地下施設から脱出したあの日。
はなと佐藤さんは無理をせず、病院に一泊だけ入院することになった。俺は外の待合室で静かに時を過ごしていた。すべてが終わったことを、ただただ受け入れている。
身体の奥にわずかに残る緊張感は、ゆっくりと薄れていく。事件の激しさや恐怖の余韻はまだ消えないけれど、現実は確実に動いていた。
警察の捜査も進み、犯人たちは確保されたという知らせも届いていた。
その事実を知ったのは、巻尾さんと閻魔様に提出する報告書を書いているときだった。
スマホの画面越しに聞こえる巻尾さんの声は、いつもと変わらず淡々としている。
「巻尾さん、犯人たちはどうなりました?」
「無事確保完了。動きも封じて、これ以上の被害は出ないっス。施設の管理も取り戻したっス」
その声に、俺は初めて心の底から安堵を感じた。
「よかった……」
巻尾さんは続けて、はなと佐藤さんの状態についても詳しく報告してくれた。
「二人とも大事をとって、今は安静にしてるっス。はなちゃん、まだ体力戻ってないから、しばらくは無理できないっス」
「佐藤さんの様子は?」
「先輩は思ったより元気だけど、さすがに精神的に疲れてるっス。何かあったら、すぐに連絡してくれって伝えてあるっス」
そう言いながら巻尾さんは、俺の書いている報告書の細かい部分についても助言をくれた。
「報告書は端的にまとめたほうがいいっスよ。あと、感情は控えめに。これはあくまで事実の羅列っスから」
巻尾さんのその冷静さには、いつも救われる。彼女の安定した声があるからこそ、俺も落ち着いて仕事ができるのだ。
俺はひと息ついて、窓の外に目を向けた。季節はすでに変わりかけていて、朝の光が淡く差し込んでいる。
こうして静かな日常の中にいると、あの地下の薄暗い通路、あの戦いの音が遠い幻のように思えた。
その時、端末が震えた。画面には佐藤さんからのメッセージが映っていた。
【今日ははなちゃんの様子を見てきました。少しずつだけど、回復してるようです。焦らずゆっくり進めばいいと思います。】
すぐに電話をかけた。
「佐藤さん、ありがとう。はなのこと、心配だったので……」
『私も同じ気持ちです。でも、無理はさせたくないですから。はなちゃんは強い子です。きっと乗り越えられます』
佐藤さんの声は落ち着いていて、それでいてどこか優しさが滲んでいた。
「地下での出来事、俺はまだ全部消化できてない。だけど、はなの前では強くあらなきゃって思う」
『それでいいと思うます。でも、私はいつでも話を聞きますから。無理に強がらなくてください』
その言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。
「ありがとう、佐藤さん。これからも頼りにしてます」
『こちらこそ。何かあったらすぐ連絡してください』
通話を終えて、俺はまた窓の外を見た。光は確かに温かく、未来を照らしているように感じた。
◇◇◇
翌朝。
はなのいる病室を訪ねると、はなはいなかった。
「はな?」
小さな声で呼びかけても、返事はない。焦りはなかった。どこかで見つかるだろうという淡い確信だけがあった。
部屋の隅、薄暗い影の中に、小さく丸まった少女を見つけた。
その姿は明らかに以前のはなとは違っていた。
背は伸び、肩も大きくなり、顔立ちも変わっていた。まるで時間が一気に過ぎてしまったかのような、異様な成長を遂げていた。
だが、目だけは間違いなくはなだった。
俺の心に、不思議な感覚が広がった。
「……お前は、はなか?」
問いかける俺に、少女は静かに微笑んだ。
「……うん」
その声は、かすかに震えていた。だけど確かに、はなの声だった。
俺はその場に立ち尽くした。何も言葉が出てこなかった。
「どうして……こんなに変わってしまったんだ?」
少女はただ黙って俺を見つめていた。
胸の奥で、理解できない何かがざわつく。何かが、確実に変わってしまったことを、体中が感じていた。
はなが普通じゃない。
それだけははっきりしていた。