次世代冥界ゆるイノベーション(仮)   作:しぶね

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アッホみたいな前段からの続きですが、多分これ単品でも読めます。
会議の途中に三千年前のことを持ち出し全員でマハードを吊るし上げて泣かせる(違う)感動秘話。長い。
アホの名残が見えますが比較的まじめテイストです。エモいです。

マハード推しによる、原作マハードエピソードへの疑問を自分なりに考えてひねり出した、たぶんこうだったんじゃねえかと思うんだ話。
マハード無能ちがうもん…できる子だもん…!
というガチでマハード贔屓でウェットな考察のため、解釈違いの方はそっ閉じしてください。

マナに続いてアテムも隠れ過激派。(隠れてない)
アクナディンの処遇については完全に独自解釈です。

冥界ではみんなでハッピーでいてほしい


割とまじめなマハード暴露大会

「分かるだろう。──三千年前の、お前の選択の話だ」

 

 冥界の王宮内、王と神官団の全員が集まった、少し前まで朝議の場であった広間。

 今は静まり返ったこの場に、魔術師へと語りかける王の声だけが響いている。

 

「──あの戦いの中、初めにお前の死を知ったとき、心が現実についていかなかった」

 

 独白のようなアテムの言葉に、神官たちは はっと当時を思い返した。

 

「悲しみと疑問ばかりが頭を巡り、なぜ何も言わなかったのか、なぜ独りでバクラに挑んだのか、なぜ死を選んだのか……あらゆることの受け入れ難さに目が眩みそうで、オレは押し寄せる問題と戦いに集中することで、……深く考えることから逃げた」

 

 喪った腹心の石板を見上げる若き王の、その割に奇妙なほどに落ち着き払った挙動。その姿は皆に確かな違和感をもたらしながらも、いつしか大過の激動に紛れてしまった。

 彼はいま己の行動を自罰的に表現したが、きっと叶うのならばマナのようにその場で膝を折り崩れ落ち、ただ歔欷(きょき)に耽りたかったのだろう。それをしなかったのは逃避だけではなく、臣下の前における王たる責務の選択でもあったはずだ。

 

「ファラオのお嘆きは、我ら察するに余り有るものを……配慮も至らず、誠に申し訳ございませんでした……!」

 

 今やっとそれに思い至った皆の慚愧(ざんき)を代表するように、カリムが勢いよく(ぬか)ずいて詫びた。セトが胸に手を当て敬意を表し、アイシスとシャダも続けて同意を示す。

 

「気丈にして泰然たるお振る舞い、お見事でございました」

「そして、我らも混乱と疑問を抱いていたことは王と同じくしてございます」

「マハードのように思慮深い男が、果たして何の理由もなくあのような手段を取るものかと……後に問うても、口を開いてはくれませんでしたが」

 

 日頃彼らが知る守護神官は、決して愚昧でも不見識でもなかったが、あの戦いの中での振る舞いの理由が分からなかった。

 疑問と言うなら正直こんなクソ真面目な話をあのアホみたいな流れから持ち出すべきなのかというのが現状一番の疑問だが、ずっと気になっていたことを(つまび)らかにする良い機会ではある。

 

 皆の視線と主の心の内を知り、当のマハードは咄嗟に口を開いたものの、結局それは言葉にならず、無言で俯く。

 アテムはそんな彼を見つめ、そして一歩踏み出した。

 

「……だが、ようやくオレにも分かったんだ。これ程の時が経ってから、やっとだが」

 

 気圧されたかのようにほんの僅かに後退るマハードを、逃さぬとでもいうように大股に距離を詰め、王は相対する青年をその比類無き眼差しで(しか)と見据える。

 

「──お前は初めから、あの場で死ぬつもりだったんだな」

 

 抑揚のない王の言葉に、神官たちが息を呑んだ。

 痛いほどの耳目に晒されるマハードは、けれども口を開かない。

 

「なっ……どういうことだ、マハード! 貴公はあのような状況、戦力も指示を出せる者も不足するさなかで、神官の責務を投げ出したというのか!?」

 

 初めに我に返ったセトが、強い調子で問いただした。

 立ち尽くす男は答えない。握り締めた拳だけが、微かに震えている。

 

「対決の場に先王の墓を選んだ理由も、自ずと分かった。あの場所こそが、お前の思う最善だったと」

「っお言葉ですが、ファラオ! バクラ一人を追い詰めるのであれば、他の場所とて良かったではありませんか? 壁抜けが出来る相手を閉じ込めることは出来ないのは自明の理。なれば王家の谷のような地形の場所を広く兵で囲む広域殲滅や、アテム様がなさったように逃げ場のない空へ誘導するなど、考えられる手はあったはずです」

 

 アテムに反駁するセトの鋭い声にも、マハードは何も言わない。

 

「そうだな、戦術的に考えれば、他の手はあっただろう。まあ空中戦が有利とは言うが、あのとき天空竜の存在を知っていたのはオレだけだが」

 

 肩をすくめて頷き、アテムは大筋ではセトの声に同意する。しかし王が、それだけでは説明の出来ない、もっと深い部分について言及していることは誰の目にも明らかだった。

 

「お前が何故あの手段を取ったのか──全てをオレの口から詳らかにすることは出来る。しかしそれは、ほぼ確信を持ってはいるが、多くはオレの推測だ」

 

 言いながら、彼は口を噤んだままの魔術師に向け、もう一歩距離を詰める。

 

「マハード、……お前の口から、話してくれないか」

 

 アテムの、いつに無く請願の色を含んだ声音が耳に届いた。

 

 しばし満ちる静寂は、どれほど続いたのか。

 頑なに無言を貫いていた青年の握り締められた拳が、やがてふっと緩んだ。

 

「──……では、なかったのです」

 

 観念したように、その唇から掠れた声がまろび出る。かすかで聴き取れなかった台詞に皆が耳をそばだてた刹那、

 

「バクラを倒すことが目的ではなかった」

「──……!!」

 

 はっきりと響いた言葉の意味を理解するや、今度こそ絶句する神官一同。

 

「──どこからお話しすべきでしょうか……」

 

 皆の姿に神妙な仕草で目を伏せたマハードは、静まり返った場の中で、三千年間伏せてきた事実を静かに語り始めた。

 

「……当時の私は、近く戦乱の時が訪れることを予期しておりました。千年輪を引き継ぎ、七つの宝物の成り立ちを知ると共に、先王陛下のご献身と千年宝物の力によって得られたこの国の太平は、未だ仮初めであることを感じていたのです」

 

 彼が言う当時とは、未だ先王アクナムカノンの御世(みよ)であった頃。マハードが六神官の末席に叙され、七つの千年宝物の中から千年輪の守護者の任を受けたその時期のことだ。

 

「そしてアテム様の御世となった後の、あの動乱の時期──千年輪の指針の乱れ、悪心持つ者の増加、バクラの登場でそれは確信に近くなりました。しかし私の予見はあまりに不吉であり、またアイシスの千年タウクのような確たる予知ではなく、予想と勘のようなものでしたので蓋然性に乏しく……国を脅かし得る懸念を、(いたずら)に明かすことは出来ませんでした」

「勘だと? そのような不確かな根拠で、大事を判断したと言うのか?」

「セトも『私の勘に間違いなければ〜』とか言いながら独断で私を巻き込んでとんでもないこと始めたじゃないですか」

 

 王から『決して民を脅かしてはならぬ』と言われた直後に『人狩(ひとか)りいこうぜ!』と同僚を巻き込んだ魔物(モンスター)ハンターである。

 シャダに突っ込まれてちょっと咳払いするセトを一瞥し、マハードはゆっくりと言葉を続けた。

 

「ええ、そう言われても仕方がありません。しかし、あの最初の王宮襲撃の時、バクラの言い放った『六神官の中に王権を脅かす者がいないとも限らない』という台詞に……私は、心を決めたのです」

 

 後ほど諸事情で王権を脅かした約2名がさっと目を逸らしたが、背後のマナの目がまたちょっとギラついている。

 

「マハード……我らに疑心を抱いたと言うのですか? それほどまでに思い詰めるほど、憂いが深かったと──」

「違います! 無論、奴の言葉を真に受けたわけでも、誰かを疑ったわけでもありません。皆を信頼すればこそでした」

 

 カリムがやや躊躇いがちに問いかけたが、マハードはそれに強くかぶりを振った。約2名はそのうつくしき信頼の言葉に、喀血直前のように胸を押さえている。

 

「ただ……万が一、千年宝物に宿る闇の力が、何らかの悪を我らの内に齎したら。その可能性を知っているのは、宝物の制作に携わったアクナディン様を除けば、私だけでした」

 

 アクナディンに相談することも考えたが、千年輪に宿る先代所持者の邪念がそれを躊躇わせた。民のためとはいえ、六神官にすら心に邪念を抱かせる闇の錬金術を主導した彼が、如何なる反動を受けているのかも分からない。

 そして結果的に、その懸念は正しかった。ネクロファデスの消滅と共に、精霊を宿す善なる魂だけが残されたアクナディンは、今こうして冥界で改めてアテムに仕えているのだが。

 

「はっ……結局は我らを疑っていたのではないか!」

「セトはメンタル強いんだか弱いんだか時々分からなくなります」

 

 ちょっとだけ盛り返したセトがまた吠えるのを聞きながら、お前の立場で普通それ言える?と書いてある顔でアイシスが呟く。

 

「三幻神をも操るアテム様の精強さは、無論よく理解しておりました。しかしバクラの能力もさることながら内憂外患ともなれば、いざ有事にお傍に控えている者が必ずしも味方ではなくなります。寝所ですら気を抜くことは出来ず、かと言って(バー)の力は有限。いつ何時(なんどき)も神を喚べるものではないでしょう」

「そっか……壁抜け出来るなら、アイツが王サマに夜這いをかける可能性だってありましたもんね」

「これ、夜這いなどと言うのではありませんよマナ。せめて秘め事とお言いなさい」

「やめろアイシス吐きそうだ」

「お気を確かに、ファラオ。夜襲だろうが夜這いだろうがやり返してくだされ」

「夜這いにはやり返したくない……」

 

 ふむふむしているマナのちょっと間違った言葉選びをアイシスが(たしな)めているが、どちらかというと更に迷走した挙げ句に別のものを(たしな)んでいた。

 アテムは言葉遊びの辿り着いたオチを想像したのか嫌そうに眉を寄せているが、シモンがフォローなんだか投げやりなんだか分からない合いの手を入れる。

 

「いいえファラオ、むしろやり返していただかなくてはなりませぬ。何故ならば──」

「アテム様、お顔の色が……どうぞお使いください」

「すまないマハード。お前しかまともに心配してくれる奴がいない」

「お聞きくだされファラオー!」

 

 お小言に変わりそうな目付役の声を、げんなりした顔で額に手を当て聞き流しているアテムの様子に、目の前にいたマハードが咄嗟に跪き肩を差し出した。王は毛玉を吐く直前の猫みたいな顔をしながら、神官団の良心の肩に手を掛けて溜め息をついている。

 騒ぐシモンを流しつつ、深呼吸して気分を落ち着かせたアテムが礼を言って彼を立ち上がらせると、守護神官は話の腰を折られながらも生真面目に話を続けてくれた。

 

「とにかく、夜襲でも夜這いでも……王をお守りすべき時に、如何に忠心篤き者でも、お傍に居られなければ意味がありません」

「それは……その通りですが」

「そして不虞の事態にもしファラオの(バー)が尽きかけていたとしても、己で魂を持ちそれを使うことが出来る精霊(カー)であれば……距離にも、時間にも縛られることなく御身をお守りすることが出来ましょう」

 

 いくつかの心当たりに、誰かが頷く。非常事態が続き手が足りず、多くの者が出払っていたタイミングで襲撃されたことが、苦い念と共に思い出された。

 マハードは静かな面持ちのまま、胸に手を当てる。

 

「そのためには肉体を捨てる覚悟と、精霊(カー)のみならず(バー)までも諸共に抜き出し繋ぐ御業(みわざ)が必要であり──それを為し得るのは、六神官においても、精霊魔導士である私だけだった」

 

 様々な沈黙が、場を支配した。

 目を見開き唇を噛む者、口を開きかけては言葉を飲み込む者、悔いるように瞑目する者。されどマハードは、彼らの忸怩たる思いを塗り替えるように言葉を重ねる。

 

「それが出来る力が私に与えられていたことこそ天命。──私は、まさに(もっ)(めい)すべき定めだったのです」

 

 それは自分の役目であり、運命だったのだと。

 皆が皆、与えられた役目をあるべき場所で果たしたのだと、彼は言外に(のたも)うた。

 

「死ぬつもり……というよりも、死ぬこと自体が目的だったと? そんな、馬鹿な、」

「ある意味では、そうとも言えましょうが。在り方を変えて、より王と国のために尽くせる姿になったというだけです」

 

 呻くようなシャダの呟きに対し、マハードはなんでもないことのように言ったが、それは個人としての幸福をすべて投げ打つ行為だ。現世どころか来世まで捧げ尽くした、滅私奉公の最たるものだ。もはや通常の人間の精神性で出来ることではなく、何か背筋に薄ら寒いものすら感じてしまう。

 そんな皆の思いを感じたのか否か、彼はやや目を伏せて かすかに微笑んだ。

 

「先ほどファラオも仰ったように、(まつりごと)を助くはセトがおります。先行きを見通すにはアイシスが、功罪を量るにはカリムが、不偏の裁きにはシャダがおります。石板を統べるアクナディン様が皆を支え、王の傍らには広き知見を持つシモン様が。魔術師の席は……輝く才を秘めたマナがいる。なれば私は、皆が担い得ぬ役割を果たすべきと考えました」

「……お師匠サマ……」

 

 涙目のマナが、胸元を握りしめて尊師の名を呟いた。

 彼は『皆を信頼すればこそ』と先ほど言ったその通りに、残された者達が王を、国を支え得ると信じたからこそ、自ら肉体を脱ぎ捨てたのだ。

 

「そしてただ無為に死すのではなく、この肉体すらも使い尽くして、叶うならばバクラをも巻き添えに出来れば。それが無理でもあやつの魂を削り、残る皆の臨む戦いに、少しでも力を添えられるように……浅見ながら、そのように目算したのです」

 

 告解の如く紡がれるマハードの言葉。だが、誰よりも己を贄としたこの男の行いを、大上段から裁ける者がいるだろうか。

 唯一その権を持つ王は、揺らがぬ眼差しで、じっと彼を見つめている。

 

「その後は、皆も知っての通りです。力及ばず、バクラを倒すことは叶いませんでしたが……やがて訪れる決戦の時は、再び王の剣となるべく、より一層の力を得て舞い戻るために。オシリスの国には入らずに、冥界(ドゥアト)のナイルの岸辺で修行を積んでおりました」

「あの川岸で修行だと!? しかし貴公は──……っ」

 

 セトが反射的に声を上げるが、そのまま言葉を継げずに黙り込む。それでも彼の言いたいことは、この場の全員が察していた。

 

 死者はラーの船に乗り、ドゥアト(冥界)を流れる夜のナイルを下る。

 その両岸、妖魔のひしめく冥界の河岸は、オシリス神の治める永遠の幸福の国ではない。暗く冷たく、闇と化生のみの世界は、ナイルを辿る魂とその心臓を喰らうために存在する悪鬼の巣窟。死者達は我が身と共に埋葬された護符で身を守りながら、平和の野(セヘト・へテペト)を目指すのである。

 

「マハード、……あなたの、亡骸は……」

 

 この場にいるほとんどの者達は、死後にこの道のりを辿ってオシリスの王国へとやってきた。彼らには最高位の神官に相応しい手厚い葬儀が行われ、溢れるほどの副葬品、死後の豊かな生活を約束する様々な壁画と共に、魂を守る護符と死者の書を携えて川を下った。

 

 しかしマハードにおいては、死出の旅路で彼が携えるものは何も無い。

 彼が率いる王墓警護隊は作戦前、アクナムカノン王のために設えた新しい墓に、それまでの墓の中身全てを移し替えた。マハードの(つい)の地となった元の墓の跡に残されたのは、死後の幸福を描いてはいるが 決して彼のためのものではない壁画達と、墓盗人のための冷たい罠の残骸のみ。

 彼の指示通りに永遠に閉ざされた墓の中には、生身の人間が立ち入る術もない。弔うどころか、マハードの遺体を見ることが出来た者すらいなかった。ただ独り、がらんどうの墓の奥底に打ち捨てられた骸は、弔われることもなく悠久の時の果てに朽ちてゆき、彼の魂はいかなる助けも無く闇へ旅立った。

 

「あなたの魂は、あのような危険な場所で、なんの護りも無いままに、決戦までの日々を過ごしたというのか……?」

 

 そうして、自分達が何重もの護符や魔除けを携えてなお険しかったあの冥府の道行きを、何ひとつ与えられなかった彼はその身一つで歩んだのだ。あまつさえその場に留まり、王の手足となり戦うために己を鍛えていたというのだから、もはや言葉も無い。

 

「マハード……以前も伝えたことではありますが、どうか改めてあなたに詫びたく思います」

 

 アイシスが一歩進み出て、絞り出すように謝意を紡ぐ。シャダやカリムも彼女に続き、口々に思いを吐露した。

 

「出来ることなら、あなたの躰を弔いたかった。眼に触れ、口に触れ、開口の儀を確かに執り行いたかった。しかしそれは我らには叶いませんでした」

「これほどまでに国に尽くした忠義の士の亡骸を捨て置かねばならなかったことが……無念でなりません」

 

 死者へ行われる開口の儀。冥界でも物を言い、食物を摂れるよう、再びその口を開くための儀式である。

 開門の呪文を持参していても、審判で自らの潔白を訴えるにも、喋れなければなんの意味も成さない。そのために非常に大切な儀式だが、手の届かない場所にあるマハードの遺体にはそれさえも叶わなかった。

 

「あー……冥界に戻ってから、皆が何かにつけてやたらマハードに食わせたがるなと思っていたが、そういうことか」

 

 アテムが合点がいったように小さく頷いている。

 決戦で舞い戻った姿を見るに口がきけることは分かっていたが、冥界で物が食べられるのかは確証がなかったので、マハードがそのうち飢え死にしないか、彼らは気が気でなかったのだろう。共に過ごししばらく様子を見ているうちにその心配は無くなっただろうが、そのままなんとなく癖になっているらしい。田舎のばあちゃんズである。

 なお初めてセトに餌付けされかけたときのマハードは、未だかつて見たことの無い表情をしていた(と聞いている)。

 

「冥界で再会したときも、皆はそうして詫びてくれましたね。しかし私も全て覚悟の上で、墓を封印するよう命じていたのです。皆が気に病む必要はありません」

 

 マハードは項垂れる彼らに近づくと、その手に触れてそっとかぶりを振ってみせる。自分が今ここにいて、口をきき、飲み食いできる一陽来復(いちようらいふく)に、これ以上悔いる必要はないのだと。

 ほろりと緩んだ空気の中、シモンがため息をつく。

 

「いやはや……死者の書(日の下に出ずるための呪文書)も携えず、よくぞオシリスの国まで……無事辿り着いて本当に良かったワイ」

「シモン様……ご心配をお掛けしました。それについては、内容を覚えておりましたので」

 

 ご安心くださいと目礼するマハードに、ぴたりと動きを止めるシモン。

 

「……覚えていた? 呪文書を?」

「はい。私は職務上、葬儀を執り行う側でしたので」

「200を超える呪文と、190章のすべてを?」

「ええ。ご存知の通り、その者に必要な呪文が無いと境の門を通ることが出来ませんから……私がここにいるということは、正しく覚えていられたのでしょうし、何よりもファラオのご加護があったということでしょう」

 

 再びなんでもないことのようにマハードは言うが、後世で『死者の書』と呼ばれる『日の下に出ずるための呪文書』は、オーダーメイドだ。皆が一律で同じものを持つわけではなく、膨大な呪文の中からその死者個人に必要な内容を都度選定し、神官がそれを記して作られる。

 その書を持たずしてオシリスの国の門を潜ったということは、ヤマの張れない試験に全問正解したと同じことであり、即ち書に頼らずともそこに記され得る内容のほぼ全てを暗記していたという証明に他ならない。

 

「……そなた、あのように死するにはあまりに惜しい──……いや、……宜なるかな……」

 

 かつて彼の取った手段の意図と効果は理解したが、敢えて早逝するよりも、生きて国を支えてほしかったと痛感するシモン。文官としての有能さは、乱世の後にこそ活きるものだ。

 しかし、アテムを喪いながらも一人生き残ったマハードの姿というのも、どうにも想像がつかなかった。咲ききらずに散る花のようなその生涯はかくあるべきだったのかと、途中で言葉を切ったシモンは一人天を仰いで息を吐く。

 

 慙愧の念から少し気を取り直したシャダが、改めてマハードに向き直り、再び問を投げかけた。

 

「──マハード、貴公が敢えて死という手段を選んだ心の(うち)は、私もようやっと理解しました。話してくれたことに心から感謝します。しかし、対決の場所が先王の墓所の中でなければならなかった理由には、あまり繋がらないように思うのですが……」

 

 問いかけられた彼は頷き、静かに鳩尾に手を当てる。

 今はそこに無いが、当時あまりに重かった、黄金の呪いを思い出すかのように。

 

「あの場を選んだのは、あわよくば……千年輪を、封印出来ればという思いもありました」

「何っ……!?」

 

 何度目かも分からない驚愕に、再度聴衆が揺れた。マハードは胸元に視線を落としながら、当時に思いを馳せるように少しずつ言葉を紡ぐ。

 

「民の邪念が飽和しかけていた当時は、千年輪により悪人を感知する精度もかなり落ちておりました。そして私はと言えば、千年輪を受け継いで以降、かの宝物の内に眠る邪念の封印のため、ほとんど全ての魔力を割いていたのです」

「!」

 

 あの頃は、時折マハードが悪人を感知しそびれ、その度にセトがちくちく嫌味を言うという流れがほぼ定番化していた。

 満足に責任を果たせていないことは事実だと、彼はその糾弾を甘受していたが、その実マハードが闇の力を封じ込めるために常に実力の多くを消耗していたことを知る者はごく僅か。そのため、やはり彼には荷が重い役目なのかと見る向きもあったのも、また事実だ。

 

「七つの宝物を揃えることで得られる利が、闇の力との契約なのであれば──アテム様の為す治世には、そのような力は不要。ならば、何人も侵入(はい)り得ぬ墓の奥底に、この呪われし品を永遠に葬ることが出来ればと……」

「千年宝物のひとつを、自己判断で葬るだと? そのような手前勝手な──」

(手前……勝、手?)

 

 言いかけたセトの声に、しかし彼を含めた全員が、ふと かつて己が所持していた千年宝物を思い出す。

 宝物に認められた者でなければ魂を焼かれる制約など、それぞれの代償はあれども、彼らはその選ばれし者だった。多くの魂を下敷きに作られた、人智を超えた絶大なる力は、確かに己自身のそれをも超えた能力をもたらし、王国の御旗のためにその力を誇り高く振りかざすことが許された。

 しかし千年輪の所持者たるこの男については、果たしてどうだったのか。

 

 颯爽たる長身を持ちながら、その姿に見合わぬ 幼子(おさなご)のような精霊を駆り、有事あらばすぐに駆けつけては国を乱す盗賊や墓を荒らす者達と戦っていたマハード。

 多くの民は、率先して自分達のために身を削り血を流す彼を愛したが、中にはその創痍にまみれた姿に、地位に対して器が足りぬと揶揄(やゆ)し見くびる者もあった。

 もしも彼が千年輪を身に着けていなければ、向けられた視線は如何ほどに変わっていたのか。

 

 ──思えば。

 誰が好き好んで呪いの品を持ちたがるだろうか。

 新たな力を授かりそれを振るうのではなく、己の持つ才と力をそれに喰い潰されることを選ぶだろうか。

 宝物から絢爛たる力を得るのではなく、見えない枷を嵌められた。

 それでもこの男は、ただ一言も己の運命を(いと)わなかった。

 

 選ばれたのか。

 押し付けたのか。

 ──選ばせたのか。

 

「あんなもの……手放したくなって、当然です」

 

 ここまで神官たちのやり取りに横槍を入れず、黙って聞いていたマナが、ぽつりとこぼした。

 皆がはっとそちらに視線を向ける中、彼女は誰と目を合わせるでもなく呟く。

 

「セト様の即位時には、私が千年輪を受け継ぎましたケド……お師匠サマがずっと封印していてくれたおかげで元の邪念が弱まっていたのと、新たに宿ったバクラの邪念もファラオや皆さんのおかげでかなり弱っていたので、未熟な私でもなんとかそのまま抑え続けることが出来ました」

 

 この場にいる中では、唯一マハード以外に千年輪を継承した経験を持つマナの言葉の重みに、誰も一声すら発しない。

 

「それでも本当に、辛かった。いっときは邪念の封印のために全ての魔力を使い果たし、私は精霊を召喚することすら出来なくなったこともありました。……あれを着けていて、いいことなんてひとつもありませんでした」

 

 彼女の言った出来事は、その時代を共にしたセトやアイシスも思い当たる節があったのだろう。彼らが見遣ったマナの声音からは、普段のはつらつとした様子は鳴りを潜め、眼差しには暗い陰と悲しみが湛えられていた。

 そんな弟子の様子に、師は沈痛な面持ちで彼女に詫びる。

 

「すまなかった、マナ。私が至らぬばかりに、お前に苦しみを引き継いでしまった」

「違うんです! ──千年輪の恐ろしさと一緒に、お師匠サマがどれだけすごかったのか、改めて分かったんです。お師匠サマは、精霊を使役して警護隊長のお役目をこなしていたのに、その上私のときよりも遥かに強かった邪念を封じ続けていたなんて……今でも信じられないくらいです……!」

 

 強くかぶりを振り、握った両拳を胸に揃えて叫ぶマナ。しかしマハードは自身の功科よりも蹉跌(さてつ)に目が向くようで、その顔は晴れない。

 

「しかし、いざという時に力及ばず、結果的に私の身勝手な判断によりバクラに千年輪を渡すことになってしまった。そのことについては、申し開きも──」

「いいえ……いいえ、マハード……! あなたという人は……!」

 

 アイシスがマハードの弁解を遮るように声を上げ、口元を隠して嗚咽を堪えるように肩を震わせた。

 

 千年輪という、三千年の後にすら巨悪を齎した大いなる災厄の種。

 少なくともこの青年は、驚異的な自制心と膨大な魔力により、その中に秘められた邪念に人間性を影響されることもなくその存在を封じ続けた。誰に賞賛されることもなく、ついには命尽きるまで、その呪いが人に害為すことを許さなかった。

 

端倪(たんげい)すべからざる男よ……貴公に身勝手などと、誰が言えようか」

 

 シャダはつい先ほど、彼の語る狂信のような捧忠に、人の精神の埒外を感じたことを思い出す。そうではなかった。

 彼とて、悲しみ、苦しみ、救いを求める、人間だった。

 それなのに──だからこそ。隠し通した徹底的な滅私を知った今、その事実は却って彼の器を知らしめる。

 自身で身勝手と評するそれが、そんな彼の心の奥底からひそやかに滴り落ちた、血の滲むような望みの欠片だったのだとしたら。

 人たる全ての者たちの誰に、それを責める資格があるだろうか。

 

「マハード、あなたが自分を許さぬのなら、我らの誰が赦されましょうか?」

「カリム、そのようなつもりで言ったのでは──!」

 

 苦しげにマハードを見るカリムに、本人はやや焦ったように弁解する。

 不惜身命(ふしゃくしんみょう)の境地と人の心の苦悩を目の当たりにした神官たちは、彼ほどの覚悟や決意を体現することの出来なかった己を恥じ入るようにしばし瞑目した。

 

「ぬ……、だとしてもだ! せめて貴公の心の(うち)をファラオにだけでも奏上するなど、何かしら取り得る手段はあったはずではないか。そうすれば、我らとて……いくらかは()(よう)が」

「おっしゃる通りです、セト。全ては私の失態です」

 

 とりあえず難癖つけないと気が済まないマンの皮を被ったツンデレが台詞の後半で何やらぼそぼそ言っているが、そのへんは丸無視して(恐らく聞こえていない)何の抗弁もせず文脈を全肯定するマハード。

 己の過失を断言する色に、他の者が口を挟めずにいる中──ずっと沈黙を保っていたアテムの声が、抜き身の刃のようにその場の空気を切り裂いた。

 

「違うだろう、マハード」

 

 びくりと肩が震える。

 皆が何のことかと訝しむ中、唯一その言葉に動揺を示す者。アテムを見つめ返す、マハードの瞳が揺れた。

 

「お前の語った事実は、概ねオレの予想と大きく外れたところは無かったが……それでも、嘘は吐いていないが、言っていないことがあるだろ」

「……!」

 

 断じる王の声に、青年の拳が強く握り締められる。

 よくよく思えば確かに彼らしからぬ、ここまでの長広舌(ちょうこうぜつ)。その多弁の裏側、隠してきた事実の下に埋もれさせた本音を、アテムの言葉が容赦なく暴こうとする。

 

「オレを巻き込まずに決着をつけようと、敢えて独りで抱え込んだな、マハード」

「ファ、ファラオ……」

「──父上に千年宝物の真実を伝えたことが悲劇を呼んだと悔いていたお前だからこそ、同じことを繰り返すまいと、……オレを守ろうとして」

 

 皆が見守る中、よろめくような声音で王を呼ぶ魔術師。

 縋るような響きを帯びた青年の声を敢えて無視し、アテムは彼の胸中を白日の下に晒してゆく。

 

「オレを護るためにお前が自ら命を投げ出したことを、オレに知られたくなかったんだろう。知ればオレが思い悩み、苦しみ、父上のように心に重荷を抱えると」

「なんと……」

「だからセト。マハードは、オレに言わなかったんじゃない。──オレだから、言えなかったんだ」

 

 王が暴いた内容に周囲がざわめく中、マハードは思わず膝を折った。

 

「……ファラオ、お気付きに……」

 

 己の恥であり、取り返しのつかない過ち。アクナムカノン王を心労で追い詰めてしまったと悩み、深く悔いていたマハードは、二度目の愚は犯すまいと、全てを胸裡(きょうり)に秘めて決断した。

 墓の中まで持っていくどころか、真実を話すよう言われて尚、永劫に隠し通そうとした胸の内。それを絶対なる主に容易く暴かれた、浅はかな己への失望。

 アテムは鋭い眼光で、力無く跪いた青年を見下ろした。

 

「マハード、はっきり言っておく。あのときのお前の決断は、独断専行だったことは事実だ。それは分かっているな」

「はっ……処罰は如何様(いかよう)にも──」

 

 跪いたまま項垂れ、染み付いたように従順な口上を述べるマハード。視線を合わせないその姿に、アテムは静かに目を細めた。

 

「三千年も経って処罰も何も無いが、強いて言うなら……罰せられるべきはオレだ」

「!?」

 

 俯く青年は、続く王の言葉の意味を理解するなり、弾かれたように顔を上げる。

 臣下らが見守る中で、王は己の非を宣言した。

 

「お前の決断は……オレの、弱さの証に他ならない」

「そっ……!!」

 

 マハードは喘ぐように口を開閉させて何か言おうとしているが、アテムはそれを聞くことなく、ここまで揺らがなかった表情をかすかに歪ませて、絞り出すように続ける。

 

「お前に独りで抱えることを選ばせてしまった──それは信頼に値する王では無かった、オレの咎だ」

「ちが……違います! 全ては私の……っ!」

 

 反射的に否定しようとしながら、マハードは狼狽で言葉を詰まらせる。王に自身を(おとし)めるような台詞を言わせるなどという、有り得べからざることが起きているのに、しかし彼にそれをさせたのは紛うことなく自分なのだ。

 いつにないひどく動揺した様子で、どうすれば主の嘆きを止められるのか逡巡するマハードへ、シャダが一歩近寄ると、その肩に手を掛けて視線を合わせた。

 

「マハード……ファラオに対し己の不徳を悔いるなら、それは私も同じこと。目の前でみすみすバクラの手に落ちた御姿と共に、ファラオをお守り出来なかった私の失態を忘れることは出来ない」

 

 彼が言うのは、マハードが肉体を捨てた後のことではあるが、その事実自体は知っている。街の上空で精霊獣と天空竜がぶつかり合い、オシリスが敗れたときのことだ。

 神を失った直後、王は民と神官団のさらなる犠牲を食い止めるべく、単身バクラのもとへ向かったと聞く。手勢を率いたシャダがやっと二人の対峙する崖上の隘路(あいろ)に辿り着いた直後、崖下に潜んだディアバウンドが王の足元を崩壊せしめ、シャダの眼前でバクラに蹴り落とされたアテムは、渓谷の深き闇へと落ちていった。

 

「あの時ほど、己の無力を恥じたことはない……しかし後にご生還されたファラオは、一言とて私の失態を責められはしなかった──それも、今日(こんにち)に至るまで。貴公にも同様の覚えがあろう」

「……はい」

 

 寝食を忘れて王の姿を探し回ったシャダは、アイシスの助けを借りてやっと、満身創痍のアテムを見つけ出すことが出来たという。それまでの数日間、彼が如何に己を責め続けたか──同じく王への失態という傷を持つマハードにはありありと想像出来た。

 

「すべきことは失態の裁きを待つのではなく、己で己に裁きを下し、前に進むこと。それこそが寛大なるファラオへお返し出来る何よりの報恩ではないか」

 

 正鵠を射た王宮判事長の言葉が、厳正に響く。されどそれは確かな温かさをもって、皆の胸へと沁みていった。

 アテムがかすかに笑って、シャダを労う。

 

「ありがとう、シャダ。オレの思いを代弁してくれたな」

「とんでもないことでございます、ファラオ。至らぬ我らをお許しください」

 

 臣下の礼を取り、引き下がるシャダ。多少動揺から立ち直ったマハードも彼に倣い、その場で拝礼する。

 

「ああ、許そう。……こう言っておかないと、お前たちは納得しなさそうだからな。だがオレは、お前たちのしたことを罪だとは思っていない。そのことを改めて知っておいてほしい」

「はっ、御宥恕(ごゆうじょ)に感謝いたします」

「だから宥恕とかではないんだが……まあいい」

 

 お堅い臣下にいまいち伝わらない感じに苦笑しつつ、アテムは改めて皆を見回し、話を元に戻す。

 

「さて、その上で、あの場所しかなかった理由だが……まだ他にもある」

「なんと……ファラオ、それは一体──」

 

 ここまででも相当に驚かされてきたが、王によれば明かされざる事実が更にあるとの言に、皆が更にどよめく。魔術師の秘密主義もだが、それにも増して王の深い洞察たるや──

 

「マハードは、死者さえも守ろうとした」

 

 主の器に感銘を受けていたせいだろうか。一瞬、発された言葉の意味を咀嚼するように間があいた。

 

「兵にすら出来るだけ犠牲を出さぬように立ち回っていたことは、皆も既に察しているだろう」

「はい。マハードが己の生命のみ携えて戦おうとしたことは理解しておりま──あっ、ファラオ、それでは……?」

 

 アテムの言葉を受け、アイシスが首肯する。が、そこで はたと気付いたように彼女が王を見返すと、彼は片頬を上げて薄く笑んだ。

 

「アイシスは気付いたようだな。──マハード、先ほどお前は、『あわよくば』千年輪を封印できればという思い『も』あった、と言っていたな。即ちそれは、他の意図があったと自分で宣言しているのと同じだぜ」

 

 皆の視線が注がれる中、跪いたままの青年は微動だにしない。しかしその眼が大きく見開かれ、揺れていることを、アテムは知っていた。

 

「先ほどセトが言ったように、王家の谷の中におびき寄せて兵を配すれば、確かに開けた場所においてバクラの壁抜けは意味を成さないだろう。だがそれでは、他の墓にも少なからず被害が出てしまう」

 

 ディアバウンドのもたらした被害は、そこらの攻城兵器の比ではない。仮に王家の谷の地上部を決戦の場に選んだとするならば、岩窟に築かれた多数の王墓やその主達とて、敬意なき破壊を免れなかっただろう。

 

「いみじくもアイシスが、『己の生命のみ携えて』と表現したが……まさにその言葉通りだ。損なわれ、尊厳を犯され得る盤の上から、マハードは自分とバクラ以外の全ての者を取り除こうとした。生者も──死者ですらも」

 

 息を詰めた神官たちを見渡しながら語るアテムは、最後にひとり跪いている男の上で視線を止めた。

 

「そうだな、マハード?」

「……ファラオ……」

 

 片膝をつき床を見つめていた彼は、王が自身を確と見据えていることをその視線の圧で感じ取る。

 ややあってから青年は、掠れる声を絞り出し、(つくば)うように体をよろめかせながら、なお平身低頭した。

 

「……申し訳、ございません」

「マハード、」

「私は……度重なる愚かな判断により、自分の手に余るものまでも、望んでしまいました」

 

 途切れ途切れの、(かそけ)きそれは告解だった。

 跪き、悲壮な面持ちで懺悔する男の姿は痛ましく、先ほど知り得た彼の為してきた廉潔(れんけつ)な行為にはひどくそぐわない。

 

「その上、ファラオにもそれをお伝えすることなく、隠し通そうとしたことも……言い逃れようのない事実でございます」

「マハード」

「それを分かっていながら尚、己が理想を捨てきれず──」

 

 ならば彼がこれ程までに身を縮めて謝する理由とは何なのか。ひたすら自罰的で自虐的で、まるで罰されることを望んでいるような。いやむしろ、罰の影にまだ隠したい何かが──

 

(おもて)を上げよマハード! 謝罪など聞きたくない」

 

 石壁をも貫く、凛とした喝破(かっぱ)が響き渡った。

 普段はそれほど君主然とした物言いをしないアテムの、思わず身が竦むほどの鋭さに、相対する青年だけでなく、考え込んでいた皆が喫驚(きっきょう)している。

 反射的に顔を上げ、主君を見上げた魔術師は、改めて彼の眼を見た瞬間 小さく息を呑んだ。己に踏み寄った王の表情は、今しがたの厳しい語調とは裏腹で、大きな瞳は悲しげに歪み、続く言葉は哀調を帯びていた。

 

「オレの話を聞いていたのか? お前たちのしたことを罪だとは思っていないと言っただろう」

 

 膝をついてなお背の高いマハードに合わせるようにして、少年王は少し屈む。紅く透きとおる眼差しで、アテムはその肩へ──先ほど自分のために差し出されたあたたかな肩へ、再び手を置いた。

 

「『理想を捨てきれなかった』……その何を咎めることがあるものか。──お前は、墓守の長なのだから」

「──……!」

 

 何もかもを見透かしたようなアテムの言葉が、瞬時に当時の想いを鮮明に喚び起こす。

 

 壁を抜けられるというバクラの逸脱した能力のことなど、当然ながら理解していた。それでもなお、あの場しかなかった。

 千年輪の封印に費やしていた本来の自らの力と、そうして抑えつけることをやめた千年輪の闇の力が、他の者に害をを及ぼさないために。いま生きている誰の生命も、そして先王を始めとする死者達の尊厳をも傷付けずに、ただ自分ひとりだけを天秤に乗せるためには。

 地下深く、主なき孤独な墳墓の奥底だけが相応しいと。

 

「墓守とは、心の()り人。すべての民が信ずる、冥界での来世を護る者。心無きものには務まらぬ」

 

 朗々たるアテムの声は、まるでこの場所が聖堂であるかのごとく響き渡る。

 

 王は(のたま)った。墳墓を守護することは、言ってしまえば生者の暮らしには関わりのないことだ。それを実のない仕事だと揶揄する者もいるが、そうではないと。

 死者を弔い、冥界での幸せを願い、遺された者達が生きてその先を紡いでいく心の支えとなること。そして彼らが自身の死後を想像したとき、確かに護られていると実感し、遥か藺草の野原(セヘト・イアル)での永遠の幸福を信じられること。

 それは、墓守が常に死者への敬意を忘れず、それらを害する者達と命懸けで戦い続けるからだ。すべての民の、心の安寧のために。

 

 冥福の守護者たる、彼こそが。

 

「父上は言っていた。『自分が信ずる正義のためには、どんな時も背を向けるな』と。……お前はそれを貫いた。お前でなければ、出来なかった」

 

 アテム以外の面々は、まるで時が止まったかのように主の言葉に聴き入っている。その一言一句に紐付けて、王墓警護隊長(マハード)の行いすべてを思い起こしながら。

 

「だからオレは、謝罪など聞きたくない。お前の信念は、誰に恥じることもない、我らすべての目指すべきもので、帰りつくべきものなのだから」

 

 いっぱいに目を見開いて、マハードは最も近くでその玉音(ぎょくおん)を聞いていた。

 光を湛えた紅玉の瞳が己を照らし、その(おとがい)が動くごとに、心に積もった澱のような何かが洗われていく。

 

「マハード……何を恐れる? これほどまでにファラオはそなたの行いを肯定してくださっているではないか。そなたは()き信念のもと、崇高な行いを()した。何ゆえむやみに己を罰しようとするのだ」

 

 傍らからシモンが問い掛けた。皆の心を代弁するその問いの意図は痛いほど分かるが、しかしそれでも最後の堰を切ることは出来ぬと言うように、マハードは唇を引き結びながら逡巡する。

 ふと──肩口に感じる手のひらの熱に、ぐっと力がこもった。

 

「お前の恐れを言い当ててやろうか、マハード」

「──っ」

 

 言葉がひやりと背筋に差し込むと同時に、さっと血の気が引いたような感覚と、体温の下がる音が聞こえた気がした。急激に早鐘を打ち始めた心臓と、強く摑まれた肩だけが、熱い。

 アテムはほんの少し口の端を吊り上げ、目を眇めながら、マハードの顔にその瞳を近付け、ゆっくりと囁いた。

 

「シモンから聞いたよ。父上の墓を荒らされた事件があったあの後、お前は二度とオレを悲しませないために、命を懸けたと」

「それは、」

「そしてオレは確かに、父上の墓の守護をお前に頼んだ」

 

 アテムの唇が動くであろう形を見たくない。どうか、それだけは、口に出さないでくれと、その声を掻き消そうとしているように鼓動がうるさく響く。されど願いも虚しく、

 

「つまり、お前はオレのそんな命令のせいで、死──」

「っ私が!!」

 

 突如吠えた大音声が、その続きを許さなかった。日頃声を荒げることも稀な魔術師の(どよ)もす叫びに、誰もが目を剥いている。

 王の言葉を遮るという不敬を冒しながらも、それでもマハードは声を張り上げずにいられなかった。

 

「……私が愚か者だと思われようが、一切構いません。しかし、私の名誉や、私の命などのために、アテム様が悔やみ悲しまれることなどあってはならない……!」

 

 知らせたくなかった。気付かれたくなかった。けれども聡明なる王ならばこそ、悟られないはずもなかった。

 言われたくなかった。言わせたくなかった。けれども王以外の誰にも、言えることではなかった。

 悪あがきと分かっていながら尚、己の不徳を叫ぶその声はひび割れ、痛ましく響く。

 

「私が至らなかったせいで、私が求めすぎたせいで、私が愚かだったせいで、私は落命したのです。……どうか……そのように……」

 

(そうか、マハード……あなたは……)

 

 祈るように膝を折り、縋るように躰を折って懇願するその姿を見て、彼が最後まで何に抗っていたのか、神官たちはやっと理解した。

 

 王は全てを手にするが故、持ち得る全てに責を負う。

 アクナムカノン王が千年宝物の真実に苦悩したのも、制作を是認し号令したのが自身であるからだ。そこに、宝物作成のために必要な犠牲を知らなかったという事情などは加味されない。『王の命令により為された』事実だけが、彼らの背負う徳であり業となる。

 

 此度明らかになったマハードの選択は、マハードの決断によるものだ。しかしそれは、元を辿れば『父の墓を守れ』というアテムの命令に端を発する以上、その経緯と結果はアテムの責となる。

 先ほどまさに彼は言った、『お前の選択は自分の咎だ』と。暗君であればいざしらず、清廉なる気質を継ぐ彼ら王家は、必ずそのように全てを背負ってきたのだ。生前の彼が、臣下を罰したことは稀だったことからもそれはよく分かるだろう。

 だからこそ自身の死の真相について、マハードは(かたく)なに口を噤んできた。能無しと蔑まれても一切反論せず、数千年の時を経ても尚、そして今 他ならぬ王によってひとつひとつ真実を暴かれても、最後のひとかけらを隠し通そうとした。

 

 全ては、主の背にこれ以上の業を負わせぬために。

 

 聴衆の額を汗が伝う。誰もが動けずに見守る中──当のアテムは、くしゃりと表情を崩して微笑んだ。

 

「──やっと言ったな」

 

 はあっと深く息を吐き、彼は屈んでいた体を伸ばして立ち上がった。胸を開くように腕を広げ、改めて息を吸う。

 胸のつかえが下りたような、解放感あふれる仕草に戸惑う魔術師を、アテムは茶目っ気を含ませた顔で見遣った。

 

「そんなに真面目だから早死するんだぞお前は」

「……ファラオ……?」

 

 からかうような言い回しと表情だったが、しかしその瞳の奥には切なげな色が垣間見える。

 彼はやや長い瞬きをするように、ゆっくりと目を閉じた。

 

「お前の真意、その深意(しんい)を、お前の口からやっと聞けた。だからオレも、真正面から答えてやれる」

 

 皆が固唾を呑んで、王の言葉を待っている。

 一呼吸置き、アテムが開いた瞳は、揺るがぬ朱を燃やしていた。

 

「マハード、オレは悔やんでいない」

「……!」

 

 凛と告げられた言葉は強く鮮やかで、一片の迷いも無かった。

 

「無責任や徒疎(あだおろそ)かな心によるものじゃない。ましてやお前が大切でないなんてはずもない。お前に命じたことも、お前の考えたことも、お前が為したことも、すべて理解し受け止めずっと(いだ)いていく。その上で、オレは悔やんでいない──悔やむ必要はないんだ。何故なら、」

 

 自身へ注がれる王の声が、魂に染み入っていくのを感じる。

 

「今一度思い出せ。オレがお前に、何を命じたか」

 

 瞬時にマハードの脳裏に、生前最後に謁見した際の光景が蘇った。

 それは奇しくも今と同じ配置で、他の神官達が周囲で見守り、跪いた己が見上げる先に尊き主が座していた、あの晴れた日。

 王は『バクラを倒せ』とも、『千年宝物を守れ』とも言わなかった。

 

『心して頼む。自責の念にとらわれず──』

 

 胸に刻んだ、当時の彼の言葉と想い。

 そしていま目の前にいる王の紡ぐ声と心が、過去と現在をついに繋げた。

 

「父上の墓を──父上を守ってくれて、ありがとう」

 

 冥界の王が、跪く忠臣に手を差し伸べる。

 頭上から降り注ぐその声音は、清くあたたかなナイルの流れのようだった。

 

「……ファラオ……」

 

 宮の外から、鳥の声が聞こえる。

 差し込む陽射しを辿って仰ぐ空は青く、悠久の大河は数千年前と変わらずに泰然と流れる。窓から望む先王の離宮は美しく、城下の町並みは豊かで、通りを民が行き交う光景がよく見えた。

 街の外には実り多き麦穂が揺れ、黄金色の草原に風が吹く。

 

「……私は、あなたのご期待に、応えることが出来たのでしょうか……?」

 

 誰もが永遠の幸福を享受する世界の中で、そのために命を尽くした男が、ぽつりと呟いた。

 

「ああ。お前は命を捧げて、オレの命じた任務をやり遂げた」

 

 マハードの瞳が、震える。(たた)えた色が水面のように揺らぎ、唇が小さく戦慄(わなな)いた。

 

「誇るがいい、マハード──墓守の長よ。お前はその役目に恥じぬ結果を、ここに生きるすべての者へ齎したんだ」

 

 アテムが伸べていた手を、促すように より前に差し出す。

 言葉は、もう、必要なかった。

 

(……アテム様……)

 

 現世の写し身で主と共に戦う日々の中、己が主へ捧げた心と献身を、容易く裏切られる者たちを幾度も見てきた。

 主への忠義と己の信念が同じ道であることが、どれだけ幸せであるか。

 見返りなど求めずとも、信頼と勝利で必ず報いてくれることが、どれだけ得難いことか。

 己の主が意に染まぬ所業を命じることなど、一度も無かった。ただそれだけでも、まるで奇跡のような出来事だというのに。

 

 それなのに、その上に、此度のことで王が見透していたのは、自身の想像すら超えた先。事象と事実と、その根源までのすべて。

 穏やかで遠巻きな嘘のまま気づかぬふりをするのではなく、敢えてすべてを暴きながらそれごと受け入れ、許し、それ以上を認めてくれた。

 

(あなたの存在こそが──)

 

 (まが)(かた)なき、奇跡だった。

 

 

 ためらいながらも、そっと、伸ばし返してきた指先。アテムはその手を強く掴み、引き上げる。

 やっと握り返されたその掌には、青年が生きてきた軌跡を示すように、たくさんの傷跡が刻まれていた。

 

 ひとつの過去が、いまやっと、終わる。

 

 

*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*

 

 

「と、いうわけでだ」

 

 ぱちんと片手の指を鳴らし、逆の手で引き起こした青年と共に立ち上がったアテムは、外套をなびかせて振り返った。

 三千年の後に明かされた、守護神官のいっそ潔いほどの韜晦(とうかい)に、言葉を失っていた全員がはっと我に返る。

 

「皆、あの時のことについてよく分かったろう。マハードがだいぶ頑固だったから、予想以上に時間が掛かったが」

「申し訳ございません……」

「謝らなくていい。お前のド根性にはむしろ感心した」

「ド根性」

 

 額を拭うような仕草をしながら、晴れやかな面持ちで苦笑するアテム。ふと二心同体だった片割れを思い返しながら、臣下らを見渡して彼は言う。

 

「昔も未来も変わらない、真面目で我慢強い奴はこうやって抱え込むんだ。だからこそ、物分かりの良い子に甘えて、問題児にばかりかまけ、健気な献身を捧げる者は日陰に、憎まれっ子は世に憚る……そんなことは許されない!」

「なんか教育評論家みたいですねアテム様」

「問題児とは私のことではあるまいな……」

 

 拳を握って熱弁するアテムの後ろで、セトがこめかみに汗をかいている。

 

「まあオレもさっきはドヤ顔で偉そうなことを言いまくったが、三千年後の現世を経験したから言えることもあるんだがな。現代日本の価値観と倫理観を学び、メンタルに余裕も出来たオレは、古代エジプトしか知らない上に高ストレス環境だった昔のオレとは違う。平民の生活で、尽くしてもらうことの有難味も知った……誓うぜ! もうお前達に不憫な思いはさせないと!」

「ファラオ……!」

 

 力強い君主の宣言に、立ち並ぶ皆は改めて一様に片膝をつき頭を垂れる。彼らに頷き返したアテムは、今一度だけその中のマハードへ視線と言葉を向けた。

 

「だからこそ、最後に約束してくれマハード。もう、俺や王家のために自分を犠牲にしたりしないでほしい」

「……はっ」

 

 返答までほんの僅かに間があったが、それは恐らく、いざそのような事態になったら彼はそうせずにいられないと、己自身でよく分かっているからだろう。

 それでも、熟考の末に自己犠牲を選ぶようなことは二度とさせまいと思うアテムは、マハードが肯定の返事をしただけでもひとまず良しとする。

 

「──あのときお前が生命を捧げてくれたからこそ、その後の決戦においてオレは戦う(すべ)を得た、それは紛れもない事実だ。王家に仕える者達の挺身の覚悟と、その必要性も理解している。……だがもうオレは、オレ達は、誰かに犠牲を強いらねばならないような弱さを捨てるべきなんだ」

 

 セトとは真逆の意味でだが、マハードも己の行動を当然だと思うきらいがあった。

 忠義のためなら一死報国も厭わず、王へ尽くすことに疑問を持たない。気高く穢れ無きその心は美しいが、だからこそ遺される者の傷を軽視しないでほしい。

 このあたりで改めて言い聞かせておかないと、そろそろマナが抹殺の邪悪霊(ダーク・スピリット)(☆3)になる。

 

「さっきオレは悔やんでいないと言ったが、悲しみはする。お前の傷で、お前以上に痛みを感じる者がいることを知ってくれ。それは神官の皆であり、民であり、マナであり……オレなんだ」

 

 怯懦(きょうだ)よりかは蛮勇が尊ばれる世界に生まれたが、それでもこの少年王は臣下に自愛を説いた。

 隠したその先まで気付きながら、己の信念ごと包容してくれた主を二度と悲しませないことが、魔術師の行動の根底にあったのならば。

 永遠の今生(こんじょう)でそれを遂行することこそ、何よりの償いとなるだろう。

 

「……我が魂は、あなたの永遠の僕なれば。アテム様の御心(みこころ)のままに──」

 

 千切れるほど唇を噛み締めてアテムの言葉を聞いていたマハードは、滲む(まなじり)を伏せて跪礼した。

 シモンは孫(≒)が立派になり過ぎて、さっきから吐くほど号泣している。

 

「うう……う゛えぇーん……! お゛師匠サマぁ……!」

「マナ……」

 

 ここでやっと緊張の糸が切れたのか、マナがわっと泣き出した。アイシスに肩を抱かれながら、掌で涙を拭いつつしゃくりあげている。

 

「わた、私、っホントに心配して……!」

「何も言わずに去ってすまなかった。──私という甘えがいなくなれば、お前の才は開花すると考えたのも事実だ。現にお前はすぐに己の精霊を宿したが……それでも辛い思いをさせたのは、私の責任だ」

 

 立ち上がって弟子に向き直り、改めて詫びるマハード。師の顔を見上げたマナは、またえぐえぐと大粒の涙で頬を濡らしながらこくこくと頷いた。

 

「良かったですぅ……セト様から聞いてた話からだと、お師匠サマって実はホントにアホだったんじゃないかって……ちゃんと考えがあって良かったぁ……!」

「…………」

 

 果たして弟子の中で自分はどういう位置付けなのか。

 一度突き詰めて考えるべきかとも思ったが、ちょっぴり悲しい気持ちになりそうなのでやめておいた。

 

「ホラ、セト様! やっぱりお師匠サマは犬死になんかじゃありませんでしたよ! 私言ったじゃないですか、何か意味があるハズだって!」

「……良かったな」

「負け惜しみですかー! 残念でしたね!」

「なんで私が負けたことになっておるのだ」

 

 セトを煽ってから謎の勝ち誇りポーズをキメるマナだが、その顔面は涙でびちょびちょだ。

 誰かがくすりと笑うと、連鎖するように皆の顔にも微笑が広がり、広間の空気がやっと緩んだ。

 

「──マハードよ」

 

 そこに、(しわが)れた声が響く。

 立ち上がりかけた皆がそちらに視線を向けると、ここまでただの一言も発言せず、一歩引いたところでじっとすべてを聞いていた隻眼の老人が、やがて静かに進み出てきた。

 

「何を言う資格も無いのは分かっているが……最後にどうか私にも、聞かせてはくれまいか」

「アクナディン様……」

 

 史実ベースで言うならば、彼は三千年前の争いを引き起こした張本人でもある。闇の大神官の宿主となったその肉体は既に現世で砕け散り、邪念に汚染された魂の大部分は、アテムが引導を渡したゾークと共に無念の闇へと消えた。

 そんな彼が今この冥界に存しているのは、ゾークとまみえる前の彼が心に宿していた、善なる精霊が主体となった魂の残滓と言える。

 

 冥界における新体制の王宮で、彼を神官として受け入れるかどうかは相当な論議を醸した。

 しかし、オシリスの審判を経て声正しき者(マア・ケルウ)として冥界に招き入れられていること、他ならぬアテムが『罪を憎んで人を憎まず』を()りて許したこと。そして、闇に堕ちる前のアクナディンの働きは国としても非常に有用であり、先達として皆が彼を慕っていたことなどから、実利面と感情面それぞれに折り合いがついたため、(バー)の力の多くを失いながらも、長きにわたる知見を活かした相談役のような立場で宮仕えすることとなっている。

 なお冥界の扉でアテムを迎えた時のアクナディンは、兄王に仕えた頃の若かりし姿であったが、改めてアテムに仕えると決まったとき、その姿も当時に合わせて老いた時分の見目に変化させていた。

 

「誰にも……三千年もの間、誰にも、そなたの本意を告げずにいたと言うのか? (いさお)しにもならぬ忠義のために、無能の(そし)りにも甘んじながら、現世での肉体も、いっときは冥府での来世の幸福すらも手放したと……?」

 

 今や千年眼から解き放たれた老人は、残る片目でマハードを見つめながら、震えを隠した声音で問うた。

 

 思えば生前のアクナディンも、内に秘めた激情を吐露出来る相手がいなかったのだ。誰よりも自分自身が、その想念を許されぬものと分かっていたからこそ、心の底へ強く強く押し込めたのだから。圧し潰し過ぎて、想いが歪むほどに。

 先ほど明かされたマハードの葛藤と決断は、そんなアクナディンの心を強く揺り動かした。

 

「何故耐えられた。何ゆえそなたは待ち続けられたのだ。たった独りで」

 

 老神官の問い掛けに、相対する青年は目を逸らさずに口を開く。

 

「独りなど……私は写し身として現世でアテム様と共に──」

「現世での王の記憶は封印の中にあった。即ちそなたの(レン)を知るものは、三千年後の現世にはおらぬ。魔術師(そなた)はアテム様と共にありながら、マハード(そなた)は独りだった」

 

 アテムが僅かに目を伏せる。間髪入れず断じたアクナディンの言葉は、痛いほどに真実を突いていた。

 

 現世において生前の記憶を封印されていた闇遊戯(アテム)が共に戦ってきたのは、あくまでもカードモンスターとしての『ブラック・マジシャン』だった。

 

(──そうだと、思っていたのに)

 

 しかし、パンドラとの一戦で見せた、黒魔導士の自己犠牲。当時カードとの絆と称したそれは確かに尊いものだったが、古の記憶が蘇った後、アテムはひとつの可能性に気付いてしまった。そして冥界の扉をくぐった後、それは確信に変わる。

 再会した魔術師(マハード)は、現世の決闘のすべてを記憶していたのだから。

 そしてこれこそが、先にアテムが口にした、マハードに詫びたいことの一つでもあった。

 

(マハード、お前は……)

 

 ここでアテムが口を開けば、彼が望んでいなくとも臣下達は主の発言へ忖度(そんたく)せざるを得ず、話が止まってしまう。出来る限り、この件に関するすべての(おり)をここで出し切ってしまいたかったアテムは、今は何も言わずに成り行きを見守った。

 主の内心を知ってか知らずか、当の魔術師本人は静かに言葉を返す。

 

「記憶があろうと無かろうと、アテム様であることに変わりはありません」

「本質がそうであろうとも、守護神官としてのそなたが永らく孤独であったことは(たが)わぬ」

「それでも、途中からはマナもおりました」

「マハードよ……我が問いの真意がそこに無いことは分かっておろう」

 

 まるで詭弁のような問答に片眉を寄せ、アクナディンはもどかしげに首を振った。

 

「ともすれば、砂漠に水が満ちるのを待つが如き忍耐の道。報われるどころか、終わりが来るかも分からぬというのに──まかり間違えば、……私の愚かしさゆえに! 主が帰らぬままに、そなたの魂は永遠にドゥアトの岸辺を彷徨っていたかもしれぬのだ──」

「太陽は」

 

 響いたその声は、あまりにも凪いでいて。

 

「──太陽は一度沈んでも、必ず再び天に昇るのです」

 

 熱を孕んだ老人の声を穏やかに鎮めるような、湖面の如き佇まいで、青年は光を讃美する。

 先ほど取り乱していた姿は夢だったかのようなその姿に、アクナディンは継ごうとしていた言葉を呑んだ。

 

「アクナディン様、私は……私も、あなたも、同じだと思っております」

「同じ……?」

 

 鸚鵡返しの言葉にマハードは頷き、胸に手を当てる。

 

「我が身を捧げても苦にならぬほど大切な相手のために、心の底から祈った……ただ、それだけなのです」

「──!」

 

 刹那、老人の胸にかつての想いが去来する。

 願ったのは、己の栄光ではなく、我が子の幸福。何をしてやることも出来なかった、名乗ることすら許されなかった息子へ、何か遺してやれるもの。

 表すことも叶わなかった愛情と激しい想念は、押し込められた心の裡でわずかに歪み、それを邪悪は見逃さなかった。

 

 アクナディンは目の前のマハードを見据えたまま、視界の端に映る息子の姿を垣間見る。

 

「祈りの果てに行き着いた先が、光か闇かの違いだけ。私こそがアクナディン様の道を辿った可能性も、十分にありました。ただ──」

 

 言葉を切り、マハードは緩やかに振り仰ぐ。

 今や揺るがぬその視線の先は、幾星霜(いくせいそう)の時を越えてなお、曇りなき忠を捧ぐに(あた)う主の姿。

 

「私の信じた御方は、太陽でした。いっとき姿を隠しても、いつか(ゲレフ)(とばり)を掻き消して、必ずまた世界を照らす光でした」

 

 朗と響く守護神官の声は、まるで祝詞(のりと)のように王を謳う。

 

 神をも従える強さを持ちながら、民のためにその血を流すことを厭わない。

 (しん)の痛みに心を痛め、与うべき褒誉(ほうよ)は惜しまずに、等しく罪に裁きを下す。

 竜驤虎視(りゅうじょうこし)し君臨すれども強圧的には支配せず、ただ民の(しるべ)となる現人神。

 

「必ずお帰りになることを信じておりました。ですから、」

 

 青年の声を聞きながら、この場に集う者達は 自然と我が胸に手を当て、神官の本分である祈りを捧げた。

 重ねた(よわい)こそ(いとけな)くも、(あまね)く人の子の上に立つ(ファラオ)へと。

 

「すぐですよ。──アテム様のいない、永遠など」

 

 透徹した眼で、青年は静かに祝詞を結んだ。

 そこには欠片ほどの不安も、罪悪感も、気負いすらも無かった。先ほど行われた禊ですべてを洗い落とした彼には、ただ変わらぬ信念だけが大樹のように根を張っている。

 

天涯(てんがい)比隣(ひりん)(ごと)しと、そなたは言うのだな……)

 

 感得(かんどく)したかのようなその姿に、アクナディンは長息を吐いた。

 マハードの答えは、既に試練を終えたからこそ吐ける言葉とも言えようが、そもそもその試練を乗り越えられる人間がどれだけいるというのか。

 

「……不撓(ふとう)なる男よ。そなたを超える忠臣は、現世と冥界すべてを探しても存在し得ぬだろう」

 

 もしも彼が千年眼を受け継いでいたとしても、自分のように闇に魅入られることは無かっただろう。

 遥かな過去に思いを馳せた老神官は、静かに口の端を上げ、天を仰いだ。

 

「アクナディン、言いたいことはもう無いか」

「はっ。私の戯言にお付き合いくださり、感謝いたします。マハード……礼を言う」

 

 アテムの声に頭を下げ、マハードに目礼したアクナディンは再び皆の後ろへ引き下がる。

 軽く頷いたアテムは、整列した臣らへ、声高く語りかけた。

 

「皆、努々(ゆめゆめ)心に刻め。マハードの真実と、オレの覚悟を。信念に行動が伴えば、語らずとも伝わる意志がある。お前達の誰が同じ道を辿ろうとも、そこに誠心ある限り、オレは同じように報いるだろう」

「ははっ!」

 

 眼光紙背(がんこうしはい)に徹する理知に加えて、寛仁大度(かんじんたいど)の器を改めて示した(おの)が主を前に、皆が胸の内に湧き上がる熱を噛みしめる。

 

 かつて現世で王位にあった頃のアテムは、文武人格に優れども、これ程までの器ではなかった。父の崩御で世襲した歳若き少年王は、彼がどのように努力しようとも、絶対的に年功や経験が足りない。それを補うための熟練の補佐役であり、神官達であったのだが、それが今やどうだ。

 現世での数多の戦いと、過去を精算する決戦を経て冥界に凱旋した彼は、大器と呼べるまでに成長し、神威(しんい)(あら)たかな冥王の器となった。

 

(あまね)く民の(しるべ)たる、いと高きイアルの王よ」

常永久(とことわ)にして不易(ふえき)なる、我らが忠誠を捧げます」

 

 冥界のみならず現世まで、その御稜威(みいつ)普天率土(ふてんそっと)に鳴り渡れかしと、神官達は唱和した。

 長きに渡り、王の帰還をひたすらに待ち続けた彼らの三千年もまた、確かに実を結んだのだ。

 

「皆、頼りにしているぞ。──さて、これで究明と裁定は終わったわけだから、残るは行動だ。忠義に報いるは言葉のみに(あら)ずってな」

「は! ファラオよ、何なりとご下命ください!」

 

 やる気が漲っている神官達は、前のめりで口々に良い返事を返した。

 腕まくりする勢いで命令を待つ彼らを睥睨(へいげい)し、不敵な笑みを浮かべた王は、威厳ある仕草で右手をまっすぐに延べ、朗々と言い放つ。

 

「よし、ではまず現世のネット界隈でブラックマジシャンとマハードをディスってる輩に闇の裁きを下すところから始める!」

「……実はあんまり冷静じゃないですねファラオ!?」

 

 王が大真面目に宣言した内容を斟酌(しんしゃく)しようとした沈黙の後、神官達の総ツッコミが入った。

 

「ずっと処したかったんだあいつら何も知らねぇクセに好き勝手言いやがって……!」

「お鎮まりを! ファラオにあるまじきワッルい顔になってます!」

「もっと言うとコレがやりたくてさっきこの話を持ち出した」

「アテム様落ち着いてください! オシリスは現世を裁く神ではないですよ!?」

「これはオシリスとしてじゃない、私怨だ」

「言い切った!」

 

 混乱しつつも王へと怒涛の諫言(かんげん)を浴びせる神官ズだが、そよ風ほどもブレないアテム。泰然たる王の風格の使い所を盛大に間違っている。

 

「ただのちっちゃい決闘オタクじゃないってせっかく見直したところなのに台無しじゃないですか!」

「誰がちっちゃい決闘オタクだ今言った奴そこに直れ」

「やっちゃいましょう王サマ! 私がそいつらの墓の上で安来節(やすぎぶし)踊ったります!」

「煽るんじゃないマナ!」

 

 ここまでセトのくだりを含め、王がその忠臣達へこれまでの感謝と戒めを表意し、側近達は改めて王に忠誠を誓うという大変エモいイベントだったはずだが、チャプター終了間近で隠れ過激派の出現により再び場は混乱に陥る。

 

「相棒はこないだまで高校生だったんだから、オレのメンタル高校生でもまだ許されるだろ! 卒業式も出てないし! 相棒の答辞聞きたかった!」

「ちょっと何言ってるか分かりませんファラオ!」

 

 偉大なる王と言えども個人的な恨みからの解脱は、また別の話のようだ。

 

 




次からまたアホ(既にアホ)
話が逸れまくってまだ会議の本題に入っていないという…
次はまた怒涛のギャグパートになります
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