ぼたんさんに頭を下げたあと、佐藤さんと共に私室を後にする。廊下を歩きながら、佐藤さんが口を開いた。
「これで、居場所の特定はできました。問題は、どうやってそこに入るかです」
「結界とか、罠とか……そういうものが?」
「ええ。今の流浪街は、ただのスラムではありません。いくつかの勢力が入り乱れ、互いに縄張りを牽制し合っています。その中に潜るのは容易ではありません」
佐藤さんは、ポケットから端末を取り出して通信を開いた。すぐに巻尾さんの声が聞こえる。
『先輩、今地図データを解析中っス。構造的には地下に繋がる旧配管ルートが一本、使える可能性があるっス』
「危険性は?」
『高いっスね。崩落リスクもあるし、何かしらの監視は入ってると見たほうがいいかもしれないっス』
「……種田さん、覚悟はありますか?」
立ち止まり、佐藤さんがこちらを振り返った。その目はいつになく真剣で、どこか寂しげだった。
「当然です。娘を助けるためなら、どこにでも行きます」
「……ありがとうございます。では、私も同行します。種田さんだけで向かうより、成功率が上がりますから」
「でも……それは危険じゃ……」
「それでも、私が行くべきです。この責任は、私にもあります」
何か含むような言い方だった。だが、それを問い返す暇もなく、佐藤さんは歩き出した。追うようにして廊下を進み、やがて作戦会議用の小部屋へと入った。
中では既に巻尾さんが、広げた地図の前で何かを操作していた。
「来たっスか。ほら、この赤いライン。これが旧配管ルートっス」
「これが……」
線は流浪街の南側を回りこみ、地下へ潜って、例の使われていない建物へと接近していた。地図上にはいくつかマーカーがあり、「ガス漏れ注意」「崩落跡」「湿潤区域」など、危険を示す警告も記されている。
「地上ルートだと敵勢力の目が厳しいっス。正面突破もありっスけど、それだと人質を危険に晒す可能性があるっス」
「このルートを進むには、4名までが限界ですね。戦闘には向きませんが、隠密性は高い。問題は、途中のこの地点――“詰まり”ですね」
「そうっス。排水口の残骸が堆積してて、人が通れるか微妙っス」
「なら……削るなり壊すなりするしかありませんね。その際、音が出るのは仕方ないと割り切りましょう。ここを短時間で抜ける算段を立てておく必要があります」
そう言って佐藤さんは、地図の一部を端末でスキャンし、どこかに送信する。
「警ら部隊の一部に、外から攪乱してもらいます。つまり、陽動です」
「了解っス。じゃ、準備に戻るっス」
巻尾さんが出ていき、部屋にはまた静寂が戻った。佐藤さんは少し沈黙した後、机の上の小さな懐中時計に視線を落とした。
「出発は夜です。今はまだ、動くには早すぎます」
「……不安は、ありますか?」
問いかけた自分が、自分でおかしくなる。もちろん、不安は自分のほうにこそあったはずなのに。
けれど佐藤さんは、小さく笑って答えた。
「ええ。ありますよ。でも、そうですね……不安を抱いたままでも、前に進むことはできますから」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「ありがとうございます」
「いえ。――種田さんは休んでいてください。そのほうが、夜にはきっと役に立ちますから」
静かに部屋を出た佐藤さんの背中を、しばらく見送っていた。
◇◇◇
数時間後。夜の帳が降りる頃、集合の合図が鳴る。
地下ルートを進むための装備が整えられ、自分の手には、簡易のライトと通信機が渡された。
――助けるんだ、必ず。
心の中で何度も繰り返しながら、闇の中へと、足を踏み入れた。