地下施設の空気は相変わらず冷たく、肌に纏わりつくように湿っていた。非常灯の弱い明かりがコンクリートの壁を照らし、その下で俺はぐったりとしたはなをしっかりと抱いていた。
佐藤さんの力で一命を取り留めたはなは、意識こそ戻りかけてはいるものの、まだまともに動く気配はなかった。小さな胸がかすかに上下している。そのことだけが、今の俺を保たせていた。
「……生きてる。けど、油断はできない」
隣で壁にもたれる佐藤さんが、小さくうなずいた。いつもと変わらない静かな表情だったが、顔色は悪く、唇の端が微かに震えている。
「お恥ずかしい限りです。力の使い過ぎで、少し……身体が言うことをきかなくて」
「もう十分です。佐藤さんがいなかったら、はなは……」
そこまで言って、喉が詰まった。言葉の代わりに、俺ははなを抱く腕に少しだけ力を込める。
『あーあー、聞こえるっスか? 正面ルートは塞がれてるっス。回り道になるけど、排気用通路を抜ければ、地上の非常口に出られるはずっス』
巻尾さんの通信が、耳元で響いた。
「安全か?」
『さぁ……ただ、他に選択肢はないっス。はなちゃんも、佐藤さんも、このままだと長くはもたないっス』
「道のりは?」
『崩れてなければ15分。崩れてたら詰みっス』
冗談みたいな報告だが、現実だ。選ぶしかない。俺は立ち上がり、はなをしっかりと抱き直す。
「俺が先頭を行きます。佐藤さん、歩けますか?」
「ええ。少し支えていただければ、大丈夫です」
ふらつきながらも、佐藤さんは立ち上がる。江藤さんがすかさず彼女の腕を取り、支える形で並んだ。
排気通路は狭く、天井も低い。しゃがみながら、湿気と埃の中を、俺たちは懐中電灯の光を頼りに進んだ。途中、瓦礫が積み上がった箇所では、轟が黙って前に出て、手際よくどかして道を作ってくれる。
『……追っ手、来てるっス。距離40メートル。たぶん、そう長くは持たないっス』
巻尾さんの通信に、背筋が冷えた。
「佐藤さん、少しだけ、無理をしてください。もう少しで外に出られるはずです」
「はい……わかっています」
かすれた声に、それでも芯の強さが感じられた。
やがて、通路の先に赤い非常灯が見えてきた。地上への緊急排出口だ。けれど、俺が扉に手をかけた瞬間、嫌な感触が走った。
「開かない……」
『嘘……その扉、ロックされてるっス。電源死んでる。非常用パネルで手動開錠しかないっス』
「どうやる?」
『扉の脇にあるパネルを開けて、内圧調整バルブを手動で開放。そしたら、解錠レバーを引くっス』
「時間は?」
『ギリ間に合うか、間に合わないか……』
「十分です」
俺ははなを片手で支え直し、扉脇のパネルを開けた。中には複雑に絡むパイプと古いレバー。指示通り、バルブを回して内圧を逃がすと、金属が軋む音が鳴った。
「今、やってます!もう少しで――」
そのとき、背後の通路から金属を引きずるような音が響いた。振り返ると、いくつもの異形の影が闇の中から姿を現していた。
「来たっ!」
「俺がやる。お前は続けろ!」
轟が叫び、猛然と前に出て一体に拳を叩き込む。異形の影が壁に叩きつけられて砕けた。
俺は呼吸を整え、解錠レバーに手をかける。だが、手が震える。失敗は許されない。俺は、目を閉じて意識を集中させた。
(落ち着け。はなを、みんなを……外に連れ出すんだ)
ガチリ、と重たい音と共に、扉がゆっくりと開いた。
「開いた! 今だ、みんな!」
俺が先頭に立ち、佐藤さんの腕を引いて出口へ走る。はなをしっかり抱え、出口の夜風を感じた瞬間、身体がほぐれていくのがわかった。
江藤さんが殿を務め、最後に轟が通路をふさぐように一体を引き倒して飛び出してくる。扉を抜けた瞬間、重たい音とともに扉が閉まりはじめた。
外の空気は冷たく澄んでいて、まるで別世界だった。
誰もが声を出さず、ただその場に立ち尽くしていた。佐藤さんは崩れるように座り込み、それでも微笑んだ。
「……お疲れ様、でした」
その言葉に、ようやく肩の力を抜く。
地下の闇はまだ息を潜めている。施設の奥では、何かが――たぶん、もっと大きな何かが――まだ動いている気配がある。
でも、今はそれでいい。
はなの命がつながった。それだけで、今は。