街からすこし離れた場所。そこにさきほどまでいた屋敷はあった。美しく整備されていた庭はすっかり荒れ果て、まるで廃墟のようになっているが、中に誰かいるのだろう。
ところどころ、蜘蛛の巣があるが蜘蛛の子一匹いなかった。
「ここなんですが……」
「どうやら、中に誰かはいるみたいですね」
「わかるんですか?」
「ええ、確実にまだいます」
屋敷の中に入り、奥へと進む。屋敷の主人がいた部屋は覚えているので、そこまで廊下を歩いていくと、いた。
かろうじて蜘蛛の形は保ってはいるが、先ほどよりも衰弱しているようにも見える。近づこうと足を一歩伸ばしたが、佐藤さんが静止した。首をくいっとしたので、周りを見ろと言っていると思われ、周りを確認する。
どうやら蜘蛛の脚は、まだ動けるようだった。あの様子だと、もしかすると近寄ったらこちらに襲い掛かってくる余力があるのかもしれない。
距離を縮めず、近寄らずで場が膠着していると、こちらに気づいたのか首を上げた。距離を取ろうと、一歩あとずさりする。
しかし、いつの間にか見えないほどの細い糸が周辺に張り巡らされていた。これはマズい……!と思い、手を暴れさせ、糸をどうにかして千切ろうとするが、切れなかった。
それは佐藤さんも同じだったようで、裁縫用の鋏を袂から出し、切ろうとしていたがそれでも切断することは出来ないようだった。
そうこうしているうちに、急に視界がぼやけ始める。いったいなんだ!?と思い、暴れさせていた手を振り払うと、小さな蜘蛛が一匹、ぽとりと地面に落ちた。
やられた!と考える暇もなく、意識は遠のいていった。
◇◇◇
世界というのは、なんと理不尽なのでしょう。この世界は弱いままでは生き残れません。
それは、あの世もこの世も変わりません。
ただ、ただ、弱いままでは、搾取されるか、喰われるか。
どちらかでしかないのです。
さて、彼らはどう動くのでしょう。
とても楽しみになってきました。
◇◇◇
しばらくうつぶせになっていると、目の前に家主と言っていた蜘蛛がのそのそとゆっくりとだが、確実に近づいてくる。……忘れていた。ここは蜘蛛の巣の中だということを。
しかも今回は佐藤さんを巻き込んでしまった。己のやるせなさと不甲斐なさで、ただただ唇をかみしめることしかできなかった。
家主と言っていた蜘蛛は、さきほど首筋にかみついた蜘蛛を手に取り、まるで宝物のように見ていた。
「あぁ、戻ってこられたのですね。よかったよかった。怖い顔をしないでください。あなたにとっても悪いことではないのですよ?ね、そうでしょ?」
「……もしかして、さっきの蜘蛛たちが妙におとなしく捕まってたのはわざと?」
「さぁ、どうでしょうねぇ」
そう言った蜘蛛は、人の形をしている左手で口元を隠し、笑う。……どうやら、策略はあちらの方が上だったらしい。
「そちらの方が、上長さんですか?以前お話はしましたが、顔を突き合わせるのは初めてでしたね」
「そうですね。あなたがここまで頭が切れるとは思っていませんでした」
「ふふっ、そう睨まなくても」
明らかに余裕そうな蜘蛛は、まるでこちらを嘲笑うかのように、余裕の態度を見せる。
なにかできないか?現状を切り替える何かが……そんなことを考えながら周りを見渡す。長い廊下を見ても、天井を見ても、庭先まで見渡しても、現状を切り返せるような何かは見つからなかった。
万事休すとはこういったことを言うのかもしれない。
「なぜあなたは私に執着するんですか?」
「そうですねぇ……いろいろ理由はありましたが今はどっちでも……ただ、上長の方の前であなたを精神的にも肉体的にもいたぶれば多少気が晴れるのかもしれませんねぇ」
恐ろしいことを言う蜘蛛だ。正直、どうにかして対処したいが、それに反撃することも口で返すこともできない現状では、意味をなさなかった。
「さーて、どうしましょうかねぇ。まずはその衣を一枚ずつ、切り刻みましょうか。それとも、まだ綺麗な頬に今後残り続ける傷でも残そうか……ふふっ、悩みますねぇ」
どうしようもできないこの状況。バサリバサリ。何かの羽音が聞こえた。妙に聞き覚えのある羽音。
羽音のするほうへ顔を向けると、そこにいたのはアルカだった。
「おいおい、なにしてるんだよ」
「それはこっちのセリフだ」
「そうかい、暇なんだなぁ。お前さんも」
「……そう思うなら、助けてくれ。蜘蛛の毒にやられてるのか身体がまともに動かないんだ」
「そうかー……助けることもできるが、契約を一段階上げることになるがそれでもいいのか?」
「現状を切り崩せるのなら」
「はいよ!契約成立」
そう言うとアルカは、さきほどよりも素早く動く。目の前にいる蜘蛛をまるで大人が子供相手に遊ぶように翻弄しながら、舞い続ける。
しばらくそうしていると、屋敷の空が黒く染まった。なんだ?と思い、観察すると、小さかったが、それは蝙蝠の集合体だった。軽く見積もっても万は超える数。
それが、一気に蜘蛛めがけて、襲い掛かってくる。たまらず、蜘蛛は、後ずさりしながら逃げようとするが数の暴力で襲われてはたまったものではないのだろう。
最初は勢いよく暴れていたが、そのうち力もなくなったのだろう。
反応は、徐々に弱くなっていった。
蝙蝠が散ったあとは、ぼろぼろの人型にもどった蜘蛛の姿のみだった。アルカは、変わらず舞い続ける。
礼を言おうとすると、こちらに近づいてきて、指先をガリっと噛んだ。一瞬の痛みと、血の流れる感覚。
「契約の更新で必要なんだ。悪いな」
そう言うと、アルカはバサバサと翼を羽ばたかせ、どこかへ飛んでいく。残ったのは、ぼろぼろの姿の蜘蛛と倒れた佐藤さんのあわせて三人だけだった。
「終わりましたか?」
「みたいですね」
「その、種田さん。おそらくですが、懐に銘秤を入れていると思うのですがそれでこの糸を切ってもらえませんか?」
「切れますかね?」
「おそらく易々と切れるかと」
さきほどアルカに噛まれてから、症状が軽くなったのかなぜか立ち上がれるようになっていたので、銘秤を呼ぶと、懐から浮上し、こちらの肌を傷つけないように糸を切ってみせた。前から思っていたが、これだいぶ妖刀の類なのでは?
そんなことを考えながら、佐藤さんに巻き付いている糸を切る。
「ありがとうございます」
「それより、この家主もとい蜘蛛はどうしましょうか」
「そうですね……とりあえず巻尾に連絡して応援を要請することにします。聞こえてますね、巻尾」
『……あーあー、やっと通じるようになったっス。応援を呼べば良いっスかね?』
「はい、おねがいします」
『わかったっス!』
「いちおう、巻尾とは連絡をつなげたままにしてたんですがさきほどの蝙蝠がいたときになぜか通じなくなっていたんです」
いろいろ理由はあるにしろ、とりあえず疲れた。……そういえば、いろいろあって頭からすっかり抜けていたが、佐藤さんに聞きたいことがあったのを思いだし、口にする。
「その、はな は大丈夫ですか?」
「はい、心配なさらずとも種田さんがいない間私たちで対応してましたよ」
「そ、そうですか……よかった……」
安心すると同時に疲れもあったし、いろいろ溜まっていたのだろう。
先ほどよりも意識を失うのは早かった。