑顔を繕って、肩をすくめて、鼻歌を歌うように。

 

 「……ま、1日も2日も変わらんよ。ほとぼりが冷めるまで居ればいい。聞き残したことがあるのも、確かだしな」

 

 冷めるわけがない。時間が経つほど、状況は悪化の一途を辿る。

 今は生徒に捜索が一任されているようだが、学園側がしびれを切らすのは時間の問題で、そうなれば、おそらく、彼女は選手生命を絶たれてしまう。

 

 「聞き残したことって?」

 

 そこに気付かないほど、彼女は間抜けじゃないはずだ。その証明として、続く言葉に彼女は一瞬顔をしかめた。

 

 「君たちの馴れ初めさ。トレーナーさんとの出会いについて、教えてほしい」

 

 

────

 

 

 ──『君と話がしたくて』

 ──『どこにも行かない』

 ──『そんな君を支えたくて、ここに来たんだ』

 ──『それなら一緒に“1番”を目指そう』

 ──『君が納得できるまでとことん話し合おう!』

 

 

 ──『君にとって“1番”のトレーナーになるよ』

 

 

 胃もたれに耐えつつ、スカーレットの語り口に相槌を入れ、時に質問や茶々を入れ。おそらく契約の決め手となった台詞を最後に、スカーレットはコップの中身を空にした。

 

 「……まあ、そんな感じ。なんか感想とか、あるならどうぞ?」

 「よく話す気になったね、前半、清々しいくらいの黒歴史じゃん」

 「……アンタが話せって言ったんでしょうがあ……!!」

 

 もっともである。ただ、自らの恥を開け広げにしてまで約束を守るあたり、融通が利かないというか。『誰よりも信頼されるウマ娘になる』という目標のためなのだろうが、僕には窮屈な拘束具に見えて仕方がない。

 だからこそ、思うのだ。

 

 「凄い人だな、トレーナーさん」

 

 スカーレットが目を丸くして、怪訝な顔で僕を見る。

 「……珍しいわね、アンタがそんな直球で人を褒めるの。なんか悪いものでも食べた?」

 「今しがた食ったの、君の作ったカレーなんだけど」

 

 僕は表立って彼女のことを褒めたことがない。友達で、対等だからといえばそれまでだが、そこが僕と彼との決定的な差であると思う。

 僕は自分の幸せしか考えていない。

 対して彼は、スカーレットの幸せを本気で案じている。

 

 「変なヤツだったわ。選抜レースで勝ったのはウオッカで、性格が良いのも、間違いなくウオッカで。あの場では、アタシは2番だった。それなのに1人でのこのこやってきて、君を支えたい、なんて言って……なにニコニコしてんのよ」

 「いやー、ほんとに凄い人だなってー、思ってさー」

 「え、ちょっと、ホントに大丈夫? 熱あるんじゃない?」

 

 心配を尻目に生返事。熱は無い、むしろ冷え切っている。胸中のほとんどを、『なぜ』と『どうして』が埋め尽くしていて、処理に時間がかかっているのだ。

 

 僕はトレーナーさんと、それなりに意気投合できる自信がある。「スカーレットは素を出した方が良い」とでも話を振れば、同意してくれるに違いない。

 だが、無理やり彼女のスタンスを変えることを、彼は良しとしないだろう。彼女の目標が『誰よりも信頼されるウマ娘』なら、方法に口出しはすれど、目標そのものには手を出さない。そんな考えを滲ませる言動を、スカーレットの話の端々から聞いた。

 目標はすでに、2人の間で定まった。ウマ娘といったらダイワスカーレットの名が1番に思い浮かぶような、生ける伝説となること。

 

 

 ──しっかりしてくれよ。

 ──貴方がいながら、なぜ、彼女はこんなところにいる?

 

 

 「ありがとう。なかなか、面白い話だった」

 「……看病くらいなら、してあげるわよ? 居候の身なんだし」

 「さて、出会いの話とこれまでの話を聞いたんだ。あと聞きたいのは、ひとつのみ」

 

 魅力的な誘いを無視して、僕は続ける。気分としてはバンジージャンプだ。僕はこれまで、スカーレットにちょっかいをかけこそすれ、彼女の目標に対しては不干渉でいた。嫌われるのが怖いから、触れまいとしていた。

 自分でも戸惑ってしまうくらいの、心境の変化がある。笑顔を見るのが幸せ、ふとした仕草で胸がざわめく。きっと恋なんだろうけど、なんでだろう、こんなにも楽しいのに。

 幼少期、ゲームのやりすぎで母親にせっつかれた記憶を、場違いに思い出しながら。

 

 「……今は、どうなんだ、スカーレット。トレーナーさんは──現状を把握しているのか?」

 

 なんでだろう、さっさと終わらせなくちゃ、なんて思うのは。

 

 言葉が届いた瞬間のスカーレットの反応を見ることは叶わなかった。部屋の隅に置かれた彼女のポーチからのバイブ音に、気を取られてしまったのだ。それこそバンジーの瞬間に目を閉じるような反射的な反応で、例え何事もなかったとしても、理由をつけて目を逸らしていたのかもしれないが。

 後追いにガラン、と目を瞑りたくなるような鋭く鈍い音が鳴る。視界の外でコップが倒れた音だった。デジャヴを感じつつ彼女の方を向けば──

 

 「……スカーレット?」

 

 彼女はひどく怯えた様子で、体を抱いて震えていた。

 

 真冬も真冬、生活空間はさておき環境にかけるお金をケチらないことをポリシーにしている僕の部屋は、暖房が効いてそれなりに暖かい。そんな中、彼女は震えを抑えきれぬまま一点を凝視して、そこから遠ざかるように懸命に足を伸ばしていた。

 本当に離れたいのなら、立ち上がって歩けばいいのに。ピンと力を込めて、カーペットの上で赤子のようにじたばたと。

 

 「お願い、スマホ、どこかにやって」

 「……電話だろ、出なくていいのかい。というか、君のカバンを勝手に漁ることに──」

 「いいから、はやく」

 

 それはほぼ、悲鳴だった。喉を裂くような、非効率な力の入った、叫び声。

 仕方なく手頃なものを探して、タイムカプセルとして使ったお菓子の缶を見つけた。プライバシーを侵害しないよう、彼女のポーチからスマホらしきものをさっと取出し、画面を見ずに箱の中に入れて、蓋を閉める。

 

 振り返って、目が合って、後悔した。

 

 努力に裏打ちされた自信はもはや見る影もなく、腰を抜かして、後ずさる。ウマ娘は調子が生活にもろに影響すると小耳に挟んだことがあるが、まさかここまでだったとは。

 

 「……今日はもう寝ようぜ。そんな調子で話を聞いたって、何にもならない」

 

 肩を貸してベッドまで運び、寝かせる。もはや転がすと言った方が正しい。彼女は終始されるがままで、何の抵抗もなく横たわり、目を閉じる。

 

 僕はソファの上で仰向けになって、天井を見つめる。6歩ほど離れたベッドからのすすり泣きが、断続的に僕の胸を締め付ける。

 

 『ごめんなさい』『ごめんなさい』『ごめんなさい』

 

 己の無力を他人に謝ることほど無益なこともない──スカーレットの生き様は、そういったストイックなものであったはずだ。少なくとも、僕が彼女を見初めた理由は、そうした純真さにあったはずだ。

 

 幻滅したわけじゃない。

 ただの嫉妬だ。

 

 「……君らは、2人でひとりなんだな」

 

 きっと、これまで居なかったのだ。目標を共有した、謝るべき、もう一人の自分が。

 

 遮光カーテンから漏れた月光が顔を照らして、目が冴える。

 心配よりも先に嫉妬が湧き出る自分が、どうしようもなく醜く思えた。

 

────

 

 ……。

 ……。

 ……。

 

 あれから毎日、僕は忘れ物をしていた。

 理由なんて、言うまでもあるまい。

 

 「やっほースカーレット」

 「……一応聞いておくけど、今日は何を忘れたの?」

 「サッカーボール」

 「本当は?」

 「漢字ドリル」

 「5分前に手渡された物をどうやったら忘れられるのよ……」

 

 僕の忘れ物が単なる言い訳でしかないことは流石に露見していたが、その動機まで、彼女は察していなかったように思える。

 なにかと理由をつけて絡みに来る変なヤツ──僕の立ち位置は、そんなところ。

 

 あれほど熱中していたはずの外遊びが、いつの間にかつまらないものに成り果てていた。

 その代替として、僕は彼女を追いかけていた。人そのものを目的としていた。

 

 今でこそ思う。

 それじゃあ、空っぽだ。

 

 個人として何か追いかけるものがあって、個人として完成して。

 他人を求めるのは、それからであるべきだ。自分が個人であるために、他人を使ってはならない。

 おそらくスカーレットのトレーナーが、彼女をオークスへ出走させるときに感じたであろうこと。そこに僕は盲目だった。衝動に任せ、彼女を追いかけることが正しい行いなのだと、信じ切っていた。

 

 「……アンタには、無いの、目標」

 だから、厄介払いの意味が込められていたのだろう質問に、僕はしばし、詰まってしまった。

 「毎日毎日、飽きもせずアタシのところに来るけど。自分のことはいいの? 何かアンタにも、やるべきことがあるんじゃないの?」

 胸中には、ただ焦りがあった。彼女に『詰まらないヤツ』と思われることは、何より避けねばならなかった。

 

 「あるよ、それなりに大きな夢が」

 「どんな」

 「ないしょー」

 「アンタね、そりゃ不平等ってもんでしょうが」

 

 アタシは教えているのにと怒るけれど、その指摘は当たらない。君は全生徒に向けて宣言しただけじゃないか。

 

 「……君は時間の無駄だって言うけどね。むしろ逆だよ、有効活用だ。僕は自分のために、君のところに通っているんだ。夢はあるよ、でも、まだ言えない」

 反応が怖くて、続けざまに保険を口走る。

 「そんなこんなで、私欲なんだ。君が迷惑しているのなら、諦めるよ」

 

 「……そういうワケじゃ、ないけど」と、いかにも不服そうに彼女はぼやく。スカーレットに選択肢は無かった。彼女の目標は、誰の期待も裏切らないウマ娘であるのだから。

 

 

 卒業式の前日に、僕は彼女を呼び出した。呼び出したと言っても何のことはなく、「普段の場所で待っていて」と伝えただけのことなのだが。

 なぜ前日かって、そりゃあ彼女は人気者だから、当日はブッキングするだろうと思って。まあ、この時点で日和ってるんだから、結末はお察し。

 

 「なんなのよ。今日は妙にはっきりしないわね」

 

 スカーレットはいつも通りだった。緊張も何もなく、腰に手を当てて苛立っていた。

 このときすでにトレセン学園への入学が決まっており、荷造りだなんだと忙しかったのだろう。それでも時間を割いてくれたのは、2年間で少し打ち解けた結果だと思いたい──夢であるから、気付く。さっきと僕は言っていることが違う。彼女に逃げ道は無いのだと、言ったばかりではないか。もっともらしいことを言って、僕は自分の信じたいことを信じているに過ぎなかった。

 

 僕は変わらず空っぽで、彼女は夢へのスタートを切る。

 彼女の頭で、ティアラが揺れる。僕の頭で、天秤が揺れて。

 

 「……僕の目標、教えるよ」

 

 後ろ向きに、前向きなことを言う。

 誰かに伝えるべき言葉を腹の内に押しとどめた、独りよがりな後悔を噛み締めて、笑って。

 

 「僕は記者になる。3年後、君の活躍を聞かせてほしい」

 

 ちょっと残した、未練とともに。

 終わりで、始まり。灰色の人生の、幕開け。

 

 

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