「割れた、ですか?」
「うん……割れたと言うよりは割っちゃった、が正解かな。実は何年か前に足を滑らせて鏡に突っ込んじゃってね。勢いよく突っ込んだものだからキレイに割れちゃったんだ」
「その時は怪我はなかったですか?」
「うん、ありがとう。なんとか怪我はなかったよ」
「閻魔様、少々よろしいでしょうか」
「ん?どうしたんだい、佐藤」
「私、その報告を受けてないのですがどういうことでしょうか?」
「……あっ」
その瞬間、佐藤さんの背中から見えない羅刹のようなものが見えた。その場にいた閻魔様はヒエっという声を小さく出すと、借りて来た猫のようにおとなしくなった。
「とりあえず割れた浄玻璃の鏡はどこに置いてありますか?」
「はい、少々お待ちを……たしかこのあたりに」
閻魔様はそう言うと執務机の下に潜り込み、何かを探している様子だった。しばらくすると、見つけたらしくなにかを握りしめていた。
「それは鍵、ですか」
「うん、僕の寝室の奥の倉庫の鍵だよ。たしかここにしまってたはず」
「では取りにいきましょうか」
「うん、そうだね。ところで聞きたいんだけれども」
「はい?」
「荷物が多すぎて探すの大変だってわかったら手伝ってくれたりする?」
「わかりまs」
「駄目ですよ、種田さん。甘やかしてはなりません」
「でも、急を要しますよね?」
「だとしても、です。浄玻璃の鏡が割れてしまったことをその時に報告してもらっていたらこの時間も必要なかったはずですから。言ってる意味わかりますよね、閻魔様」
「う、うん」
「ですのでお一人で探してください。わかりましたか?」
「は、はい……」
とぼとぼと肩を落としながら歩く姿を後ろから見ているとどうも罪悪感が勝ちそうになるが、佐藤さんが言っていたように非があるとしたら閻魔様に傾くと思う。
閻魔様の執務室から少し離れたところに社殿があり、いつもそこで寝ているらしい。社殿の周りには、地獄とは思えない色とりどりの花々が咲いており、爽やかな空気が感じられる。
社殿の入り口は執務室の入り口扉よりも大きな扉があり、閻魔様はそれを難なく開いた。
「さっ、入って入って」
「失礼します」
閻魔様の私室は、思った以上に小さかった。部屋の真ん中には朱色の卓が一つと端の方に少し大きめのベッドがあるだけの質素な部屋だった。
「ちょっと待っててねー」
閻魔様はそう言うと、手のひらを2回叩く。すると、カタカタと言う音が鳴り始め、茶器がひとりでに動き始める。
あっという間に2杯の湯呑が卓の上に並び、お茶独特の香りが部屋中に広がっていく。
「これ飲んでて待っててね。探してくるから」
そう言うと、閻魔様は奥にある扉に鍵を刺し、その中に入っていった。
◇◇◇
しばらく待っていると、閻魔様が戻ってきた。どうやら、鏡の破片は全部取ってあるみたいだ。
「よし、多分全部あると思うよ。鏡の外枠はたしか執務室の端のほうに置いてたはずだから」
「わかりました。じゃあこれ持っていきますね」
「うん、お願いするよ。意外と重くてびっくりしちゃった」
閻魔様は、埃を落とすように肩を叩いた。薄らとだが、埃の匂いが鼻に付く。
「さっ、行こうか」
「はい」
「いやーあれだね。自室に人を入れるのってこんな感じなんだね」
閻魔様はそう言うと扉を閉めた。後に残るは、花の甘い香りだけだった。