薄明かりが窓の隙間からかすかに差し込み、疲労の色を濃くしたまま、布団の中で目を閉じていた。身体の奥にじわりと染み込む倦怠感は、鏡の世界から戻ったあの日から消えることなく続いている。意識は深く沈み、まるで底知れぬ闇の淵へと引きずり込まれていくようだった。
気づけば、いつもの夢の世界に包まれていた。
◇◇◇
夢の世界に包まれたその場所は、まるで黄泉の国そのものだった。
息をするだけで肺が焼けつくように痛み、重く淀んだ空気は湿り気を帯び、腐敗したヘドロのような臭いが鼻腔を満たす。視界は霞み、闇は深く、あらゆる境界を曖昧にしていく薄闇が全身を包み込んでいた。
まるで神話のイザナギが黄泉の国でイザナミに会いに行ったあの忌まわしい世界そのもののように、そこには重苦しい死の気配が漂っていた。
その闇の中から、名もなき存在が姿を現す。
光と影の狭間で揺らめく幻影のように、その姿は性別も年齢も判別できず、不気味なほどに無表情だった。
「貴様は目覚めたか。遅すぎたとは言わぬが、それほど長く留まるわけにはいかぬ」
その言葉は冷たく、しかし高圧的に胸に突き刺さった。声は直接頭の奥へ響くように重く、厳かなものだった。
咄嗟に声を上げそうになるのをこらえ、震える声で問いかけた。
「……また、あなたですか。どなたか存じませんが、なぜこんな夢に現れるんですか?」
言葉は敬語でありながら、どこか崩れていて、焦りと不安を隠せていなかった。
「名など不要だ。凡俗が我に名を与えるなど愚か者のすることだ」
存在は軽蔑を込めて吐き捨てるように言った。
「お前は境界に触れすぎ、戻れぬ存在となった」
胸の奥が強く締めつけられ、息を呑む。
「その子に選ばれたお前は、己の務めを果たすがよい」
その命令は冷徹で、心に重くのしかかる。
「はな……と関係があるんですか? 何を望んでいるのか、はっきり言ってほしいんですが」
震えをこらえきれずに、食い下がるように問いかける。
「今は言えぬ。己の器を忘れるでない」
その言葉は冷たく、沈んだ闇のように重い。
「やがて真実は明かされる。覚悟を決めて待つがよい」
そう告げると、存在は空間ごと歪みながら、瞬く間に消えていった。
◇◇◇
目が覚めた。胸の奥で鳴り続ける言葉の残響が、まるで呪縛のように重く絡みついている。布団の中でじっと呼吸を整え、ゆっくりと身を起こした。
机の上に置かれた手帳に視線を向ける。開くと、ページの隅に知らぬ間に滲んだインクがぼんやりと浮かび、その中にかすかな文字が見えた。
「あのひとが めを さましちゃうよ」
書いた覚えのないその言葉が、胸の奥でざわめきを呼び覚ます。
その時、携帯電話が震え、画面には佐藤の名前が映し出されていた。
「種田さん、封鎖領域の観測装置に異常が出ています。ノイズの中にかすかに“はな”の声に似た音波パターンが検出されていて……現実と非現実の境界線が揺らいでいるようです」
深く息をつき、しばらく沈黙したのちに切り出した。
「……佐藤さん、あの夢の存在のこと、話してもよろしいでしょうか。あれは、ただの幻ではないと思うのです」
佐藤は一瞬ためらいを見せたが、静かに語り始めた。
「かつて上層部の一部で、“非契約型神格”の存在が夢に現れるという報告がありました。契約も対話もできない、ただ観測し続けるだけの存在。あの記録は、今では空白として消されていますが……種田さん、あなたもはなさんと同じく、その神格に選ばれた“器”かもしれません」
言葉を失い、その重みに身震いが走った。
「これから起きることに、覚悟しなければなりませんね……」
◇◇◇
夜の闇は深く濃くなり、視線は地獄の禁忌領域へと向けられた。
そこに潜む“目”は、はなではなかった。
それは静かに、しかし確実に、自分自身を見据えていた。
──境界は崩れつつある。運命もまた、変わろうとしているのだ。