頑固なだけでは物事を複雑にしてしまうだけだ。
「ドクター、終わってない仕事がまだたくさんありますけど、今日一日は安静にして休んでくださいね」
──大変遺憾ながら、風邪を引いてしまった。
前日から頭痛と微かな倦怠感を覚えていたものの、理性回復剤を用いて無理やり誤魔化し仕事を続けたツケだろうか。今朝は猛烈なダルさと咳に見舞われてしまい、ベッドから起き上がれなくなっていた。
定時になっても執務室に現れない私に業を煮やしたアーミヤだったが、部屋に直接乗り込み私の状態を見るや否や医療部の人間を呼び出して、検査の結果無事に風邪判定を受けた訳である。
そうして最初のありがたい言葉をアーミヤCEOから投げかけられ、今日一日は自室にて臨時休暇となった運びだった。いつもは一日が四十八時間であるかの如く働いているだけに、降ってわいた暇な時間に喜びよりも戸惑いを覚えてしまう。悲しい社畜精神だ。
ゴホゴホと咳き込みながら布団へと潜り込む。普段の不審者同然なマスクも外しているが、やはり寝苦しい。寝ようにも寝れないまま頭に浮かぶのは本日行うはずの業務たちだった。
「…………」
自慢ではないが私は仕事を要領よく進められる方だ。記憶喪失となりかつての
それだけに自身の体調管理を疎かにしてしまったことへの罪悪感と、終わらせる予定だった業務が浮かんでは消えていく。元よりいきなりやって来た記憶喪失の人間が幹部格に収まったのだ、せめて実務で能力を見せないことには示しがつかない。
「…………はぁ」
とはいえ、動くことも出来ずに寂しくベッドに寝転んでいるのが現実だが。せめて一秒でも早く風邪を治し、体力を取り戻して動けるようになろう。
どうにも今日はモヤモヤした一日になりそうだと予感して、ごろんとふて寝するのだった。
◇
仕事をする上で人間関係というのは大事なものだ。信頼関係があれば意見も気兼ねなく言い合えるし、危険な戦場に立っても命を預けることができる。少しシステマチックな言い方をすれば信頼度は上げれば上げるだけ良い、と評するところか。
故にオペレーターの皆と良い関係を築くことは常に念頭に置いていた。不審者じみた印象を打ち消すくらいに明るく社交的に、様々な人に声を掛けにいったのは間違いではなかったと思うものの……
「まさか、これだけの見舞い品を貰えることになるとはな」
山。そう、まさに山である。
自室に置かれた簡素なテーブルの上には見舞いにやってきた皆からの見舞い品がうず高く積まれていた。朝から現在の夕方に至るまで、ひっきりなしに誰かがやってくるせいで寝てる暇などなかったほどだ。
だいたいは風邪の際に飲むような栄養ドリンクだったり、簡単に食べれるものを持ってきてくれているのだが、中には妙なものも混じっている。
マリアは自作したという『睡眠導入機能付き目覚まし時計』を渡してくれた。彼女のアーツを応用した睡眠導入機能と、それの解除による快適な目覚めを提供するとか。まだ寝る余裕が無いので試せていない。
マゼランは『ドローン印の自動給水セット』なるものをくれた。寝ながら水を飲める一品……らしい。試しに使ってみたら盛大に顔へぶちまけられたので今は部屋の隅っこに置いている。
シルバーアッシュはかなり高級そうなチョコ詰め合わせセットをくれた。彼が帰った後に少し調べてみたら相当なお値段のする高級品らしい。そんなものをこの短時間にどうやって用意したのか、彼の厚意が少し怖い。
他にも他にも、皆からの好意に溢れた妙な品には嬉しいやら困ったやらだ。グムやマッターホルンらが作ってくれた胃に優しい料理を頂きつつ、多くの人からの好意に感謝する。苦しいときに支えてくれる人たちが居るのは思った以上に心が温かくなる。ありがたい話だ。
もう陽も暮れた頃だし、早めに寝てしまって明日に備えよう。そう考えて目を閉じようとしたところで、コンコンと控えめに扉が鳴らされた。このタイミングでいったい誰だろうか?
「ドクター、起きているか? 私だ」
「……ああ、起きているよ」
声を聞いた瞬間にほっこりした気分が吹き飛んだ。まるで戦場に立っているかのような緊張感が身体を支配する。なにせ扉の先に立っているのは、医療部門責任者にしてこのロドスの実質的トップでもある、ケルシーなのだから。
「君の診察をしたいのだが、入って構わないだろうか。無論、君の分まで仕事を肩代わりしたアーミヤの意思に反して何か用事があると言うなら遠慮しておくが」
「いいや、まったく無い、無いとも。だから入ってくれて構わない」
「そうか、では失礼する」
扉が開けられ、白衣を着た銀髪のフェリーンが目に入る。こうして見るとやはり美人ではあるのだが、私はどうしても彼女のことが苦手だった。
入るとすぐにテキパキとこちらへ指示を出し、気が付けばケルシーへ胸をさらけ出した状態でベッドに座り込んでいる。彼女は慣れた様子で聴診器を私の胸へと当てていた。そこに何某かの感情の色はまったく見当たらない。
──私には君を一生恨み続ける権利がある。
かつてチェルノボーグへ潜入した際にケルシーから言われた言葉だ。今の私にはまったく覚えが無いのだが、記憶を失う前の私はかなり色々やっていたようで。その果てにケルシーからは随分と恨みを買ってしまい、実質的な別人である私にまで恨み骨髄であるらしい。
私としても最初からケルシーの風当たりが強い事は分かっていた。だから一時期は彼女のことが苦手どころか嫌いですらあったほどだ。しかし共にロドスで働く時間が長くなるにつれ、医者としての彼女の優しさに触れ、また彼女自身も今の私へ歩み寄ろうと努力しているのを感じたのも事実だった。だから今でも苦手意識はあるものの、それ以外の悪感情は気付けば無くなってしまっていた。
「──よし、君の身体には既にほとんど異常は無いな。このまま安静にしていれば、明日にはいつも通り執務室に向かい書類を手に取ることが出来るだろう……聞いているか、ドクター?」
「ああ、すまない。少し考え事をしていた」
「自分の身体のことだ、もっと関心を持つといい」
思索を打ち切り、ごもっともな意見に素直に頷く。今後は体調管理も気を付けなければ。フォリニックの意見ももう少し真面目に聞き入れた方がいいかもしれない。
それから二、三の質問や診察を経て、どうやら快調に向かっていると確信を抱いたようだ。
「では私はこれで失礼しよう」
ケルシーはどうやらこの場に長居する気は無いらしい。さっさと聴診器を首にかけると立ち上がった。
……私としてもケルシーと二人きりという状況は避けたい。故に帰るというなら願ったりなのだが、同時にそれはコミュニケーションの放棄な気もしてならない。だからだろうか、気が付けば見舞い品の一つを手に掴むと、ケルシーの方へと差し出していた。
「時間があるなら少し話をしていかないか? 君にも休息は必要だろう」
「断る。私も忙しいのだ、無駄話に興じている暇はない」
「なるほど、不摂生はどうやら私だけではないらしい。目元の隈を隠しきれていないぞ、ケルシー。寝る間も無く働けば誰かさんの二の舞だ」
「……まったく、しっかり化粧で隠したはずなのだが。君の観察眼にはいつも手を焼かされる」
ケルシーもまたワーカホリックな面があるというか、自身の身を顧みないことが非常に多い。それ故に疲れも溜まっているのだろう、一つため息をつくとおとなしく椅子に座り込んだ。
「五分だ、五分だけ君との会話に付き合おう。それ以上は伸ばせない」
「充分だ。それとこのチョコだが美味しいぞ、食べるか?」
「それは君への贈り物だろう、私が食べてしまうのは憚られる」
「私はもうたくさん頂いたさ、この味の感想文を十枚は書ける自信がある。甘いものは疲れにも効くと言うし、どうだ?」
「……そこまで言うなら、一つ貰おう」
渋々といった様子でケルシーがチョコの包装を解き口へと運んだ。その瞬間に彼女の頬が微かに緩んだのを私は見逃さなかった。やはり身体は糖分と休息を求めていたらしい。
ケルシーがチョコを堪能する十数秒を待ってから、私から先に話を切り出す。
「しかし君が診察に来てくれるとは意外だった。てっきり放置されるものだと思っていたが……」
「私がここに現れたということは、つまり事態が切迫しているということだ。結果的にただの風邪だったとはいえ、君の身体に起きる異常は見過ごせない」
「いや、それ以上にケルシー自身がああも丁寧に診てくれるとは思って無くてな」
ああも真正面から『恨んでいる』など言われたのだから、もっとぞんざいに扱われると考えていた。ケルシーがそんな子供っぽい事をするとも思えないが。
当の本人は少し呆れたような目を向けると、椅子から立ち上がって腰に手を当てた。これはまずい、どう見ても説教の姿勢だ──
「ドクター、君は医者というものが患者を選り好みする人間だと考えているのか? だとすればそれは大いなる過ちであるとこの場で学んでもらいたい。我々は目の前の患者に対して私情を挟むことは一切ない、たとえそれが五分前までの敵だったとしてもだ。この大地は望む望まぬに関わらず残酷に命を奪っていく、その不条理に対抗できる唯一となる医者が個人的感情で役目を放棄してしまえば、いずれ生命の連鎖が先細りするのは明らかだ。故にロドスは感染者およびこれに付随するあらゆる問題の解決に労力を惜しまず、その一端である私も同様の理念で動いている。君は医者ではなく博士かもしれないが、この事実は理解してもらうべきだと願っている」
「……すまなかったよ」
「謝罪が欲しいわけではない。君からの理解を得られれば私にとっては充分だ」
確かに医者の有り方をよく知らないまま軽んじていたかもしれない。これは私にとっても反省点だ。それにしてもまあ、もう少しケルシーは話を要約してくれると嬉しいのだが……言ったら今度こそ大変なことになりそうなので止めておこう。ケルシーに殺される!
と、今度はケルシーの方がチョコを摘まみながら──数え間違いでなければ三つ目だ──こちらに疑問を投げかけてくる。
「だが、一体これはどういう風の吹き回しだ? 君は私に対して苦手、ないし嫌悪の感情を抱いていると思っていたし、それに関して私にも原因がある以上は止める権利も無い。故にこのような状況が起きるとは考えていなかったが」
「そう難しく考えなくていい。私はただケルシーとこうして会話する機会が欲しかったというだけだ。それから一つ訂正しておくと、別に嫌悪の感情はこれっぽっちも抱いてない」
「では苦手な相手と好んで話をしようとしている訳か。君はよく変わっているとオペレーターたちから言われないか?」
「そうだな、たった今言われたとも」
軽くおどけてみればケルシーから鋭い視線を返された。どうやら冗談を言って場を和ませている場合ではないらしい。
居住まいを正してから更に話を続ける。
「考えてみれば私も君も、互いのことを知らなさ過ぎた。ロドスのツートップがこの有り様ではさっき語ってくれた理念を貫くことだって難しいだろう。アーミヤも言っていたが、もっと腹を割って仲良くなるべきだと思った」
「人と人の繋がりは目に見える訳ではなく、不可視のもの故に確実を取ろうとする心の働きには理解を示そう。しかし世の中にはそのような儀式を通じずとも良好な関係を作ることができた事例が山のように存在している。分かりやすく言い換えるのなら──」
「ビジネスパートナー、そう言いたいんだろう? もっと直截的に告げてくれて構わない、君の悪い癖だ」
流れで思わず言ってしまった。ケルシーは怒るでもなく「む……」と難しい顔で押し黙ってしまったが、特に否定もしなかった。どうやら自覚はあるらしい。
私もケルシーも腹の中で考えたことを直接口に出すことはあまり無い。出したとしても難解な言葉に言い含めて意図をぼかす癖が付いてしまっている。しかしこのままでは良くないと思うのだ。
「少なくとも私は君に敬意を払っている。誰よりもこのテラの大地の過酷さに向き合い、多くの物事を経験しながら初歩的な善意を忘れないケルシーに尊敬の念を抱いているとも。私にだけはその善意が向けられないのが寂しくはあるが」
素直な好意をぶつけた後で、逆にケルシーは現在の私のことをどう感じているのだと問いただす。
かつては恨み続けると言われた。しかし今この時の本音はどうなのだと訊ねたい。
時間はとっくに五分を過ぎてしまっていたが、ケルシーはそれに気づいた素振りもなく、ゆっくりと口を開いた。
「……結論は依然として変わらない。私はきっと君を生涯恨み続けてしまうだろう。その一方で確かに君は記憶喪失前後で大きく変わったと認めるより他に無いらしい。机の上に山と積まれた品がその証左だ」
視線の先にはたくさんの見舞い品がある。性格を感じる品から不思議なものまで、多種多様な種類の品が積まれたそれこそがロドスの縮図であるかもしれなかった。
「ああ、私にとっても自慢だよ。皆がこんな私に好意を持ってくれているんだ、誇らしくてたまらない」
「そう、その感性だよ。かつての君にそのような感性は欠片も見当たらなかった。故にこそ信用できた面もあるのだが……正直に述べよう、今の君の方がはるかに好ましい。信頼を勝ち取りより強固な人間関係を維持することは、社会性ある生物としてもっとも基礎となることなのだから。私としても、かつての君と今の君は明確に区別し接する必要があったと自省するしかない」
良かった、こうして親しみやすいドクターとして振舞ってきたことはケルシーにとってもプラスであったらしい。八方美人になってないかと心配だったが、私としても一つ胸につかえていたことが取れて一安心だ。
それならば、と右手を差し出そうとして、大量の汗に塗れていることに気が付いた。タオルは無かっただろうかと首を左右に動かしていると、スッと目の前に清潔そうな白いハンカチが差し出された。
「使うといい。寝汗をかいたままでは身体に毒だ」
「ありがとう……ケルシー、私と一つ握手でもしないか?」
「握手だと?」
改めて右手を差し出すとオウム返しに聞き返された。私としてはそんなに突飛なことを言ったつもりは無かったのだが。
「お互いに悪意を抱いている訳ではないと分かった。君の方にはまだ思う所もあるだろうが、私たち二人が今後も仲良くやっていくことは可能だろう。その証として、君と握手をしてみたい」
「先ほども言及したが、仕事を円滑に進めるうえで必ずしも精神的な結びつきを強固にする必要はない。君の気持は立派なものだが、私相手にそのようなことをせずとも──」
「私がそうしたいからしている、それではダメか? 何につけても自分だけは例外と一歩引いてしまうのも君の悪い癖だ、もっと自身を大切にした方がいい」
「そんなつもりは無い、のだが……」
珍しくケルシーの方が言い淀んだ。彼女はいつもそうだ。なんでも知っているし、重役の身で行動を起こすことも躊躇わず、誰かのために苦労することも惜しまないくせに、自分を顧みることだけは忘れてしまっている。
いつの日か積み上げた歴史と責任感にその華奢な肩が押しつぶされてしまうのではないか──そんな事を考えている人物はきっと少ない。それくらい普段の彼女は完璧かつ何でも成し遂げてしまうから。
だからせめて、役職としては同位である私くらいはケルシーの手を取ろうとしてみても罰は当たるまい。
「記憶喪失の私の口から言えた言葉では無いが……ロドス・アイランドは君の居場所だ。そこに居る人間の一人として、私はケルシーと仲良くしたい。ダメだろうか」
少し羞恥を覚えつつ、けれど臆面もなく告げるとケルシーはやや驚いたような顔をして、
「まさか
私の右手を手に取って、握り返してくれたのだった。
ひんやりとした、私よりも少しばかり小さい手。いったいこの手はどれだけのものを握り、また手放してきたのだろうか。私ごときでは一端を想像することしか出来ない。だとしても、この時ばかりは彼女が手を取ってくれたことを喜ぼう。
十秒ほども握っていただろうか、どちらからともなく手を放す。今度こそケルシーは時計を見やり、すっくと立ちあがった。
「さて、五分だけのつもりが随分と長い時間を使ってしまったようだ。私としたことが君に絆されていたようだ、どう責任を取ってもらおうか」
「……明日から頑張って働いて遅れを取り戻します」
「よろしい。そのためには明日の朝までに身体を快調に戻しておくことが先決だ。今日は夜更かしをせずすぐに寝るように」
まるで母親みたいなことを言う。間違ってもそんなことを指摘するつもりはないが。
それからケルシーは扉を開けようとして、思い出したかのように振り返る。
「我々の間に横たわる溝というのは、君が思うよりもはるかに深く巨大であるのが現実だ。一朝一夕で埋められるものでは断じてなく、故に今日この時の会話とて海溝を埋めようと投げ込まれた一握の砂に等しい。しかし覚えていて欲しい、いつの時代も無為と思われた小さな行為が世界を動かしていくのだ。まるで小さな砂粒が精密な機械を狂わしてしまうように、あるいは気まぐれの善意が後に思いがけない助力へ繋がったりするように。テラの大地で起きるあらゆる物事に、無駄なものは一つとして存在しないということだ。これからもこの事実を胸に刻んで励んでほしい、ドクター」
最後にそれだけ一方的に告げると今度こそケルシーは退室した。まったく、多少の指摘程度では彼女の長話癖は改善されないらしい。なまじ多くの物事を知っているからこそすべてを説明しようとしてしまうのだろうか。
だけど、今の話を要約するのならば……私も勇気を出してみた甲斐があったというものだ。
◇
結局、翌日の朝には風邪もすっかり治ってしまい、万全の状態で執務室に顔を出すことができた。
仕事を肩代わりしてくれたアーミヤや秘書のオペレーターに謝り倒しつつ、その後の数日は休んだ分を取り戻さんと張り切って仕事へと精を出す。張り切りすぎて理性回復剤をつい使いすぎてしまったが、これは仕方ないことだ。頭痛を堪えながらそう自分を誤魔化した。
「そういえば……返す機会が見つけられないままだったな」
ふと自身の胸ポケットに入れていたものを取り出した。出てきたのは無地の白いハンカチ、風邪で倒れていた際にケルシーが差し出してくれたそれだった。既に洗って干した後だが、僅かばかりケルシーの残り香のようなものが残っている。
さて、どうしたものか。このまま借りっぱなしはよくない。どこかで折を見て返しに行きたいものだが、ケルシーの空いている時間はいつだったか──考えだしたところで自分の変化に苦笑した。こちらから彼女へ会いに行きたいと考えるなんて、結構な変化である。
「今度は甘いものでも手土産に持っていこうかな」
意外と甘いお菓子も好きなようだし、ハンカチの礼に何か持参するとしよう。
だから今はとりあえず、目の前の仕事に集中するとして。頑張って自由時間を作り出してみようと気合を入れるのだった。