佐藤さんが持ってきたのは、抱えるほどの大きさのクマのぬいぐるみと裁縫道具。巻尾さんは、封印を終えている缶ケースを大事そうに持ってきた。
佐藤さんは、まずクマのぬいぐるみの腹を裁縫鋏で開口し、中綿を分けるようにしてスペースを作る。その後、缶ケースの封印を剥がし、飴玉のようなものをピンセットでつまみ、クマの腹の中に入れ、手慣れた手つきで縫い合わせていく。
こちらは、見てるだけだったので佐藤さんが開けた缶ケースの封印も忘れずに、元に戻した。といっても、養生テープを貼り直しただけだが。
「これで準備は完了です。あとは、種田さん。あなたが、あの亡者の善良な魂と穢れたものを分けてください」
「魂と穢れを分ける…ですか。でもどうやって」
「人という生き物は動物とは違い、対話をしてコミュニケーションを取る生き物です。ですので、種田さんはいつものように対話をしてください。それと、これをお渡しします」
それは刃渡りが20センチほどの断ち切り鋏。柄の部分には、朱色の布が巻きつけられ、刃先は黒鉄色をしている。
「その鋏は、魂を切り取るための鋏です。銘は潰されてますがたしかなものですので使ってください」
「これ、どうやって使うんですか?」
「彼女と話をして、やりきれなかったこと、できなかったこと、そういう望みの部分を引き出すっス。そうすれば、その鋏は答えてくれるはずっス」
「種田さん」
「彼女に取り付いている呪いを断ち切ってください。それが彼女を救うことになります」
◇◇◇
クマのぬいぐるみを抱え、鋏は懐に収め亡者ーー美薗はつの前に歩いていく。
「こんにちわ」
「……あなたは?」
「俺は種田といいます。あなたの死後の裁判を受け持ちでしています」
「死後の?……あぁ、私死んだんですね。……あの人は……あの人は一緒でしたか?」
そういった彼女の目は結果をどうせ結果はわかりきっているかのように、そんな目をしていた。
「彼というと……川辺昭三ですか?一緒にはきてませんね。まだ裁判自体も始まってなかったと思います」
「あぁ……やっぱりそうですか…そうだったんですね」
彼女は大きく嘆くようにため息を吐く。それがまるで、彼女の中に残っている穢れともいうべきものが少しだけ吐き出されるようにも感じる。
「馬鹿みたいと思われるかもしれませんが。あの人は……私のことは遊びだったと思うんです。……だけど私のほうは……本気で愛していたんです。所詮叶わぬ恋慕とでもいうのでしょうか……
だけどどうしても諦められなかった。あの人が他の人と一緒に寄り添っているのを遠目に見ただけでも私の中の醜い感情が溢れて止まらなかったのです。だから、私から一緒に死にましょうと言ったんです」
「彼もそれに同意した、と?」
「ええ、彼も今の世界で一緒になれないのなら一緒に心中して、来世で一緒になろうって……結果は、私だけ死んで地獄へ落ちてしまった。ふふっ、笑ってください。こんな馬鹿な女を。嘲笑ってください……」
「……厳密に言えばあなたはまだ地獄に落ちていませんよ」
「……そうなのですか?ここは地獄ではなくて?」
「地獄ではありますが、あなたに判決は下されてません。ここは刑が決まるその前段階です。あなたは、この部屋のことを覚えていますか?」
「この真っ白な部屋ですか?そう言えば、なんとなくですが……確か川を渡った後にだれかに連れられてきたのを憶えています」
「その後のことは?」
「憶えておりません。思い出そうとすると、靄がかかったように思い出せないのです」
ということは、本人は、自分の身の上に起きたことを覚えていないということになる。悪霊化して、裁判にかけられるということすらできない状況にまだ気づけていない。いや、この場合は気づかなかったというべきだろうか。
「では、亡くなった時のことは憶えていますか?」
「ええと……はい、そちらはなんとか。たしか昔から入水の名所と言われている場所で、あの人と2人抱き合って落ちました。水自体は、そんなに深くなかったのですが足に……そう。左足に何かが絡みつくように纏わりついて溺れてしまったのです。その時……たしかあの人は……」
そう言った瞬間、彼女の左脚の踝あたりから黒い靄が出はじめ、彼女に纏わりつく。その靄は、だんだんと人の形を模し始めた。それは、大量の手のひらと女のものらしき長い髪の毛。それに大量の目玉だった。
「ひ、ひぃぃぃいいいいいいいいいいいい!!!!!」
「お、落ちついてください。暴れると、あなたも怪我するかもしれませんから」
彼女が暴れると、縛り付けるように彼女の身体に纏わりついていく。それは穢れというよりも呪いそのもの。
「なんで……なんで……こんなことに……いやあああアアアアアア」
以前から状況は好転せず、むしろ悪化している。だが、そこにキラリと光る光明が見えた気がする。こちらは言われたことをするだけだ。
「美薗さん、あなたはどうしたいんですか?」
「どうしたい?……そんなの……そんなの決まってるじゃないですか!!あの人に会って文句を言って頰を思いっきり引っ叩いてやりたい!!心中の約束を破るなんて絶対に許せない!!」
彼女がそういうと、右手の小指の根元が眩く光った。
そのまばゆい光は、呪いそのものに刺さるように貫通し、その光に祓われるように収縮していく。
その機を逃すものか、と懐に入れた断ち切り鋏を彼女に差し向ける。そして勢いよく断ち切った。
バズンッと鈍い音が室内に響くと、次にボトッボトッと粘性の高い音が聞こえ、この世のものとは思えない声が響き渡る。
金切り声のような残響を残し、その後は雪原のように深々と音が吸い込まれる感覚に陥る。どうやら彼女と呪いを切り分けることができたようだ。
さてこの呪い、どうやって処理しようか。正直近づきたくもないしなんなら直視したらこちらが呪われそうだ。しかし、放置しておくと彼女にまた取り付くかもしれない。
すると、佐藤さんから受け取ったクマのぬいぐるみがいきなり歩き出し呪いに近づくと、呪い自体を喰べはじめた。呪いも抵抗してはいるようだが、無意味だったようで咀嚼音が耳に届く。
驚きで目が離せないでいるとそのクマのぬいぐるみは、喰べ終えたのか腕で口元を拭った。
そのぬいぐるみは掌を合わせ、合掌するようにして頭を一つ下げた。まるでごちそうさまとでも言わんかのように。