写本を回収し終えた帰り道、轟と一緒に入ったファーストフード店。
外の街灯はまだ薄暗く、雨上がりの冷たい空気が街に漂う。
店のドアをくぐると、白っぽい蛍光灯の光が肌に刺さり、少しばかり居心地の悪さを感じた。
カウンターで注文を済ませ、窓際の席に着く。
目の前に差し出されたハンバーガーの包装紙は、予想以上に冷たく、手のひらにほんの少しの重みを感じさせる。
その感触が、まるでこの世界に戻ってきたかのように、体の隅々をじんわりと満たしていった。
「……あのさ、さっき轟が言ってた、『もともと現世側の人間』って話が、どうしても頭から離れなくてさ」
言葉にするのは、どこかためらいがあった。けれど、口から出た途端、胸の内に押さえ込んでいた思いがざわつき始める。
轟は軽く肩をすくめ、目の奥にかすかな影を宿しながら笑った。
「そうだよ。地獄のことばかりじゃない。俺たちにも、ちゃんと繋がりがあるんだ」
その言葉が胸の奥で静かな波紋を描く。
見えない糸で絡め取られていくような、体中にじわじわと広がる違和感。
その違和感が、まるで自分の存在そのものを揺るがすように感じられた。
言葉にしたい感情は山ほどあった。けれど、それをどう伝えればいいのかわからず、何も言葉を紡げなかった。
隣で轟が静かに呼吸をしている音だけが聞こえる。
外の街並みは、雨で濡れたアスファルトに街灯の光が反射し、ぼんやりと揺れていた。
まるで現実の世界が、水面の波紋のように揺らいでいるようだった。
◇◇◇
視界が少しずつぼやけていき、頭の中に佐藤さんの使っていた端末の画面がふわりと浮かび上がる。
そこには変換進行度が80%を超えた数字が、まるで冷たい光を放つように鮮明に映っていた。
そして、次の接続予定時刻までの残り時間が、静かに刻まれている。
佐藤さんは現世にはいない。けれど、遠く離れた地獄の向こう側から、ずっと俺のことを見守ってくれているのだと思う。
その思いに、わずかな救いを感じる。
時間が迫っている。
それはつまり、意識が刻々と変わっていくということだ。
焦りや恐怖ではない。
だが、心の奥底から、冷たくじわじわと押し寄せてくる感覚。
それはまるで底知れぬ海の深みに沈んでいくような、ゆっくりとした絶望にも似ていた。
変換は、ただの通過点じゃない。
ここで何かを選ばなきゃいけない。
けれど、選ぶべきものが何なのか、まだ見つけられない。
もう一人の存在が、どこかで囁くように俺に話しかけてくる気がする。
声にならない声が、頭の中でざわめき、心の中の静けさを掻き乱す。
時間は刻一刻と迫っている。
選択のときが、まぎれもなくもうすぐそこまで来ているのだ。
◇◇◇
意識の世界がざわめき始める。
境界線が溶けて、現実の街並みと地獄の暗く荒れた風景が入り混じり、どちらがどちらなのかわからなくなっていく。
そんな混沌の中で、あの“もう一人の存在”がふっと姿を現した。
はっきりと名前を呼ぶような気がした。
でも、それは言葉ではなく、感覚の波紋のようなものだった。
伝えようとしているのに、まだ届かない何か。
頭の中で、次の接続予定時刻の近づく音が、冷たく反響している。
ここで何かを決めなければ、すべてが変わってしまう。
だが、答えはまだ見つからない。
ただもがきながら、手を伸ばし、一歩を踏み出そうとしている。
この選択がどんな未来に繋がるのかはわからない。
だが、逃げることはできない。
決断のときは、確実に近づいているのだ。