向こうを待たせるのも悪いので寝間着のスウェットを脱ぎ、服を着替える。と、言っても持ち合わせの服なぞ正直乏しいので、仕事着のスーツに着替えるだけだが。
Yシャツに袖を通し、ネクタイを締めピンを付ける。
いつもならこれで終わりだが、先日佐藤さんからもらった眼鏡を着ける。まだ、眼鏡自体に慣れない感覚があるが、着け続ければいつか気にしないようになるのだろうか。
着替えを済ませ、自室を出てすぐに日下部さんが居た。
「お待たせしました。……もしかして、ずっとここで待ってたんですか?」
「ええ。こちらは準備することは特にありませんし。それに、先ほども言いましたが親族以外の者と食事なんて初めてなんです。あっ、余計なこと言ってすいません……」
相変わらず、卑屈だ。と、言うよりもこれは自分に自信のない点からくるものだろう。人に上からものを言える立場ではないが、この卑屈さをなくせれば今より少しだけ変われると思うのだが……
「いえいえ、では行きましょう。予約は、済ませてあります。と言っても、ほぼ他のお客さんは誰もいないと思いますが……」
その言葉に、少しの疑問を持ちながら日下部さんについていった。
◇◇◇
日下部さんに案内され、ついていくと小さなアーケード街に着いた。アーケード街と言っても、個人商店がいくつか集まった形のものだが、閑古鳥が鳴いているのはみて明らかだ。例えるならば、萎びた田舎町のシャッター街を連想させる。
「ここも、私が小さい頃は大変賑やかだったのですがね。今は、見ての通り人の活気は失われつつあります。あっ、こっちです」
お目当ての店は、地下に降りる階段の先らしい。いわゆる、地下テナントというやつだ。階段を下り、10メートルほど歩く。すると、店の看板が見えてきた。
「Cafe & Bar 根の国」
地下にあるから根の国、か。ここの店主は、いいセンスをしている。日下部さんが、店のドアノブを捻ろうとすると店内から騒ぎ声と何かが崩れるような音がする。
日下部さんと目を合わせ、一旦扉から離れ数歩退くと店内から、獄卒ではなく鬼が二匹逃げるように出てきた。
「ひぃぃぃぃお助けええええ」
「ここやべぇよぉぉだからやめようって言ったのにぃぃぃぃぃぃ」
痛々しく顔を傷めた鬼たちは足早に去っていく。中々立派な体躯の鬼だったが、あれが涙を浮かべながら逃げ去っていくとはどれだけ恐ろしかったのだろうか。
喧騒が収まり、店の中に入る。店内は、落ち着いた空間でバーらしく、いかにもなカウンター席が数席と奥の方にテーブル席が見えた。
「こんにちは、マスター。さっきのお客さんは?」
「おう、いらっしゃい。さっきのは客じゃねぇよ。無銭飲食しようときた連中だ。金を払わずにメシを食おうなんざ2万年早えからな。お引き取り願ったというわけだ。」
マスターと呼ばれたその人は、きちんと整えられたオールバックに綺麗に刈り揃えられた髭。恰幅の良い体躯に、チョッキが似合う老人だった。若い頃は、さぞ勇猛だったのであろう。顔には、獣のものと思わしき爪痕が、痛々しく痕を残している。
「まぁ、立ち話もなんだ。座りな」
マスターに促され、カウンター席に座る。日下部さんも、隣に座り注文をしようとメニューを探すが見当たらない。どうしたものかと悩んでいると、察した日下部さんが
「ここは、基本マスターがなんでも作れてしまうからメニューは置いてないんですよ。なので、食べたいものがあったらマスターに言ってみてください」
「食べたいもの……では、ナポリタンってできますか?」
「あいよ。坊はどうする?」
「坊はやめてくださいよ。そうですね……種田さんと同じものをお願いします」
「わかった。少し待ってな」
注文を聞き終わるとマスターは、カウンターの奥の調理スペースに少し引っ込んだ。1人で大丈夫だろうか、と心配していると数分後には調理し終わったのか、鉄板と皿に盛り付けられたナポリタンを持ってきた。
「あいよ、お待たせしましたっと。こちらナポリタンだ」
マスターが持ってきたナポリタン。それは、昔ながらの喫茶店のナポリタンだった。具材は、ソーセージ、ピーマン、タマネギ。麺は太めで、それを真っ赤なケチャップソースで絡めた見ているだけで涎が出てきそうな出来映えである。
ナポリタンでは珍しく、上に目玉焼きが乗っているのが好印象である。
「「いただきます」」
日下部さんと、狙ったかのように同じタイミングで揃ってしまった。が、今は目の前の獲物を早く食べたい。そう思わずにはいられなかった。
フォークで絡めとり、口に運ぶ。鉄板の上で熱せられたそれは、焦げ付かず香ばしさのいいアクセントになっていて次の一口が止まらない。
夢中になって、食べ進めているとふとあることに気づいた。口に出さなくても良かったのだが、なぜか気になるので、日下部さんに聞いてみる。
「あれ、日下部さんのほうは鉄板じゃなくて皿なんですね。どうしてですか?」
「あぁ、これですか。私、ねこ舌なんです。なので、鉄板の上に置かれると食べられなくなってしまいます」
あぁ、なるほどそれでかと納得し、食を進める。ほんと、このマスター何者だろうか。ここまで、気が使える人はこっちにきてからもそんなに見たことない。
疑問に思ったが、それは食事の後で。今は、目の前の美味しい食事をただ、ひたすらに食べ進めていった。