だから、俺はこんなことになっても、自分から動けずにいた。
「この人痴漢ですッ!!!!」
いつもの通勤途中、列車の中、俺の隣で女性の甲高い声が響く。何だろう、と俺は思った。その次の瞬間には、俺は自身の腕を、隣の女に掴まれていた。
「この人が今、私の太ももを触りました!」
「えッ」
誓って俺はそんなことをしていない。しかし女はしたのだと言っている。乗客の視線が一斉に俺に集まり、何人かはスマホをこちらに向けていた。
「ちょっと、あなたは何か勘違いをs」
彼は、きっと彼女の勘違いだろうと思い、冷静に諭す。しかし言葉を言い終わる前に、女はまたもや叫んだ。
「うるさぁいッ!!黙りなさい!!誰か乗務員さん呼んでーーー!!!!誰かーーーー!!!!」
女は彼の言うことに耳も貸さず、あくまで自分が被害者で、彼が加害者というスタンスを取るらしい。
俺は呆然とした。
何故、この女の人は自分の話を聞いてくれないのだろうか。何故、誰も俺の無実を訴えてはくれないのだろうか。俺は近くの乗客に目を向ける。若い男だった。男は彼の視線に気づくと、サッと目を背ける。そうか、誰も俺に関わりたくないのだ。絶望感が胸に湧いた。
「ちょっとよろしいですか」
そうして絶望している内に、いつの間にか目の前に現れた乗務員の手によって、俺と女は電車から降ろされた。何故かチャラチャラとした男も一緒に。
「駅員さん、俺は何もやってないですよ」
面倒くさげな駅員に、彼は懸命に訴えた。しかし女の「いいえ!触られました!」の一言で、駅員は「だそうだけど」とこちらを疑いの目で見るようになった。
何だ、俺が一体何をしたって言うんだ。仕事に行かなくちゃならんのだ、それがどうして痴漢騒ぎに巻き込まれ、さらには犯人扱いを受けているんだ。あまりにも不条理だ。俺はそういう思いから怒り、しかしそれを胸の内に留めた。怒り狂うと、何だか逆ギレをしているみたいで、まるで自分が犯人だと認めるみたいで、何よりも勇気が無くて、できなかった。
チャラチャラとした男がこちらをニヤニヤと見ている。何なのだ、お前は。突然付いてきて、何なのだ。何か関係があるのかよ。俺はイラついた。
そうこうしているうちに、警察が来て、俺を連れて行く。何処へ?そこら辺の交番だろう。そこから事情聴取やらなんやら受けて、裁判になって、刑務所に入れられてしまうのだ。
ああ、俺の人生、終わった。こんなことで。
俺は俯きながら歩く。その時、後ろの声に気がついた。
「ふぅちゃんさあ、マジえげつねえや。今回でなんぼ捥ぎ取れっかなぁ?」
チャラ男の声だ。話し相手はあの女だ!
そうか、俺は嵌められたんだ!あの女は痴漢なんかにあっちゃいない!俺は勘違いで犯人扱いをされたわけじゃない!金目的の痴漢冤罪!自作自演なのだ!あの女!
カッと血が上った。脳が沸騰するほど茹だって、体が硬直した。警官にどつかれる。
気がついたときには警官を殴り飛ばしていた。
やってしまった。そう思った。
ヤバい、ヤベえって。公務執行妨害に、暴行じゃん。俺の人生さらに終わったーーー!感情に身を任せてしまった。勇気が無いとか関係なかったわ。勇気無くても激高すると人ってこうなんのね。
とりあえず反撃される前に警官どうにかしなきゃ。どうする?
気絶させるか。
藻掻く警官を押さえつけて、顔面を何度も殴打した。鼻血を出して、泡を吹いて、ピクリとも動かなくなるまで殴り続けた。
警官は死んだ。
ヤバたにえん。殺人もプラスじゃん、やっば。
あー、もう、俺死んだわ。もう何も怖いもんねぇわ。じゃ、あの女も殺しとくか。
驚愕に目を見開いて硬直する女は、俺の動きに対応できない。
殺す!殺してやる!
「死ね!」
大きく振りかぶって、拳を振り下ろす。
殴られたのはチャラ男!女を庇ったな!だが俺は攻勢の手を緩めない!胸ポケットから万年筆を素早く抜き、チャラ男の眼球に一突きだ!
蹲るチャラ男。俺はそれを蹴り飛ばして、再度女に覆い被さる!死ね!殺す!死ね!ああああああ!口!鼻!耳!腹!それを殴る!刺す!
「やめでッ、やめッ」
女は何かほざく。
「俺はやめない!お前を殺す!俺の人生を終わらせようとしたお前の人生を、俺が終わらす!」
俺は殴り続けた。周りの人間は戦々恐々としていて、誰も止めに入らない。それならそれでいい。ほんとうに殺すまでだ。
「ごめんなぎゅッ」
言わせない!死ね!
「死ぬまで殴る!お前の最後が後悔と反省と恐怖で染まるようにしてやる!!!!」
女は死んだ。
惨たらしく死んだ。
俺が殺した。
女の死体はぐちゃぐちゃに崩れて、原形を留めていない。
ついでにチャラ男も殺そう。こんなに弱り切ったチャラ男なんて、どうやっても殺せる。首を突いて、血管を裂いた。
チャラ男は死んだ。
すっきりした。とても清々しい気分だ。何だよお前ら、その目は。向かい来る駅員。俺はそれも殴った。殺すほどでは無いけれど、死ぬぐらい殴った。
俺は人垣をかき分けて、道に出る。
あーあ、俺の人生終わったと思ったけど、俺、逃げちゃった。だってまだ終われねえよ。セックスだってまだしたことねえし、ムカつく上司も殴ってねえし・・・叶えたい欲望すげぇある。
きっと俺は警察に追われるだろう。逃げても指名手配されて、探し出されるだろう。そんときは皆返り討ちにしてやる。俺の邪魔をするやつぁ、皆殺しだ!
「ははは!はははははは!!!!」
朝霧濃い街の中を、俺の高笑いが木霊した。
後に語られる『鉄槌マン』は、こうして誕生した。彼の道を塞ぎし者、悉く粉砕される。邪悪なる者、討ち滅ぼされるだろう。そんな伝説の数々を残した『鉄槌マン』。彼の辿った道はどのようなものだったのか。乞うご期待!