地獄の沙汰も君次第   作:Marks_Lee

147 / 186
見えざる接続

 胎が沈黙してから、どれほどの時間が過ぎたのだろう。

 地獄の底にいるはずなのに、耳を満たす雑音は消えていた。呻き声も、遠くのざわめきもない。ただ、息を吸い込むたびに、空気が澄んでいく感覚だけが残る。

 余韻は体の奥にまだ残っていた。

 

 変換のざわめきと、胎が示した何かが重なり、境界の感触が押し広げられる。心臓の鼓動が、やけに遠くで響く。

 端末が小さく震え、画面に通信が浮かんだ。

 

『……大丈夫ですか?』

 

 佐藤さんの声だった。落ち着いた調子なのに、どこかためらいを含んでいる。

 返事をしようとしても言葉は喉に引っかかり、体の状態すら把握できないまま時間だけが過ぎていく。

 胎の内部で響いた“声”が、まだ耳の奥に残っていた。

 輪郭は曖昧で、掴もうとすれば霧のように散っていく。だが、確かに言葉を告げていた。

 

 ――選択。

 

 その一語だけが、鮮明に浮かび上がる。

 はなの声に似ている気がするが、確信は持てない。胸の奥に染み込む柔らかさと、同時に拒絶する冷たさ。

 端末から佐藤さんの声が再び届く。

 

『次回接続までの猶予は短いようです』

 

 冷静な響きに、わずかな焦りが混じるのが感じられた。

 画面に並ぶ数字を見つめる。

“彼岸”との接続が進んでいる――その現実を示す印にほかならなかった。

 足音が近づく気配に気づき、振り返ると轟が歩み寄ってきた。

 胎の痕跡を確かめるように周囲を見回し、言葉を落とす。

 

「ここ、わずかに空間の感覚がおかしい……現世なのに、何かが混ざっている気がする」

 

 胸の奥がざわつく。胎の影響が現世の空間にまで及んでいるらしい。

 手元の端末が震え、佐藤さんの声が届く。

 

「写本回収だけでは済まない段階に入っています」

 

 画面越しの淡々とした声に、心臓が早鐘を打つ。

 街灯の下や建物の影を見渡す轟の姿を目にしながらも、微かに歪む空間の違和感しか感じられない。

 

 それでも確かに理解した。次の行動は、ただの回収では済まない――意思を伴う決断が必要になる、そんな予感が胸に落ちる。

 

 歩きながら、ふと草原の記憶がよぎった。

 胎の奥に重なった光景――柔らかな草の感触と、風に揺れる音。中央には、誰かが立っていた気配があった。

 思い出そうとすると、胸の奥でざわめきが強くなる。

 

 視界が一瞬揺れ、足元がふらつきそうになる。

 端末越しに佐藤さんの声が響く。

 

『種田さん、集中してください』

 

 呼びかけで現実に引き戻される。安心感と緊張が入り混じり、息を整えながら立ち止まる。

 やはり――選択のときは、すでに始まっていたのだと胸の奥で思う。

 

 次の接続までの猶予はわずかしかない。

 深く息を吸い込み、覚悟を決める。向かう現世の道も、胎の向こうの世界も、避けることはできないのだと。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。