地獄の沙汰も君次第   作:Marks_Lee

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影を抱いて

 霧のような薄明かりの中で、意識がふわりと浮き上がった。体の感覚はまだここにあるのに、同時に別の場所へ吸い込まれていくような感覚。手足の重みは消え、視界は淡く揺れる光だけに支配される。空間は確かに存在しているのに、境界が曖昧で、どこまでが現実でどこからが選択なのか分からなくなる。

 

 目の前に、いくつもの小さな光の球が浮かび上がる。形ははっきりしないが、色や強さがそれぞれ微妙に異なり、どれも呼吸するかのように瞬く。どれかを選べば、次の道が開く──そのことだけは直感で理解できた。

 

 手を伸ばすと、空気をかき分けるような感触が指先に伝わる。だが、まだどの光に手をかけるべきか決められない。ひとつひとつを見つめると、それぞれに意味や重みが宿っているようで、選ぶこと自体が試されている気がした。

 

 胸の奥がざわつく。呼吸はいつもより速く、思考は明晰でありながら、心の底で何かが揺れている。目の前の光のひとつに、ふっと懐かしい感覚が差し込む──それは温かく、確かに知っている感覚。まるで遠く離れた存在が、手招きしているかのようだった。

 

 迷いの中で、意識は少しずつ光のひとつに吸い寄せられる。手を伸ばすと、指先が淡い熱を感じ、そして……掴み取った瞬間、光は手のひらに収まり、世界が一瞬でざわめき、そして静まった。

 

 意識が戻ると、そこはもう地獄の空間ではない。だが、胸の奥に残る感覚は確かで、選択の余韻がまだ肌に残っている。手に収めた光──それは、これから進む道の鍵であり、取り戻すべきものの象徴でもあった。

 

 霧のように淡く揺れる意識の余韻が、体全体を包み込む。まだ現実に完全に戻ってはいない感覚。視界の端に、微かに揺れる光の残像がちらつき、呼吸のリズムに合わせて胸の奥がざわめく。

 

 手を置いた場所の空気は冷たく、だが不思議と安心感を伴っている。光を掴んだときの温かさが、胸の奥でまだ静かに燃えているようだった。その感覚を確かめるように、手を軽く握り、指先に残る余韻を感じる。

 

 周囲を見渡すと、地獄の景色は以前よりも鮮明に、だがどこか歪んで映っていた。暗い空気の中に、ひと筋の光の線が走り、向こう側へと導こうとする。それは、先ほど選んだ光と呼応するかのようで、思わず視線を追ってしまう。

 

 胸の奥がざわつき、思考が微かに引き裂かれる感覚。意識の一部が、まだ別の場所にいるような、引き戻されそうな感覚。だが、それに逆らうように手を胸に当て、光を握る感覚を確かめる。これが、今ここで自分が選んだものだと、無言の確信が芽生える。

 

 そして、周囲のざわめきが徐々に落ち着き、視界の中心にあの光が浮かぶ。柔らかな光は揺れながらも強さを増し、手にした感覚を通して次の道を示しているようだった。

 

 意識が完全に戻る前の、ほんの一瞬の静寂。光を手にしたまま立ち尽くし、次に進むべき方向を胸の奥で感じる。選択は終わったのだ。だが、それがもたらす変化の予感は、まだほんのかすかな波紋のように広がるだけだった。

 

 視界が徐々に安定し、足元の感覚が戻る。地面はひんやりと硬く、歩くたびに微かに軋む。胸の奥に残る光の余韻を頼りに、足を前に出す。視線を上げると、薄暗い地獄の景色の中で、いくつかの影がゆらりと揺れている。

 そのうちのひとつが、かすかに声を発した。低く、落ち着いた響き。

 

「……選択の確認を、始めます」

 

 振り返ると、佐藤さんが端末を手に立っていた。光を手にした自分をじっと見つめ、眉間に微かなしわを寄せる。声は柔らかいが、どこか厳粛さを帯びていた。

 

「光の残滓……確かに届いています。進行度は思ったより早い。次の接続予定時刻まで、時間はわずかです」

 

 胸の奥でざわめく感覚を抑え、手を握り直す。光はまだ手の中で小さく揺れていた。握りしめるほどに、内部で何かが変わり始めるのがわかる。温かさがじわりと体内に広がり、同時に視界の端で微かに形を変える影が揺れる。

 

「……はなちゃんは、ここにはまだ来ていません」

 佐藤さんの声が続く。

 その一言で、胸の奥が一瞬ぎゅっと締めつけられた。まだ見えぬ存在のために、光を手にして立っている。焦燥感と期待が入り混じる、奇妙な重さ。

 

 光を握る手に力を込め、少しずつ前に歩を進める。影は揺れ、風のような音が耳をくすぐる。地獄の空気は冷たく、だが手の中の光は温かい。どちらも、今の自分にとって欠かせない存在だった。

 

 端末に表示される数字が、じわじわと近づく。

 

「04:44」

 

 胸の奥で何かが跳ねる。次の接続は間近だ。光を握る感覚を頼りに、進むべき道を見定める。足元の影が少しずつ形を帯び、道筋を示しているかのように揺れていた。

 

 そして、その影の中に、微かに、確かに――はなの気配を感じる。声ではなく、存在そのものがそこにある。手の光が小さく震え、胸の奥のざわめきが強くなる。選択は終わった。だが、接続の瞬間に何が待っているのかは、まだ誰も知らなかった。

 

 空間の揺らぎが徐々に収まり、視界に淡い光が差し込む。選択の場から戻る感覚とともに、重く引きずられていた感情の波も少しずつ落ち着く。まだ身体は動かないが、心は確かに戻ってきている。

 

 手元の端末に目を落とすと、刻まれた数字はすでに変換完了の表示を示していた。「選んだ、掴み取った」という確信が胸を満たす。意識の奥底で、微かな震えが残っているのを感じながらも、それは恐怖ではなく、覚悟の名残だとわかる。

 

 佐藤の声が、背後から静かに響く。「変換は順調です。次の段階も、この調子で進められます」

 目を閉じれば、先ほどまで漂っていた異界の感触が徐々に消え、現世でも地獄でもない中間の場所に立っているような、独特の静寂が広がる。掴み取ったものは、確かにここにある。意識の中に確かめるように、手を伸ばすと、温かさが伝わった。

 

 深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。選択は終わり、進むべき道は一つ。足元から地獄の熱気が再び広がり、空間を満たしていく。だが、今の胸の内は揺るがない。はな、そして書物、手元に取り戻すべきものは、もう確かに存在しているのだ。

 

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